薬兵瞬殺
足に力を入れ、ナイフを取り出す。
先も言った通りこのナイフは刺突には向かないものだが、そもそも投薬兵の分厚く変形した皮膚の鎧に対しては、俺の筋力と現在の技術力だとそもそも刃が通らない。
また、刺突向きの武具と斬撃用の武具は刃の形状にも差があるため、最初からこれで突くつもりはないのだ。そもそも、その必要もない。
投薬兵が獣のように地面に四つん這いになる。太い欠陥が浮き上がり、肉体に力が蓄えられているのが見て取れた。
「では先に仕留めますね。終わったら手伝いに行きます」
「不要だ」
隣の衛利が小刀を引き抜き、右側方へと全力で跳んだ。
………それと同時に投薬兵も加速を始める。頑丈な地面に狭い室内という状況から、理性が融け落ち野生のみとなった投薬兵の思考は走りによるゆっくりとした加速よりも四足を利用した跳躍による瞬間的な移動を選択したらしい。
態勢も何もない巨躯による突撃は面攻撃へとなり俺を押し潰そうと迫る。
「さて。あれを早く追いかけねばな」
投薬兵の跳躍のタイミングに合わせ、俺も足にためた力を解放する。
跳躍、しかし俺の方向は上方だ。
涎を垂らし、唸り声をあげる投薬兵の頭上へと一息に飛び上がると、身体を回転させその勢いそのままに投薬兵の左腕の関節に向かってナイフを斬りつけた。
短い俺の獲物はしかし、分厚い皮膚を難なく切り裂くと、瞬間血が噴き出た。
一度、濃密に長時間戦闘を経験し、皮膚の感触は覚えた。どこが脆いのか、どのような力の向き、入れ方で裂くべきなのかを理解すれば大抵のものは切り刻める。
料理の材料でも同じだが、調理するために斬ったことがあるものとないものでは効率や切断面の綺麗さに差が生じるだろう。それと同じことだ。
空中で身を起こし、二足で地面を踏みつける。
それとは対照的に無駄にうるさい音を響かせつつ、俺のいた場所に倒れこむ様に着地した投薬兵が身体を起こし、腕を上げようとしたところで自身の左腕が半分ほど断ち切られ、捥げかかっているのを認識したようだ。
「………ハーサのやつは瞬時に切り刻んでいたな。あれはどうやっているんだ」
今持ちうる技術を使用した最高の切断だったとは思うが、それでもこの分厚い皮膚を細切れにはできない。
俺よりも筋力のあるハーサだが、それだけではあるまい。まだ教わっていないことの中に答えはあるだろうか。
「よいしょッと!」
「AAAAァァァァァッッ―――ッ??????!!!」
「あちらもあちらで盛り上がっているが」
衛利の方を眺めれば、なるほど。なかなかのワンサイドゲームだな。
根本的に投薬兵の機動力が衛利に全く追い付いていない。確かに膨大な筋力から生じる力は圧倒的な投薬兵だが、それも特定方向への移動だけにしか使用できず、人体構造を行かした身軽な衛利の立ち回りを相手にすれば一度も手を触れることが出来ずに、一方的に切り刻まれていた。
ある程度は再生能力がある投薬兵も全身血塗れになるほどに身体を斬られてしまえば、再生も速度が停滞し、動きも鈍る。
防具として鎧を付けてはいるものの、俺が狙った関節や指先、膝裏などは当然構造的に装着不可能だ。
動きの速度で勝ってさえいれば、その部分をピンポイントで狙い撃つことも可能である。
「―――ッッッGYAAAAAAAAAアアアアァァァァァ!!!!」
「と。よそ見が過ぎたか………まあ、結果は変わらないが」
俺の方は一撃与えただけであるため、再生能力もそれなりに残っているらしい。
ぶら下がっていた左腕は徐々に修復されていて、振り回す程度であれば問題ないようだ。指の先などは動かないようだが、あの質量を振り回せば十分凶器になる―――初めて戦う相手が敵であるのであれば、な。
顔合わせで一度、キャラバンサライで二度、ここで三度目の戦闘となれば既に投薬兵の行動パターンや思考の仕方などは覚えてしまえるものだ。
なまじ理性を消し去っているからこそ、投薬兵の動きは単調でどの個体も似た様なことしかしない。
腕を振り回すだと、愚かな。そんなもの、今腕を切り裂いた俺からしてみれば弱点をこちらに向けているようなものだというのに。
相手の腕の動作に合わせて、最も速度が付くタイミングで交差するように地面を滑り、手首のスナップを聞かせてナイフを振るう。
刃物は決して、力だけでは斬れない。動作と力を合わせ、剣術へと昇華する。
………黒塗りにされたナイフが煌き、投薬兵の左腕が宙を舞う。
切断面から勢いよく噴き出る血しぶきを躱し、腕をだらりと垂れ流した。
「………ッ!!」
跳躍。投薬兵の首元へ一瞬で到達すると、垂れた腕に力を籠めて水のように滑らかにナイフを動かした。
ガリィッと異物を裂くような音が響くと、ゴトリ………。
投薬兵の首が落下した。
「お、ハシン。やりますね~」
「そっちはどうだ」
「ええ、もう。………んー、あは。私もそれで終わらせましょう」
衛利が相手をしていた投薬兵はもう動けない程に疲弊しているようであった。
鎧に覆われていない箇所は軒並斬り傷だらけになっており、鎧自体も罅割れている箇所がいくつか見受けられる。
拳の痕があるため、恐らく殴りで壊したな。どんな腕をしているのやら。
………まあ、あれもハーサと同じで筋力だけではないのだろう。直接見てはいないので何とも言えないが。
息を吸って飛び上がった衛利が棒立ちの投薬兵の首に小刀を振る。当然の結果のように刃は首へと斜めに入り込み、ずるりと滑るようにして頭が落とされた。
「わざわざ殺し方をそろえる必要があったのか。そもそも放っておけば死んだだろう」
「いいじゃないですか、一緒でも。その方が何となくいい感じです。ハシンもそう思うでしょう?」
「知るか。俺にはよく分からない次元の話だ」
二人で得物の血を払い仕舞うと、投薬兵の死体はそのままに通路を先へと進む。
衛利の、というよりは女子の思考は理解が難しいな。
***
………息が切れる。
あの暗殺者の小娘がこんなところまで追いかけてくるとは。
いや。否だ、否。私はもしもの場合を考えあれらがここを攻めることを想定していた!だからこそ信用に値しない他人を護衛としてわざわざ雇っていたのだから!
そのために無用な人間をこの地下道へと招き入れ、不要な設備や部屋を作るために貴重な、残り少ない万物融解剤を消費した。
「ローズ!ローズッ!!!??起きろ、お前なら聞こえているだろう!」
大声を張り上げ、私の護衛である鞭使いの女の名を呼ぶ。
明らかな偽名であり経歴不詳だが戦闘能力だけは高かった。五感も鋭く、かなり離れていても名を呼べば反応を見せ、すぐに姿を現した。
………にもかかわらず、何度呼んでもローズは返事をしない。
「糞、こんな時に遊んでいるのか?!」
―――名を呼んでも反応しない時が数回ある。連れてきた女どもと遊んでいる時だ。
一度でもあいつは自身の欲望に身を染めると暫くの間は外の声を一切認識しない。脅威が迫れば流石に反応するのだが、私の声では動かなくなる。
「遊んでいるのなら、程々に………ほど、ほどに………」
いや。いやいやいやいや。本当に遊んでいるだけなのか?
もしや、既に殺されているのでは?投薬兵に並ぶ私の戦力が簡単に敗れ去るとは思えないが、それでも………そう、それでも。
私は最善の行動をしなければ。死んでいるものとして次善の策を打たなければ。
私にはそれが出来る―――あの男の残したものを利用して、あの男を超える天才であるということを知らしめるのだ。
私には、私の組織にはもう価値がなくなったといって捨てていった………否!捨てるすら生温い、唯々忘れ去っていったあの男の評価を、履がえせさせるのだ!!
「そ、そのための薬品は既に編み出しました………国家を作る基盤も、金を集める方法も揃えた………私は既にあれを超えているのだ………」
冷や汗が垂れる。身体も震えていた。これは武者震いだ、あの男をこの手で殺し、才能を認めさせることに期待が膨らんでいるからこそ発生する震えなのだ。
―――背後で大きな音が鳴り、一瞬背が震えた。
「糞がッ!!待機状態の投薬兵を起動状態にしなければ………いや、落ち着け。落ち着けよ………私はこの国の王、王が慌ててはいけない………!」
そうだ。そもそも慌てるようなことは何もない―――あの場所へ、あの場所にさえ辿りつければ暗殺者を名乗る小娘などいくらでも叩き潰せる。
投薬兵はもう使い潰せば良い。時間さえ稼げれば、投薬兵を超える私の研究成果を以ってあの生意気な逆賊を返り討ちにしてやるッ!!!
「手足を捥ぎ、内臓を破裂させ、殺してと懇願するほどに犯してやる………楽しみだ、いや………楽しみですねぇ!!!」
口調を整え、息も整えて走る。もう背後から音は聞こえなくなっていた。