嫌い嫌いも好きのうち
嫌いだ。本当に嫌い。今、あたしの目の前に居る先輩が大ッ嫌いだ。あたしの事が苦手な癖に頑張ってあたしに話しかけるし、苦手な癖にあたしを部活に誘った。部活に誘ったのは部員が先輩しか居ないからだろう。文芸部なんて人気ない部だろうし、先輩が1人しか居ないってのにも拍車がかかっているんだろう。
「ねぇ。先輩、暇なんだけどさー」
あたしがそう話しかけると先輩は少しビクッとして活動で提出する小説を書いていたのかシャーペンを落とした。
「そんなにびっくりすることないのに」
「あっ……えーと。作業……」
先輩がそう言った瞬間、ワザと椅子から立つ時に物音を立てて、先輩の席の隣に座った。
「ねぇ。アンタが幽霊部員でもいいからって言ったんだよね。なんであたしが作業しなきゃなんないの?」
「ああ……そうだったね」
あたしの扱いに困っているのか苦笑いであたしの様子を伺う様な表情。
そして先輩はまた作業に戻る。
本当に先輩は何がしたいんだ。別に先輩が卒業して、部が廃部や居ない状況になっても先輩には知ったこっちゃないだろう。ましてや、なぜあたしなんだ。あたしじゃなくても他の帰宅部の奴の方があたしよりは話やすい奴はいくらでもいるだろうが。
「ねぇ」
「……なに?」
あたしが呼び止めるとこちらを向くと先輩はまたしても作業を中断した。
「先輩はなんであたしをこの部に誘ったの? あたしみたいな奴より他に話やすい奴はいくらでも居たよね?」
先輩の瞳を決して逸らさずにジッと見つめる。
「そ……それは…………三神さんが放って置けなかったから……」
「それは本当の理由なの?」
先輩の怯えた口調にまたイライラする。本当に嫌いだ。この先輩。だから先輩の答えに棘のある言い方になってしまった。
「…………後、私の大好きな先輩が私に任せるって言ってくれたから。無くしたくないの。この部を」
先輩がさっきとは違い芯のある強い口調で少し驚いた。この人があたしに向かって言ったみたいな怯えた声ではなかったからだ。
それと同時に非常に腹が立った。
その先輩に託された部だからと言った先輩は恋する乙女みたいな表情でその事を語っていたからだ。
「あっそ」
あたしはイライラする気持ちと裏切られた様な気持ちを孕みながら、部室の壁を拳から血が出る程の強い力で殴って退室した。
「いって……」
自分の擦り剥けた拳から出る血を眺めながら、先輩に向けて一言呟く。
「何が放って置けないだよ…………本当は廃部にしたくなかったからの癖に」
そしてある日、当然の様に行われた服装チェックに見事引っかかり生徒指導の桂木にしこたま怒られる。
「三神!! お前、髪染めたの直せと何回言ったらわかるんだ!!」
「染めてませーん。単に髪に紫のメッシュ入れただけですー。後は黒髪だから問題ないでしょ」
自分でも子供騙しな言い訳をスラスラと並べていると桂木は血圧が上がりそうになるのを堪えながら冷静になろうと頑張っていた。
「……はぁ。お前はまたそんな屁理屈を。……ったくいくらスポーツ推薦で入って、怪我でダメになってやさぐれてしまったとしてもな。少しくらいはこの学校のルールを守ってくれ、毎回指導する俺も大変だ。少なくともお前は学年トップになれる程頭は良いんだから勉学で挽回すればいいだろ」
「………………そーですね」
不貞腐れてんのかあたし……。ちょっと核心を疲れただけで。
水泳の強豪校のここにスポーツ推薦で入学して半年で交通事故に遭い、その時の怪我で足を悪くした。幸い日常生活を行えるレベルには戻ったが怪我の後遺症で激しいスポーツ等は出来なくなった。
大好きな水泳が出来なくなってしまい、それでもコーチからはマネージャーでもいいから残らないかと言われたが断った。他人が泳いでいる姿を見るだけで噎せ返るような嫉妬で吐き気がする。
そんなちょうどやさぐれてしまった時期に先輩…………奈々先輩に文芸部に誘われた。あまりにもしつこく誘うもんだから「幽霊部員でもいいなら」と根負けして入った。
なんだかんだ居場所がないあたしにとっては文芸部は良い居場所になった。奈々先輩はたまに作業を一緒にしないか誘うくらいで他はあたしに怯えているのかそれ以外何も言ってこなかった。
それがあんなに必死にあたしを誘った癖にそれがあたしが顔も知らない先輩の為だったなんてイライラしてムカつく。奈々先輩は本当に……大ッ嫌いだ。
「まーた。桂木に引っかかったのか? 三神」
中学の頃からツルんでる木島に昼休みの時間、ぼーっとしていたら話しかけられた。
「ああ。そうだよ。アイツ、あたしにいつもネチネチネチネチ。本当に嫌いだわ」
本当にアイツもいっつもウゼー。奈々先輩みたいに。
「ぷくくっ……三神ってば好きなヤツにはいつも「嫌い」って言ってるよなぁ。面白いわ」
………………はぁ?? こいつはあたしのどこを見てそう思ってんだ。と言いたかったのが顔に出てたのか木島は笑いを堪えながら理由を語ってくれた。
「だってお前さぁ? いっつも嫌い嫌いっていっつもブロッコリーとかハンバーグを最後に食べるだろ? 嫌いって言ってんのに」
………………ぐっ。確かに嫌い嫌いとは口では言ってるがブロッコリーもハンバーグもあたしは実は大好きだ。
「しかも、一人暮らしだから三神はお弁当は自炊だろ?」
「………………そーですね」
「で、ほぼ毎日ブロッコリーとハンバーグ入ってるからお前が好きなモノってすぐわかるわ」
木島は笑いながらそう答える。
「まぁ、確かに好きな物を嫌いだと言ってしまうがそれがなんだよ」
「それなら、毎日構ってくれる私の事も好きだもんなぁ。キモイとか嫌いだって言ってるし、それで飯田奈々先輩の事凄く大好きだろ?」
…………はぁ? 何言ってんだコイツ。あたしがあんな気弱な先輩が好きな訳ないだろ。それも顔に出てたのか木島が可笑しそうに吹き出して笑う。
「だって最近の三神、元気ないし飯田先輩に嫌われたのかなぁと思ってさ」
「……嫌われてねぇし」
そう。昨日も部室に行って普通だったんだ。いつもあたしにビビってるし大して変わりはない。なんだかちょっとモヤモヤはするが。
「……ふーん。そうかそうか。まぁ、女同士だからって私は気持ち悪いとか否定しないからさ。頑張れよ」
「ハァ!? 何言ってんだお前!!!!」
木島に言い返そうとしたら、木島は「じゃっ!」と言い逃げしやがった。マジでなんだよ。アイツ。
……本当に奈々先輩は嫌い………嫌いだよな……?
昼休みが終わり、いつもいつもつまらない授業もテキトーに聞いて放課後。 いつもの文芸部の部室に行く。いつも通り奈々先輩が…………居なかった。
「……先輩遅いな」
柄にもなく奈々先輩が居ないなら居ないでモヤモヤする。いつもあたしをイライラさせる先輩。なんかムカつく先輩。
…………あたしが水泳出来なくなって絶望で屋上から飛び降りようと思った時に必死に何故か文芸部にしつこく誘った先輩。
……でもそれも託された部を廃部にしたくなかったからだと知ってからは余計にイライラするしモヤモヤする。
なのに奈々先輩が居ないだけでモヤモヤが加速する。なんであんなイライラする先輩の事ばかり考えている自分の事にもモヤモヤする。
ふと、昼休みに木島に言われた一言を思い出した。
「飯田先輩の事凄く大好きでしょ?」
……アイツはアホかバカか。女同士で好きになるわけないだろ。むしろ嫌いだって言ってるのに。…………多分嫌い。
「って、なんであたしも自分の感情に核心が持てないんだ」
「何が……持てないの?」
と同時に奈々先輩が入ってきた。まさか……聞いてない……よな?
そう問いただそうとした……いや、したかった。それは先輩が泣き腫らした様な顔でここに来たからだ。
あたしがその奈々先輩の様子に動揺して問いただせなくなった。当の先輩は必死にいつも通りに振舞おうとしているのかいつもの気弱そうな頼りなさそうな笑顔を作っていつもの先輩の席に座る。するとたまたまあたしが先輩の席の隣に座っていたので泣き腫らした奈々先輩の横顔が見える。
「……ねぇ」
「……えっ?」
本当に気の迷いだったのかも知れない。なのに奈々先輩があたしの方に振り向いた瞬間にキスをしてしまった。
…………えっ!! あたし、何やってんだ。大ッ嫌いなのに……嫌い……なのに。
驚いてあたしの顔を見つめる奈々先輩。むしろ驚いて固まっているのはあたしだ。もしかして……あたし。
「先輩が…………好き?」
……って口に出してしまった。まさか…………嘘だろ。木島が言ってた事が…………本当になってしまった。
「えっ…………?」
こうなったらヤケだ。好きだって自覚してしまったら仕方ない。なんで奈々先輩が泣き腫らしてんのかとか聞かないといけない。
「なんで先輩泣いてんの?」
奈々先輩の眼を見て逸らさないようにジッと見つめる。すると奈々先輩がポツリポツリと話し出す。
「…………えーと。その文芸部の先輩がもうすぐ卒業しちゃうのが悲しくて……」
またその先輩の事か。なんだかまたイライラとモヤモヤの混じった感情が出てくる。
「……その先輩卒業してもあたしが居るじゃん」
「……えっ」
「だから!! 好きなんだよ!!!!」
「いつも、嫌いだって……」
……っ!! まさかいつもの口癖のせいで信用してもらえないとは…………。
「そっ……それは……!! 口癖で……」
徐々に声が小さくなる。いつも嫌い嫌い言ってたらそりゃあそう思うよな。
「ふっ……ふふ。三神さんの嫌いって……反対の意味だったんだね」
改めて奈々先輩に言われると恥ずかしい。というか自分でも全然気付かなかった。だいたい好きな物を嫌い嫌い言ってしまう口癖なんて自分で気にしない。だから仕方ない事だ……と思う。
「そ……それで返事は!?」
「うん……じゃあ、あなたの気持ちに答えられるようになったら返事を返すね」
なんだよ。それじゃあ……
「奈々先輩があたしの事しか考えられなくなるようにすればいいんだろ!! 覚えてろ!!」
あたしが奈々先輩に指を指して叫ぶと先輩はふっと笑った。その顔を見てあたしもつられて笑ってしまった。
奈々先輩の横顔を眺めながらこれからどうやって奈々先輩を落とすか考えていた。
そして奈々先輩がその卒業する先輩の事も考えられなくないくらいにあたしに夢中にさせないと。……人生嫌になったあたしを助けたのはアンタなんだからその責任取ってもらわないとな。