第二話 ワイツの雑談
その使者は今回の遠征を中断し、急ぎ都に戻れと述べた。
戦い終わった陣中。急ごしらえの天幕に重い沈黙が流れる。都からの使者は国王からの言葉を諳んじているが、その声は本人の不安を反映し、次第にか細くなる。
集められた軍団の長、副長らは強敵を前にした時さながらの険しい顔で聞き入った。これまでどのような苦戦も乗り越え、打ち倒してきた彼らだが、主からの意に添わぬ命令ばかりは太刀打ちのしようがない。
「此の期に及んで和睦だと!? ふざけたことを抜かすな! 王は何を考えているのだ、前線で戦う我らを何だと思っている!」
一番に憤怒をぶちまけたのは、将の中でも武闘一辺倒と称される男。名将という評価は、彼に終わりなき作戦立案と布陣設営の試練を与え続けた。
不合理な要求や、勝敗の帳尻合わせに費やした理性はここにて限界を迎え、枷から解き放たれたように不満をぶちまける。
「近年の王は気変わりが激し過ぎる! 急な出兵に、度重なる遠征。兵站や物資もやっとの思いで用意したのだぞ! 何としてでもエレフェルドの都市を奪わねば借財など到底返せたものではない!! これ以上どうしろというのだ……! 王は我らに何を求めているのか……!!」
「我らは王の繰る盤上の駒ではないのだ。王族の矜持を満たすためにあるのではない。此度のも分裂に惑うフェルド諸国を挑発するように囃し立てて……まるで児戯だ。くだらない見栄の張り合いだ。困窮するのはいつも民らだというのに」
将たちの罵詈雑言は永遠に続くかに思えた。王族は人の気持ちも理解できぬ等々、場違いな王の裁断を罵るものばかり。それがあまりにも聞くに絶えなかったので、私はひとり天幕を出ようと出口の垂れ幕に手をかけた。
「……どちらへ? ワイツ様」
「外へ出る。私がいては話もしにくいだろう」
隣にいた別隊の長は押し黙って頷き、それ以上引き留めることをしなかった。
同じ兵として場にあるが、防具を取り露となった灰色の髪は、彼らにとって見たいものではあるまい。
それはヒムルダ王家独自の色。
他者との違いを際立たせるために、彼らは自らを"曹灰の貴石"と呼んでいる。
私が去ってから、さらに天幕内の雑談が勢いを増した。逆上ともとれる言葉の羅列は、もはや何を言っているかも定かではない。
目的をもって動くのは私だけのようだ。皆は兵の士気はどうなるだの、これまで報われぬ戦いだの騒ぐがどうでもいい。
王がそう命じたのだ。私にとっては、都に戻る以外の選択肢はない。
声はまだ天幕周辺の空気を震わせているが、外界を混乱で侵す程ではない。日没の早い晩秋の本陣に、兵たちの夕餉の明かりが点々と見えるも、ここからは遠くにある気がする。
自分の手勢のもとへ行かんと、身の切れるような夜風を浴び、暗雲が覆い尽くす空の下を歩いていく。雲の隙間から微かに見えた星が、怪しい光を放っていた。
「本当に俺がもらっていいのか? こういうのってさ、もっとこう……華々しい活躍の成果に賜るもんじゃねえの?」
「知るかよ。ワイツ団長がおまえにって言ったんだからおまえのなんだよ。雇い主の気まぐれだろうが、貰えるものは貰っておくことだ。ありがたくしまっとけ、エトワーレ」
聞き覚えのある声だった。私は思わず立ち止まり、夜闇の中から彼らを見つめる。
戦場で会った二人の若い傭兵が同じ火を囲み、私が与えた短剣について話している。その奥にもう一人いるが、若者らの影となって姿はわからない。
「戦果ったらランディのほうがはるかに多いじゃねえか! おまえのおかげで俺たち傭兵団は消耗もなく連日連勝。討ち取った敵将は数知れず。ぐうの音もでねえほどの活躍ぶりだ。よし、そこへ直れランディ。これはおまえに進ぜよう」
「ああ? 俺はそんなもんいらねえよ。そういうのは実用性がまったくねえし、質屋に売っても足がつく。鋳つぶすのも、宝玉を剥がすのもめんどくせえ。無駄に持ち物を増やしてどうするんだ」
「飾っときゃいいだろ。どうせ記念品だ。戦士の箔が付くってもんだ」
「飾る家なんてねえよ。根なし草の俺たちに、宝剣の使い道なんてあるか?」
「あるぞ!」
「なんだよ」
「持ってると女にもてる」
「……議論の途中にすまない。隣、いいだろうか」
「うわああっ! だ、団長!!」
驚かせないよう、静かに話しかけたつもりだったが、剣を送った若い傭兵……たしかエトワーレという名前……は、橙色の髪を逆立て身じろいだ。驚愕の報告と謝罪が慌てて呟かれる。
戦中では気づかなかったが、彼は右目上部に傷がある。細い切れ込みは眉と交差し十字を成しているが、彼自身の明るい性格もあってか、どこか愛嬌のある風貌に思えた。
彼の相方は突然の到来にも視線を上げるだけで対応し、私のために場所を開けた。礼を言いつつ隣に座る。炎の暖気が身体を包んだ。
「君たちの働きに報いるのに短剣だけでは不充分だったな。あとで、代わりに贈れるものがないか探してこよう。それとも食糧や報酬上乗せの方がいいか?」
「そんなことないです! 俺これ大事にします! 家宝にする!!」
「ぶっ、はははは! あんまりうちの若いのをからかわないでください、ワイツ団長殿。こいつらときたら、調子に乗るといかなる失礼を致すか……」
動揺する仲間の様子に可笑しみを隠せず、対面に座った人物が噴き出して笑った。私よりもずっと年長の男。今気づいたが、私は彼と数度顔を合わせたことがある。
茶と白の混じり毛。戦塵に削られた豪傑の佇まい……若い戦士らを束ねる傭兵団の長だ。あいにく名までは思い出せないが。
「冗談で言ったつもりはなかったのだが」
彼に目を合わせて率直に言う。この国と縁なき異人の集団だとしても、彼らは重要な戦力なのだ。
傭兵は扱いが難しい。満足いかぬ報酬では最低限の働きも期待できないうえ、敵味方陣営関係なく集落や農村を襲い、略奪をほしいままにする。
暴走を防ぐために、どんな小さなことでも待遇を気にかけてやる。恩を売っておくのも有効だ。大事な局面で寝返られず済むなら、用心に越したことはない。
「私の前で身分や立場を気にしなくていい。雇用契約があるとはいえ、私たちは同じ敵に立ち向かった同志だ。共に戦ってくれて嬉しかった。心許せる仲間だと思っていたのは私だけだったろうか」
「本当に風変わりな王子様だ! 王族といっしょに戦うのも珍しいのに、こんな面白い性格してたとは!」
私の言葉で真っ先に懐柔されたのは、やはり橙髪の若者だった。同志と呼ばれた照れくささと酔いで顔を染めている。仲間意識を表すかのように、ほら飲んだ飲んだと、しきりに麦酒を勧めてきた。
「やめとけよエトワーレ。不敬だぞ。無理に勧めるんじゃねえ。いくらなんでも傭兵の飲む酒なんて王族の口に合うわけないだろ」
「そうとも。此度の勝利の祝杯には不十分だ。どれ……俺がとっておいた酒瓶でも開けよう。王侯貴族の嗜好に合うかわからんが、麦酒よりはましだ」
「私は気にならないが。むしろ、王たちの嗜好品がどのようなものかも知らない」
変に気を使わせたくない、という思いからの発言だったが、三人とも意外そうな顔をした。
共に戦っている時点で、私の立場については察しているものと思っていたが……彼らの反応から見て、王子という肩書きは私の予想より重いものらしい。
「あれか? 団長の……母方一族の身分でも低かったのか?」
先に考えを述べたのは冷静な方の若者だった。一同の視線は彼に集まる。白金の髪は炎の色を得て、淡く輝いていた。
「なぜわかるんだ、ランディ?」
「俺の勝手な持論だが、王族……特に男は、美形ほど立場が低いんだ。王たちにとっては婚姻も立派な政治的手段。政略結婚や血統を守るために身内婚を繰り返している。古い家系ほどなおさらだ。相手の見てくれなんてものを無視して番をつくる。そんななかで、団長は見ての通りの顔立ち……おそらくは身分関係なく、よその美人に手をつけて産ませた子ってところか」
腕を組んでしみじみ語った彼は、すぐさま年長者に頭を叩かれた。
「本当に勝手な持論だった! おまえが一番失礼だな!! さっさと謝れこの悪ガキ!!」
「女は!? その理屈で言ったら、女は不細工ほど偉いのか!?」
「王族の女は財と権力を使って飾り立てるから一概に言えねえ」
若者の言い分に傭兵の長は声を荒らげた。こちらを指さす手を下ろそうとする。
後ろ指をさされて噂の的となることはよくあるが、ここまで正直に言われるのは初めてだった。私は呆気にとられて数秒動けず、年長者の鉄拳制裁を止めるのにしばらくかかった。
「彼を叱らないでくれ。まったくもってその通りなんだ」
若者……ランディの推論が一般に通じるか不明だが、私の境遇に関してはあながち間違っていない。
「私の母は貴族でもなんでもない。市中出身の踊り子だった。そのため私は王族と認められず、卑しい娼婦の子、畜生の血を引く者と呼ばれ生きてきた。王家の色彩だけは遺伝し、一族と同じような髪色ではあるが、兄弟たちと同じ待遇など受けたこともない。食卓を共にするのもあり得ないことだ」
「……あなたもか」
仲間の襟首から手を放し、傭兵の長は沈んだ声で言う。
「あなたも、"家"がなかったのか」
「何言ってんだおっさん。これでもワイツ団長は王子だぞ。城に自分の部屋くらい持ってるだろ」
「俺の言いたいのはそういうことじゃねえ。ただ住んでいる場所じゃなく、安息の地……"あたたかい我が家"ってやつさ」
厳つい面相に合わぬ、優しげな言葉が紡ぎ出された。私は、何か気の利いたことを言おうにも、肝心の彼の名前がわからない以上、黙って聞くほかない。
話題が変わってから、エトワーレは明るい笑みを消した。一方、ランディは関心をなくしたように自身の装備を気にし始めた。
「まあなぁ。ないよなぁ、家」
黄赤の騒がしさは鳴りをひそめ、エトワーレは傷下の目を伏せて、所在なく揺れる火を見つめている。
「来る日も来る日も仮宿住まい。雨風にさらされ、何度凍える朝を迎えたか……でも、仕方ねえ。故郷に俺の居場所はなかったんだから」
「ああ。長年こんな暮らしを続けているからわかる。どんな宝や報酬より……安らげる場所の方がずっと価値があるってな。俺たちは結局のところ、そういうものが欲しくて戦っているんだ。同じ境遇の仲間がいれば、傷の舐め合いで痛みは薄れる。しかし、解決には至らねえ…………なあ、ワイツ殿。あなたは不遇の身だというが、それでも王家の一員だ」
髭面を私にまっすぐ向け、長は座ったまま畏まって頭を下げる。寄る年波に色抜かれた頭髪が、炎の熱気を浴びて厳かに震えた。
「俺たち傭兵団"柊の枝"は次の戦場でも死力を尽くして戦い、あなたに勝利を贈る。だからどうか国王陛下に……俺たちをニブ・ヒムルダの正規軍に加わわれるよう、口添えをして欲しい」
「……私の立場は知っていよう。残念だが、期待には応えられそうにない」
先に休む。明日も早いからなと言い残し、私は立ち上がって彼らの輪から身を引かせる。いくらなんでも雑談をしすぎた。
傭兵の長は自らの発言を出過ぎたことと自覚したのか、静かな余韻を吹き飛ばすようにして笑い、さっきのは忘れてくれと求めた。私は、軽く会釈して場を去る。
あえて言われずとも、光から距離を置くにつれ会話の内容は色褪せていく。王家につてを求めての願いを、私へ告げるなど見当違いもいいところだ。そんなもの、城の備品に願掛けするのと大差ない。
そして、どれだけ見ていても……彼の呼び名の響きひとつ、記憶に蘇らなかった。