第二十二話 ワイツの反省
「……本当にわし、そんなこと言ったか?」
暗布が伸びて私の手札を取り、自らのと合わせて場に捨てられた。何巡目かの周回で私たちの手札は当初の半分となり、ござの上に重ねられていく。
私たち五人が仲良く意識を飛ばした後、部隊は進軍を中断し、守護を固めて休息に入った。
部隊の判断は正しい。大人五人という荷物を抱えて移動は難しい、というか進軍時において指揮官はじめ幹部が一斉に昏倒するほどふざけた案件はない。
襲撃を心配せず気絶していられたのは、魔女が"人避け"の魔法を周囲に張ったため。彼女にしては気が利くと思ったが、ただ大人数で遊びたかっただけとカードを手に微笑まれた。
目覚めたばかりの私たちに逃げる術はなく……以降深夜の行軍も断念し、ひたすら札を回し合っている。
メイガンだけはまたしても逃走に成功した。今は見張りの一団にいるのか、姿が見えない。
気を失う前にそんなことがあったかと、ライナスは飛び去った記憶を求めて夜空を仰ぐ。私たちが魔女を怒らせた出来事の大半は老人の頭から消え去っていた。
「あなたはまずネリ―を破門して、メイガンを罵倒し……私を国王だと誤解していた」
「だめじゃ。ネリ―を破門したこと以外は覚えておらぬ」
「しっかりしてくれライナス殿。あなたがた師弟の間で何があったのかは知らんが、あれはやり過ぎだ。いくらなんでもあの娘が哀れだし、メイガンは完全にとばっちりじゃねえか」
「ネリーのことなど思い出したくもない! 次の集落で捨て行こう。従わねばメイガンら若造どもも置いていけばよい!」
ライナスにとっては弟子を放逐した事実のみが重要で、あとのことを説明しても取るに足らない事柄だと解釈された。
そんな老人からギラスはたどたどしく札を引き、書かれた数字を手元のと見比べる。覚えたばかりの遊び方だが、魔女に教えられ私たちの補佐を経て、何とか形になってきた。
「悪いこと言わねえから、メイガンに謝ってきてくれ。あいつ相当落ち込んでるんだぞ。名のある傭兵とは信じられんほどの憔悴ぶり……もう目も当てられねえ」
「覚えてはおらぬが、わしの言い分は間違ってないではないか。あやつが信者との戦いで役に立たぬのは事実。あのような戦士はいつも魔術師を馬鹿にするうえ、厚かましい……戦場でも支援しろ、回復させろと喚くだけ。"メイガン"と言えど同じじゃ。わしの崇高なる魔法戦を邪魔する輩は引っ込んでいればよい」
「いいや。そいつはちとおかしいぜ、ライナス殿」
意表を突いた問いかけに、呪具である暗布が動きを止める。
それにしても器用なものだ。ライナスは普段から漂わせている三対の帯布にそれぞれ役割を与え、使役している。自身の手を一切使わず、札を取るのも手札を持つのも暗褐色の一端。時折、布に持たせた楊枝で大皿の上の夜食を突き刺し、口元に運んでいる。
今は、そのどれもがギラスの話を聞くため固まっていた。
「あなたこそ、先のエレフェルドとの戦いではろくな働きもしなかったうえ、仮病使って途中で離脱したろ。魔女と出会う前まではまるで無気力だった。魔法への関心も失くしかけてたじゃねえか。大量の魔力を貸してもらえるようになってから随分と元気になったが……戦士に対する態度があんまりだ。失礼だが、調子に乗っていると言わざるを得ない」
「ギラスの言うとおりだ。無意識下の発言からでもわかるように、あなたは私たちを軽視している。ともに力を出し合わねば、この局面は越えられないというのに」
「ううむ……」
老魔術師は口ごもり、視線を下方にさまよわせた。ギラスが指摘したとおり、ライナスは不死者と会う前と後では任務に対する意欲が全く違う。
長らく不遇を強いられた鬱憤が一気に晴れ、その反動で思い上がった言動をとってしまったのだろう。一度打ち上がった高揚感を失いたくないあまり、邪魔する者の徹底排除に走ったのだ。
数秒後、私に対する丁寧な謝罪が囁かれた。尊大な振る舞いや心変わりの激しさについて、彼自身にも思うところがあったらしい。
甘んじて罰を受けるという老人を許し、次からは皆で協力し勝手な行動だけはとるなと告げた。反省したのならそれでいい。あとは彼と、メイガンとの溝を埋めるだけだ。
一人でも多くの信者を殺すには共闘が必須。聖女への道を開くためにも、彼らには良好な関係を維持したまま、死地に突っ込んでもらわないと困る。
「ちょっとちょっと、またおじさまの負けよ。ねえ、ちゃんと真面目にやる気ある? 手を抜いてるとかじゃないわよね?」
「お嬢ちゃんには悪いが、俺は真面目にやってこのざまだ……仕方ねえだろ、ついさっき始めたばかりなんだぜ」
一枚残った鬼札を札の山に捨て、ギラスはぼやく。この老戦士は戦いがうまいかもしれないが、子供の遊びとなると壊滅的である。これはわりと単純で、世界でもよく知られた遊びなのだが、彼はやったことはもちろん聞いたこともないという。
幼いころ一度くらいは経験していると思ったが、何回か続けても思い出した様子はなかった。ギラスにとっては平和に過ごした期間より、戦いに身を削った記憶が長いのだろう。
焚火が彼を照らし、茶髪の中のいぶし銀を浮き出させる。それほど傭兵稼業が長いのなら、私の疑問にも答えてくれそうだ。
「ギラス、一つ聞きたいんだが……"メイガン"とは何なのだ? "彼"はその名に大層思い入れがあるようだが」
ライナスの呪具によって札が配られる中、同じ場にいない戦士を思う。反骨精神を現すかの如く、つんと尖った濃紺髪の傭兵……メイガン。
自身の呼称を貶されたとき強い怒りを表すが、それはどこか癒えぬ傷を庇うような所作だった。
「まあ、ワイツたちは知らなくても無理ねえな。本来なら"メイガン"は……戦いに生きる者にとっては脅威の名だ。そいつらの数自体は少ないが、本物を雇うことができれば百人力。その分代償も大きいがな」
彼らの苛烈な戦闘を回想し……ギラスは畏怖をもって話す。
「どの国の、どの地域にあるかもわからぬ異郷。そこ出身の旅人は、いずれも"メイガン"と名乗り戦場に現れる。そいつらは故郷に伝わる"特殊な魔法"とやらを使い、世界各地で殺戮を行う。俺もまた戦いぶりを見たことがあるが……あれは不思議というか、妙でな」
「何が不思議だと言うのです?」
表現方法がわからず口ごもるギラスをカイザは急かす。私もメイガンの能力とやらが気になり、手札から同じ数字の組を探すのを止め、話に聞き入る。
「昔、俺が見たメイガンはあいつより若かった。だが一人で敵の小隊に立ち向かい、短時間で壊滅させたんだ。わりと小柄で、紫の目で……剣術はそれなりに修めてはいるが、大人数を倒せるほどとは見えなかった。しかし、奴と剣を交えた相手は全員死んでいた。死に至るような傷はなかったってのに……」
「それは、どういった原因で……?」
「さあな。死体を叩き起こして問い詰めたいほど、なんで死んでるのかさっぱりだ。思えばそれが、メイガンたちが使う特殊な術ってやつかもな。同様に味方軍にも不審死が相次いだらしい……恐るべき戦魔だが、ここにいるあいつがそういう魔法を使ったところは見てねえな」
"特殊な魔法"という言葉に、ライナスはやはり反応した。自分のではない驚異の魔法を拗ねた口ぶりで批評する。
「……文献で見たのみじゃが、彼奴らが崇める"聖なる泉"と何か関わりがあるかもしれぬ……だが、認めぬぞ。剣振るしか能のない戦士の分際で、わしの舞台を引っ掻き回すなど許せん」
「もうやめてよ、おじいさん!」
突然の大声にライナスは手札を取りこぼした。私も……魔女含めた全員が、今まで押し黙っていた少年に注目する。
「なんにも知らないのに、メイガンさんのことを悪く言わないでください!!」
暗い苔色の頭髪は緊張で伏せられていた。しかし、仲間を侮辱された事実が許せず、ござの端を強く握りながら叫ぶ。テティスという名の気弱な彼は、今だけ戦士の表情をし、ライナスを威嚇した。
「僕や、傭兵の兄貴たちも……あの人に居場所をもらったんです! 生き方を教えてもらったんです! 彼に出会えなかったら僕たち、山賊に身を落として軍に討伐されたり、のたれ死んでたり……なんにせよ生きていられませんでした! だから、その……そういうこと言わないでください!! メイガンさんは強くて、みんなの憧れで……僕の世界を変えてくれた恩人なんです!!」
「いやしかし……それはおぬしの過剰な評価ではないか? 身内贔屓だけで敵は倒れてくれぬぞ」
少年の言葉に気圧され、ライナスは落ちた札を取るのも忘れて返答する。テティスもなかなか言うじゃないの、と魔女が囃し立てるのを背景に、私もまたメイガンの秘めたる魔法について思案する。
今の話でギラスが嘘を言っているように見えない。これまで特に戦果のなかったメイガンだが、彼も特殊な魔法が発現できれば、信者との戦いで役に立ってくれるはずだ。
これまで事情があって使えないのかもしれないが、遠慮など捨てて存分に発揮したらいい。味方側にも損害が発生するというが、さっきのように仲間同士で揉め事を起こした結果、その特殊な術で弑されたのかもしれない。ならば、無意味に怒らせない方が得策だ。
これまで以上に、待遇には気を使ってやる。傭兵は扱いが難しいが……恩を売っておけば、ある程度制御は効くだろう。
「こいつでわかるように、仲間内からの人望はある。ああ見えて面倒見はいいほうだ。紫の瞳は昔見たやつと同じ色、本物の"メイガン"である可能性は高い。ライナス殿……少しはあいつのことも信じて、好きに戦わせてやったらどうだ?」
「わかってくれてありがとう、おじさん!! ほら、やっぱりあの人はすごいんだよ。僕もいつかあんな戦士になりたいなあ……」
彼に対して同情的になったギラスは、老魔術師の偏見を緩和させようと図る。将来性を考慮し始めたのか、ライナスも否定を喚かなかった。
理解者を得て、テティスは嬉しそうに笑う。
「そうそう! この夜食も、メイガンさんが作ってくれたものなんです!! すごいでしょ!? 少ない食料をやりくりして作って、それでもちゃんと食べごたえがある! 本気出したらもっとすごいんですよ!!」
「え、ほんと!? 見かけによらず器用ね!」
魔女は手札を置いて料理に飛びつく。時たまにつまんでいた夜食も、皆の関心を集めてみるみる数が減っていく。
このまま勝負のことも忘れ、私たちを解放してくれるよう切に願いつつ、私も手を伸ばす。
「これを、あやつが……?」
「へえ、なかなか大した腕じゃねえか」
手製の麦粉を水で伸ばして焼いた生地。干した果物、焼いて柔らかくなったチーズ、甘酸っぱいジャムといった三種類の具を挟み、一口の大きさにまとめられている。
噛めばほのかに塩味まで感じられた。内陸では貴重な調味料をわざわざ練り込んだかと問えば、傭兵のなかに海水を発現できる者がいるという。
「確かに美味だな」
「本当ですか?」
正直な感想にカイザはすかさず反応し、念を押した。手の中の料理と私の顔を見比べ、時間をかけて味わう。
「ああ。私はそう思っている」
「そうですか……」
私が見守るなか、無垢な瞳に納得の色が浮かんだ。
「……これが、美味しいということなのですね」