都市郊外
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「メービス。ルーヴェルと同じような気候帯だが平地にあり、農産物の輸出による収入が最も大きな税を占めている街、ですか」
「果物も麦もそして野菜にも、育つには良い環境ですからねー」
ルーヴェルは渓谷に立つ天然の要塞に他ならなかったが、このメービスは確かに城塞都市として最低限の城壁こそあるものの所詮は平地に在る街。立地からしてルーヴェルよりどうしても脆くなりがちであり、成程確かにパライアス王国軍がこのメービスを戦争拠点として選ばなかった理由も理解できる。
もしこのメービスがルーヴェルと同じ立地条件をしていたのであれば、恐らく前線にて孤立する恐れがあってもこちらに戦争資材を貯め込んでいたであろうがな。
さて、俺たちはそんな情報収集がてらメービスに向かっているのだが、今回もまた巡礼者の格好をしていた。
パライアス王国は信仰者に寛容だ。国教に俺の知る十字教に近い物が指定されているからだろう。
聖職者と言えど完全な信用が得られるわけではないにせよ、ただの旅人と奴隷というよりは二人とも巡礼者の姿と振る舞いでいた方がまだやり易いというものである。
「それにしてもハシン、あなた本当に演技巧いですねぇ。今度は若くして旅を続ける巡礼者ですか。経験から深い信仰への造詣と質素さを兼ね備える………う~ん、いいですねぇ♪」
「マルガレア様。私はアガタです、どなたか別の方と間違っておられますよ」
「はい、はい。そうでしたね、アガタ。さぁ行きましょうか」
そう、当然姿と身分を偽っているのだから、名前も偽っているに決まっている。
今の俺はアガタ………シチリアの聖女アガタから名前を拝借した………を名乗り、衛利はマルガレアと名乗らせている。ちなみに容姿も少し弄っている。
俺は褐色肌に白髪とはいえ、隣国リマーハリシアではいなくはない容姿なので変装の必要はないのだが、一応肌の色を変えている。
衛利の場合は黒髪が目立つので染料で髪を染めさせてもらった。コンタクトレンズなんてものは流石にこの世界にはまだ無いため、オッドアイはそのままだが、まあ色合い的に問題はないだろう。
………コンタクトレンズ、似たようなものを変装術の達人であるミリィなら既に作り出している可能性はあるが、少なくとも俺に自作する技術はないため、今この時点でないという事実に変わりはない。
衛利の黒髪は今、少し色味のくすんだ金色になっている。黒をベースにしている時点で綺麗に染まるということはないが、逆にあまりに綺麗すぎても不審がられるのでこれでちょうどいい。
ふん、髪を痛ませないようにするのに骨が折れたがな。調合するのに随分と手間がかかった。
ちなみに俺も衛利も、本格的な変装とはいかないので水でよく濡らせば色は落ちる。雨に軽く当たった程度では問題ないが―――まあ、落ちやすい色味というのも使えるには使えるからな。ちょうどいい。
「そろそろメービスの街です」
パライアス王国の大都市は、王国が指定した過去の聖人の墓や遺物が置いてあることが多い。そしてその置いてある場所は大体の場合教会なのである。ルーヴェルでも大きな教会があったのは、そこが聖遺物の保管場所であったからに他ならない。
そも巡礼とは、修道士などが信仰する宗教の聖地を回る行為に他ならない。聖地とはかつての聖者が何事かを為した地であったり、生まれた地であったり、時には死んだ地である。
神の子のベツレヘムやエルサレムは特に有名だが、当然その他にも聖人、及び聖地は存在している。
「空気が荒んでいますね。戦争でもないですのに」
「全体的に治安が悪化していますからねぇ。子供たちが私たちを見る目、獲物を見るようですよ」
確かにリマーハリシアとの戦争を画策していたパライアス王国だが、それは知らしめられることなく計画のまま霧散したので、如何に戦争資源の備蓄候補地として挙がった可能性のあるこのメービスでも、街の民にまでその情報が行くことはあり得ない。
大体は街の管理者である領主で情報は止まっているものだ。まあ、風の噂が伝わることもあるだろうが、秘密裏であることを重要な優位性として戦争を挑もうとしていたパライアス王国がそんなミスをするとは思えない。
となれば、この荒んでいる理由は戦争とは別のものにあるというわけだ。
「………ッ!!」
「ほ~ら来た♪」
「何故楽しそうにしているのですか、貴女は」
やはり性格的に衛利は隠密や演技に向いていない。
不測の事態や敵の急な行動、或いは己の正体が露呈しそうになるリスクを楽しむ傾向にあるからだ。
衛利の場合………というよりは忍者の場合は暗殺といっても隠れて殺すのではなく、戦場で正面切っての戦闘以外でも殺すというだけのことであり、元より平時に敵に見つからずに対象を静かに殺すという俺たち暗殺者とは殺しの概念自体が異なっているので仕方はないがな。
起きてしまったリスクを受動的に楽しんでいるだけまだ良いが。
それよりも小さなナイフを持ってこちらににじり寄ってくる子供に対処しなければならないだろう。ここは街の城壁へと続く大通りであるが、少し先には衛兵たちの詰め所もある筈だ。目立ちたくはない。
子供も子供で大事にしたくないのだろう、外から見れば自然にこちらに向かってきてはいるが、かといってここから普通に対処したのでは一目に付く。
「ふう。女二人だから狙い目だと思ったのでしょう。巡礼者という身分はこういう時厄介になりますね」
基本殺しなどといった行為はあり得ないのが巡礼者だ。その代り金銭などもほとんど持っていないことが多い。今の俺たちも服装は黒い修道士の服の上に同色のケープを羽織っているだけでロザリオこそ提げているが、外から見ても金があるようには見えないだろう。
それでも子供が俺たちを狙うのは、女性二人組しか狙えないからである。ナイフを持っていても旅慣れしている男を狙えば簡単に返り討ちにあう。この世界では武器を持ち歩くことは普通のことであるしな。まともに訓練も受けていない子供が人間をナイフ一本でどうにかできるわけがない。
どうするか。………ふむ。
「い、命が惜しければ金を………むぐぅ?!」
小声ですれ違いざまにナイフを突きつける行動、それは子供にしてはいい手際だ。慣れているのだろう。
だが一応俺たちは本職だ。やはり甘い。
ナイフを実際に先導する俺の身体に付きつけさせる前に片腕で肘を抑え、口に小切りにしてあるパンを詰め込む。
「お金はありませんがこれで。あなたのことは深く知りませんので真っ当に稼げなどとは言えませんが、あまりそのような行為は慎んだ方が良いと思いますよ。神は最後に審判を下しますから」
「も、ご………むご………」
まだ口の中のパンを咀嚼している子供―――少年に向けてロザリオを握って祈る。ちなみにロザリオは本来首にかけるものではなく、数珠のように手に持って時間をかけて祈りの言葉を唱えるものであるが、今回は省略させてもらった。
「それでは」
俺と大して変わらない背丈の少年の頭を撫でると、後ろの衛利に目配せをしてその場を去る。
「あの子供、幼女性癖に目覚めなければいいですけどねぇ」
「マルガレア様、変なことを口走らないでください」
「おっと、失礼しました」
軽口を叩いてはいるが、衛利の視線は大通りの脇道に作られている建物群の奥へと向いていた。
………ルーヴェルは立地的に見られなかったが、本来城塞都市にはその壁の外側に隣接するようにして作られる郊外が付き物だ。領主が納める都市の支配の外にある商人などが郊外を作るのだが、当然人と金が集まれば働き手なども増える。そうして、城塞都市は見た目よりも実際の大きさも経済規模も大きな都市として存在していくのである。門へと通じる大通りはそのまま郊外でも使われているのは面白いのだが。
問題は、スラム街とは違い治安がそれなりにいい筈のこの郊外でもあのような子供がいるという事実だ。
”秘薬の王”は一体この街で何をしている?通常の薬の販売だけではこのような事態にはならないだろうに。
「想像以上の毒が撒き散らされているような気がしますね」
見上げた先には、メービスの街の高い壁が聳え立っている。
それを冷たく無感情に見ながら、歩調は変わらず俺たちは街の内部へと向かった。