王薬変容
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出迎えるのは鋼鉄の扉。
手を放し、天井から落下すると猫のようにしなやかに着地する。当然落下音など発生させるものか。
どうやらこの大扉には鍵がかかっているらしい。まあ、逃げているのだから時間稼ぎとしては当然だが、さて。
俺たちは鍵を持っていない、どう侵入したものか。
「………む。これは、そもそも鍵穴自体がないな」
「向こう側に閂があるんでしょうね」
「随分と原始的なことだ」
僅かな大扉の隙間を覗き、衛利の言葉が正しいことを確認した。扉の下の方、俺の頭の位置にほど近い場所に木製の板がかけられているのが見えた。
閂が鉄製ではないのは単純に重すぎて持てないからだろう。大扉を封じるための閂ともなれば、それなりの横幅が必要になるが、傍から見ても鍛えているようには見えない”王”の筋力では自分の腰以上にあげることは出来ない。結果、同じ大きさでも軽い質量の木製板になったわけだ。
「木製ならばどうとでもなるな」
「あらま。どうするんです?」
「斬る。この鍵と同じくらいに単純だろう」
そういいながら俺は髪の中に手を突っ込んだ。
取り出したのは先程護衛の女を仕留めたナイフだ。それを解体すると、複数の部品とそして、糸に分かれる。
糸の長さは意外にも長い。これは、引っ張った力で刃を構築する際、力に負けて刃になる前にばらばらになってしまわないよう連結部分に巻き付けていたためだ。
複数の部品それぞれを何周もさせれば、元は長さのある糸でも短くなってしまう。
だが、こうして解体すれば本来の鋼糸としての役割を果たすことが出来る。
残った部品を仕舞い込むと、糸の先端を腕に巻き付け、先を大扉の先に通す。そして、鞭の要領を用い、超高速でしならせた。
鞭で威力を出すには質量が必要だ。だが、それはあくまでも速度を生み出すためのものでしかなく、腕の身で十分な速度を生み出せるのであれば、糸はこうして単体でも強力な武器となり得るのである。
しなりと捻り。扉の隙間で振るったために、寸分の狂いもない動きが要求されるがそんなものは大したことではない。暗殺者であれば容易にできる程度の物である。
―――尤も、本来の鋼糸の使い方はこうして鞭のように使うのではなく、設置型の即死罠であったり、建造物や人間に引っ掛け、斬り削って殺すというものなのだがな。
罠にも直接的な武器にもなり、移動にも細工にも使えるこの万能道具を俺は結構好んでいる。いや、余計な話か。
「斬れた。さて、行くか」
「あは、簡単にやりますねぇ♪………私にもできますかね?」
「知らん」
お前のやる気次第だ、阿呆。
真ん中を両断され、閂は鍵としての機能を失った。大扉を蹴り開け、ナイフを抜いて俺たちは部屋へと入る。
内部は随分と悪趣味な部屋だった………いや、悪趣味というよりは品のない部屋、か。
乱雑に散らばった書物は途中で読むのを辞めたものがある。哲学書や心理研究書の類いが特に放置気味だ。無駄に金属や宝石で飾られた棚には何の役に立つのかもわからない壺や偽物も交じっている宝石類、華美なだけの刀剣類が安置され、それらを超えた奥に大理石製の大きな机が置かれていた。
は、これはこれは―――あの豚の屋敷と同じ、いや自己の誇示具合であればそれ以上の成金趣味丸出しの部屋ではないか。
あの豚の場合、半分は性欲で構成されていたため、どっちもどっちだが。
「………あれ?この部屋、誰に見せるわけでもないんですよね、多分。じゃあ何のためにこんなに飾っているんでしょう」
「俺に訊くな。あれに訊け」
地面に転がる黄金製の壺を蹴って放りながら、部屋の中を進む。
”王”は、机の前で何かを持ってじっと立っていた。
ふむ。硝子の小瓶、中に入っているのは血液にさらに黒さを足したような色合いの液体だった。投薬兵を作り出すための薬剤か?
いや、この部屋にあの無駄に巨大な設備もなければ、材料になる人間も見当たらない。この推測は外れだろう。
「ク、クク………暗殺者がそんな堂々と入ってきていいのですか」
「ああ。問題ない。どうせ殺すことに変わりはない」
「相変わらず、澄ました顔をしていますねぇ、小娘―――その表情を歪ませるのが、楽しみです………!!!」
なるほど、なにか切り札があるらしいな。というよりその手に握っているものが切り札なのだろう。
どうやらそれに絶対の自信を持っているようだが、わざわざ使わせると思うのだろうか。
フリーになっている左手に、先程解体したナイフの部品、刃部分を忍ばせる。
”王”がこちらにゆっくりと振り返る。………そこだ。
右足を一歩、深く踏み出して、ナイフの刃をアンダースローで投擲する。まだ学習中の合気術ではあるが、一般人相手ならば十分すぎる速度は生み出せる。
投げられた刃は寸分違わずに硝子の小瓶を狙い、しかし”王”の腕によって防がれた。
………ふむ?こいつならば動きに気が付いても意気地の無さから反応できずに小瓶が割れると思っていたが、腕で防ぐとは。
死中において少しは信念に覚醒したということかと思ったが、そうでもなさそうだ。
「グ、ググググ………き、貴様ァァァッァ!!!!」
脂汗を垂らし、右腕に刺さった刃を引き抜いている様は覚悟を決めた戦士にも兵士にも見えなかった。
「殺す、殺してやるぞ………見ていろ、我が最高の研究成果を!!!この薬を以て、貴様らを殺し、凌辱してやる!!!死した後も辱めてやる!!!!」
「はぁ~………あ、終わりました?」
「今から始まるようだぞ」
「あれ、殺し損ねたんですか?」
「………どうやらあの研究成果とやらが随分と大事らしい。珍しく己の身を盾にして守った」
「あら、そうなんですね」
呑気な声で俺に問いかけを発する衛利に、俺も適当に現状を伝える。
”王”は既に物陰に隠れて、咳き込みながら震える手で液体を口に流し込んでいた。飛び込んでもいいが、少々嫌な予感がするため臨戦態勢のままこの場で待機した。
そんな俺たちを見て、”王”が哄笑を浮かべた。
「―――ッハ、ハハハハ!!!!これで終わりだ、お前たちは終わりだッ………ぁ、ぁッッッあああああ?!?!??!!」
そして直後、胸を押さえて苦しみ始める。これは、まさか。
「ふむ、自滅か?」
「そうでもなさそうですよ。お祖母ちゃんと敵対している魔女の部下が使う、変容薬に似た現象が起こっていますね」
「………変容薬?なんだそれは」
「ええっとですね~、一応機密事項なんですけど、まあハシンならいつか戦うでしょうし教えてあげます。簡単に言うとですね、狼人間とかになるための薬なんですよ」
「亜人種になって戦闘能力を底上げする秘薬というわけか?」
「はい、その認識であっています」
そんな薬まであるのか。そういえばスラム街でアッタカッラと俺が名付けた男は、丸薬を飲んで身体能力を強化していた。それがあの薬の元となった、いわば試験薬のような物だったのであれば、完成品である薬は相当の強化能力が得られるだろう。
「投薬兵の製作に凝っていたようですし―――まあ、そういうことでしょうね~」
「研究成果とも言っていたしな」
だが、肝心なことを忘れていないか、お前。
―――どんなに身体能力を手に入れても、それは己の努力に拠らない後天的なもの。それを使いこなすことは、研究者気質である貴様には不可能だ。
冷たい瞳で”王”を眺める。ブツリと筋繊維が弾け、そして再生する音を響かせながら、その肉体はどんどん変容を続けていた。
身長は三メートルを超し、痩躯は鎧のような分厚い筋肉へと。
足や手の爪は獣のように鋭くなり、歯も一度すべて抜け落ちて、犬歯のような鋭い牙が新しく生え揃う。
纏っていた服を引きちぎってようやく変容を終えた”王”は、身体と同じように膨れ上がった一物を垂らしながら、黄色く濁った瞳で嗤う。
「これだ、これで私は何でもできる………ハハハハ!!!!!!!」
声帯にも変化があったのだろう、低くくぐもった声はとても聞き取りにくかったが、それよりも気になることがある。
「まずはお前たちの手足を引きちぎり、犯してやろう………腹を潰し、首をはね、反逆者の末路として晒してやろう………ハハハ、恐れろ、私を恐れ、敬え!!!!!!」
「ふむ。理性が溶けてるな。やはり失敗作だ」
―――そう。投薬兵並みに身体が強化された”王”だったが、しかし。
その思考能力は、大分残念なことになっているようであった。
少し頭の回る獣。結局それだけでしかない。静かにナイフを構えると、冷たく言い放つ。
「どうでもいい。さっさとかかって来たらどうだ、間抜け」