王拠侵入
「ほう、今日もまた多いものですね」
「―――あら~、可愛いのもいるじゃない。ちょっと薬で頭が馬鹿になってるのが残念だけど」
その言葉はどうやら俺たちのことを言っているらしい。煩いものだ、好きでやっているわけでは無い。
だが視線がこちらを向いているというのはいい事だ。そのためにわざわざこのようなことをしているのだからな。
あまり意思を伴わない瞳にしたまま、ぼんやりとという言葉がこの上なく似合うように声の方向に顔の向きを変える。
まず視線の中に入ったのは女の姿だった。
「………ぁ、ぁ?」
周りに習い唸り声を上げつつ、その女の姿を確認する。
長身に豊満な胸が印象的、その上に黒色の薄い皮の鎧を張り付けているな。とはいえどちらかといえばあれはボンテージ服に近いだろうか。あまり斬り合う時に役に立つタイプでの鎧ではないが、それも納得は出来る。
腰に提げている獲物は鞭であった。中国の伝統武器である硬鞭とは違い、皮や木を使った常人が普通に想像するそれである。
鞭か。確かに刃こそはないが、かといってあれに殺傷能力がないわけでは無い。鞭の先端は熟練した人間が使えば音速など容易に超えるのだ。
そんな速度で振るわれたものを生身に受ければ肉など簡単に削げ落ちる。それを繰り返せば刃物で斬られたのよそう違いはなくなるわけだ。リーチがある分距離も取れるしな。
「決めたわ。他にいい子もいないし、今回はこの二人を貰うわね」
「………ほどほどにしなさい。女は投薬兵に出来ないのですから。囲うだけ資源の無駄です」
「少しくらいいいじゃない、飽きるまでは自由に使ったって。それにほら、最悪肉に出来るわよ」
「食用の人間の実験はまだ途中ですが、最初からその目的で繁殖させないと肉にするには危険だと教えたでしょう」
は、食用の人間ときたか。
これはまた随分と外道なことを考えたものだ。ちなみに通常の人間を人間が喰うと脳が縮み、完治不可能な致命的な病を発症する。俺の世界ではクールー病やクロイツフェルト・ヤコブ病などが有名だろう。
ふむ………それを知っているからこその繁殖、か。
「用心棒代金くらいちょうだいよ」
「金は支払っている筈です」
「それだけじゃ足りないの。私には可愛い女の子がいないと………このやり取り何回するつもりよ」
この前何かを話し合っていたのはこれと同じ内容だったようである。
用心棒か。金で雇われたものであるが、それと同時に個人の私利私欲も満たせるからこそ共にいるのであろう。結局は利害が一致したからという理由だけでしかないわけだが、それ故に懐柔は不可能そうだな。
個人の利もある以上、多く金を積めばこちら側に寝返るわけでは無い。つまるところ明確な障害物でしかないのだ。
「ま、なんにせよこの子たち連れていくから。ほら、立ちなさい」
「………ぅ………」
「これ欲しいんでしょう?」
濃い化粧の顔が近づく。元は整っているだろうに不必要な厚化粧によって魅力が減少しているのが理解できた。
その女の掌には阿片の粉末が入った紙が。
俺たちはそれに吸い寄せられるようにして顔を近づけ、そのままゆっくりと立つ。まるで犬に餌をやるような物だな。まあ、実際その通りなのだろうが。
「ふ、あはは………いい子ね、そうよ。そのままこっちに来なさい―――ああ、それとそこの男たちもこっち」
俺と衛利とは別に、比較的身体つきの良い男も呼ばれる。幾人かは既に完全に幻覚症状を引き起こしているようで用心棒の女に鞭で叩かれてようやく動くほどであった。
………投薬兵に必要なのは薬剤投与に耐えられる最低限の肉体と男性という条件のみ。それ以外であればもとより自我の薄い生体兵器だ、薬中でも病気持ちでも何の関係もない。
「私は先に戻ります。………ん?………いや、気のせいか」
「………」
王が一瞬こちらを振り向いたが―――何事もなく、戻っていく。
ああ、当然だ。俺たちはそのために変装をし、こうやって演技までしているのだから。お前に見破れるわけがない。所詮お前は暗殺者というものの本当の恐ろしさを知らないのだから。
「さぁ、いらっしゃい。憐れな肉豚共♪」
暗闇に包まれた石棺の道へと入る。
足を踏み入れた内部は万物融解剤で溶かされた後にさらに金属などで補強がなされており、強引な突破をするにはそれこそダイナマイトなどを使用しなければ出来そうにはなかった。
岩盤採掘用の火器を持ちださなければ破壊できない程にこのあたり一帯を頑丈に作り変えているとはな。やはり技術力は恐ろしいものだ。
「………行くぞ、衛利」
「ええ、ハシン」
口だけでやり取りをし、ようやく俺たちは王の本拠地、その最奥へと踏み込んだ。
***
よたよたと死人のような足取りで用心棒の女についていく。
金属補強は入り口だけか。まあ内部にまで張り巡らせる必要は確かにない。外の蓋だけで十分に頑強に作られているのだから。
男達とは途中で道が分かれてしまった。この地下道は蟻の巣とまではいかないが、それなりにいくつかの通路を用意しているらしいな。ちなみに俺たちが向かっているのは女の私室だ。
音の反響具合を見るといくつかの通路は合流している。道が分かれたことは特に問題にはならないだろう。
「ここよ、入りなさい」
とくに頷くといった動作を返さずに、案内された部屋に入る。
扉は頑強な鉄製で、内部には閂がある。外からはいられないように意識を置いているらしいが、それも部屋の中を見ればそうする理由もわかるというものだ。
………嗜虐的拷問器具、とでもいえばいいだろうか。痛みを与えるもの、死を与えるものどちらも問わず様々な拷問に使う道具が無造作に置かれていた。
中には血が付いているものもある。端にいくつも置いてある金属製の洋梨に似た姿のあれは苦悩の梨か。唾液の匂いがするので、つい先ほどまで使用していたのかもしれない。
奥にやせ細った少女の影も見えた。一切の服を着ておらず、小水を漏らしたままにされているということは、恐らく飽きられたのか。俺たちをここへ招き入れた時点で、そういう思考だとは推測していたが。
最早意味の通じない呻き声だけを上げている少女に軽く目をやると、俺たちはその場に座り込んだ。
「あら………真っ白で絹のような肌ね、髪もサラサラの白髪で………。ああ、とても、とっても―――」
衛利と二人、抱き合う形でいると、その背後から女が手を伸ばす。
背中の服を引き裂かれ、突き立てられた爪が深々と突き刺さり、背中から流血しているのを自覚した。
「ぅ………ぁ」
「とっても綺麗で、ムカつくわ!!」
残った片方の手で頬を掻く女。白粉が少し剥がれ、その下から罅割れた肌が現れた。
首から頬の中ほどに至るまで、病なのか怪我なのかは不明だが傷痕があるらしい―――成程、これがこの女が女に対し拷問を行う理由というわけか。
整った少女を壊したいという歪んだ欲望。当然表ではそんなものを叶えらえるわけがない。
故にこそ、王と利害が一致したのだ………どちらにせよ、くだらないことだがな。
さて。ではそんなことよりも重要な問題に目を向けよう。俺の背中には今、血液が流れている。そして、それは水で溶ける染料の上を流れ落ちて地面へと落下した。
「………あら?」
一瞬だけ、女の視線がその色の変わった肌に向いた。
―――用心棒の女の、頬を掻くのをやめ、首元に伸ばされた腕はよく見れば筋肉が程よくついており、武の技術は間違いなく備わっているのは分かる。正面から普通に戦えばそれなりに時間が掛かる相手だろう………が、残念なことにこうして油断しきって己の情欲に溺れている今の状態では、こんな簡単な不意打ちにすら気が付かないのだ。
俺はその視線がそれた隙をついて、自分の髪に手を伸ばして、中に紛れ込ませている小さな、髪の毛と同じ太さ程度の糸を手に取る。
そしてそれを勢いよく引っ張ると、カチカチと音がして同じように髪に隠してあった、糸に連なった刃が合体し、元の一本の刃物へと変貌した。
ここまでの秒数コンマ一秒程度―――急に目の前に現れた剃刀ほどの刃にも用心棒の女は反応を見せ、手が鞭に伸びかけたが、
「あ」
高速で薙いだ小さなナイフに喉をかき切られ、間抜な声を上げた。
「俺たち暗殺者が良く使う小さな投げナイフを独自に改良したものだ。糸を引くことで一本の武器へと元に戻る仕掛けになっている。強度の問題で斬り合うことは出来ないが、首を裂くだけなら簡単だ」
何が起こったのかよく理解していない様子の用心棒は、とりあえずこちらを睨みつけていた。だがすぐに出血量の多さから意識を失い、そのまま息絶える。
仕事に私情を持ち込み過ぎたな。お前の過去に何があったかは知らないが、そのせいでその技術も戦闘能力も一切発揮することのないままに死んだのだ。
「ハシン、こんな事のために化粧続けてたんですかー?」
「いや。これ自体は想定外だが、化粧を続けていればどこかで役には立つだろうと思っていた」
どちらにせよ変装自体は必須であったのだ、そのついでに役に立つ小細工を追加しただけのことでしかない。
………では、こうして内部へと入れたことだ、色々仕掛けを施しつつ、仕事をするとしようか。