第二十五話 "メイガン"の祝福
頃良しと見たか、やっとじじいが魔法の詠唱を始めた。不死者が出したという、見たことのない色した魔力の光幕……この国では"魔光夜の銀詠"と呼ぶらしい……は闇色に染められて術式を映していく。
じじいが言うには、あの女の群青髪に編み込まれた輪っかや派手な紐も呪具だそうだ。戦場にある時の護身用として、触れた者に極小の雷撃を流すもの。普段は針を刺す程度の威力しかねえらしいが、あれを魔法の起点に雷の範囲魔法を放ち、信者を一網打尽にするというのが作戦だ。
長ったらしい呪文が佳境を迎え、いよいよ発動かと身構えた刹那……女の嗚咽が止まった。何かの兆候に気づいたのか、きょろきょろと左右を見渡し、信者に睨まれて泣き声をぶり返す。
心なしか、じじいのしわがれ声が早まった。元弟子の挙動不審な態度に緊迫を隠さない。
やがて女は自らの髪、群青色に編み込まれた装飾具を注視した。あれは曲がりなりにも魔術師の弟子。魔法の知識は多少ある。
違和感の原因を確信して……間抜け面が安堵に歪んだ。ああ、とても嫌な予感がする。
「ワイツ!? ワイツ、そこにいるのね? 助けに来てくれたのねっ!! ねえ、私はここよ! 早く来て!! ううう、もういや……痛い痛い痛い!!」
「こんの馬鹿女がああああ!」
どうやら起点にされる側にも魔法発現の前兆がわかるらしい。秘密裏にかける術が思いっきり告知され、もう奇襲とかあったもんじゃない。
女の叫びから間髪入れず、じじいが雷の魔法を発現した。怒りと懲罰の意味も込めて、起点となる女自身にも信者と同量の雷撃を流す。
ごがががが、と女の豚じみた悲鳴のなか、前衛突撃の号令が下る。もはや包囲はばれた。魔法を受け怯んだ隙を斬るしかない。
「て、敵襲っ、があああああ!!」
「おい野郎どもかかれ!! 立ち直られる前に殺れ!」
「ライナス殿は威力を維持! 急げ! この程度では足止めにしかならない。押し包んで斬れ!!」
躍りかかった兵のうち、王子が最も早く敵にたどり着いた。
雷撃を耐え切った信者の前に立ち、痺れる箇所を目掛け剣を突き出していく。振るう速さも相当なもの。しかし、あと少しで心臓……というところで足が止まる。
臆したかと思ったが、表情からして違う。何かに圧されて進めないのだ。さてはあれが信者の使ってくるという"不可視の力"か。
信者はもう雷の衝撃から醒めたというのか。あれは目標定まれば行使できる……とにかく来るな、という意思の具現。視認するだけで発現可能など反則過ぎる。
体勢を崩したところへ炎撃放たんと手をかざす。魔法を発現するより早く……その手首が消失した。
「ぐっあああ……っ、手が!!」
静かに現れた蒼銀の甲冑……女戦士のカイザ。彼女は王子と表裏をなし支援する。今も敵の気が逸れるのを見測り、王子の届かぬ一手を実現した。最初から二対一で戦うつもりなのだ。
信者が新手の姿を求め首を返した。その隙に王子は剣払って横顔を薙ぐ。こいつらの攻撃に反応見せれば最後、抵抗許さぬ穿刺の連撃が待っている。
外見だけで言えば物語に出てくるような王子と姫。二人合わさればより耽美だ。佳麗な見た目のくせして、こぞって血を浴びに行く。
狙いはいい。こいつらの戦い方はどれも冷静で無駄がない。ただ、何つうかえぐい。
そりゃあ……両眼抉れば視認されないだろうがよ。
この男女には首級を美しく刈り取ろうという発想はない。目的は単純明快……信者は殺す。ただ殺すのみ。視界を失った敵が、頭を庇い戦意を無くすにも構わず交互に突き刺し、突き刺しし動かなくなるまで続ける。
命果てればさっさと次、今度はカイザが攻めるのを王子が援護。どの動きも合いすぎて、阿吽の呼吸を超越して……同人物の戦闘かと思うほど。
敵求めてこちらに来る前に移動しよう。俺は雷撃から脱せない信者を一刀で絶命させ、早期の鎮圧を図る。王子らの戦いも一応は参考になるが、長く見ていられない。気持ち悪い。
どっちだ? カイザの方か? どうしてあんなに個を排除した戦いができるのだ?
王子が彼女に剣を教えたなら、似ているのも自然。しかし、その後に派生する個人の動きも、矯正して奴に近づけた。武者というより模倣者だ。違う……そんな戦い方は嫌だ。
あんなのの近くにいたくない。俺は、今見た光景も振り払うようにして走る。
余所へ地を蹴れば、眼前に女神への祈りを吐く敵の姿。背後から危険を警告する声が投げつけられるも……構うものか、圧し斬る。
「女神様は云われた。その手は、自らのためにあるのではないと」
脈絡もなく投げかれた言葉の羅列。それが女神教の聖句であると理解した瞬間、剣が止まった。進めばあと半秒で眉間を割るはずだった。
「……なに!?」
動きを止めるわけにいかない。全身を力で押さえつけられる前に、武器を捨てる。一度は止まったくせに、今度は落ちる刃を敵に蹴り込み、予備の短剣を逆手に接近する。どれも盾で弾かれたように防がれた。
雷撃抜ければここまで難敵と化すか。転がって、再び剣掴み構えるも攻法が思いつかない。決定打を推考すれば、さっき見た王子らの戦いが浮かんでくる。あれは嫌だ。他者の模倣で戦うのは嫌だ。
可笑しい話だ。今の俺は"何者"でもないのに、これまでの自分にすがりつく。俺の掲げた"メイガン"は偽物であったが、なおも残っている技量は現実だ。
けれど、剣振る力のみ持ってたってどうする。俺には名前がない。進むべき場所がない。
流れの止まった水は枯れるか、淀んで腐り果てるだけだ。
「これは貴方へ伸ばされるもの。救われるべき者を女神様の御庭に誘わん」
「世迷言を! ……このっ!」
悠々と歩き近づく信者。舐めてかかっているのか、両手まで広げてやがる。俺はわりかし信心強い敵を引き当てたようだ。
一歩踏み出されるのを飛びのいて、次手に備える。踵に当たった砂利が跳ね、転がる音がし……渓流に飲まれた。逃げ場のない、背水の位置だ。こちらへの警告声と援護に来る足音がうるさい。
「急いでこちらに退け! 今に大規模魔法が発現する…………魔女が、自分も戦うと言い出した!!」
「るせえっ……黙れ! 来んな!」
駆け付けたのは灰髪の男、王子だ。今度は女を連れていない。警告に訪れ、そのまま隣に並ばれる。同時に攻撃し攪乱を狙う気かと察するも、準備ができぬうちにひとり尖刃を放ち、敵に突貫する。忌々しい精緻な貌を、今は見たくなかった。
好きに斬れない事実に苛立つ。この場にいる全員に嫌悪が募る。気に食わない。こうはなりたくない。特に信者がそうだ。殺さねばと身体が疼く。高い魔力の差など知るか。見えもしない、なんだかよくわからない力も捻じ伏せてやる。
殺気を糧に疾走すれば、脇腹に何かがめり込む感触と……そのあとに浮遊感。
傾いだ身体は止められず、後方へ吹き飛ばされる。彼方には渓流が……
「メイガン!!」
真横から付き飛ばされた。森の景色が横転する。またしても不可視の力。高魔力保持者による魔力の放出だ。でも、こんな……まったく予測外のところからも生じるとは。
聴力の機能が失われる最後、王子の切羽詰まった声が響く。
"その名"を呼ぶなと思った意識ごと、水中に没した。
篝火だけの照明で深さなど推し量れない。落下した地点には俺を満足に受け止めるだけの水がなく、川底の岩に肩や背を打ち付けた。衝撃で視界が暗転する。急流に転がされ上下もわからない。
ああ、終わりだ。終わりなのだ。
これが……行先のない俺の迎える最期。ここで死ねば、俺という故郷の間違いは漱がれる。出来損ないを押し流し、聖泉は清められるのだ。
けれども心は嫌だと喚く。
全身全霊が拒絶を叫ぶ。
嫌だ、冗談じゃない、ありえない、許されない……ありとあらゆる否定の言葉が脳髄を駆け巡る。信者の持つ女神の力を目の当たりにし、怒りが沸き上がって仕方ない。
まともに斬りかかって一太刀も浴びせられなかった。あの研鑽の日々はなんだったのだ。外界を蹂躙するため、死に物狂いで力を求め、蓄えた俺の技。けれど信者に届かない。触れることすらできない。
こんなことが認められるか。女神を妄信するだけで得られる力が、どうして死闘重ねた技巧を上回る?
嫌だ……ただひたすらに嫌だ。ここで死にたくない。こんな奴らに殺されたくない。
だってあいつら、戦士ですらないのに……!!
もがき足掻く俺の頭上に、何かが降ってくる衝撃。沈みながらも、かの方向を見……驚愕で呼気が残らず持っていかれた。
落とされたのか、と思ったが違う。奴は自ら飛び込んだのだ。
地表で魔女が暴れているのだろう、鋭い閃光が水中を照らす。光浴びて灰色の髪が揺らめいた。こちらへ必死に手を差し伸べる……俺の雇い主。ここで声が出せるのなら、すぐにでも問いかけたい。
なんで、どうして……おまえの瞳は、
……あの輝きに似てんだよ。
透明を挟んだ先にある"青"。無意識に腕が上がる。
今度こそ掴み取ろう。あれはずっと、俺が手にしたかった色だ。
漆黒の視界に声が降る。
何も見えずとも忘れない。あの色、あの清らかな水面走る煌めきを。
「そんな……なぜです、ワイツ王子? こやつなんぞのために」
「彼は、まだ死ぬには惜しい。それにな、私は信じているんだ……」
俺もまた、水脈分かれた聖泉の一族。世界清めんと郷を出た。おそらくこれは定めなのだ。俺は女神の不純な力を討ち払う為に遣わされた。これまでのはすべて試練だ。
今ならわかる。俺たちの長年の祈りも、努力も、誇りも……この魂に湛えてある。
だから、どうか認めてほしい。
「……彼は、間違いなく強者であると」
「あっ! よかったあああ!! やっと目が覚め……ぶばっ!!」
目覚めて最初に見たのはテティスの泣き顔。最悪の振り出しだ。とりあえず殴っておく。
その様子を眺め、魔術師のじじいは具合を問いかけるのをやめた。それだけ動けるなら治癒も要らぬな、とほくそ笑む。
兵たちは先ほどの野営地からやや離れた箇所に移動した。全員で魔女の大規模魔法から退避したのだ。
炎に包まれる不死者の領域内。少女の狂笑と影絵だけで何を企んだか想像がつく。
曰く、これはくまさんの敵討ちー! らしい。打ち捨てられた熊の死体を魔力で使役し、炎で囲った結界に信者を閉じ込め襲わせている。それでも信心深い者はしぶとく生き残っているようだ。
俺は首を巡らし、ただ一つの色を求める。
遊びは終わりだ。今から、俺の崇高なる狩りの時間となる。
「……おい」
地べたに広がる布の塊。そこに俺の求める輝きがある。
一部装備を外し、何枚かの外套で包まれる王子。その、奴の目。ずっと前から見ていたはずの蒼氷色は、濡れればかの泉に近い。
……なので、呼びかける。
「おい、ワイツ! 俺を見ろ!!」
ゆっくりと瞼開き……滴るような青の色彩が、こちらを向く。
俺の動きに合わせ、下方へ行く。
「……何のつもりだ」
怪訝そうな声も無視して、地に膝をつく。三度の礼をし、恭しく剣を前方に横たえ、そして再び頭を垂れる。この礼は深く、二呼吸を数える。
「恩や忠誠を示したいなら後にしてくれ。信者を前にこんなことをしている場合ではない」
「うるせえ。代用品が喋るな。これはおまえに対しての礼じゃねえからな……! 故郷の聖泉に捧げる祈りなんだからな!!」
故郷では物心つく前から教え込まれ、行っていた動作だ。恩恵をもたらす泉へ、感謝を示すもの。
呆ける手下、ニブ・ヒムルダの兵隊ども……全員が俺を不可解に見つめるのも意に返さず、粛々と続ける。
ワイツの双眸を聖泉に見立て、誓いを捧げるのだ。
締めに白刃を抜いて数度舞わす。本来ならこの剣には、深き青への祈りの言葉が刻まれるはずだった。
やはり、俺は"あの名"が欲しい。永遠を生き、意志を未来まで持っていく……誉れ高き狩人の名が。
聖泉よ。願わくば、俺の祈りを受け入れてくれ。
先達と同じく、俺にも"青"の祝福を……
「こら小童め! どこに行くというのじゃ!! 今は魔女殿が戦っておる。陣形を乱すな!」
「どけよ!! 全員道を開けろ、巻き添えで死んでも知らねえぞ! 今しかねえ。今しかねえんだ……!」
雰囲気に飲まれていた群衆が漸くざわめき出す。儀式を邪魔しないところまでは良かったが、現実に戻ったじじいは俺の前に立ち塞がった。
「いや、いい……ライナス殿。行かせてやれ」
「しかし、王子よ……」
涼やかな声音は、渋るじじいを黙らせた。分厚く布を纏ったまま、聖泉(仮)は立ち上がり、敵湧く地平に視線を合わせる。
「行け。行って、思いのまま戦え。私は最後まで見届けよう……"メイガン"」
「ああ!!」
言葉を受けて、俺は駆け出す。
不死者が支配する……永遠の領域へ。
黒炭の、獣だったものが焼け野原に散らばる。細かく崩れた状態になってやっと、魔女の操作から脱したのだ。労をねぎらうように、木の上から少女の可憐な笑い声が鳴る。
それでもまだ数名の人型の影があった。少なくなった味方を率いて、喪服姿の不死者を指さし話しかける。女神教の勧誘、すなわち話を聞かせるために引き摺り下ろし、恭順を示すまで魔法で脅しつけるというもの。……くだらない。
そんなものは強さではない。力とも言わない。
本当の"力"とは、殺意と殺戮の技術から発揮されるものだ。俺が、今ここで示そう。
「……目を覚まして。女神様は貴方と共に在る。祈りの光を感じ入り……」
「黙れよ、女神の駄犬。てめえなんぞ……聖泉の贄には程遠い!!」
接近を感じ取った信者が振り向く。奇しくも、さっき俺と交戦しかけた奴だ。
今度は攻撃し、捻じ伏せようと炎を放つ。どんな攻撃でも恐れはない。俺には、あの猛き青がある。
"神炎を"と詠まれ、生じた篝火。俺はそれを断ち切って剣を振るう。刃で触れられずとも、敵は俺たちの魔法を浴びた。
「女神様に永久の……ぐうっ!! ぁ、あああ!! なんだ、これは……!?」
聖泉の水。俺たち"メイガン"は幼少からそれを浴び、水魔法として発現できるまで触れ親しんだ。だが、その輝きは、一族以外の者にとっては劇物となる。飲まずとも、触れさえすれば多種多様の症状、苦痛と……死をもたらす。
今、俺から発現した水は信者の腕に触れた。そこを起点に肌が変質する。悲鳴が流れるうちに、浸食は手首の半分に達し、ぼたぼたと血肉が零れる。
その"青"は、使用する相手によって反応を変えた。北方から攻めてきたという信者へは、"強酸"の効果を与えた。触れた端から肉を食い破り、骨を溶かすほどの。
信者の悲鳴を浴びながら、俺はやっと発現した力を噛み締める。
胸にあるのは歓喜ではなく安堵。
ああ、これで帰れる――――
土産に何を持っていこう。いや、そんなもの迷うまでもない。これ以上ない至高の逸品が、進む先に待っているのだ。
帰ろう。破魔の"青"流れる地へ。俺を産んだ源泉へ。
携えていくものは決まっている。
不死者"聖女"の首がいい。