時代こそがライトノベルの武器
私が書く事で一番重視してるのは時代になる。作品には2つの時代がある。ライト小説ならアニメ史と漫画史を抑えておかないといけない。ライトノベルはライトノベルとして独立したメディアじゃない。シャナ登場時に燃えと萌えの両立と語られていて、これはジャンプを意識したものだと私は感じていた。そもそもガンダムの小説化なども絡んでいたライトノベルは漫画アニメと独立したものじゃない。敢えて加えるならゲームも重要にナル。ゲームから直接影響を受けたと言うなら物語シリーズがあると思う。間接的ならSAOやなろう小説になる。
そういったものと現実世界の時代は関係は薄い。何故か?と言うとファンタジー要素の強さにある。これは西洋ファンタジーと言う意味じゃない。どっちかと言えばオカルト要素に近い意味になる。例えば現実世界の時代に強く影響を受けてると言えばビーバップハイスクールなどの作品が良いかと。その時の時代感が作品に強く出てる。
私は最初から普遍的な面白さを持つ物語を書く事を捨てている。時代による面白さを使って非力な自分の力量を底上げしようとたくらんでいる。ただその時代にはライト小説ならサブカル関係の創作史と現実世界の時代の変化があってこの2つを分けないといけない。何故ならこの2つは関係が薄いから。
創作史に時代性があるのは読者が飽きるから。先端の表現が溢れる事で陳腐化するから。これは作品の作る量と模倣する割合で決まっていて、現実世界の時間の流れと関係ない。非現実的要素=オカルト要素を扱う時には創作史の歴史の方が時代性において重要。現実世界の時代性は例外的に扱ったほうが良い。
ただ異世界転生でも分かるように現実世界の時代性が色濃く出る作品もある。それは例外的に対処するとして。漫画物語の時代性にまず敏感である事私はそれを重視している。漫画物語は作家のピークが異常に短い。それは年を食って時代がすぐに変わってしまうから。流行の先端で活躍した人は一部のファンだけをつけて次の時代では姿を消してしまう。この一部のファンをつけることがお金儲けに繋がって生き残っていく。だから逆に言えば大半の作り手は食えないと言える。
どんな凄い人も駄目になるのは時代についていけないから。逆に言えば時代にさえ付いていければ能力が多少落ちても刺激的なものを常に提供できる。ただ多くの場合は表面的にしかついていけないので取り残されてしまう。ある程度本気で楽しめてないと時代についていくのは無理。
なろうはおっさん作家がおっさん読者に向けて書いて成長してきた場所。何故これが10代にも受けるようになったか?それは時代の先端を行ってるから。ただ全体を見るとやっぱ感覚が古い。無自覚にセンスのよい人の真似をする事でなんとかついていってるけど、数多くの作品が古臭いセンスを高い能力で補って書いてる作品が多い。センス自体は私以下だと思う人が多い。
私も若いわけじゃないけど、ただ自覚できてるというのが大きいと思う。私も根本的には古臭いと思うし、古臭いものを嫌ってるわけじゃない。ただ受けないのが何故か?は良く分かってる。新しいものを作るものに誰だってなりたいと思う。でも結局その人も次の時代には残れない。なら新しいものを感じる力の方が大事じゃないか?と私は割り切ってる。
私が作家を評価する側に回るときに、自分個人の古臭い好み以外で時代の先端で創れてるか?を重視する。古臭い作品はその時代の傑作と比較する。それに勝てるか?多分無理。それが好きで真似して作ってるから。同じ真似をするなら今先端のものを真似したい。だから私はなろうファンタジーを好んで書いてる。
若い読者はそもそも古い作品を拒絶する。歳をとった読者は豊富な過去の名作を見てきた審美眼があるからそれらを比較される。中年読者の好む古臭い良い作品は創るだけ無駄だと私は思ってる。
ただなろうにおいては古臭い作品が評価される土台がある。お金を払わないから。それはそれで良い事だと思うけど、なろうは流行の移り変わりの激しい薄っぺらい場所だと思ってる人は多分分かってない。様々な作品を読んだ私からは逆に古臭い作品が残れる場だと思う。書いたように古臭い作品を商業的に展開するには当時の流行の先端で大ヒットした作家以外は排除されてしまうから。悪い意味で捉えるならなろうは無料であるため時代性に対する鋭敏さに欠ける。だがその反面それはそれで古い作品を好む読者には良い場所だと思う。だからランキングがそういった一部の読者の反映によって押し上げられるんだと見ている。