第三十三話 カイザの露見
きりりと引き締まった朝の空気で目を覚まし、ある予感に駆られて天幕を捲れば……案の定、外界は粉雪で覆われておりました。
これも、ニブ・ヒムルダで言う"自然神"のお力なのでしょう。昨夜魔女様と別れてから目覚めるまであまり時の経過は感じられませんでしたが、雪化粧を施すには十分と思われます。
朝日はいまだ雲をかぶっていても、白生来の燐光だけで行動に支障はありません。私は早朝の訓練を致そうと、純白の景色に歩を刻みます。
森林は色すら無垢となり、信者の手から静寂を取り戻しました。これで無事、熊神様も冬眠につくことができるでしょう。
これ以上、ワイツ団長の弓矢で眠りから叩き起こされることはないかと存じます。
きゅ、きゅっと新雪が固まる音をたて、足を慣らすよう進みます。これからの戦いは常にやわくなった地面で繰り広げることになりそうです。だとしたら、極大魔法を受け欠けたままの装備では不都合。このあと分散した兵との合流のために集落へ赴くのですが、そこで修繕なり調達なりする必要がありましょう。
そんなことを思うなか、色彩の数を減らした景色の一部がゆるりよじれるのを感じました。天空から新たな雪は降ってきませんが、真逆に空へと登る白があります。あれは……湯気でした。
訓練場所を見繕う前に立ち寄ると、小鍋を竃にかける人物を見つけました。
「あら、あなたは……」
「おまっ! もう起きて……!?」
鍋の中に注意を注いでいたのか、傭兵の若頭は濃紺の髪を張り詰めさせ動揺しています。私の不用意な声かけで集中を途切らせてしまったのでしょうか。秘境の一族ゆかりの紫瞳は、焦りと気まずさのみを映しておりました。
「おはようございます、メイガンさん。こんな朝早くからお料理とは精が出ますね。手ずから部下の方たちの朝食をおつくりになるなんて」
「いや、これは……」
猫背気味のお姿は小刻みに前へ動き、目線をわずかに伏せられました。
「……おまえに、と思って」
小鍋からは薬草とお肉を合わせた香りが立ち上ります。中身の色からして普通の料理でないことは明らかでした。食べ物というより薬などに近い……動物の滋養のある部位を使った薬膳でしょうか。
メイガンさんは作成物の名称は言わず、規則的に匙を回します。
「戦いの最中、倒れられでもされたら迷惑だからな。じじいの治癒で傷は塞がったかも知れねえが、血とか筋を増やさねえと意味ねえ……だから、完成したら食え。活力の足しにはなる」
「私に、ですか?」
「二度も言わせんじゃねえ」
こちらに目も合わせず、吐き捨てるような言い方ですが、メイガンさんも私を気にかけておられるのがわかります。思えばこれまで会う方、話をした方みなこうでした。ワイツ団長はじめライナス様や魔女様……おそらくはネリーさんも、私のために心を砕いてくださいました。
皆様が同情されるということは、攻撃を受けた私はやはりひどい有様だったのでしょう。不甲斐ない自身への反省に限りはありません。
「なあ、カイザおまえ……好みの味とかあんのか?」
私との沈黙を厭ったのか、メイガンさんは振り向かずに言葉を投げました。
「"好み"とはなんでしょう?」
「甘いとかしょっぱいとか、辛いとかさ……今なら調整してやってもいい。まだ完成してねえから」
「私はどのような味でも構いませんわ」
「……こっちの備蓄とか気にしてやがんのか? 舐めるなよ、誰がやりくりしてると思ってる。こんなことで調味料出し渋るほどじり貧じゃねえよ」
「そうではありません。私はメイガンさんがお作りになるものなら、必ず美味だと信じているからです……以前もご夜食の差し入れ、ありがとうございました。大変美味しゅうございました」
中身を混ぜる手を止め、彼は虚を突かれたと言わんばかりの表情になりました。斜め後ろから見ていても、その驚きようは明瞭でした。
数秒のち、我に返ったように……この国の食文化はいったいどうなってやがる、と悪態をつかれましたが、これはお世辞でも謙遜でもありません。私の本心からの答えでございます。彼の料理が美味なのは事実。
ワイツ団長がそう言っておられたのですから、間違いありません。
「……それより、おまえも見送りか? それとも、あいつがもう戻って来ねえよう見張りにきたのか?」
「何のことでございましょう?」
「じじいの元弟子だ……ネリーとか言ったか? さっき、一刻も早く出ていきたいからって、ワイツを連れて山道下って行ったぜ。まったく、役立たずのうえ憎たらしい女だった。知ってたか? あいつ、おまえらと傭兵との前じゃ全然態度が違うんだぜ……そういや、"柊の"おっさんの前でも猫かぶってたな」
彼の話によると、調理の準備中男女の話し声に気づき、街道の入り口付近を覗いたところ、森の出口に向かうワイツ団長とネリーさんを目撃したそうです。
立て続けの災難を受けた彼女は、行軍からの離脱が決まっておりました。ワイツ団長は途中まで連れ添ってらっしゃるのでしょう。
「ネリーさんは出立されたのですね。私も、今までの御礼を申し上げなければ……」
ワイツ団長が伴われたのであれば、私もご挨拶すべきでした。足場の悪いなか、荷物を抱えての移動は難しいでしょう。お二人はまだ遠くには行ってないはず……
私はメイガンさんに深々と一礼し、また後ほど伺うと約束しました。ぶっきらぼうな返事に送り出され、早足で出向きます。
後ろで彼が口を開いたのか、白い呼気が見えましたが……今は会釈のみして去らせていただきます。
「おまえ……本当に笑わねえのな」
山道を疾走してすぐ、お二人の居場所がわかりました。予想よりも進んでおらず、まだ森の中程といったところで何やら激しく話し合っています。といっても、声を荒らげていらっしゃるのはネリーさんのみのようですが。
立ち聞きはいけないと思いつつも、会話の邪魔をする方が問題となると感じ、木の陰にて待機することにします。雪を吹き付けられ嵩を増した木々は、私の姿を余裕で覆いました。
それにしても、ネリーさんは何を話していらっしゃるのでしょう?
"国王の命令を聞くな"、"こんな行軍間違ってる"、"他の者はどうなってもいいから、あなただけは生きないとダメ"、"兵を集めて都を滅ぼせ"……どうしてこうも、ワイツ団長の任務に反対するのでしょうか?
彼は最初こそ反論していましたが、どうあっても聞き入れない様子に諦めかけておりました。
視線は白の傾斜を登り、とある幹の密集地点に定まります。つまり……私のいる場所に。
見つかってしまいました。勝手に聞いているのを知られてしまいました……でも、どうしてでしょう? ワイツ団長からの気配は私を咎めるものでなく、むしろ立ち去らず、そこにいていいという許可に思えました。
「どうしてわかってくれないの……ワイツに死んでほしくないからに決まってるでしょう? あなたは私の幼馴染なの! いえ、今はそれ以上の存在よ。小さい頃は気づかなかったけど、私……あなたのこと……」
「幼馴染だからこそわかる。昔から君の行動には不可解なものが多い。幼い頃は同じ教師に師事し、会うことは多かったが、君はいつも兄たちとともに私を嘲り笑っていた。私を貴族の寝所へ呼び出すのも君の役目だったな。当時、私に擦り寄るような言動はまったくなかった」
居場所が露見した今、隠れ続けるのは不作法かと思い、まずは顔を上げて状況を確認します。
ネリーさんは半ば団長に抱きついておりましたが、彼の説得が功を奏したか、ゆっくり身を離します。いつでも化粧を欠かさず、自らを飾り続けるお顔は……うつむいて暗く、翳っておられました。
「ネリー、君はいつもそうだ。権力のある男に媚びることで、自分の地位を上げようとしてきた。ライナス殿もその気風を嘆いていた。どんなに説教しても改心しないと泣きつかれたこともあった。ここに来たのは、ついに誰にも相手にされなくなったからだと最初から気づいていた。私を担いでどうするつもりだ? 自分を袖にした男たちへ報復したいのか?」
彼女はゆらりと後ずさり、真顔でワイツ団長を睥睨します。
気持ち次第で印象は変わるもの。熱っぽい目と声は取り払われ、戦いの場にあるまじき華美な装飾も箔を失ったと感じます。
「ワイツ……私、あなたのこと…………」
あざといまでの可憐な仕草も抜け落ち……ただただすさんだ群青が、姿を現しました。
「……ずっと前から、どうしようもない馬鹿だと思ってたわ」