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第十六話 メイガンの鬱憤

 小高い丘から天幕群を見下ろす。魔術師のじじいからの合図はまだない。


 これが俺たちの"女神の使徒"との初接触になる。こちらの助けが必要なら光を打ち上げることになっているが、まだ夕暮れの空に異変はない。

  今は姿を隠し、信者の加勢がないか警戒するにとどめている。要は暇なのだ。

 

 女神教の信者は強敵であると伝えたものの、戦いまでの時間が長すぎりゃ緊張感も薄れる。特に俺の手下どもは想像力の足りない馬鹿ばかりだ。不死者の脅威を伝達し、魔女という実物を見ても……野郎どもは好みの見た目かそうでないかを騒ぎたてるだけだった。


 もう少し胸があったら嬉しい……などと笑う声が魔女に聞こえてないといい。悪趣味なあの女なら、ご忠告どうもと微笑んで、そいつの腹肉抉って乳房を作るだろう。




 頭の悪い手下は、今も女戦士を口説こうと卑猥な冗談を吐く。本当に残念な頭だ。だが、今だけは羨ましい。それくらい気楽に生きれたなら、どんな時でも明るく過ごせたろう。まったくもって気分の乗らない俺は、変わらず丘の下を眺め、木枯らしに身を晒す。


 薄皮剥いだ下のことなど想像したくなかった。魔女の、自分の腕をむしった光景がいつまで経っても色褪せない。こんな状態で裸体を見ても、女の見かけに興奮するより、血肉が蠢くのを思い浮かべてしまう。


 おまえは意外と感受性が強い、などと故郷の仲間に言われたのはいつのことだったか……





 過去を思い返そうとする思考に気づき、濃紺の髪を激しく掻いて振り払う。さとへの思いを心に入れないよう現状だけを見つめる。ちょうど関心を向ける出来事は尽きない。


「……わたくしを抱きたいという判断は、あまりお勧めしませんわ」



 どうやら手下は遠回りな表現を辞め、直接的な行為を求めているらしい。相手である女戦士……カイザとかいう大層な美女は、没落した貴族の令嬢だったという。戦場にいながらも滲み出る育ちの良さは俺たちには馴染みがなく、そういう振る舞いに激しく欲望を焚きつけられる。


 しかし彼女は、露骨な下心を動揺の欠片もない声で切り捨てた。


「へえ。あんたを襲ったらどうなるってんだ?」



「私に触れた最初の三人は確実に殺します。装備を外し、裸に剥くまでに最低でも五人に重傷、または再起不能の深手を負わせます。行為を致すためには押さえつける役を四人準備しますが、いずれも身体に一生残る傷を与えます」



 カイザは具体的な人数をあげ、すらすらと答えた。彼女の冷静な態度、感情の起伏のなさによって、まるで事実を言っているかのように演出される。


 日没間際、赤焼けの日差しを浴びるも蒼銀の甲冑は熱なく佇む。どっからどう見ても穢れなき姫騎士だ。長い藤色の髪や、お綺麗な白皙の顔を見てしまえば、男どもは手を伸ばし欲してしまう。

 ただ、その全体の気配がどうしても雇い主の王子と重なって見えた。同じ美形同士だからそう思うのか、またしても俺の考えすぎか……



「……それでも一人残る!」



 絶句する他者を尻目に、一番若い手下が興奮隠さず叫んだ。最近仲間に加わった少年は、暗緑色の瞳で周囲の頭数を目視し、カイザの言った必要人員と指折り差し引く。


 希望を見出したかのように目を輝かせてはいるが、こいつはまさか俺たちに女を押さえさせて、自分一人で跨る気なのか。おまえなんか最初に殺されて終いだ。身の程を知れ。


 幼く無謀なガキの意見に……カイザは正面から向かい合い、一字一句刻み付けるよう返答する。



「その者は腹上死の運命となりましょう」



「……っ!」


 かあっと顔を赤らめたガキがどんな死因を想像したかは知りたくもない。一方の俺は……この女、体内に何か仕込んでやがると確信していた。







 再び丘の下を見やる。あのじじいさっさと合図を寄越せ。窮地に陥れ。今すぐに鬱憤を晴らす戦いがしたい。


 俺の思いが通じたのか、やっと兵たちに動きがあった。

 二つ……高く、続けて上がった火柱と軍隊移動の砂埃。さすがの馬鹿共もにやついた笑いを消して、俺と同じように目下を覗き込む。しかし、援軍を呼ぶ合図とはまた違う。あれは撤退だ。蟻が巣穴に逃げるように、四方に散って駆けていく。


 走る兵の後方から黒いもやが立ち上がった。敵か魔術師のじじいか、誰が発現したかは知らないが目を欺くための魔法だ。それを見た俺の胸中に、戦闘の出番がないこととは別の……ひどい苛立ちが沸き起こる。


 夜に片足突っ込んだ地平でも、その黒い揺らめきは土砂降りの雨雲を連想させた。



 雨は嫌いだ。







 金の流星がひとしきり降り注いだ後、前線から兵たちが戻ってきた。皆、生きた心地がしないという面持ちだ。遠間から見ていた俺たちも似たようなものだが、実行者である不死者を責める者はこの場にいない。いたとしても世界に数人だけだ。


 例の王子だけは変わらず整った表情を保ち、何事もなかったようにここで野営すると告げる。また軍の幹部を集め、軍議を呼びかけた。




「……で? つまり、女神の使徒は信仰心に応じて力を発揮するってことか? 変な条件だな。聖女もまどろっこしいことしやがって、馬鹿じゃねえの」


 激しい戦闘から帰って早々、魔術師のじじいは自己の戦果を喋り倒した。年寄りゆえの儚い体力はとっくに限界を迎えているくせに、魔力の光幕やら呪具とかいう布のひらひらを駆使して解説する。


 信者が強化されているという話は本当だと、王子や"ひいらぎの"……おっさんは言う。それら状況をひっくるめても、聖女の考えは意味不明だ。



「あたしも、あの子の考えることなんてちっとも理解できないわ。こんなことに『願い』を使うなんて……考えてみたらいつもそう。せっかく神の力を得て、何でも願いが叶うのに……妙なことにしか使わないの。前なんか"時を止めたり"していたわ」


 考えが狂ってるのはおまえも同じだ、とは言えない。魔女は心が読めたりしないことをそこはかとなく祈りつつ、黙って報告を聞く。


「……強化されてはいるが、倒せない相手では、ないじゃろう……信者の、意識外から奇襲するか……発見されても、"信仰以外の感情"を抱かせれば……弱体化する。親しい者を眼前で残虐に殺すなどして……激怒させるのも効果的じゃ……」


「ライナス殿、いい加減休んだ方がいいんじゃないか? まあ、率直に言えばそうだが……なんつうか悪趣味だな」


「……何を言う! わしは過去最高に絶好調じゃ……相手はろくに魔法も知らぬ凡才の群れ。いたずらに魔力だけ得ても……応用など、決してできやしない。あの不可視の力が、何よりの証拠」



「は? なんだそりゃ、不可視って……見えねえってことか?」


「あれか……私もその力は体感したが、具体的にどういった魔法なのだ?」


 同行してない俺にはさっぱりの内容だが、王子はこっちの疑問も捨て置いて話をねだった。同席するカイザも口を挟まない。しまいには柊のおっさんが見かねて、信者が使ってくる念動力みたいなものだと捕捉した。


 こんなふうに教えられても、それはそれでむかつく。




「あんな力、他愛もない……あれはただの魔力の放出。魔法になる前の魔法、とでもいうべきか……じゃが、銀詠を出すより低難度……手のひらで押す行為と変わりない。高い魔力量ゆえに強く、遠くまで発動するが……それだけの魔力は、ちゃんと術として使った方が遥かに効果的じゃ。それすら知らないということは……ろくに術式の知識も、魔法の元となる経験も足りないということ。付け入る隙ならいくらでもある」


「それなら視認されなきゃいいんだろ? 楽勝じゃねえか。軍を少数に分け、遠距離から狙おう。弓や投げ槍で攻撃するから、じじいと魔女は魔法で支援してくれりゃいい。次からは俺たちが前線を張るぜ」


 意気込んで戦法を提案したが、誰も俺に応じない。それどころか、何もわかってないとばかりに溜息を吐かれる。



「愚か者の若造め……いったい、おぬしに何ができると言うのじゃ?」



「何って……戦闘は俺たち戦士がするもんだろ。魔術師なんて後ろに引っ込んで回復させるくらいしか役に立たねえじゃねえか! 殺り方さえわかりゃ俺だって明日から充分動ける。もう、いい加減戦い足りねえんだよ! 腕がなまったらどうしてくれる!?」


「これだから愚かだというのじゃ……本当にわからぬか? 強い信仰を持つ信者は桁外れの力を引き出す。常人の感覚の比ではない。ただの攻撃など通用するものか……! だからこそ、わしと魔女殿で対策を取らねばならぬ……メイガン、おぬし魔術師を舐めておるな」


 老体はピクリともしないくせに、服の一部だけは妖しく揺れる。俺に向かって漂う布には、間違いなく殺意が込められていた。

 そんなもんに怯みはしない、魔法なんて意味ねえ。いくら向こうに魔力があっても当たらなきゃいい。それが戦士として当然の考えだ。




 何より俺は……戦士の中でも特別なのだ。


 俺は"メイガン"。選ばれし秘境の民。聖泉の守り人。神の一滴の発現者。他の誰よりも強く在らねばならない。

 くそ生意気なじじいに思い知らせたい。この場で堂々と名乗りを上げたい。"メイガン"とは旅人の通称ではない。誉れ高き狩人の名なのだと……!!


 しかし、俺の喉から言葉も、何も……迸るものはなかった。



 かの故郷で生まれ、育ったにもかかわらず……いまだ俺の手に"深蒼の輝き"は現れない。




「おぬしに信仰を打ち破る力はあるか? 遥かなる魔力差に立ち向かう勇気は? 相手を恐怖に染め上げ、正気を失わせる術も持たぬくせに…………ふん、返事もできぬか。多少腕が立つふぜいで思い上がるな、若造。おぬしなど信者をおびき寄せる囮か、残党狩りくらいにしか使えぬわい」


「では、今後の戦略はライナス殿と魔女を中心に考えよう。兵は二人の足として機動力を重視した構成をとる。さっそく詳しい編成と対策を……」




「飽きた! ねえ、そんなことよりカードして遊ばない? あたし、信者の天幕からいいもの見つけてきたの!! 全員強制参加ね!!」



「なっ……! 魔女!! 急に何だよ。ふざけやがって……!」


「よくもまあ、こんな時に……どこまでも自由な不死者だな。いや、不死者ゆえか」


「魔女……一応聞くが、私たちに拒否権はあるか?」


「そんなものないに決まってるじゃない!! ほら、おじいちゃん早く配って配って」


「……致し方ありませんわ。遊びながら話しましょう」


 軍議をぶった切って魔女ははしゃぐ。どこからともなく小箱を取り出し、中身の紙片をぶちまける。悔しいが不死者に逆らえる者はいない。柊のおっさんも、あの王子すら大人しく従っている。


 じじいの呪具が器用に札を分けるなか、俺の直感は大難の警報を流す。魔女のことだから、敗者には絶対何らかの罰を与えるだろう。よくて目か耳の片方を差し出す等……いずれにせよ人体欠損は免れない。



「……ちくしょう! こんなのやってられっかよ!!」


「おい! メイガン、どこに行く気だ! おまえだけ逃げるってのか!?」


 目の前に積まれた札が少ないうちに離脱を図る。文句なら後で何とでも言え。今は生を繋ぐことが重要だ。五体満足で生きていれば、そのうち運も開ける。


 おっさんの非難の声に対し、一番にでっち上げた言い訳を叫ぶ。




「うるせえ! めしの支度をすんだよ!! できたら呼ぶから待ってろ!!」


「あっ、飲み物とお菓子の差し入れよろしくね!」

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