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第三十四話 カイザの天啓

 冷笑は風に託され、荒涼の大地をさらに凍てつかせます。

 本格的に冬を迎えて地面を白く覆った寒波も、今のネリーさんほどの酷薄さは持ち合わせておりません。


「あなたもお師匠様も全然わかってないわね。"男に取り入ること"のどこが悪いの? 運も、身体だって実力のうちよ!! これは女のみに許された攻め手。歴とした武器なの。使わない方が間抜けってものよ。わかったらワイツ……生まれながらの馬鹿のくせに、生意気なこと言ってないでありがたく思いなさいよ! 惨めで、まともな判断能力もないあなたを、この私が使ってあげようというのよ?」


 長く結った髪をななめに揺らし……彼女は首を傾げ、歪んだ笑いをワイツ団長に近づけます。


「あなたは誰にも愛されず、誰からも必要とされなかった。いつも家族から死を望まれ続けてきたわ。それでも健気に従うなんていじらしいわね……でも無理だから。小さな頃から汚されてきたあなたが、家族に愛される日なんて来るわけないじゃない! 残念だったわね、ワイツ。これまでがんばってやってきたことに意味なんてないのよ!!」


「前にも言ったはずだ、私は見返りを求めて戦っているわけではない」


「何よ、強がっちゃって。ねえワイツ、私と組まない? 言うとおりにあいつらを滅ぼしてくれれば、あなたを愛してあげてもいいのよ? あなたが欲しくてたまらない愛を、私がいくらでもあげる……」


 盗み聞きした内容は心にちり、と傷をつけます。わたくしが足りない人間であることは、とうに理解しておりました。無知で愚かな女だと自覚し、それでも正解を掴もうと努めてまいりました。

 けれど、胸を巡る猛りは何でしょう? 不快な思いで居ても立ってもいられなくなり、身を隠す場所から抜け出します。


 心に生じた激しい羨望。禍心。ネリーさんに向いたそれは、前世での言葉を借りるなら……"嫉妬"に当てはまるものでした。



 私が一番知りたい、実在も不確かな幻の感情……"愛"を、彼女はさも当然のように知っており、既に手にしていると言います。その気になればいつだって、ワイツ団長に差し出せるとも。

 彼が無抵抗なのをいいことに、ネリーさんは痩身にしなだれかかり、妖艶な笑みを持って迫ります。



「私には夢があるの……! 偉ぶって傲慢な連中を、栄光の座から蹴倒してやるの。特権階級を失った貴族、王族たちをずたずたに引き裂いて、虫けらみたいに潰されるのを笑ってやるのよ!! いい加減自覚しなさいよ。本当はしたくて堪らないんでしょう……復讐が。私だってそうなの。だから、あなたは私の一番大事な駒。挙兵の扇動者として、"不憫な王子の立場"がどうしても必要なの」



「復讐も愛も私には不要のものだ。ニブ・ヒムルダ王家が"曹灰の貴石"である限り、卑しい犬畜生の私が従うのは必定。ネリー、今更だがここに君の求めるものはない。私から得るものはない……わかったらもう行け。ひとりでも道はわかるな?」


 移動中のため詳しく様子を伺えませんが、今のワイツ団長の反応は容易に予想がつきました。


 落胆と煩雑を表すため息。ほんのわずか顰められた美眉。動かぬ薄い唇の張り……彼の一挙一動、すべて鮮明に思い浮かびます。最初から彼女へ動く心を持ち合わせていないことも。


「……ふん! あら、そうなの。残念ね。言われなくても出て行ってやるわ。不死者に恐れ慄いて逃げ帰っても無駄よ。その時には私のまとめ上げた軍勢で残らず蹂躙してやるんだから! ワイツ、見た目だけはお美しいあなたは、捕まえて兵たちへの餌として飼ってあげるわ」


「はじめから逃げるつもりなどない。生きて帰ることも……」




「少し、よろしいですか?」



 私の目的地はネリーさんの背後。先ほどから見える位置にいたというのに、彼女は声をかけるまで察せず、急な来訪に驚いて悲鳴をあげられました。逃げ出してしまわないよう、気を張りつつ語ります。

 これは正答に近づくための追究。彼女の見解を聞けば、解明の糸口が見つかるという確信がありました。



「カイザ。こんな早く起きていていいのか?」


「お気遣いなく、ワイツ団長。それよりわたくしは、ネリーさんに確認したいことがあるのです」


「ひっ……! な、なによ! どこから聞いて……っていうか、あなたおかしいわよ。なんで死んでないのよ!?」



「ネリーさん、どうか教えてくださらない? "愛"とは何ですの? あなたでしたら、本当にワイツ団長へ"愛"を与えられるというの?」



 知る限り、最も丁寧な方法で教えを乞います。膝を折り、面を伏せ……それでもまっすぐ知恵者を向いて、その叡智の施しを求めました。

 ……人に尋ねてばかりだということはわかっています。ですが、私はこのやり方でしか物事を測れないのです。世界を知る術を持たないのです。


「はあ!? 可哀想に、あなた頭がイっちゃってるのね! 冗談じゃないわ! 利用価値もないこんな男、誰が愛してやるものですか! あなたもそんな奴誘惑するなんて無駄足だったわね。それとも本気で惚れちゃった? ふふっ、あはははっ! さすがは世間知らずの令嬢様ね。王家以外の言うことも聞かない、王位継承権も持たないこいつに何があるというの?」


「この方から権力も、王子という立場も除くと"ただのワイツ"様が残ります。かけがえのない、この世で唯一無二の存在でございます」


「……うわぁ。あなた、本当に狂ってる。脳味噌に蛆でも湧いてるのね」



 答えていただけないようなので、私はもっと身を伏せます。直に触れる白雪に体温を奪われ、痺れるような感覚が広がっていきますが、より深く密着させます。

 必要なら額を地面に擦りつけることも、舌で外履きのお掃除もするつもりでした。いずれも人にものを頼むときに有効であると、ワイツ団長を見て知っています。


 しかし、当の本人はこの振る舞いを良しとしませんでした。私の身は彼の細く、それでいて強靭な腕に抱え上げられ、それ以上の礼節を取れなくなりました。


「もうやめろ。おまえの身体に障る」


「ですが……ワイツ団長、私は……」


「あははっ! そうよ。あなたたちお似合いの負け犬同士じゃない! 仲良くいっしょに死ぬといいわ」


 嘲りを吐きながら、ネリーさんはひとりで先に進み始めました。これはいけません。手掛りが去ってしまいます。求めてやまない答えへの道が、遠のいていく……



「さらばだ、ネリー。心配せずとも、もう会うことはない……君はただ不快なだけだったろうが、私は君と話すとどこか懐かしい気分になれた。本当に君は……私の母によく似ているな」


「……私があなたの母親と似てるですって? また馬鹿にして! いいように利用され、下手こいて王家に殺された女なんかといっしょにしないで!!」



「君は知らなかったか? 母を殺したのは私だ」



 さも意外気に話された殺人の告白。別れの言葉を侮辱ととらえたネリーさんですが、絶句してそのあとが続きません。ワイツ団長を注視して、恐る恐る後ずさりを始めました。


 国王陛下の愛妃だった彼のお母様……その凄惨な最期については私もうっすらと知っております。美しい舞姫の名残も残さず、執拗なまでに切り開かれ、臓腑ひとつひとつを並べた状態だったとのこと。それらを家具で申し訳程度に潰したものを、記録では"事故"と言い張っておりました。


「概ね君の言うとおりだな。あれは卑しい雌犬の解体作業だったが……私にとっては人生の契機となる出来事だ。その後の生き方を定めることができた」


「いや……いやあああ!! 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!! 来ないで! 二度と話しかけないで、声も聴きたくない!」


 蹴られた雪が泥とともに跳ね、ぬかるんだ道を穿っていきます。王家の醜聞とともに、王城ではワイツ団長の薄暗い過去を知らぬ者はおりません。

 想像してしまった現場の光景と実行犯が目の前にいる事実に、ネリーさんは恐慌をきたしました。手足をばたつかせ、必死に前進します。


 大切な頼み事も忘れ……私は放心したまま、彼女の背中を見送ります。今の団長のお話を聞いて、真理に至る筋道が見えました。言葉も失うほどの天啓を得たのです。



「それは、本当なのですか……!?」


「なにがだ?」


「あなたがお母様を弑したのは……今のあなたを形成する一助となったのですか?」


「そうだ。あれがあったから、私は"答え"を得た」


「……ネリーさんは、そのお母様によく似ていると?」


「ああ」



 肯定の返事を耳にして寸秒。私は雪原に踊りかかり、去りゆく群青を追いかけます。この足を駆るのは"歓喜"…………いえ、それはまだワイツ団長未認可の感情でした。

 私の新しい命はまだ始まったばかり。この世界にはわからないことが多すぎます。けれど、今からすることは間違いなく人生の糧となる。私は、またひとつ彼に近づける……


 坂道を疾走し、ネリーさんのすぐそばまで降り立っても、音すら乏しかったのかこちらを感知しません。私はそんな彼女の肩を掴み、振り向きかけた鳩尾に拳を捻じり込みます。

 ぐぇ……とくぐもった吐息を最後に、彼女は脱力し崩れ落ちました。私はその片足を持ち、ワイツ団長のもとまで声を張ります。



「ワイツ団長。私はこれからあなたの過去をなぞります。あなたを作り上げた出来事を、私も体験しとうございます。そうすれば……私は、あなたになれるのでしょうか? せめて、あなたの"道具"として生きることが許されるのでしょうか?」



「"違う"。おまえは私の道具にならない」



 またしても誤り。衝撃に打たれ、ネリーさんの足を落としかけました。

 正答への順路が見えたと思ったけれど、私は考えを間違えたようです。彼女を団長のお母様のように解体しても、彼になれない。彼の"持ち物"にもなれない。


 暗くなった視界に映るのは昨夜の記憶。屈託なく笑う少女の肖像。自身を"王様の宝物"と称した魔女様が羨ましい……



「この行軍において、兵たちは私と一蓮托生ではあるが……私の任務を果たす上で、おまえの存在は重要だと感じている……私はおまえを"道具"だと思ったことはない。おまえ失くして、私の望みは叶わないのだ」


 瑕疵多き私に、ワイツ団長の清涼な声が染み渡ります。不思議とそれは、誤答を詰る響きではありませんでした。

 新雪が空からこぼれ、冬は厚さを増していきます。私たちは同じ風で髪を揺らし……互いという存在を鏡映しのように見つめます。



「カイザ……おまえは私の半身。私の片翼だ。ただ願わくば……私より先に散ってくれるな」



「あ……ありがとう、ございます! ワイツ団長!!」


 気を抜けば嗚咽が漏れ、息すらままならない有様。私は名も知らない、初めての情調に身を震わせます。

 団長は私の答えを受容してくださいました。正解以上の、大正解との評価をつけてくださいました。この道のりは正しかった。すでに半分、私は彼になれたのです。

 目指すいただきに手を伸ばすよう……気絶したネリーさんを持つ手に力が入ります。


「じき、完全に日が昇る。鍛錬するのはいいが、出発に遅れるな」


「ご心配なく、ワイツ団長。お手間は取らせませんわ。後始末が済み次第……すぐに戻ります」




 地に群青色の尾を引いて、うつ伏せのまま彼女を引き摺り、適切な場所を探します。緩慢に舞う大粒の雪は、やがて辺り一帯を覆い尽くすでしょう。


 ネリーさん。今は少し協力してください。私にも叶えたい夢があるのです。あなたを使って証明したい"感情"があるのです。

 "私"が"彼"なら、この胸にある"未確認の思い"もあの方に宿っているはず。私はいつか、正しい答えをあの方に話すことができるはず……



 ワイツ団長。私はあなたと比翼の鳥となり、どこまでも飛んでいきましょう。至福なる今際の時……あなたはきっと笑ってくれると、私は信じております。


 そのためなら、どこまででもついてまいります。

 ともに破滅のひとときを。

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