教会道途
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「ようこそルーヴェルへ。巡礼の旅に祝福を」
「ええ、ありがとうございます。あなたの人生にも祝福が在らんことを」
城門の前の兵士に会釈をし、当たり前のようにメービスの都市へと侵入する。
戦争状態というわけでもなく、敵国の兵士というわけでもない。巡礼者の格好をしていれば一々止められることはないものだ。
衛利にはボロを出させないため何も話すなと言い含めてある。黙って立っているだけであれば絵になるからな。
さて、この格好はあくまでも侵入を容易にするためのものであり、内部へ入ったのであればわざわざこの服装のままでいる必要はないのだが、この都市の中ではこちらの方がなにかとやり易い。暫くはこのままでいいだろう。
次にやることは拠点の確保だ。
都市の外でもあれだけ治安が悪化していた以上、ここ短い期間の中で余程濃い毒が撒き散らされたのは間違いがない。ならばその除去には時間が掛かるのが常である。
………まあ、撒かれた毒にも辺りはついているがそれはさておき。
王を殺せば解決することに間違いはないが、殺すのには手間が掛かろう。
一朝一夕に行かないのであれば長期にわたって使用できる拠点が必要だ。武器や食料などの置き場も必要になるが、旅人なども訪れる宿屋ではあまりに目立つ。時と場合によってはその方が良い事もあるが、今回はその手は使わない。
「ハシ………アガタ。この格好はまだ続けます?」
「当たり前でしょう。まずは街で一番大きな教会に向かいますよ」
名前を間違えたことについて睨みつつ、俺たちは教会へ向かう振りをする。
いや、実際には向かってもいるのだが一番の目的は街の立地を知ることだ。どこに何があり、どこに人の目が向きやすくどこが人の感覚の洞穴となっているのか。拠点を作るには、そういったことを知らなければならない。
そして、そういうことを知るためにはやはり実地を歩くことが一番の手段になるのである。
「円形の城郭都市………真ん中に領主の屋敷ですか。大教会はこの入り口の真反対、と」
円形といってもイタリアのパルマノーヴァほど緻密に作られているわけでは無い。やや楕円を描いてはいるが、まあ街としては円形と言っていいだろう。
メービスはルーヴェルとは違い起伏に乏しいといえど、丘程度はある。高い壁の外からは見えなかったが、このメービスは街の中心が小高い丘になっており、そこに領主の屋敷があるわけだ。
屋敷、というよりは簡素な城だがな。どこかの豚が適当に作った豆腐な家に比べれば石を積まれ頑丈に作られたあの屋敷は間違いなく戦うためのものであると断言できるだろう。見習え、阿呆。まああいつはもう死んだだろうが。
教会が街の反対側にあるのは政治的な思惑を感じるな。
西洋世界においては公権力に匹敵する、或いは超越するものとして教会の権力があった。一時は教会から破門されることを国王すら恐れたというのだから相当だ。
このパライアス王国では国教に十字教を指定しているわけだが、そういっても権力者からしてみれば己の執政に口を出されることは邪魔であることに変わりはあるまい。
まさに目の上のたん瘤というやつである。教会の教えを必ず守っていれば権力者に都合のいい政治は行えない以上、できることならば権力から教会は遠ざけたいわけである。
それは、仮に街が教会の聖遺物によって生まれ、成り立っていたとしても変わらぬ話というもの。人間など都合のいい面だけを見て都合のいい解釈をする獣でしかないのだから。
「………スラム街でもあればいいのですが」
口腔の内だけでそう独り言を零す。
ああいう雑多な場所は紛れ込むにはちょうどいい。浮浪者の一人や二人が急に増えただけでは違和感もなく、そして凡その人間が上位層の権力者に対して反感を持っている。利用しやすい。
だが、そういったものはこの城郭都市では郊外よりもさらに外にあるらしい。しかもメービスに入るときに見かけなかったということは、スラム街の立地は門の反対側だろう。流石に毎度街を出て入りなおすのは目立つ。
「ほら、速く運べ運べ!!」
「おや?」
俺の頭の少し上の方で衛利の疑問の声が聞こえた。
それにつられて頭を上げてみれば、様々な木材や石材が街の外から運ばれているのが見えた。丸太のような腕をした男衆がせっせとそれらを街の中心方面へと運んでいる。
目を細めてそれを見る。いや、それだけではわからないか。足を動かし、男たちに自然に近寄った。
「もし、失礼。その様々な材料は………教会の補修でしょうか?最近大教会も積み重なった歴史の重さに腰を痛めていると聞いております」
「お?あ、ああーこれは違ぇよ………いや俺らも本当は教会の補修に使いたいんだけどな。先に領主の屋敷を増築しろってな。たんまり金を貰っちまえば従わねぇわけにもいかないしよぉ」
見ただけで巡礼者と分かる俺の姿を見て、少々言いにくそうに口を澱ませる運び手の男。
ちなみに大教会が痛んでいるというのは唯の推測でしかない。本当に経年劣化が進んでいるとは思わなかったが。
………ふむ、領主の屋敷の増築、か。
「見た感じですと随分と領主様のお屋敷は綺麗ですが」
「だから言ったろ、増築だ増築」
「………戦争でもなさるのですか?」
「さあな。でもここ最近じゃパライアスとリマーハリシアは休戦状態だ。国軍が動いているって話もちらっと聞いたが噂のまま無くなっちまったし、表立って戦争始める空気には見えねぇなあ」
「でしょうねぇ」
「マルガレア様、お静かに」
衛利を窘めつつ、確認したいことは出来たので男衆にお礼を言いその場を離れる。
やはり増築だ。改築でも補修でもなく、確実に増築と述べた。
確かに平時に軍備の備えをするのは間違いではない。戦時に城を作り直す阿呆は滅多にいないからな。
だが、遠目に見える領主の屋敷は間違いなく綺麗なものであり、ここ数年以内に修繕作業は終えているだろう。
設備を常に保つことは良い事ではあるが、税に余裕がない状態でやれば徒に民に負担をかけるのみ。このタイミングでの増築の開始は、間違いなくその負担にしかならないだろう。
そして戦争が近くに見えてもいない以上戦時という理由での増税もできない。………この時期に増築をする理由がないのだ。
少なくともこの街の領主には、な。
「殺す対象は屋敷の内側に潜んでいるわけですか。うーん、厄介ですねぇ」
「どうやって溶け込んだのか。いえ推測はつきますが、どちらにせよふざけたことをするものです」
領主にはなくとも領主を傀儡にすればいくらでもやりようはあろう。そして薬学に精通しているのであれば傀儡にする手段は無数にある。
そのやり方は人道を無視して生きる暗殺者からしても気に食わないがな。
さて、では拠点探索に戻るとしよう。ルーヴェルにあったようなセーフハウスがこの街にも在れば楽なのだが………いや、今回は俺が独断で行う依頼だ。ああいったものを使える理由はない。
それに、楽だからとああいったものを使い続けるのも危険だ。
「ふう。まずは大教会へ、それは変わりません。行きますよ、マルガレア様」
「はいはい、アガタ」
街の景色を構成する、パライアス王国ではよく見られる積み重ねた石造りの建物に冷徹な視線を向けつつ、俺たちは大教会へと移動する。
暗殺者へと戻るのはもう少し先だ。