戦闘基礎
「なんだこの服は……」
いつの間にか用意されていた服を着ると、たいして豚の服と変わらないほど露出の高い物だということがわかった。
奴隷印と局部と、そして急所だけを隠し、手や足、腹などはほとんど丸出し状態。
……いや、しかし――――やけに動きやすい。
そうか、服のつなぎ目なども少ないから、軽くて可動範囲を大きくとれるのか。
そのため、抜群の動きやすさを誇る。
付属品として、ハーサがつけていたようなマントもあるようだ。
調べてみると、首回りが長く、そして覆えるようになっていて、マスクの代わりになるようである。
フードもあるし、顔を隠すなら非常に便利だろう。
また、これも軽く、マントの癖に動きを阻害しない。
「……材質は……革か?」
軽いが、革に似た素材。
ただし、網目があるな。
さすがに革を糸みたいに編んでいるというわけでもないようだが……まあ、ハーサに聞いてみればいいだろう。
「マントは今付ける必要はないな」
軽くたたんでコンパクトにし、持っていくことにした。
***
「いよ、水浴び終わったかい?」
「見ればわかるだろう」
水浴び場から屋敷、ハーサの待つ大部屋に戻ってきたが、こいつはその中心で寝っ転がりながらダラダラしていた。
まあ、ダラダラと油断は別みたいだが。
何かあれば瞬時に戦闘態勢に入れるような、そんな気の抜き方だ。
意識しているつもりはないみたいだし、向こうの方で夕飯を作っているミリィも同じような雰囲気を持っているから、暗殺者の癖なのかもしれないな。
「ほれ」
「ん」
そんな、だらけているハーサから投げられたのは…………ナイフか?
ひんやりと冷たい感触――だが、金属という感じはない。
うっすらとした青色で、刃の先の方はほぼ透明。
おそらくは、石製か。
「そのナイフ、私が作ったんだよ」
「暗殺者は武器制作までするのか」
「ナイフまで作るのはハーサだけですよ。暗器や毒位なら自分で作りますが」
そこまで意味不明な職業ではなかったようだ。
「そういう、武器制作を専門に行う暗殺者がいるんだよ」
「武器商人のような感じか」
「良く知ってんねぇ。ま、そんな感じ。ほかには、仕事を斡旋する暗殺者なんてのもいるし、まあいろいろいるさね」
「ハローワークか、そいつは」
とはいえ、そういう管理職がいなければ、身内の暗殺者どうしが殺し合いを始めてしまうのかもしれない。
ならば、その役割を持つものが生まれるのも必然か。
「で。このナイフはどうすればいいんだ。まさか、こんなもので人を殺せなんて言わないよな」
石製のナイフ―――それは、非常にもろいものだ。
そもそもの話、石器なんてものは重量と分厚さが武器。
かつて存在した新石器時代の、磨製石器だって矢じりなどに使用されたものは非常に硬度の高い、黒曜石が主流。
ただの石のナイフ、しかも青色のところから宝石系が素材では、人を切った時に、骨に触れただけで割れることは間違いない。
「それで殺せたらもう一人前さね。それは、切り方を教えるための練習ナイフだよ。……よっと」
うつぶせに転がったまま、片手だけで倒立し、立ち上がるという無駄にアクロバティックな動作で起き上がったハーサ。
その手には、俺と同じナイフを持っていた。
――――まて、こいつは、そのナイフをいつ抜いた?
「暗殺者にとって、武器を持つということは体の一部。もちろんナイフを取り出すのだって呼吸をするように行うものさね。音もたてずに、一呼吸より短く――――これが、基本」
「………人間離れもほどほどにしろ」
同じ人間なのかすら怪しくなってきた。
ペン回しのように、ナイフをくるくると回しながら、ハーサは何でもないことのように言う。
「お前は、万能の暗殺者になる。それは、私が断言する――――が、最も得意なのは、色仕掛けだ♪」
「――――フッ!!」
「おっと。武器は不用意に投げるなよ、回収がめんどくさい」
こいつ。
俺はハニートラップ嫌いって知ってるのに言いやがったな?
煽っているのか、本気で言っているのかはわからないが――――いやおそらく本気か。
ああ、確かに俺は演技には自信がある。
場合によっては、俺自身すらだまして見せよう。
―――しかしだ。
男をだまして、性行為にもつれこませて殺すなど……吐き気がする。
この場合、手段が同行というわけではない。
男である俺が、男に媚を売るということがいやなのだ。
「あともう一つあるぞ。隠密殺だ」
「そっちを教えろ!」
「だめさね。全部だ――――お前には、私のすべてを教える」
「……ッ!?」
期待に満ちた、冷たい視線。
暗殺者の、瞳……。
……ふぅ、そうだな。
死ぬよりは、奴隷としてまた貴族に捕まるよりは、ましか。
「訓練はすべて、任せる。どうとでもしろ」
「物分かりがよくて結構結構。じゃあ、これもって……私の攻撃を受け止めてみな」
投げ渡された青色のナイフ。
それを受け取った瞬間、ハーサが真正面から飛び込んできた。
「―――――――――!!」
瞬間、セカイが冷える。
一瞬で高まった緊張感故に鼓動を早める心臓すら、意識の彼方へ飛び。
どうするか、どう戦うか……それだけを考える、機械へと変容する。
「……ほお?」
速度から考えて、前後に移動するのは悪手だ。
後退すれば追いつかれ斬られるし、前に行けばこちらが攻める前に切り払われる。
しかし、左右も悪手。
ハーサの関節は自由自在。
たとえ後ろに回り込んでも、真に真後ろといえる場所でなければ、刺される―――ならば。
「喰らえ…!」
地面すれすれまで体を小さくした俺は、首元狙って一直線にナイフを突き上げた。
「体捌きはいいが、ナイフの扱いはまだまだだねぇ」
ギギギ……そんな不協和音とともに、ナイフを持つ右手に強い振動が走った。
握力が足りず、思わず手から離れそうになるナイフを必死につなぎ留めておくが……。
「馬鹿な……」
いきなり軽くなったかと思うと、俺のナイフの先端が、床に落下した。
………ナイフを、斬ったのか。
「まあ、隠密殺なら首狙いもいいかもしれないが、今回のような戦闘でのナイフの扱いは、全然違う」
今更のように体から汗が吹き出し、動けなくなった俺に、ハーサのナイフの峰があてられる。
「まず、ナイフは力で振るものじゃない。流れで振るものだ。直前までの動きをすべて無視したお前の先ほどの一撃じゃあ、遅すぎて蠅が止まるねぇ」
鋭い痛みが走ったのは三か所。
一瞬のうちに、三か所に擦傷ができていた。
峰を使って、恐るべき速さで擦ったのだ。
その手の動きを、俺は捕えられなかった。
「そして、戦闘においてナイフは数。一撃の致命傷ではなく、数百の掠り傷によって敵を削り殺すのさね」
刃の先は、俺の足を指し示す。
「まず足を狙え――――移動力を奪え。腕を狙え――――武器を持たせるな。腹を狙え――――痛みを与え、注意力を殺せ。目を狙え――――視界を壊せ」
純繰りに、手、胴体、頭を指していくハーサ。
戦闘において、もっとも狙うべきところをやさしく教えているのだ。
……そう、優しくだ。
ハーサにとって俺は、まだまだ優しくできるほどに弱いということだ。
「ま、このナイフをヒビ一つ入れさせることなく石を両断できたなら、ナイフ捌きは合格さね。戦闘技術は―――ま、お前なら一度だけで覚えるだろう」
ぽいっと新しいナイフを俺によこすと、小部屋へと向かっていった。
「飯だ飯!ミリィ、今日の御飯なんだ?」
「干し肉しかありませんよ。市場に行かないといけませんね……」
「また今度行きゃあいいさね。ハシン、何してんだ、飯だぞ」
「……ああ、今行く」
暗殺者にとって、殺し合いは常にそばにあるもの。
だから、石とはいえ本物のナイフを使用した修行の後に、平然と飯を食うことができる。
……それにたいして忌避間を覚えないあたり、俺も毒されているのかもしれない。いや、そもそも、こういう本質があったのか……まあ、それはわからないが。
「まあ、今の時点で、わるいことはない、か」
ついでに渡された鞘にナイフを仕舞い、腰に括り付けると小部屋に向かった。
燻製の肉のいい匂いが、漂っていた。
***
石ころを真上に投げる。
徐々にに勢いを失い、重力に負けて落下してくる其れ。
その石がちょうど俺の真正面に位置した瞬間に、だらんと下げた腕に持つナイフで真横に一閃した。
完全な脱力から、一瞬のうちに斬れる態勢をとり、振りぬく。
――――パキリ。
石は真っ二つに割れ、そして俺のナイフも、大きな亀裂が走った。
「24本目。前より悪くなったな」
右手のナイフを見下ろしながらひとりごちる。
23本目は、小さくひび割れて刃の先が欠けるだけだった。
まだまだコツをつかみ切れていないな。
それにしても、頭が痛いな……慣れない環境のせいか、それともハーサが何かしているのか。
勘だが、後者だな。
「おいハーサ。割れた、新しいのをくれ」
「ほれ」
刃がこちらを向いたままに、一直線に飛んでくるという地味な離れ業で、ナイフを投擲しつつ渡すハーサ。
投擲ナイフと打ち合うためのナイフは形状が違うため、普通なら一切ぶれずに投げる、なんてことは難しいのだが。
よくもまあそんな簡単にやるものだ。
屋敷の武器を見ても分かる通り、暗殺者は様々な武器を操る。
暗器使い、何て言われることもあるように、一見武器に思えないものも武器として使用する。
日本の忍者、あれらも苦無などを使用しているが、単純な武器種類だけで言えば暗殺者ほうが膨大だろう。
向こうは忍術とかいうものもあったらしいから、一概には言えないが。
そもそも忍者にあったことなどないから、知らない。
「なあ。忍者って知ってるか?」
飛んできたナイフの柄を掴みながら、聞いてみることにした。
実はいるのかもしれないし、情報収集だ。
「忍者……?透波共のことか?」
「す……ああ、まあそれだ」
聞き覚えのないことに、一瞬戸惑った。
たしか、忍者のことは乱波や透波と呼んだこともあったらしいな。
「あいつら面白れぇよな!私らと同じような暗殺職の癖に、戦争に堂々参加するんだぜ?しかも、忍術とかいう魔術みたいなもんも使うしな」
「忍者もいるのか……やはりここは異世界か」
忍者―――透波は、日本だけにしかいなかった。
間諜文化そのものはどの国、時代にも存在していたが、透波という忍術などを駆使し、徒党を組んだものは日本にしかいないものだ。
その日本にしかいないはずのものが、全く違う文化圏にいるということは、確実に俺が知っている地球ではないのだろう。
タイムスリップなどの、時代が変わっただけという線は消えたな。
「強いのか?」
「相手によるかねぇ。まあ、喰う対象が違うから、鉢合わせはめっぽう少ないさね」
透波は戦場において活躍する。
暗殺者は、平時において活躍する。
場所が違うために、実際に戦うことはまれらしい。
「あいつらは速いんだ。殺しの技量なら、暗殺者の方が上だが、とにかく逃げる逃げる。そもそも暗殺に持ち込ませてくれないんだよ。単純な正面戦闘能力なら向こうの方が強いしな」
「忍術か」
暗殺と戦闘は別物だという。
どれだけ手早く、静かに殺せてもそれは暗殺の領分。
手合わせにおいては、役に立たない。
……まあ、俺の師匠は戦闘までこなせるようだが。
それは大変結構だが、その無茶ぶりを押し付けられるこちらの身にもなってほしい。
「そうさねぇ、あいつらの長たちと正面からやり合えるのは、私か……バルドーの馬鹿だけか」
「バルドー?」
「戦闘特化の暗殺者。”長老たち”の一人さ」
「彼女は、暗殺者なのに正面戦闘が滅法得意なのですよ」
話ながら素振りをしていた俺の前に、ミリィがお茶を持ってきた。
冷たいお茶が入ったその半透明のグラスは、ひんやりとした汗をかいている。
「ガラス製?貴重じゃないのか」
「まさか。玻璃なんぞ植物の中にぶち込んどけば量産できるさね」
「ハーサ、ハシンはまだ知らないのですよ?」
「……あー、そっか」
玻璃とはガラスの古い呼び名だ。
俺も暗器として使っているガラスだが、本来なら膨大な熱量をかけて製造するはずなのだが。
「そこの壁にかけてある植物、あれが肝なんですよ」
縦に長い壺のような形で、下に行けば行くほど膨らんでいる植物。
色は真っ赤であり、小さく発光していた
「靭葛か?」
「はい。灯葛。昼間のみ、その内部に高い熱を発生させる植物です」
「そんなかに硝子ぶち込んで、型に流し込めばいくらで量産できるのさ」
……どうやら、このセカイは不思議な植物が多いらしい。
まだまだ、俺の知らない情報が大量にありそうだな。
「というか、それ暑くないのか?」
「全くですね。触れますよ、ほら」
「………なんという断熱性だ」
ふむ…いろいろ使えそうだな。
それはともかく、豚の屋敷に大量にあった窓ガラス。
あれは貴族だからあんな大量にあったわけではなく、単純にガラスが安価に製造できるからあっただけなのだろう。
まあ。
ガラスはいろいろと使える……簡単に製造できるのは、いいことだ。
素振りをやめて、地面にあるちょうどいい大きさの石を掴む。
拾った石を放り投げ、また真横に一閃する。
「……二十五本目。また失敗だ」
刃の欠けたナイフを、しまうと、ミリィからお茶を受け取って飲んだ。