第九話 ワイツの邂逅
舞い上がった燃え殻に迎えられ、私たちは黒炭の村に立つ。燃え尽きた火事場に炎の色はないが、焦熱の残滓に阻害され、歩みを止めざる得ない。生存者の存在も目的地へ近づくにつれ望みが薄まる。
立ち上った黒煙は焦土と化した村から発せらせていた。私たちは物見の示す方向へと馬を走らせたが、変わり果てた集落は外部からの入場を固く拒んでいる。
それでも原因を探しに進まねばならない。魔術師のライナスを筆頭に魔力の高い者を先達させ、氷結の魔法で足元を冷まし、道を拓いていく。
秋の乾燥した空気。冬に向け蓄えられた薪木。可燃の要素を考慮しても、ここまでの燃焼は不可能だろう。
これはおそらく誰かの魔法。常人には成し遂げられない……膨大な魔力の爪痕、だといい。
「村を攻撃したのは、"女神の使徒"なのでしょうか」
「わからない。しかし、信者の行動範囲としては十分考えられる」
カイザを連れに熱気のこもった焼け跡を歩く。熱と、急な冷却で脆くなった木材を踏んで進む。
前方、黒い景色に群青が浮かんだ。宝飾を編み込んだ髪……ネリーだ。陽炎のなか魔術師の杖を振って走り寄る。
「ワイツ! お師匠様の消火が終わったわ。村の奥まで道ができたの」
「それはよかった。生存者は見つからなかったのか? この有様では難しいかもしれないが、誰かに語ってもらわないと、原因の予想もできない」
「そうなのよね。魔法による攻撃ならお師匠様に解析してもらえるんだけど……こうまで酷いと難しいわ。ワイツ、私といっしょにお師匠様のところへ来ない? 魔術師と固まって動いた方が、誰か見つかりやすいかも……」
「いや、私は引き続きこちらから探していく。ネリ―はライナス殿の補佐に努めてくれ」
ええっ、でも……と、口ごもって渋るネリーをやや強引に送り出す。彼女と関われば、また面倒な言い争いが始まりかねない。
向こうの言い分はいつも同じ。"あなたの考えは間違っている"、"王の命令に従うな"などと……痴れ言だ。私の生き方のどこに間違いがあるというのだ?
早く行かねばライナスから叱責を受けるぞと脅し、やっと彼女は諦めた。
一房に編まれた長髪を跳ねさせ、師の元へと向かうネリ―。呪具として身につけた金環がシャラシャラと音を鳴らす。
ライナス然りニブ・ヒムルダの魔術師は、あのように独特な格好をした者が多い。飾り紐の金糸も宝飾具も魔法の効果を高めるというが、なぜかネリーのは華美に過ぎると感じた。
再びカイザと炭の道を渡る。横目で見た麗しい顔は、心なしかむっとしていた。
「生き残りがいると思うか?」
「いいえ。まったく」
カイザと二人の散策なら本心からの話ができる。少し呼びかけただけでもこちらの思いを汲み取り、ゆるゆると首を振った。彼女は先ほどからろくに周囲も見ず、私の歩みに付き従っている。すでに生存者がいることを諦めているのだ。
無理もない。いくら見渡せど尽きぬ灰燼の山。どこかしこも灼熱が這い、迂闊に手も触れられない。このような景色が作れるのは、大勢の魔術師を連れた軍勢の一斉砲火か、あるいは……
「……不死者の仕業」
花びらのような唇から紡ぎ出された予想。やはりカイザもその考えに至ったか。
軍団の侵攻であれば、誰かが必ず接近に気づき、都へ一報を飛ばす。数人程度ならうまく逃げ延びられてもおかしくない。少しくらいは火の回らぬ箇所がありそうなのに、どれが死体なのかわからぬほど徹底的に焼けている。
私の"理想"としては……これは不死者である教主の魔法。改宗に従わぬ民らを見せしめに燃やし、信者を連れて次の村に移動したのだ。
そして、この焼け跡の熱から見るに……不死者はまだ遠くに行っていない。ならば急いで付近の集落へ向かえば、きっと……
来た道を引き返しかけたそのとき、炎とは違う輝きを見た。何かの間違いかと思い……より深く覗いてみるも、事実は変わらない。
私の視界に広がる不思議な現象。それは、ある人物を中心に展開されていた。
「これは……」
少女が眠っている。
野原に寝転がり、健やかに胸を波立たせている。
みずみずしい草の上にゆる巻きの黒髪を散らし、幸福そうに横たわる。晩秋の、気まぐれの陽気に微睡む様子は、どこの村でもありがちで……この場においては明らかに異常だった。
私たちは焦土の中にいるはずだ。今でもそこに立っている。しかし、少女の周囲だけ炎の影響がない。可憐な頬をうずめる草も葉も、彼女を守護するかのように覆う光幕の下では、灰に塗れず風にそよぐ。
「カイザ。私は幻でも見ているのだろうか」
「奇遇ですね。私も同じことを思いました」
この光景は彼女も認識しているというが、私はいまだ現実なのか信じられない。幻影であればさっさと振り払って次に進みたかった。教主が隣の集落にいるかもしれないのだ。早く追いつきたい。
触れることができれば実在するのだろう。近づいて自らの手で確認する前に、ちょうど少女の寝る場所を目掛け、瓦礫が倒れてきた。
少女が目を覚ましたとの知らせを受け、救護用に立てた天幕にそっと侵入する。かつて家だった木材が彼女に残らず降り注ぐのを見届けてから、私とカイザは助けを呼びに歩いた。無傷で眠りこける姿はともかく、これで生きていれば自信を持って生存者だと言える。
炭の中から掘り出された少女は、すぐにライナスのもとへ運ばれ、治癒と手当てを受けた。私の姿を見たネリ―が立ち上がりかけるのを押し留め、寝台の隣へ立つ。
半身を起こした少女の、射貫くような瞳と正面から対峙する。
「あなたが代表者ね?」
憮然とした表情には、変わり果てた村への嘆きも、助けられたことに対する安堵もない。私たちを流し見る様子は、とても被災した者とは思えなかった。
火傷を覆った包帯、煤けた身なりなど……見かけだけは焼村の住人に相応しい。だが、最初に見たのと同じく、この少女からは異様な気配と威圧を感じる。
彼女は他の人間とは何かが異なる。畏怖にも似た予兆がするのだ。この邂逅にはどのような意味があるのか。
今ここで……運命の捻じ曲がる音がする。
「……ああ。怪我の具合はどうだ? 不足があれば言ってくれ。もし……辛くなければ、この村で何が起こったのか話してほしい」
「その前に、あなたたちはなに? 村を助けに来た軍隊の人? すぐそこにいたんなら、家が倒れてくる前に起こしてほしかったわ。まったくもう……服が汚れちゃったじゃない」
「それに関しては本当に申し訳ないと思っている」
一向に畏まらぬ少女に対し、ネリ―は顔をこわばらせながらも私たちを紹介した。
左右三対、暗褐色の帯布を垂らして佇むは老魔術師ライナス。彼女に治癒魔法を施した老人だ。その隣の女性は彼の弟子ネリ―。
次に私、ニブ・ヒムルダ王国の第四王子にして軍将の一員。この軍団を率いる長、ワイツ。ネリ―の解説に内心で付け加えるが、私は忌み子で王家の恥。卑しい雌犬から生まれた畜生だ。そして、現在の目的は……
「私たちは都から"女神の使徒"を追い払いに来たの」
「へぇ……そうなの。馬鹿の集まりなのね」
簡易な現状説明に対し、少女は辛辣な言葉を吐いた。
いつか仰いだ、妖しげに光る星のような瞳で私たちを見る。明度の落ちる天幕内でもわかる、爛々とした双眸に嘲笑の色が宿る。
私の妹ほどの、若く愛らしい容姿であるのに……その言動や面様は村娘と思えぬほど妖艶で、対する者らに侮蔑の笑みを贈っていた
「あなたたちが勝てるわけないじゃない。あいつらの教主が誰か知ってる……"聖女"よ? 不死者なのよ? それも、今はただの不死者じゃないし、大勢の信者にも力を分け与えてる。村をこんなふうにしたのも、たった二人の信者の力。あなたたちなんて瞬殺されて終わりよ」
「……!! 教主が不死者で……"聖女"じゃと……!?」
「そんな! それじゃ……私たちは……」
特注の杖も放り投げ、ライナスは喘ぐように叫んだ。私は都にいた段階で予想はしていたが、これで皆にも知られてしまう。討つべき敵が不死者という……私たちは希望なき戦いに踏み出しているのだと。
「ワイツ……!」
彼女は懇願の思いを私に向ける。衝撃の事実を告げたのは年端のない少女だとしても、その証言は進軍を再考させるのに充分。
言葉にせずとも、ネリーは都に戻とうと表情で訴える。相手は不死者だ、万に一つの勝利もない。死に向かう行進を今すぐ止めろと。
だが、この事実は私にとって……
願ってもないことだ。
「……では、私たちはなおのこと行かねばならない。これはもう異教徒による国土の不法占拠ではない。不死者の侵攻だ。ニブ・ヒムルダ存続のためにも、私たちはここで"女神の使徒"を食い止めなくてはいけない」
「待ってよ! お願い、信じてワイツ。不死者を相手に戦おうなんて無謀よ! 私はまだ見習いだけど、魔術師やってるからわかるの。彼らは、たった一人でも世界を滅ぼすほどの力を持つ……まさに厄災なのよ! このことを伝えれば、陛下だってきっと命令を撤回するわ!!」
「君は今の証言だけで教主が不死者だと信じるのか? まずは真偽を確かめるべく、急いで近くの集落を巡ろう。この村を襲ったのは信者なんだろう? また別の村が攻撃を受けるかもしれない。降伏や恭順を決める前に、情報が少なすぎる。今すぐ兵をまとめて出発だ。相手と接触しなければ判断しようがない」
それでも引き下がらぬネリ―に、兵を数人残すから少女と共に都に戻れと早口で告げる。動かぬライナスの代わりに、直接軍団に伝令せんと出口に手をかける。
助けた少女から、確認の囁きが背中に降ってきた。
「向こうにいるのが不死者だってわかってるのに行くの? 死ぬのよ?」
「ああ……私は王からそのように"命令"を受けている」
急に弾けた笑い声に足が止まる。気でも触れたかと案ずるほどに、少女は寝台の上で笑い転げていた。ぎょっとする魔術師二人をよそに、身体に巻かれた包帯を躊躇なくむしり取る。
布の下に火傷はなく……白い、きめ細やかな肌がどこまでも広がっていた。治りが早すぎる。いくら老魔術師の治癒でも、ここまでの即効性はない。
「そう……そうなの。あなた、面白いわね。気に入ったわ」
くすくす笑みながら私に寄り、天幕の中を身軽に舞う。
もはやこの場の誰もが、彼女は私たちとは"異なる存在"であると、認識を改めていた。
「教えてあげる。あたしも不死者なの。知ってる? "魔女"というのよ。ねぇ、ワイツ。ちょうどよかったわ。あたしを聖女のところまで連れて行ってくれない?」
少女は愛くるしい仕草でお願いをし、自身の目的を恍惚の笑みで語る。
「あたしは"王様"を殺さないといけないの」