獣王戦闘 序
一拍置かれ、”王”………いや、獣と呼んだ方が良いのだろうか、まあいい。
それが下半身に力を籠める。
膝を折り曲げ、大腿筋に幾本も筋が浮き上がった。
「ウオオアアアアアアッハハハハハハ!!!!」
生み出される力は直線に進む強大な運動エネルギーとなって放出される。
床を蹴り壊し、俺たちを踏みつぶそうと疾走するが、俺と衛利は左右に分かれて回避した。
なに、見えない速度じゃない。ならば回避も可能というだけの話だ。
高笑いを上げながら突っ込んだ間抜けは、半開きだった鋼鉄の扉に激突し、それを無惨にひしゃげさせていた。流石大質量、威力だけは一人前だな。
まあ、本来の身体の大きさだったらそのまま扉を抜けていただろうが、図体が膨らんだからこその衝突か。おかげでその威力から質量―――体重を計測できた。相手の重さを把握するのは案外重要なのである。具体的な重量を上げれば、こいつは体重四百キロと言ったところか。
「ハハハ、避けるなよォ………つまらんだろうが」
「お前にストーキングされ、それに構ってやれるほど俺は暇じゃない」
「あは、言えてますね。暗殺者は忙しいんですから」
「この………小娘共が………!!!!」
さて、逃げるだけならいくらでもできるが、俺の目的はこれを殺すことだ。少々攻める姿勢を取るとしようか。右手のナイフを逆手に構え、身体を低くする。
それと同時に、醜悪な筋肉の塊と化した獣が腕を後方へ引き絞った。
「………成程」
「その顔を歪ませろ!!!不敬者どもがァァァァァァ!!!!」
腕の中に握りこまれているのはひしゃげた鋼鉄の破片、つまりは先ほど己の身体でひしゃげさせた鉄扉だ。
俺の行動を真似たのだろうが、無駄なことを。フォームも定まっていない乱雑な投擲では、目的の場所になど到達しない。
散弾のようにばらけさせたところで、その腕の筋力から生み出される力によって弾の多くは軌道を歪ませるのだ。弾丸があまりにも軽すぎるのである。
結果、腕から生み出された轟音の割に、俺に届いた破片はたったの三個。それを一筆書きするようにナイフを振って弾き飛ばすと、俺は間合いを詰めた。
「………ッッ!?!」
「小手調べと行こうか」
身体を捻り、首元にナイフを滑らせる。一閃するも、獣が腕をその前に置き、盾とした。
単純運動能力の上昇によって反応速度にも進化がみられるな。目を強化、というと想像がつきにくいかもしれないが、眼球を動かすのも筋肉だ、眼の内部にある上直筋や下斜筋にまで筋力強化の恩恵があるのであれば、眼を強化するといっても過言ではない。
眼の中の水晶体まではどうなっているかは知らないが、恐らくはその筋力強化によって眼球運動そのものの速度が上がっているのだろう。それが結果として動体視力の向上に一役買っているわけである。
実際の訓練による眼球情報の処理速度が上がっているわけではないため、強化の大半は反射的なものだろうが、それでも攻撃を防がれやすくなっている。
「筋繊維自体も頑強だな。投薬兵以上か」
「―――当たり前だろうがッ!!!あのような失敗作と同じに見るな、私は完成された肉体を持つ存在!!至高の薬学を操る天才だ!!!!あの糞ッ垂れなパライアスの将軍共とは違う!!」
パライアス王国の将軍か。俺は盾将軍としか面識がないため、この獣が何と張り合おうとしているのはは全くもって分からなかった。
こいつの筋肉を、あの鍛え抜かれた鋼よりも強固な盾将軍のそれと同列に見るのは流石に抵抗があるが。膨れ上がっただけのこれを盾将軍の筋肉と見間違えるのであれば、そいつは戦うものとしての才能が決定的に不足している。
あれは鍛え方の方向性が全く違う俺から見ても惚れ惚れする様なものだ。相当な鍛錬を積んだ結果でああり、力の使い方を学んだもののそれである。ただの筋肉ダルマではない。
「そんなナイフなど、通るわけが―――ッ!!!」
「通らないと思っているのであれば、あは………ちょっと暗殺者舐め過ぎでは?」
獣の背後から衛利の声が聞こえる。
………そう、背後だ。すぐ後ろに一瞬で移動していた衛利が、小刀を獣の首元へと迫らせていた。
「ク………ソッ!邪魔だ!!!!」
「おっと♪」
俺に向けているものとは反対側の腕を振り回し、衛利を蠅か蚊のように振り払おうとするも、何故か急に崩れたバランスに転倒する獣。
たたらを踏むその様子を笑いながら、たった一歩で遥か後方まで跳躍した衛利の視線の先に、ぼとりと肉の塊が落下した。
「頑強ではあるが、投薬兵よりも斬りやすいな。意識の差か」
「………あ、あ?!あああああああ痛い、痛いいいいいいい???!!!」
完全に理性を消してしまった方が、野生の勘で戦える。中途半端に思考能力が残っているからこそ、そんな様になるのだ。
如何に頑強な筋繊維を持とうが、力を入れなければ鋼のような肉体を維持できるわけがない。人間の身体というものは力を籠めるために、力を入れてないときは豆腐のように柔らかいものなのだ。
衛利が一瞬作った心理的な隙、それを見逃さずにナイフを振るえば、この通り―――簡単に腕を両断できる。
地面で跳ねる、それだけで俺や衛利の胴体程はあるだろう太さの左腕から血が噴き出し、地面を濡らしていった。
「糞、糞糞糞糞………クソォォォォォ!!!殺す、馬鹿にしやがって!!!」
「あら?」
「ほう?」
戦意を喪失するかと思ったが、そうでもないらしい。痛みによる心の弱りを、怒りで誤魔化したともいうが………それはさておき。
つい先ほど俺が斬り落とし、肩までしかなくなった随分短い腕、その断面がぶくりと泡立つようにして膨らんでいるのが見えた。
汚い一物を揺らしながら俺を睨みつける獣は、再び足に力を籠める。
「私を、オレを下に見るなァァァァァァァ!!!!!????」
―――衝撃音。
怒りによって肉体にさらに変化が生じたか、さらに身体能力が上がっているようだ。
膝のばねを使い、側方へ跳躍。さらに逆立ちの状態で着地し、折り曲げた腕の勢いよく伸ばす。一瞬で十メートルは移動した俺の、少し前までいた場所を巨大な図体が通り過ぎていった。
獣の通りすぎた後の空気が頬に当たり、髪を揺らす。衛利が口笛を吹いて獣の行進を笑っていた。やっている場合か、真面目に観測しろ阿呆。
………土煙があけた後、鬱陶しいことに身体を起こした獣の左腕には、失ったものよりもさらに巨大な腕が生えているのが確認できる。
「流石にそこまでの再生能力は想定外だ」
「変容薬には再生作用ありますけど、それもここまではあり得ませんからねぇ。んー、なにか変なもの入ってませんか、あれ?」
「それには同感だな。どうせロクでもないものだろうが」
なにせ、あれは再生というよりも成長に近いものがある。
完全に元の肉体を再生しているのではなく、直近にある細胞を増殖させて同じ器官を作り出している、という感覚か。それ故に再生後のものが肥大するのだろう。
だが、再生の時間間隔的に考えれば首を一閃すれば再生が間に合わずに死ぬだろう。この世に不死身も不老不死も存在などしないのだ、首を断てば命を絶てることは一律の絶対事実である。
俺のやることは変わらない。
「アッッハハハアァァァァ!!!!殺して犯して、そして殺してやるぞ小娘!!!」
「そうか。せめて少しはほかの、頭の良さそうな言葉を話してくれ」
いよいよ完全に頭の螺子がボロボロと零れ始めた獣に向かって駆けだした。
なに、大した敵ではない。さっさと殺すとしようか。