第十一話 ライナスの我儘
「聖女がここに来たのも、ぜーんぶあなたたちのため。あの子は心から人々のことを思って信者を遣わし、自分の教会に招いているの。みんなが幸せな生を送れるように。悔いなき人生を歩めるように……ですって、くだらない」
魔女は天幕内をうろちょろするのをやめ、寝台で頬杖をつき話した。さっきまで寝ていた場所を転がる姿は、見かけよりずっと幼く、彼女の自由すぎる性格を表している。
失礼だと咎める者はいない。魔女にとって、わしらを殺すことなど赤子の手を捻るより容易い。
恐るべき存在だとしても……わしは魔女から目が離せなかった。彼女含む七人の不死者たちは"厄災"と呼ばれるほどの、世界屈指の危険人物。同時に、世界中の魔術師から多大な羨望を集めている。
この世界では生き抜いた年月しか魔力を得られない。
どんなに壮大な記憶や経験を身に刻んだとしても、歳の限りの規模でしか魔法とならない。身をもって事象を覚えずとも、術式を描けば代替となる。しかし、理屈が正しくても魔力が足りねば発現しない。
だが、不死者はどうか?
彼らに寿命という上限はない。どれほど延命しても、二百を越えることはできないわしらと違う。もはや……彼らにできぬ魔法はない。
「聖女は……ニブ・ヒムルダに救いを与えに降り立った、とでもいうのか。確かにこの国は戦乱続きだった。民も貧窮している……布教には好機だな。手を差し伸べれば人々は感謝し、女神への傾倒も促せる」
「でしたら、ワイツ団長。なおのこと急いだほうがよろしいかと。このままではヒムルダの民からも信者が現れます。敵が増え、自国民同士で斬り合う羽目になりましょう」
「お待ちを! 不死の御仁。聖女の情報はそれだけではないのじゃろ?」
会話を断って、進軍の準備に向かいかけるワイツ王子。わしはその背を引き留める。
まだ話は終わっていない。否、終わらせたくないという……児戯じみた我儘が老体を突き動かす。
とうに渇れたと思っていた叡智の泉。魔女との出会いは枯れ井戸に一石を投じ、水脈を湧き立たせた。わしは知識欲に駆られ、迸るように言葉を紡ぐ。
「あら、おじいちゃん。どうしてそう思うの?」
「わしの知識が正しければ……おぬしは序列第二位の不死者。最高位の"不死の王"に勝るとも劣らぬ魔力を有しておる。事実、彼を手にかけたことがあると言った! なぜ聖女などに手こずっておる? 彼女はおぬしより"年下"のはずでは……?」
「ふうん。そこまで知ってるんだ。なかなかの知識ね。じゃあ……あたしたちがどうやって不死を叶えたのか、みんなに説明して。あたしが聖女を倒せなかった理由はね、そのあたりと関係があるのよ。けど、一から話すなんて面倒なの。おじいちゃんに任せたわ」
わしから皆に説明を……?
呆然と口走ってから、この場の視線が自身に集まるのを感じる。超常的な光景を見せつけられ、皆は問いを抱えていた。身をすくめても逃れられない、疑問を含んだ眼差しが刺さる。
「ライナス殿。どうした? もったいつけんで続けてくれ」
「い、いや……」
「何してんだよじじい。知ってんなら早く話せよ」
「おぬしら……わしの話を、聞きたいのか?」
魔法についての話を求められる。疑問をぶつけられる。教えてほしいと頼み込まれる……
長いこと覚えのないやり取りだ。王家に支援を断られ、貴族の誰からも黙殺されるようになって久しい。最後に、わしの話に耳を傾けられたのはいつだったか……もう思い出せぬほど。
「わしが知るのは、先人たちが重ねた推論と憶測。それらをわしなりに解釈した予想に過ぎん。確かめようのない真理……それこそ、不死者しか正答を知らん」
「構わない。あなたの考察を私たちに教えてほしい」
ワイツ王子の涼やかな声が、わしの迷いを切り捨てた。目線を下に落とし、追及の刺激から心を守る。たわんだ頭上の巻き布から一房の帯が垂れてきた。
「す……すべての生物は肉体、魔力、魂の三要素からなる。魔力は肉体と魂の間を循環し、双方が蓄えた記憶を具現化する……それが魔法じゃ。この世界は記憶や経験が力となる。生きとし生けるものは必ず魔力を持ち、量に応じた規模の魔法を扱える……皆、杯の例えは知っていよう」
茶と白の混じり髪が動く。老戦士ギラス殿が同意を示したのだ。
「肉体という器に注がれる液体が魔力。年々蓄積され、量を増す。液体の色と味は個々に違い、魂の性質を表す……魔法を学ぶ上で語られる定番の話だ。ライナス殿、これと不死になることに何の関係が……」
「わしは、これが人だけでなく獣、魚、草木、石……広義で言えば、"世界"自身にも当てはまると考えた。わしらが生きるこの"世界"も、それぞれ肉体、魔力、魂に当てはまるものがある。認識できるのは肉体の方だけじゃが」
「はっ! ばっかみてえ。世界に肉体があるだと? そんな戯言信じられっかよ」
「感じられぬか……メイガン? "世界の肉体"とはおぬしのことじゃ」
「あ?」
「おぬしやワイツ王子はじめ、この場にいる全員。もちろんわしも……有機物、無機物問わず、万物。目に映る物体すべてが"世界の肉体"じゃ」
各々の理解が追いつく合間、わしは息つき考えを整理する。ワイツ王子らは周囲を見渡していた。ただの背景と思っていた、大地と自身の関係を思う。
全員の視線は必ず足元をよぎった。そこからわしらは世界と繋がり、わしらもまた世界の一部でもある。そんななか魔女は……
魔女だけは、ゆるく笑ってこちらを眺める。
「ならば"世界"の魂と魔力とは何か? ……ここからは不可視、不可侵の領域じゃ。おそらく"世界の魂"とは、すべての生命が行き着く場所。個人の垣根なく混ざり合い、混沌としておるのじゃろう。"世界の魔力"も、わしらのと同じく、魂と肉体の間を循環している……!」
「でも、この説で言う"肉体"とは、私たちのこと……」
勘の良い女戦士の言葉に口元が弧を描く。いつしかわしは皆の注目に押し負けず、直に正面を見据えていた。
「そうじゃ。わしの仮説が正しければ……世界の肉体の一部であるわしらも、世界の魔力や魂と繋がることができるはずじゃ!」
息を次ぐ間もなく、叫ぶように話す。久しぶりの魔法講義に心が高揚する。もはや勢いは止められない。真摯な聞き手たちを前に、これまで語れなかった知識が我先にと噴出する。
「"世界"……遥か太古から存在し、未来永劫存続する存在。これまで蓄積してきた魔力は何千何万年という量ではない! まさに無限大!! さらに……この世に起こった出来事、ありとあらゆる現象を記憶した"世界の魂"と合わされば、どのような魔法でも発現できる。つまり……世界と繋がった者は、無限の魔力が得られ、どんな『願い』でも叶えることができる!!」
「おい、落ち着けよじじい。妄想が激しすぎるだろ。無限の魔力と願いを叶える力なんて、都合のいいおとぎ話あるわけ……」
「正解よ」
答えたのは、いつの間にか身を起こしていた魔女。手を叩いてわしの考えを讃える。
「だから、あたしがここにいる。何百年の時を越えて……今、あなたたちの前に立ってるの」
少女の言葉に……目の前が開ける思いだった。報われぬと思っていた研究が日の目を見る。失いかけた探求心、無駄と断じられた知識が救済されていく。
彼女こそが……わしの仮説の生き証人。
「"不死者"。君たちは"世界"と繋がり、その魔力と魂を得……不死になりたいと願ったのか」
「ええ、そうよ。ちなみに、あたしたちは世界と繋がることを"神の力を得た"と呼ぶわ。あと、"世界の肉体"の一部と言っても人なんてちっぽけな器に過ぎないから、"世界の魂"を使って叶えられる『願い』はたったの一つだけ。でもね……不死者だったら肉体を脱ぎ捨てるたび、何度も使えるのよ。いいでしょ?」
「それが本当なら、俺だって世界と繋がることができるはずだ。教えろ! "神の力"……とかいうのはどうすれば手に入る!?」
本当に欲深き男じゃ。さっきまで仮説を疑っていたメイガンは、『願い』が叶うと知ればすかさず飛びついた。尖った濃紺の髪をさらに逆立て、前に出る。
魔女は当然その方法を知っているじゃろう。わしにも察しがついておる。だからこそ、愉快に笑って真実を贈る。
「そんなの簡単よ。今、力を持っている者を殺して奪えばいいのよ。現在の所有者は不死者"聖女"。あの子の肉体を壊せば手に入るわ」
「……そうじゃ。わかりきったことじゃろう。強大な力を持つ者を殺してその座を奪う……同様の伝承が世界中にあることも、"神の力"が実在する何よりの証拠じゃ!!」
声を失う皆に知識を突きつける。言葉が溢れ出し、激流となって水門を叩く。昂りは身につけた呪具にも伝播した。後方に流していた三対の帯は、浮かび上がって観衆を指し示す。
「ニブ・ヒムルダやフェルド諸国の自然神"緑の王"は秋に刈り取られ、人々に冬を越す力を与えると言われておる。他国でも、辺境の異郷にも似たような習慣があるはずじゃ!! 大いなる実りへの感謝に獲物を狩猟し、捧げる集落は幾つもある。そこでは、偉大な狩人が永遠に讃えられるという。メイガンよ! "旅人"の名を冠すおぬしに心当たりはないのか?」
「……っ!」
遠き異国の狂戦士は、悔し気に紫の目を逸らす。
「あるいは森の司祭! 山を統べる者としてあらゆる贅沢を許された存在は、剣を手に大樹の下に立つ。そやつを殺し、大樹の枝を持ち帰った者が次の司祭として特権を得る。大樹とは力の証じゃ。地域によっては"金枝"、または……"柊の枝"を用いる!」
「やめろ!!」
突然の大声に集中を失い、暗褐色の一端が床に落ちる。思わず知恵の噴出を止めざる得なかった。
この行為はギラス殿にとって無意識のものであったらしい。かつての傭兵の長は、自身の出した声に戸惑い、かぶりを振りつつわしを見た。
「やめてくれ、ライナス殿……違う。俺は、そういうつもりじゃ……」
気まずい空気が流れるなか、魔女は気にせずひらひらと手を上げ、注目を集める。
「ね? これでもうわかったんじゃない? 今の聖女はね、"神の力"を持ってるの。あたしが聖地に行って"王様"を殺せなかったのも、世界の魔力を得て強化されたあの子に邪魔されたから。しかも『願い』の方も信者に力を与えるために使ったってわけ。一部の信者はあたしを追って村までやってきたわ。返り討ちにしたけど」
「女神教の信者も、聖女と同じく強化されているわけか。分け与えられた力だけでも、このように村を焼き尽くすほどとは」
ワイツ王子は、これまで得た"女神の使徒"の情報を吟味する。腕を組み、目を閉じて思案する面持ちを……魔女は背伸びし覗き込む。
「怖くなった? 聖地には無限の魔力を持つ不死者がいる。あと強化された信者もたっくさん。なのに、あなたたちはたったこれだけの兵しかない。それはもう厳しい戦いになるわよ、きっと」
「……いや。私のやることは変わらない。信者たちがこの村にした仕打ち……まさしく侵攻だ。ここと同じく改宗を拒み、聖女に逆らった者は殺される。この力が民たちへ注がれる前に、私は立ち向かわなければならない。陛下もそれをお望みだ」
「だが、ワイツ……勝ち目なんてあるのか?」
ギラス殿が不安に思うのも当然。ずっと黙りこくっているカイザも……王子を案じているのか、彼を見つめる瞳は揺れていた。
皆がどんなに恐れようと……わしは行きたい。いくら熟考し、不死者から信頼できる証言を得ても、この目で見るまで仮説は仮説。想像の域を出ない。見て、触れて、感じねば魔法が生まれぬように……何としてでも神の力を見極めたい。
世界と接続し、神の力を持った聖女。さぞかし神々しく、偉大なのじゃろう。それこそ女神と名乗るほどに……
やがてワイツ王子は、自身に近づいた魔女へ向け、跪いて頭を下げた。
「不死者"魔女"よ。私の進む方向は君と同じ、聖女のいる場所だ。私たちはそこまでの最短順路を知っている。同行してくれれば"王"のもとまで案内しよう。だから、どうか……私たちに力を貸してくれないか」
魔女は自身のスカートを軽くつまんでお辞儀する。肩につかない長さの、ゆるくうねった黒髪がぴょこんと弾んだ。
「いいわよ。こちらこそよろしくね。あたしの千年を越える魔力と、蹂躙と虐殺の魔法を見せてあげるわ。いっしょに行きましょう、あの人の待つ……聖地へ」
必要な情報は明確に、そうでないものはぼかして兵たちに伝達された。王子がうまいこと言いくるめたのか、追従を拒否する者らはいなかった。
軍団は出発準備を整え、新しい進路を目指して立つ。同行するわしらの心強い味方、魔女は……いつ着替えたのか、それまでの村娘の服から喪服じみたドレスに変わっていた。これまたどこから出したのか、漆黒の日傘まで携えている。
「あ、待って」
「おい今度はなんだ? いまいちしまらねえな」
彼女の支度とやらに振り回され、進軍の予定時間は大いに遅れた。焦れて不機嫌となったメイガンらが悪態をつくも、少女は気にせずちょっと忘れ物したと言って、焦土の村へ入る。
礼を略したり、なれなれしく話したりする程度では、わしらを殺す理由にはならないらしい。少なくとも今は。
「おまたせ! はいもう準備できたわ、行きましょう!!」
やっと来たかと言わんばかりに、ワイツ王子は無言で馬を進めた。わしは高齢ゆえに馬車に乗って赴く。ここまで同席したネリ―を追い出し、魔女を引き入れる。
村で何を忘れたというのか。彼女は日傘のほかに物を持っていない。しかし、相対してすぐ違いに気づいた。
「お……おぬし、その目は……?」
切り揃えられた前髪の下には、先ほどまで鳶色があった。だが、今その双眸は……強く輝く金色へと変わっていた。あまりに美しく、いっそ禍々しいとすら思える眼光。彼女が瞬くたびに雷光が閃く。
「いいでしょこれ。昔、"王様"の死体から剥ぎ取ったものなの。綺麗でしょう?」
馬車の戸が閉じられた。
狂笑湛えた不死者と共に、わしらは聖地への道を行く。




