訓練開始
「……今ここで店舗ごと買い取るとは、さすがに思いませんでしたよ」
「リナを私らのところに連れていくわけにもいかないだろ?まぁ、立地的にもいいし、ここを貸し与えてやろうさね」
頭を抱えるミリィと、それを面白そうに……愉快そうに見るハーサ。
一応筋が通っているだけに、いやらしいな。
まあ、わざとなのだろうが。
「じゃ、リナ。私らはここでさようならだ」
「失礼いたします」
俺はといえば、馬車の中に放置されているので、挨拶をすることもできない。
いい加減に縄をほどけ。
「あの……また、会えるんですよね?」
「んー?誰にか、によるがね。ハシンなら……まあ、一人前になればいつでも来れるだろうさ。じゃあなー」
言葉の途中ですでに馬車に乗り込み、発進させつつ別れの挨拶をするハーサ。
一人前……か。
それはきっと暗殺者としてなのだろう。
一人前になればいつでも会いに行けるということは、一人前になれなければいつまでも会には行けないということでもある。
それは、ハーサが拘束場所から出さないだけなのか、力量がないと出れない場所なのか……。
さて、どっちだろうな。
「では」
「なんだ……?」
「寝てろっていうことで」
目……というより、鼻の前に突き出されたのは、見たこともない奇妙な葉っぱだった。
羽箒を見たことがあるだろうか。
形状は、その羽箒のような、下部の茎が太く、葉部分が左右非対称の羽根のような形をしている植物だ。
………ああ、そういうことか。
とことん、居場所を知られたくないのだな、暗殺者という人種は。
「………お休み」
抵抗に意味はない。
葉から漂ってきた匂いから発生した眠気に抗うことなく、目を閉じた。
***
「………うぐ………」
体に当たる堅い感触。
土などの地面というわけではなく、人工的なものか。
なら、室内………。
「おや、目が覚めたのかい」
「気分はどうですか?」
「最悪だな。薬による睡眠を前提にした移動は勘弁してもらいたいものだ」
頭の中にもやがかかったかのような感じで、思考が鈍る。
何より、頭痛がひどいのだ。
高山病のような症状に近い。
コツコツと頭を叩きつつ、状況を整理する。
室内というのは正しいな。
屋根もあり、隙間風がないことから、頑丈そうな作りだ。
家の材質は不明、ただ、石に近い何かと、草のような物で作られている。
とにかく、自然物なのは間違いないだろう。
高さは一階しかないようだが、横の広さは俺の知っている、普通の一軒家二つ分ほどはある。
仕切り壁はあるが、扉はない。
そして、特筆すべきは、家の至る所に武器が掛けてあることか。
ここは、武家屋敷のような物なのかもしれない。
詰めるのは武士ではなく、暗殺者だが。
「なら、薬にもっと耐性でもつけるか、一人でここに来れるようになることだな」
「まあ、普通の人間では来るまでに死んでいるでしょう。今回は我慢してください」
「……物騒なものだ」
だが、そこまでしなければ生き延びれないのかもしれないな。
暗殺者は、人を狙う職業であると同時に人から狙われる職業でもあるはずだ。
徒党を組み、罠を張って潜まなければ、滅ぶのは必然のことになってしまうだろう。
しかし、これで先ほどの会いに行く云々が、後者であるということがわかったな。
「さてとだ。ハシン」
相好を崩していたハーサが、姿勢を正す。
きっとまじめな話をするのだろう、俺もそれにならい、正座をした。
「お前は、これからこの”無芸”のハーサの直弟子となるわけだ。喜べよー、私の初の弟子だぞ?」
「……喜ぶ要素がどこにある?」
「お前の嫌いなデブ貴族の下にいない」
「………わかった。続きを話せ」
ああ、確かにそれに比べれば喜ぶ要素かもしれないな。
団栗の背比べ、というやつの気もするが。
本当に、口が達者だ。
「どちらにしても、お前はその奴隷印がある限り、奴隷であることから脱却することはできない。皮を剥ぐという苦痛を伴う選択肢もあるにはあるが―――その位置は危険だ」
―――俺の奴隷印の位置は、心臓の真上に近い。
そこに、焼き鏝で深く、とても深く奴隷のしるしを焼き付けられている。
俺の暮らしていた現代であれば、直すこともできただろうが、ここは時代的に中世。
まだ、信仰で病気を治せると信じられていた時代だ。
……病は気からともいうが、それはさておき、まだ未発達なこの時代の医療で、心臓の真上の皮を剥ぐという選択肢は、取りずらい。
薄く焼かれただけなら、ナイフで切ればいいかもしれないが―――。
「可哀想に。ここまで深く刻まれてしまっているなんて………」
ミリィの指が、奴隷印をなぞる。
俺の、淡く膨らんだ胸の上を、そこに刻まれた奴隷印をなぞる指は、その指の先端が食い込むほどの深さだった。
―――本来、焼き鏝はその熱で消えないやけどを残し、永久的な印とするもの。
しかし、それに刃物の側面を加えれば、例え皮を剥いでも消えない、さらに強固な印となる。
太ももなら、歩くことを犠牲にすればどうにかできたかもしれない。
しかし、上半身は―――きついというものだ。
「暗殺者は、きっとお前向きの職だと思うね。うちらの組織のだって、奴隷あがりもたくさんいる。奴隷印を持つものは、まっとうな職では働けないからさね」
故に、非合法に落ちるしかない。
薬品の売買などに身を染める者達もいるようだが、その最期は薬によって自滅するか、自警を負う騎士たちに捕縛され、晒し首となるかの二択だそうだ。
「わかった、わかった……。そもそも、もう殺した後だ………暗殺者になることに躊躇いなどもっていないし、それしかないとも思っている」
「じゃあ、今までのは早すぎる反抗期かい?」
「お前になら年がら年中でも反抗してやる」
「反骨心旺盛で素晴らしいねぇ。その調子で私も殺せるくらいの暗殺者になってくれよ」
くそ、うっても響かないとはこのことだ。
本当に、のらりくらりと、躱される……。
仮面の向こうの表情が見えないから、余計にだ。
「そもそもだ、もう仮面を外してもいいのではないか?」
「ああ、一応暗殺者になるかどうかの確認を終えるまでは付けておくんだよ。まあ、形式さね」
「私も、アルディの恰好でいるのはそのためですわ」
「暗殺者は形式なんてものに囚われるのか…?」
「極一部だけな。一つは、弟子取り……特に、組織の長たる”長老たち”の弟子は最も重んじられる。もう一つは、新しい”長老たち”の就任時だな。私らの組織である”暗殺教団”は、暗殺者たちの元締め。面倒でも、形式が必要な時もあるのさ」
心の底からめんどくさそうに吐き捨てるハーサ。
ふむ、めんどくさがりの快楽主義者、そのくせ一応仕事には忠実か。
この分析が本当に正しいのか、もしかしたらそういう分析なるように誘導されているのか……それすら疑わしいが。
厄介だ。
もし敵だったとしても、たとえ味方でも厄介なのである………だが、強い。
「まったく、本心が見えないな……。ふう、じゃあとっとと一人前にしてくれ」
「聞き分けがよくて結構。さて、どういじめ……いや、鍛えようか」
本心がダダ漏れだぞ。
実際、楽しいおもちゃの扱いなのだろうが。
マキシムに比べれば、人権のある玩具なだけましか。
窓もない、家の中をざっと眺める。
養成学校のような物、か。
だとすれば、しっかりと教える気はあるのだろう―――ならば、受けてたとうではないか。
そうして、俺は一人前の暗殺者になることを決意した。
***
「そらそら、走れよ」
「………ぐ……」
息切れが激しい。
やはりというか、この体は運動慣れしてないために、すぐに息が上がってしまうのだ。
いや、泣き言か。
訓練を受けていないどころか、普通の奴隷に比べればまし……としか言えないような食生活をしていたのだから、こうなるのは必然といえる。
しかし、ここは普通師匠であるハーサも一緒に走るべきなのではないだろうか、普通。
ハーサは、一輪車のような物に乗って、俺に並走している。
すでに仮面は外しているのだが、その素顔は、悔しいが絶世の美女といえるほどだった。
………くそ。
俺が走っているのは、家の周りなのだが、先も言った通りこの家はでかい。
砦ほどではないが……それでも、走るのはきついのだ。
さて、走りながら確認したところ、気温がなかなかに寒い。
マキシムの屋敷がある砦も、夜は肌寒くなるが、昼間は暑いくらいだった。
しかし、太陽の傾きや、俺の体内時間でもほとんど同時刻である今、あの砦よりも寒いということがはっきりわかる。
もちろん、凍えるほどではないが、あの場所に比べると、ということだ。
つまり、ここはあの砦から北上、もしくは標高の高いところにあるということである。
後で確かめてみよう。
次に確認したのは、周囲に何があるかだ。
まず、中心に家があり、それなりの――学校の大きめの校庭ほどの更地がある。
その周囲はほとんど樹木で、かろうじて入り口と思われる獣道と見間違えるほどあれた道が見えた。
樹は背が高いほうだが、段々と背が小さくなっていくように見えていることから、山、もしくは丘などの高台に位置していることがわかる。
「そこまでだ。ほら、次は腕立て」
「………む」
………もう、か?
走ってから、俺の体力的な問題で息切れをしているにしても、まだ十数分しか走っていない。
鍛えるつもりなら、それこそ動けなくなるレベルまでやるのかと思っていたが。
「まあ、いい。疑問を挟んだところでというやつだ」
ハーサの命令に従い、腕立てを繰り返すことまたもや十数分。
汗が地面に染みを造るくらいになったところで、「やめ」の合図が出された。
「次は、勉強の時間だ。水浴びて家に戻りな」
「………むむ……?」
意味が解らないぞ……。
暗殺者の育て方は、こういうものなのか?
暗殺者なんてものにあったこともなければ、話を聞いたことも無い俺は首をかしげるしかなかった。
***
「………まあ、水浴びもいいものか」
運動で火照った身体が適度に冷やされ、心地よい疲労感を与えてくる。
だが、動けなくなるほどではないということは、まだまだ酷使していないということ。
本来、運動部などで取り入られる方法は、超回復と言われる、限界まで酷使し、休ませることにより、強固な筋肉を付け、根本的な運動能力を底上げするというもの。
この程度の運動では、とても超回復など起こりはしないはずだが。
一体、何を考えている?
「さて、そろそろ上がるか」
しかし、改めてみてみると、しっかり女になっているのだな。
鏡に映った俺の身体は、まるで曲線でできているかのようで、男らしいごつごつした体つきとは無縁だった。
褐色肌と、白髪、赤目。
このセカイに来る前の俺とは、似ても似つかない姿。
共通点も何もないはずなのに、なぜこんな姿になったんだろうか。
……そして、この姿のせいでマキシムとかいう豚野郎に捕まった訳でもある。
一般的な男子から見れば、かわいいと思う容姿も、自分補正に加え、原因でもあるという観点から見ると、普通か、普通以下にしか思えないのであった。
自分補正を抜けば、まあ男好きする容姿だろうけどな。
自分には興奮できないということだ。俺はナルシストじゃないためである。
「ハシン、ここにタオルを置いておきますね」
「ああ、ミリィ……さんか。ありがとう」
「ミリィで結構です。私の名前に、意味はありませんから」
扉もない敷居壁から顔をのぞかせたのは、潜入の達人であるというミリィ。
今もまだ、アルディの顔を付けていて、本当の顔を俺に見せてくれてはいない。
まだ警戒しているのか?
「そうか、ではそうさせてもらう。ところでなんだが、暗殺者ってこういう鍛え方なのか?」
同じ暗殺者であるミリィなら答えを教えてくれるかもしれない、そう思ったのだが。
「残念ながら、ハーサの鍛え方は私にはわかりません。本来暗殺者は、自分の弟子の育て方は同じ暗殺者、たとえ”長老たち”同士であっても教えないものなのです。暗殺者の業は、普通その暗殺者だけのもの。それを唯一教えるのは、弟子だけで、業を公開するということは暗殺者の死と同義なのです」
一子相伝の奥義といった感じか。
確かに、暗殺者の代名詞であり、仕事道具である技術をそう簡単に教えていたら、暗殺者という人種はとっくに絶滅しているだろう。
一理あるな。
「だから、申し訳ありませんが、私にはハーサの教育方針はわかりかねます。………しかし、心配することはありませんよ。なにせ、”暗殺教団”始まって以来の天才と名高い、あの”無芸”のハーサが師匠なのですから。必ず、何か意味があるのです」
”無芸”。
なぜ、ハーサにそんな二つ名がついているのか。
それも、暗殺者への道のりの中でわかるかもしれない。
もしかしたら、すぐかもしれないがな。
さてと。そろそろ着替えてハーサのところに向かおうか。