第十三話 ワイツの落胆
一体何がおかしいのか理解できぬまま、笑い続ける男を眺める。彼の……相手よりはるか優位に立つ者の表情には見覚えがある。私は幼き日より、そういったものに囲まれ生きてきた。
権力を有する者の顔。他者を嘲笑うのに慣れた顔。自身を特別と信じて疑わぬ貴族、王家の面々……他者が畏まり謙るのを当然と思う態度は城壁内でしか見られないと思っていたが、よもや渡来してきた信者まで同様だとは。
「くくく……脆い、脆いなあ。薄汚い異教徒には似合いの姿だ」
男は、私の部下だった物体を蹴り、黒炭が砕けるのを笑った。まだ炎が消えない状態でも、足が焦げることはない。私を欺く演技でもなく……本当に熱を感じていないのだ。
女神への信仰心も何もないが、彼は"聖女"に力を与えられている。守護されている。
「何をしようと無駄だよ、王子様。おまえたちに勝ち目はない。この国の誰だろうと俺たちを止められやしない。わかったら大人しくしててくれないか? 商品に傷をつけたくないんだ」
熱風と違う大気の流れが私の灰髪をかき上げる。床に散らばる元部下から男に視線を合わせれば嘲笑を深められた。今のも魔法か。最初に彼らを吹き飛ばした……視認できない力。
これが信者全員に分け与えられたものだというのなら、男の言う通り私たちに勝機はない。現に今も魔法の射程内にいる。この命は男の手のうちにあるが同然。だが……
いつでも殺せるという脅しは、私にとって期待を高める要素でしかない。
「……先ほどから求めてばかりだな。私からも話をさせてくれ。今、彼らを殺したのは君の魔法なのか? 外見にそぐわぬ魔力量だ。それが……女神から授かった力だというのか」
「ああ、そうさ。もっとよく見たいのなら、おまえの連れてきた兵士を案山子代わりに使おう。尻に火がついたまま、散り散りに逃げ惑う様子なんか笑えるぞ……よかったな。ちょうど日没だ。あれは暗い方が楽しめる」
無理矢理にでも虐殺の光景を見せたいのか、司祭の男は私の腕を掴もうとにじり寄る。別に、ここまで連れてきた彼らがどうなろうと興味はない。ただ、私は外へ出たくなかった。まだ彼への実験は終わっていない。
「そうか。ならば……」
男の手が触れる前に、隠し持っていた短剣を抜き放つ。
無駄な抵抗を……と眉をひそめる彼に、個人的な要望を告げる。
「もっと火力を上げてくれ」
魔法の対象は配下の兵ではなく、この私。部下を焼いたのより数倍の威力を込めて浴びせてほしい。彼らは炭となったが、いまだ原型を留めている。
「売ろうなどと考えず、遠慮なく攻撃してくれ。この身に価値はない。いなくとも惜しまれることはない。自他ともに認める不要な生命だ……皆からはよく言われるが、私のどこが美麗だというのだ」
構えられた武器にも男は退かず、口元は歪んだままだった。腑抜けた思考でも理解できるよう、言葉を連ねる。
「私は王家の恥。あるいは畜生の子、薄汚い犬……呪われてしかるべき忌み子だ。私ほど穢れきった存在はない。だから、君の魔法で灰の一粒も残さず消滅させてくれ。女神から力を与えられたんだろう? 私を討ち滅ぼすくらい造作もないはずだ」
「なんだ、おまえ……頭がおかしいのか?」
「真面目に話している」
まともに取り合わぬ男に焦れ、行動を促すべく短剣を投擲する。
とりあえず喉を狙ったが、女神からの力があるなら死なないだろうと高を括る。実際、不可視の魔法で剣の軌道は逸らされた。けれど……
「……っ?」
「く、来るな!」
とっさのことで反応が鈍ったのか。短剣は叩き落されることなく、男の肌を掠って裂傷を残した。部下を弾き飛ばしたときより明らかに威力が落ちている。こちらの攻撃を視認することが"力"の作動条件なのかもしれない。
だとしたら向こうの不利ではないか。
一目見ればわかるほどに、信者たちは戦いの素人だ。剣もろくに握ったこともあるまい。魔力がいくら多かろうと、これでは不意打ちで倒せてしまう。
「そんな……バカな……!? がっ、ぐわああああ!!」
呼吸の間も与えず接近する。化けの皮を剥がすが如く、腿に装備したもう一本の刃を男の肩肉に埋め込んだ。これで本気を出してくれればいい。突き立てた短剣が、真の力を開放する鍵であるかのように……深く挿して捻じる。
「これでもまだ私を生かしておきたいか? 君のように攻撃することはできないが、これだってかなり苦痛のはずだ。どうだ、気が変わったか。この私が憎くなったろう、許せないと思うだろう。その激情を、部下に放った以上の魔法で表してくれ。できなければこのまま殺す……私は、国王からそのように"命令"を受けている」
「くそっ! ……殺す! 望み通りぶっ殺してやる!! "神炎よ"! "天の裁きよ"!! ……あれ? あっ、ああ……あれっ?」
「どうした。私を殺す、という言葉は嘘だったのか?」
「……おいっ、なんだよ……なんで何も出ないんだよ、ちくしょうっ! おまえ!! さっきから意味不明だ! 狂ってんのか!!」
動けば傷が広がる。痛みが増す。男はそんな当たり前の反応しか見せず、悲鳴をあげるばかりで力を見せてくれない。
わけがわからず困惑しているのはこちらの方だ。聖女は信者にこの程度の力しか与えなかったというのか? 末端がこのざまなら、本体もきっと……
「あははははっ! なによワイツ。ひとりで楽しいことしちゃって、ずるいんだから!」
灯火の隙間に暗闇が侵入する。漆黒は愛らしい少女の形をしていた。驚愕で目を見開く男と、この状況を見つめて笑い……黄金の瞳は輝きを増す。
不死者……"魔女"の到来だ。
ならばこの異常は彼女のせいかと、私は嘆息して問う。
「魔女。彼の力が弱まったのは君の仕業なのか?」
「何それ? 何のことよ。それより……ワイツ、あなたやっぱりおもしろいわ。会った時から他とは違うと思ってたけど……そういう目的があったのね。なんて愉快な生き方!」
「……ふざけた、ことを……! なにが、"国王からの命令"だ……!! おまえは……"親に言われたから"来たってのか!?」
男の発言が笑いのツボに入ったのか、魔女は体を折り曲げて笑った。ひとしきり笑い転げるなか、私は肩から剣を抜いた。次に刺す位置を見繕う。
「どうしてそんなこと言うのよ? ワイツはとってもがんばってるじゃない。ちゃんと命令を実行しようとここまで来たのよ? なんて心優しいのかしら!! こんな家族思いのいい子、なかなかいないわよ」
「ちいっ……だが、これで……おまえらは信者全員を敵にまわしたんだぞ!! それに……不死者! 聞いているぞ……おまえ、聖地にて聖女にしてやられたくせに! 全滅は時間の問題だ……じきに全員死ぬぞ、王子! なにが命令だ、笑わせる……おまえは家族に捨てられたんだよ!!」
「だから何だ」
失血によろめく体は拳で押しただけで簡単に倒れた。無事な方の腕を踏んで押さえ、勢いつけて胸を刺す。
捕殺される獣のような悲鳴が天幕を揺らがせた。
刃は短く、心臓が鼓動を止めるまでしばらくかかりそうだ。その間、剣とともに彼へ先ほどの返事を捻じり込む。
「私は王家に飼われる卑しい狗……彼らの命令を遂行するためだけに生きている。そして今回、私は……要するに、"女神の使徒を討伐し、死ね"と命じられている。まずは、前者の願いを叶えるとしよう」
「ぐあああっ!……女神様!! 女神様どうか俺に力を! 力を……こいつを殺す魔力を!! 魔法を! ……なんでだ! なんでっ、何も出ないんだよ……ちくしょう!! ちくしょうめ!」
私への殺意はある。口汚い罵りは止まないが、魔法も、力も……何も発現されない。
不死者のせいでもない。魔女に術を使ったそぶりはなく、さっきから動く物に反応する猫かと思うほどに、男のもがく手足を迅速につついている。
「女神さまぁ! たすけて……たすけてください、聖女さま!! なんで、どうしてっ……ここに、神敵がいるのに……!」
息耐えた司祭と、その死体で遊び始める魔女を放置して先に進む。落胆の思いを胸に外へ出れば……信者に囲まれ臨戦態勢の兵たちがいる。
地面で黒く燻るのはまた私の部下か。天幕の中と似たような状況に出くわし気が滅入る。
はじめに出会った女性が女神の教えを滔々と語り、残りの信者たちは囲いの輪として兵らを見張る。軍勢が動けないのは、信者たちが彼らの仲間を燃やし、圧倒的な力を見せつけたからか。
そんなものは虚仮威しだ。事実を知った私に躊躇はない。
囲いの一角を成す信者に、音もなく近づき……後ろから首を刎ねる。説法に夢中の信者たちが私の存在を受け入れる前に、進路を指示し兵を逃がす。
大勢でかかっては意味がない。信者の特質上、やはり隙を見て闇討ちするのが効果的なのだ。
「ワイツ! やはりこいつら普通じゃねえ。あんな精度の高い炎撃魔法……奴ら、"女神"からどれほど魔力を得たのやら」
味方兵を追い立てるようにしてギラスが走ってくる。小脇に魔術師のライナスも抱えてだ。
司祭に殺されたかと思ったと言い、私の生還を喜び讃えたあと、退却方法に考えを巡らす。
「この分だと、会談の結果も予想がつきますな。しかし、女神教は互いを思って共存共栄しろという教えのはず……異教徒に対してここまで攻撃的とは」
「信者とはいえ名ばかりだ。司祭もろくに信仰心を持たぬ男だった。この場全員を殺し、私を捕えて男娼にするなどと言うほどだ」
この報告を聞いたギラスは激し、憤怒の唸りを上げた。走るのを止め、最後の一兵が駆け抜けるのとすれ違う。殿となってから信者の群れを振り返る。
彼らが悠々と追ってくるのを、茶の髭を逆立て敵愾心を露わに睨む。
「今のでわかったぜ。もはや話し合う余地などない! あいつらは間違いなく敵。女神教の偽信者どころか、人間の屑だ! 手加減などするものか。一人残らずぶっ潰してやろう!!」
激昂した怒鳴り声のまま、ギラスは信者たちへ手を向ける。攻撃するには距離があり、ライナスを構えたまま武器は出せない。
ならば、これは魔法の行使か。
「"降灰"――散れ、散れ! 天蓋を彷徨え!!」
聞きなじみのない詠唱は灰色の粉塵を発現させた。各国の戦場を渡り歩いた傭兵独自の魔法……
風向きに従い、薄墨が信者らに向かって流れる。私たちはそのまま天幕群から距離を置こうと走った。老戦士は激怒しているものの、状況を顧みるだけ冷静ではある。
「今は撤退だ! とりあえず、軍の態勢を整えるぞ」
「煙幕の魔法か。夕日も遮るこの濃度なら、追い討ちの心配はないな」
「いや違う。これは目眩ましなんかじゃねえ。近寄るな、吸わん方がいい」
ギラスは魔法を続けながら移動する。鮮やかだった西日も、濃さを増す灰色の前では明度を落とした。
異国の魔法にライナスは興味を覚えたのか、逃走しながらも一本の帯布を遣わし、黒靄の中を漂わせた。自在に動く着衣の布は彼の呪具。先端を丸めた暗布を引き寄せ、付着物を確かめる。
「これは、ほう……火山灰か」
「それにしても……凄まじき力じゃ。"神の力"とは、斯様なものであったとは」
カイザたちの待つ場所からも離れ、周囲の岩場、林、草の繫みなど各自で身を隠す。ギラスは岩の陰から様子を見つつ、ライナスを下ろした。老人は息荒く座り込む。逃れるだけで相当消耗した様子だ。震える腕で杖を握る。
「無理をされるなライナス殿。恐れるのも致し方ないが、ここは気を静めて戦略を練ろう」
「……否。恐れなどないわい……! わしはな、とても嬉しいのじゃ。ああ、この歓喜。もはや抑えられぬ!!」
枯れ木のような老身が揺らめき立つ。自らの足によってでなく身に纏った幾重もの暗布で支え、前方へと推進する。
陽は没し、闇夜が帳を降ろす原野にて……魔術師の装身具が淡く光帯びる。
「わしの眼前で! 法則が湾曲し、条理が覆る!! なんとしてでも行かねばならない!! 大いなる根源の魔力を、全身で記憶せねばならない!! わしの生は……研鑽のすべては、この時のためにあったのだ!! 今そこに……"世界"の力がある!!」
「落ち着け。いくら高位の魔術師とはいえ、あなた一人で敵うわけ……」
「いや。ギラス、待て」
老戦士の忠告に割り入り、私は闇とともに出現した人物を示す。葬儀のような装いで笑う、闇の申し子……なぜか彼女は、私のいる地を好んで現れる。
おいていくなんてひどいじゃないと、拗ねつつも楽し気に言い放つ。
「……魔女。あんた……どこから湧いて出た?」
「どこだっていいじゃないのおじさま。気にしたら負けよ。そんなことより、あたしの出番みたいね。ちょっと、おじいちゃんといっしょに遊んでくるわ」
微笑む不死者とともに、ライナスもまた私の前に進み出て一礼する。彼の動きに合わせ、何対もの呪具が蠢いた。
「ワイツ王子……ここはわしと魔女殿に任せてはくれまいか? あの者らの駆除など、わしら二人だけで事足りる」
「ああ。あなたに任せよう。初戦を飾るに相応しい……魔法の輝きを、私たちに見せてくれ」
老魔術師はゆるりと笑んで、敵待つ荒野を周遊する。伴うのは喪服の少女。この世界でたった七人のみ存在を許された"不死者"だ。
魔女がライナスの帯布を握って、彼と歩調を合わせる姿は仲睦まじく……手を繋いで散歩に行く祖父と孫とも見て取れた。