第十話 ライナスの失意
それはどこの王のことだ、と……ワイツ王子は語調強めに問いただした。よもやこの国、ニブ・ヒムルダの王かと案じているのだろう。彼の頭には王族のことしかない。
聞き方が気にくわなかったのか、目の前の幼子は顔を険しくする。この者はただの女童ではない。認めたくはないが……世界でも類を見ない、凄まじい存在であった。機嫌を損ねれば命はない。わしは胆が冷える思いで注視する。
「どこのって……もちろん"この世界の王様"のことよ。馬鹿じゃないの」
「この世界の、だと……?」
「ワイツ王子よ。魔女殿が言っておられるのは"不死の王"のことじゃろう」
不穏な気配を打ち消そうと、やわらかな声で呼びかける。尖っていく物言いの間に老いた身体を挟ませた。
「知っておいでとは思うが、この世には七人の不死者がおる。そのなかで最も長く生き、最も強大な力を持つのが"王"じゃ。その気になりさえすれば、いつでも世界を支配できる。まさに……世界の王と言っても相違はない」
「そうよ。そんなの常識よ」
今のは伝承を若干盛って話したのだが、魔女は気分を良くし胸を張って笑う。続けて、あたしの王様なんだから当然よと豪語した。
「教主は"聖女"らしいが、不死の王はどのように関わっているのだ? 私の知る限りでは、その者が世界を征服したという記録はないのだが」
「でしょうね。ぜーんぶあたしが邪魔してるから」
「まあまあ、ワイツ王子。そんな不思議そうな顔をせんでも、今から順を追って話してもらおうぞ。不死者についての知識なら、幾分かわしの頭脳に残っておる。解説は任せておくれ」
流れるように話してから双方の顔色を窺う。王子の方は万年変わらぬ仏頂面。少女はまだにこにこと微笑んでいる。その愛らしき尊顔には魔性の色があることを忘れまい。
とにかくは、魔女が協力の意欲を持ち続けているうちに行動すべき。
「王子、今から軍団の代表者を呼び今後を語らおう。まずはこの御仁より"聖女"についての情報を得ることが先決ですぞ」
そのようだなと納得し、瘦身の美青年は天幕を辞した。自ら配下を呼びに行ったのだ。本来なら軍団に指令を発するは部下の役目のはず。今のは、わしの高齢を鑑みての行動か。
たとい気を利かせた行為であっても、彼の振る舞いには感情の熱が一切含まれていなかった。
「お師匠様、本当に進むつもりなの!? いくらなんでもこれ以上はダメ! ワイツを死に追いやる気ですか?」
「ネリー! 黙っておれ!!」
思考中に騒音を出されてはたまらない。こちらは不死者"魔女"の遭遇という、無気力から脱するに十分過ぎる刺激を受けたばかりじゃ。
魔法研究の助成を断ち切られたときから、この心は失意に染まっていた。真剣に働くことなど久しい。
「見過ごせるわけないわ! だって……ワイツが危ないんだもの。彼の身に何かあったら、私は……!!っ」
縋りつき王子を諫めよというネリ―を見て、わしの怒りは心頭に達した。好き勝手喚く喉を力づくで押さえつける。
殴る杖が手元になくとも、淫乱女はわしの魔法の効力内にいた。ニブ・ヒムルダの魔術師たるもの呪具の装いに抜かりはない。頭の巻き布はもちろん、全身を覆う帯布には余さず術式を書き込んである。
魔力を流せば手足同様動かせる。わしは、その暗布の一端をネリ―の首に巻き付け、締め上げた。
「二度と騒ぐな。おぬしの甘ったるい声は吐き気がする」
ネリ―は声も発せず、がくがくと頷いた。突き放すように解放してもなお苛立ちが収まらない。おじいちゃんすごい。もう一回やって、という魔女の声援につい応えそうになる。
ここまでの折檻を受けてもどうせまた反論してくるのだろう。そこまでの根性があれば魔法の一つは覚えられそうなものなのに……
一番腹立たしいのは、こんな女を本気で弟子取って教えようとした、わし自身なのかもしれぬ。
「うだつのあがらない戦士のみんな、ごきげんよう。あたしは不死者よ。"魔女"っていうの……どうしたの? みんな生気のない顔して。そういうの逝け面っていうのかしら。おーい、もしもーし。まだ戦死には早いわよ? まあ時間の問題だろうけど」
ネリ―を追い出した後、すぐワイツ王子が戻ってきた。天幕に入ってきたのは彼の腹心カイザ、わしが参戦を誘ったギラス殿、傭兵の頭メイガンの三人。最後にやってきたガラの悪い戦士は、さっそく魔女の自己紹介を揶揄した。
「……なんだこの小娘は? ふざけているつもりか? おまえが不死者なら俺は魔王だ!」
悪い冗談だと思いたくなる気持ちもわかる。わしもにわかには信じられん。この場で大規模魔法でも見せてくれれば確証が持てるのだが……
いや……軟弱な思想だ。わしはすでに研究もなにも諦めた身。魔法に対する関心の火はとうに消えておる。
「そんなことより、おまえはこの村の生き残りなんだろ? 先に助けてもらった礼でもするのが筋じゃないか?」
下品な笑みを浮かべて魔女に近づくメイガン。このような年端もない少女にも欲を抱くとは。まったく度し難い。
これにはギラス殿も同じ思いだったのか、彼の肩を掴んで引き戻す。
「おいメイガン! おまえってやつはこんな時にも……」
「いいのよおじさま。お礼っていうのもあれだけど……特別にあたしの魔法、見せてあげるわ」
ちゃんと見てなさいよ、と魔女は鳶色の片目をつむって、欲深き男を可愛らしく指さす。誰が見ても愛くるしいと感じる、朗らかな笑顔のまま……自らの右腕を引きちぎった。
「はあ!?」
「なっ……!」
「驚いた? ねえねえ驚いたでしょう? 普通の人って、これを元通りにくっつけられないって言うわよね、不便ねー」
むしられた右手は、指をさした形のまま、この場にいる者たちに突きつけられた。幾度も戦場に立つ熟練の戦士でさえも、人体を冒涜した行いに顔を背ける。
驚くどころではない。生理的にありえぬ行為だ。しかし、魔女は痛みを感じる様子もなく、重傷にも関わらずさほど血がこぼれない。痛覚が機能していないのか? あるいは、それすら自在に操れるのか……
思考の間。魔女は自分の腕を振り回すのに飽きたのか、手ごろな場所にいたカイザを相手に、あっちむいてほいを始めた。
「あ、そうそう。お礼してほしかったのよね? この腕あげよっか?」
「は……!? 何だ……おまえ、さっきから…………いろいろとおかしいぞ!! なんで俺がそんなもん欲しがると思うんだ!?」
「だってほら、よく男の人って股間にもう一本腕がついてるんだって自慢してるじゃない。実際そんなことないけど、本当につけたらおもしろいわよね。どう? 一本生やしとく?」
「……い、いや。いい」
この発言にはさすがのメイガンも青ざめた。どん引きしたのだ。
わしだってこの少女が不死者でなければ、何をはしたないことを! と言って杖で打ち据えたいところだ。
「ライナス殿。いったいなんなんだ……この娘は?」
「聞かんでくれ。わしだってまた信じられぬのだ」
「やだもう、おじさまたちったら痴呆? さっき言ったじゃない。あたしは"不死者"。趣味は女の子の死体を使ったきれいな服作り。好きなことはあたしと同じ不死者、"王様"の追跡と殺害!!」
「王も"不死者"。死なないはずでは?」
比較的冷静なワイツ王子が会話を試みるも、皆の疑問点はそこでない。
「だから追いかけて殺し続けるのよ。あたしは王様が欲しいの。殺して復活しなくなれば、あたしのものになったってことでしょ?」
「……今はそれより聖女の情報がほしい。彼女が女神の使徒を率いる教主なんだろう? どこに行けば会える? 彼女の目的はなんだ?」
もはや全員が魔女の存在を正しく受け止めていた。よほどの狂人ということも。彼女の熱烈なつきまといを受けているという"不死の王"に、同情を禁じ得ない。
ワイツ王子は気を取り直し、自身の直面する問題に水を向けた。わしらが出立した原因、"聖女"率いる女神の使徒について……
「あの子はここから北方、岸辺の町にいるわ。ワイツたちが目指してる方向で正解よ。大聖堂を建てて巡礼者を待ってるわ……王様と二人でね。まったくもう、嫌になっちゃう! 王様の浮気者!! どうして男って若い女のところに行っちゃうのかしら」
ねえ、そう思うでしょ? と魔女は戦士の紅一点、カイザに同意を求めた。本心かどうかは知らないが、彼女も深々と頷く。そんなことどうでもいいじゃろ、男の性じゃ。
「次にあの子の目的だったわね。その前に女神教って何か知ってる? わりと世界中に信者がいるんだけど」
「ああ、知っておるぞ」
というか知らぬ方がおかしい。女神教と言えば世界で最も信者の多い宗教。わしらの国の方がずっと少数派だ。
「この地にニブ・ヒムルダが建国される前までは、国教として祭られておった。女神を唯一神とし、誓いを捧げるという教え……厳しい戒律もなく、作法も単純であったため広く世に伝えられた。不死者"聖女"もまた信者の一員だったはずじゃ。"女僧侶"や"修道女"という呼び名も伝わっておる」
「ニブ・ヒムルダや周辺のフェルド諸国は、自然神"緑の王"信仰が主流だ。聖女は熱心な信者なのだろうな。民らが女神教に染まらぬことに腹を立て、強引な改宗に出向いた、というのが理由か」
「ちょっと違うわね」
王子の推測に対し、魔女は再生したての右手でちっちと指を振った。
「まず……聖女は女神教の信者じゃない、創始者なの。女神の教えっていうのは、数百年前にあの子が不死者になったときから言い始めたこと。いつも教会では、女神に祈ってるんじゃなくて、どうやったら自分が人々を救えるか考えているのよ」
魔女の説明が進むたび、わしの脳裏に過去の知識が浮かんでは消えていく。
昔、絵画や歴史の書籍で見た女神像の容姿……長く、ゆるやかに波打つ金の髪。祈るよう閉ざされていることの多い瞳は、文献によっては緑柱石の色で描かれていた。
「だって女神は"聖女"自身。あの子はね……神様になりたいのよ」
不死になったのは、神を目指す過程に過ぎないのだと、魔女は告げる。
わしはついに呆れ果て、ずれかけた頭の布を慌てておさえた。
やれやれ。不死者とは妙な連中ばかりじゃな。