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第三十二話 カイザの誤答

 皆が寝静まった真夜中、わたくしは見張りの目を避けて、ひとり鍛錬に励みます。

 ワイツ団長から教えられた剣の型を一通りこなし、冬の寒気に身体を慣れさせていきます。無事に動くことがわかれば手数の量を増やし速度を上げ、体を捌いて、冴えを増し……それでも遅い、まだ鈍いと不安にかられます。剣の流線に淀みが見えました。


 これでも瀕死の重傷から一日経たのみ。思うように動かぬと感じるのは贅沢というものでしょう。まず、ここまでの回復は常人の魔法ではあり得ぬもの。実に高度な治癒魔法が施されたものと伺えます。

 さすがはライナス様……魔女様から魔力の提供を受けられたのでしょうが、その博識さには頭が下がります。


 この軍には、思いのほか優秀な人物が揃っております。先の戦いからお雇いになっているメイガンさんやギラス様も優秀な戦闘員にございます。皆さま、私なぞよりずっと力があり、団長のお役に立っていらっしゃる……


 私には何もありません。愚直にただ、あの方を追い剣振るうのみ。

 ワイツ団長から勧められたのは"速さ"を重視した戦闘でした。私は身軽さと瞬発において才があると言われ、以降必死に磨いて参りました。

 あのお方の影となって走り、仕留めずとも気を逸らす一手に命を懸けてきました。



 明日から前線に立てるよう、実戦を考慮した訓練を開始します。戦場さながらに駆け、周囲の木々を敵に見立てて斬り込みます。

 "殺そうと思わなくていい"……ワイツ団長のお言葉です。"相手の気を散じさせるだけでいい。確実に負荷を蓄積させ、決定的な隙を待て"、今もそのように動きます。


 並列した木をすれ違いざまに抉り、木片が地に落ちるのより速く枝に切れ込みを入れます。これが人の指なら、すでに相手は武器を持てなくなることでしょう。

 でも、違います。この程度では、あの方のお役に立てません。さらに速く、もっと疾く……




「理想を言えば、流れるように……だが、流されるな。細かく斬撃を刻め」


「はい。ワイツ団長」


 いつかの戦い。いつかの戦場にて、私はワイツ団長と初めて真剣での稽古をいたしました。真夏の夜、月下の野営地でのご指導を追憶します。


 彼は解説しながらも打ちかかる私の剣を払い、狙うべき箇所について語ります。

 相手が立っている場所ではなく、次に踏む地を攻撃せよ。その動きの通過点はどこか。移動後の射影に重なる座標はどれか。逃げ場のないそこに刃を突き立てろ、と。


 言われるがままに私は予測し、前知し、感じた位置に身体を導入させました。同調の波を捉え、思考導線が爆ぜた先……あの人の精神が垣間見えた気がして、より深く求めます。



 そして剣と剣による答酬の果てに、その兆しを掴み取りました。予想と現実の臨界点にたどり着き、延ばした剣が真理に重なります。それはまるで、"私"が"彼"となったような感覚……



「……っ」


「そんな……!」


 その一撃は今までで最高の出来でした。私はワイツ団長の軌道を完璧に予言し、不可避の剣尖を実現してみせました。

 華々しい成果は右籠手への裂傷……動脈を切ったのか、血潮が勢いついて流れます。私は急ぎ剣を捨て、止血に取り掛かりました。


「見事な一閃だった。腕を上げたな……申し分ない成長速度だ」


「申し訳ありません!! わたくしは、あなたになんてことを……」



「カイザ、それは"違う"。おまえは謝らなくともいい」



 誤答との指摘を受け、私は動けなくなります。こうなってしまえば、彼の口から正解が発されるまで動けません。


 傷を押さえる至近にて、作り物めいた相貌と向き合います。清らかな瞳は夜をよく映して、わずかな光源をも受けとり纏う灰髪はけぶるような美しさ。近づいて見れば見るほど、極上の人形じみている彼。

 生きて、息をしているのも不思議なほどの美貌は、私に真実を唄ってくれます。


「同情の思いを抱くな。敵への共感も、傷の与え合いを恐れるのも"間違って"いる」


「でも、私はどうしたら……? あなたの痛みを考えると、心が軋むのです」


 下を向きかけた目線は、すぐに引き上げられました。ワイツ団長が傷ついた方の腕で、私の手を握ったのです。掴まれた手のひらは彼の胸まで引き寄せ、握り込まれ……彼の傷に直接触れる形で固定されました。



「どうだ。あたたかくなったろう」



 私の肌を滑るぬくもった血液。握る手を振りほどくこともできず、正直に頷いて同意を示すことしかできませんでした。


「他者に与えた痛みが周囲に伝播するというのなら戦争など起きない。幻痛を得ようとするな、カイザ。心の痛みなどまやかしだ。私の苦痛がおまえに伝わることはない。触れてわかる……この熱だけが真実だ」






 剣を鞘に納め、本日の鍛錬は終わりといたします。武器をしまってようやく、切り捨てた枝木が地面に落ちる音がしました。

 夜風に流される広葉樹の葉が縦横に割れ、四片へと分かれます。あれは、最後に斬りつけた落ち葉でした。空中漂うのを戯れに剣で撫で、十字に切ったばかりのもの……



 曲芸として見世物にするつもりはありませんでしたが、ぱちぱちという拍手が頭上に生じます。見上げた枝には爛々と光った金の眼がふたつ。


 宵闇色の喪服は本来なら戦いの後に着るべきもの。しかし、このお方の為すことに正誤はないのでしょう。設題をも捻じ曲げて、己の欲望のみを答えとする……それができる力をお持ちです。

 獲物を探す猛禽のように、可憐な不死者は私の殺戮の剣を愉快に笑っていました。



「すごいじゃない、カイザ! あんな大怪我したばっかなのに体力もあるし、気力も折れてないなんて。どれだけひどい状態だったか覚えてる? ま、あたしが使った魔法のせいなんだけどね。それで、どうしたの? 眠れないの?」


「あなた様は……」


「あたし? あたしは眠らないの。その必要がないっていうか、時間がもったいないじゃない。夜でも昼でもいっしょよ……"王様"への思いを止めたくないの」


 木の枝にとまった不死者"魔女"様は、私が問わずとも夜間の行動について説明してくださいました。

 おみ足をぶらつかせ、薄雲かかった夜空を仰ぐ様子は梟鳥のようでもありますが、彼女の標的は遥か遠くにあります。



「そのお方は……いつの時代の、何という国を治めていらしたの?」


 "魔女"と"不死の王"……そんな男女の関係に、私は関心を抑えきれなくなり、思わず声を発します。私が信じられる答えはワイツ団長から出されるもの。けれど、このお方は誰よりも多くの時を過ごしてこられました。


 少女の姿をした永遠は答えます。


「国の名前? そんなもの意味ないわ……しいて言えば"世界"かしら」


 言葉の意味をうまく受け取れず、胸中の疑問符を拭い取れません。私は考えるのを諦めました。あとで、ワイツ団長に話してお考えを仰ぎましょう。


「……"世界"、ですか?」


「あと、勝手に過去形にしないでちょうだい。今でも治世は続いているわ。この世界の、こんな一片に至るまでがぜんぶぜんぶ王様のもの。お優しいあの人は、広すぎる器に何でもかんでも放り込んで愛でてるってわけ。この世は王様の宝石箱みたいなものね」


 魔女様は触れるもの、目に映るものを指し示し、すべて"不死の王"の所有物だと告げます。団長へ持ち帰る問いは、増えていく一方でした。


 お話しになることがどれも難解なのは、彼女が不死者という存在だからでしょうか。



「でも、ずるいわよね。あたしのすべてはあの人のものなのに、あたしはあの人を一欠片も持ってない。あの人はあたしだけを見つめてくれない。同じ宝石箱にしまわれている宝物たちをひとつ残らず打ち砕いたら、王様はあたしだけに寵愛をくれるかしら? それとも、箱の蓋を開いた王様の喉笛に喰らいつけば、あたしだけを構ってくれるかしら……?」


 ため息と問いを闇に浮かべ、魔女様は黒髪を風に遊ばせます。遠くの空を眺める彼女は、昼間とは違って切なげな面差し……

 私の懐疑は増えていく一方ですが、ひとつだけわかったことがあります。



 彼女もまた、私と同じく解けない謎を抱えているのです。



「あたしのこともいいけど、あなたたちもなかなかおもしろい仲よね。教えて、カイザはワイツのことが好きなの?」


「……わかりません。でも、そういうことではありませんわ」


「あら違うの? ワイツかわいそう。あんなに心配してたのに好かれてないなんて」



「いえ、私は……"好き"という気持ちがわからないのです」


 

 前世の私はそういう感情を持っていたとは思います。けれども、私が知りえた恋は、愛は……どれも間違ったものでした。否定された人生から、現在に引き継げられるものはありませんでした。


 産まれなおし、ワイツ団長に出会えたこの世界。しかし、まだ彼から"好き"という気持ちを見いだせていません。あの方は父君である陛下からの命令も、王家の一族"曹灰の貴石"の方々も、命懸けで守ってはいますが、"好き"という感情からではありません。


 "好意"すらまだ仮説の域を抜け出せず、"恋"の実在も伝説と等しい。ましてや"愛"なんて見つけようもない……

 だからこそ、私はこの答えしか述べられません。



「私は……あの方になりたいのだと、思います」



 稽古の日にワイツ団長から教えられた熱は、私の記憶にて生き続けています。あの時、彼は他者の痛みに共感するのは間違いだと仰いました。でも私、その正答だけは飲み込めません。この間違いだけは直せません。



 ひとつになれば、あの人の痛みを感じられるでしょうか。私が彼となれば誤答は反転します。彼の痛みは私の痛み……"私"は"彼"なのですから。



 ひとつになれれば、互いの心のすべてを分かち合えるのでしょうか。

 触れ合った肌でなく、もっと熱い……"魂をあたためる感情"の存在を、あの方のなかに見つけたいのです。





 目の前に降り立った魔女様は、どこか懐かしいものを見る目で、私を俯瞰します。どうしてそんな表情をするのか疑問が降り積もりますが、機嫌がいいという印象は真実のようです。


「空、見てみて」


 数歩、前を跳ねた後ろ姿。魔女様はさりげなく指を立てて、雲で囲われた天蓋を示します。


「何も知らない、まだ幼いカイザに教えてあげる。空にある光のつぶつぶはね、"王様"が魔法で増やしてるのよ。昔、あの人があたしに言ってくれたの。"俺はおまえのことを思うたびに、夜空に明かりを打ち上げてるんだ"って」


「……それは」


 こちらの無知を逆手にとって、魔女様は私にあからさまな嘘を教えます。星の成り立ちをそのように語った"不死の王"の趣旨もわかりません。

 けれども"王"というお方は、魔女様のことを憎からず思っていたのでしょう……


「でもこれ、酷い話だって思わない?」


「え?」



「これじゃ少なすぎるわ! 本当にあたしを思ってくれてるんなら、どうして夜は暗いままなの?」



 雲で隠れはしていますが、それでも数えようもない星々の下。かろく腕を広げ、魔女様は言い放ちます。

 壮烈に、晴れやかに笑って……今は遠い言葉の主へ思いを叫びます。



「……あたしだったら絶対こうはならない! たったひとつの思いだけで、世界の果てまで照らしてみせるわ!!」

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