第十四話 ライナスの感謝
慌てふためき駆け抜けた荒野。脅威の力を持つ女神の使徒から辛くも逃れたにも関わらず、今度は自ら渦中へ歩んでいく。
連れ立って進む魔女は、わしの呪具である布の端を掴んで、元気たっぷり振り回す。没した陽を追うよう、艶やかな黒髪を弾ませ赴く。これから死地を創るため。信者の抹殺のために。
「それで? おじいちゃんはどうやって戦う気なの? あたしの魔法でここら辺を焼き尽くしてもいいけど、防がれちゃったりして時間かかるのよね」
会話をしながら行く気なのは助かった。呪具を持って力いっぱい走られるのは危機じゃ。速度によるが、不死者の全速力に引き摺られての生存は難しい。特にわしは相当な爺なのだ。
不慮によって死ぬ心配がなくなり、わしはほっとした面持ちで殺戮の方策を話し合う。
「魔女殿よ。わしはおぬしに大規模魔法を撃ってほしいわけではない。その魔力だけ使わせて欲しいのじゃ」
「あ、おじいちゃん物知りだからやっぱり知ってた? 高魔力者から力をもらう方法……でも、今は気が進まないわ。あれって、いろいろ手間がかかるもの」
「その言い方……やはり、魔力を分け与える方法はわしの予想通りのようじゃな。だが違うぞ、魔女殿。此度のはおぬしが想像するやり方ではない。わしら定命の者が戦うときと同じく……"銀詠"を出して頂きたい。それをわしのと連結し、魔力の使用者としての許可をもらえれば、わしでもおぬしの魔力を扱うことができる」
神の力……無限の魔力を得るといっても、それを宿すことができるのは聖女のみ。慈悲深き彼女が分け与えているから、信者は強力な魔法が使える。
わしはその方法に心当たりがあるが、動揺を招くかと思い、皆には説明しなかった。
他者の魔力を扱う方法ならもっと一般に知れたやり方がある。だが少女は金眼を不思議で丸め、きょとんとした眼光を注ぐ。
「なにそれ? 意味わかんない。共通語で言って」
「ああ……失礼。"銀詠"とはニブ・ヒムルダで言う魔力の光幕のことじゃ。地方によって言い方が異なるが、皆同じ術式を映す幕をさす……え? これでも何のことかわからない?」
世に存在する不死者は例外なく至高の魔法使いばかり。ならば、魔力の光幕と聞いて知らぬはずはないのだが、魔女は首を可愛らしく傾げるばかりだった。
「"魔晶鏡"はどうじゃ? "術式盤"という言葉に聞き覚えは? なぬ、"査閲の窓"も知らない!? 困ったのう……」
思いつく限りの名称を並び立ててみたが効果はない。気まぐれな厄災が機嫌を損なう前に、わしは呼称の提示を諦め、一から説明することにした。
"銀詠"は、通常なら二十代の後半から扱える支援の魔法。わしはこれまでの人生で幾度使ったかわからない。発現の補助となる術式も詠唱も必要なく、念じればすぐ姿を現わす。
冊子を広げた程度の画面は、夜風を受けて流れるように濃淡を変える。魔力を調整すれば形も大きさもある程度変化できる。だが、色だけは任意でない。こればかりは発現者の魔力量に応じて異なる。
青、緑、赤、橙、紫……人の身で確認できるのはここまで。わしはついこの間まで真紅のものを出していたが、八十を過ぎてから橙色に変わりつつある。
「あっ、それのことなのね!?」
直に魔法を見ることで、ようやく記憶に蘇ったらしい。魔女はわしの褪せた赤色の光幕に触れようと指を突っ込んで遊ぶ。
「あたしこれ見たことあるわ! 戦場でよく光ってるあれね!」
「そうじゃ。戦場ではこのようにして魔力を統制しておる。光の幕として表示し、連結することで味方兵に情報伝達する。あるいは術式を載せ、魔法を発現するために用いる映写幕。認証次第で他人の魔力を使い、術を撃つこともできる。この国……ニブ・ヒムルダでは"魔光夜の銀詠"と呼んでいる。皆には銀詠だけで通じるぞ。さっそく魔女殿も出して……」
「出すって……どうやるの?」
「はっ……? まさか銀詠を出したことがないのか? でっ……では、今わしが術式を映すから、読んで発現させておくれ」
「えー無理。あたし、術式読めないの」
「!? なんと! おぬし今までどうやって魔法を使っていたのじゃ! それでも偉大な魔法使いと謳われる不死者なのか!?」
「そこまで言わなくてもいいじゃない! 知らなくったって魔法は使えるからいいもん。"あたしが生まれたころ"は杖も、そんな変な文字もなかったのよ!!」
無知を指摘された少女は、頬を膨らまして拗ね、苛立ち紛れにわしの暗布を思いっきり引っ張った。思わず絶叫し、止めるよう懇願してからやっと手を放す。魔女にとってはいじわる程度の行為だろうが、間違いなく骨の数本は砕けたろう。わしが治癒魔法を使えなかったら、今ので確実に死んでいた。
「痛っ……痛う……すまん、ちょっとばかし驚いて」
幼きなりをしていても、相手は常識を超越した不死者。とくに人体の改造が趣味の彼女なら、筋の限界近くまで力を発揮することも容易い。
「いやなに……知っておいて損はない魔法じゃよ。今の世では印刷技術としても使える。表示させた文字を紙に焼き付けることで、書物を作っておるのじゃ。一部の冒険者しか使えぬ技術じゃが、おぬしほどの魔力があれば文字だけでなく画像も転写できるじゃろうな。大事な記憶を紙に残せるのじゃ……例えば、"不死の王"の姿とか」
「えええええ!! すごいじゃないそれ!! ねえ、教えておじいちゃん。あたしの魔力いくらでも使っていいから!」
一瞬で笑顔となった魔女は飛びついて教えを求めた。きゃっきゃと跳ね回る様子は外見相応であるが、老身を掴む手はさっきわしを殺しかけた腕力と大差ない。
血泡を吹きながら快諾し、魂が飛び去る前に間に合えと治癒を続ける。かつて修めた軍医の知識に、ここまで感謝したことはない。
知識との数分の格闘ののち魔女は銀詠を会得した。自身の隣に手を指すと、光が灯って形を成す。
こうやって出した光幕に術式を映せば、わしでも不死者の魔力を使った大規模魔法が扱える。理屈はそうだ。感情も、思いもこもらない定理では、可能か不可能かを告げるだけ。
ゆえに心の備えもできず、その光を視認した衝撃は……容赦無くわしを打ちのめした。
「……!! ……はは、そうか。金、色か……」
あまりの畏怖に全身が震える。呆れるほど無防備に提示された魔力の塊。ここまでの蓄積、凝縮にいったいどれほどの年月を要したか……
そこへ描けば、いかなる魔法も実現できる。絵空事でも事実となる。そんな直感を当然と受け止め、光幕は告げる。
"望め、されば叶えよう"
「おじいちゃんでも使えるように設定したんだけど……なに? これじゃダメなの?」
「いいや! いいや……!! 十分に過ぎるほどじゃ……! ああ、有難う魔女殿。わしらのもとに来てくれて……おぬしと出会えて、本当によかった!!」
手足を地に投げ出して叩頭したい。漆黒の足先に接吻したい……どんなに礼を尽くす行為でも、この感動を表現しようもない。
深々と頭を垂れれば、年甲斐もなく流れる涙。雫を追い立てるように手をやると、嫌でもわかる肌の老い、身に刻んだ年月……決して無駄などではなかったと、今なら言える。
これらはすべて魔術師の夢。思い焦がれて叶わず、空論と断じられ見向きもされなかった夢想が……今ここに、この手で成し遂げられる。
「特等席で存分にご覧あれ。今宵見せるは、ニブ・ヒムルダが魔術師ライナスの独壇場。不死者の御仁に比べれば、わずかばかりの寿命じゃが……この身、この人生で極めし"魔光の夜会"を上映しよう」
多くの国において、魔法使いはいつも戦士の影にあった。
兵らの支援に徹するため、己が魔力で発現できる防御、回復魔法の一文を繰り返し諳んじた。中心で制御され画一的な動きしかできなかった。
だが、ヒムルダの魔術師は違う。彼らは個々の能力を認め合った。たった一人と言えど、戦士と同様の戦闘力を積むべく研磨した。自分に合った呪具を選び、戦法を模索し、叡智の術技を我が身一つに結集させた。
「あれは……誰か?」
「ニブ・ヒムルダ軍の方……? 戻ってきて下さったんだわ!」
夜の暗黒に信者らの篝火が眩しい。追跡を断念した彼らは元いた地に集いつつあった。目敏い者はわしの揺れ動く帯布に気づき、仲間を呼び始める。
纏った暗布も、魔女が出した銀詠も……わしの舞台に合わせ闇色に染めてある。極彩色より目立たぬが、威力も範囲も申し分ない。
「どうか私たちの話を聞いてください。女神様のお言葉を伝えます。共に祈りましょう!」
十数人の影が此方を向いた。呼びかけたのは恰幅のよい女性。遠間からでも女神の愛を説こうと声張る。
それらの声にわしは……信者の背後から"黒茨"を発現することで答えた。
「……では、我が神"緑の王"の判決を下そう。"汝らを、黒茨の磔刑に処す"」