交渉成立
***
熱を持たない瞳同士で見つめ合うことおおよそ数分。
先に眼を逸らしたのは老女ローエングリンの方だった。
いや、眼を逸らしたというよりは溜息を吐いて上を見上げたというだけであり、どちらかといえば諦められた方が近いのだろうが。
「ふん、情報はくれてやる、好きにしな」
「恩に着る」
「………ただし、だ。実際に見つけ出すまでの間、私らの隊商を手伝いな。対価はそれだけにしておいてやる」
「了解した」
ふむ。魔女に依頼をしたと考えれば随分と安いものだ。
この老女ローエングリンは、魔女としてはかなり優良な部類であり、対価としては不当で、最早代償といった方が正しい程のふっかけをする他の魔女に比べると随分とやり易い。
尤も、いくら人に優しくても魔女は魔女であり、長い年月を生きる老獪な人物であることに違いはない。
そこだけには気を付けねばらないのだが、な。
「衛利!服を貸しな、あとその仮面も外させろ!」
「はーい、お祖母ちゃん」
「んで、お前。名前は何というんだい」
荷車の中へと不機嫌そうに戻りながら、背中越しにローエングリンは俺の名を問うた。
「ハシン」
「………お前も大概、難儀だねぇ」
「………?」
ぼそりと呟かれたその言葉の意味は、今の俺には理解することができなかった。
***
「仮面を外してもいいんですか、ハシン」
「良くは無い。だが背に腹は代えられない」
老女ローエングリンのいる荷車とは別にある、衛利の居住用スペースとなっている荷車へと移動した俺は、衛利の持つ服を手当たり次第に渡されていた。
俺の好みがよくわからないため、とりあえずで渡しているようだが、さて。
衛利は前回共に戦った時に、隠密が苦手と言っていたのだがそれは生来持つ粗雑さのせいではないかと邪推をするな、これは。
というより、いったい幾つ服があるんだ。そんなに必要ないだろうに。
………毎回毎回、隊商へと参加するたびに服の山に埋もれている気がするが、困ったものである。
「いや。まだ二回目だ、毎回と呼称するほどではないな」
「はい?何か言いましたか、ハシン」
「何でもない。ところでまだか、衛利」
「ん~、待ってくださいねー。いやあ、背の合う服がなくてですね」
背丈か。確かに俺の身体はかなり小さい部類だ、衛利はスレンダーな体系をしているにせよ、今の俺の身体よりはずっと大人に近い身体つきをしている以上、そのままの服を渡せば地面に引きずることになりかねないだろう。
俺も衛利も、割と安産体型ではあるため臀部の方はあまり問題がなさそうだが。
「あ、ありました!私が小さい頃に着ていたものです!」
「………和服、か?」
「ええ!遥か東の国の普段着です。詳しいですね、ハシン」
まあ、この世界ではないが一応その地域出身ではあるからな。
時代が進み西洋化が進んだ現在、その衣装を普段使いする人間は大きく数を減らしてはいたが。
それでも馴染みにあるものに違いはない。久々の元の世界を強く感じられる要素というやつだ。
「着方は分かりますか?」
「………いや」
女性ものは流石に分からない。
ミリィからも和服については教わっていない。あの暗殺者のことだ、確実に知ってはいるだろうが、俺の今の活動圏内では和服についての知識を授ける必要はまだないと判断したのだろう。
「では、着せてあげますねー。あは、これちょっとお姉さんみたいですね、私」
「姉か。ふむ、演技の方向性はそちらでいいか」
「おや?演技するんですか?」
「当たり前だ。衛利、お前を姉と慕う女児の振りをするが、異存はないか?」
手際よく服を俺の褐色の肌に纏わせながら、衛利は唸ると、
「いいですね、それ。姉と呼ばれてみたかったんですよ、一度。私この隊商の中じゃ一番若いですからね」
「………隊商のメンバーはあまり変わらないのか?」
「ええ、魔女の隊商ですから。同じメンバーでずっと続けているんです。子供が生まれたり、逆に長い間生きた人が死んだり―――いろいろとありますけどね」
まあ、私はまだ出産に立ち会ったことはないですけど、と笑う衛利。
通常の商人の隊商とはまた違った結束があるということか。
………より家族としての繋がりが強いのだな。
「家族か」
久しくそんなものに触れていなかった。まあ、今更必要とも思わないが。
「仮面取りますねー」
「―――ああ」
「相変わらず、綺麗な眼ですねぇ」
「そうか。自分ではよくわからない」
服の着付けが終わったので、そのままの流れで髑髏面が外される。
流石に隊商の手伝いをするのに暗殺者の面を付けているわけにいかないからな。
それは様々理由はあるが、髑髏面は暗殺者の証拠だ。素顔を見られたくないからと言ってそんなものを付けたまま活動していれば、日常に溶け込むことなど不可能である。
―――そもそも、そんな仮面による正体隠蔽が使えない時こそ演技というものの出番なのだからな。
髪型を変える、眼つきを変える、表情を変える、声の出し方を変える、仕草を変える、歩き方を変える。
そんな簡単なものを変えるだけで、その人間を同一の人間であると判別することは非常に難しくなる。
変装の達人たるミリィや、印象を消すことで似たような境地へと至るハーサ………”長老たち”程の技量はないが、それでもこれくらいは可能とするだけの教育は受けている。
「あ、お稲荷さんのお面、いりますか?」
「………ああ」
肩程までの俺の白い髪を、簪で結わい、そしてどこからか取り出した木製の狐面をついでに取り付ける衛利。
半ば着せ替え人形のように扱われている気がするが、まあいいだろう。
一応最後に面を渡してくれたのは、暗殺者である俺の身分を―――そして、今見えたであろう奴隷印………俺の本来の身分が奴隷であるということを慮ってくれたからであると、いい方に推測しておくことにする。
「はい、できました!いや~、すっごくかわいいですよハシン♪」
「そうか。………やっと終わりか」
「あはは、待たせてすいません。あれ?というかまだ演技はしないのですか?」
「お前とローエングリンの前で演技をする意味がない。荷車の中では普通に接するに決まっているだろう」
「そうですかー。………残念です」
着付けが終わり、衛利の手の中から解放されたので、纏っている和服をよく見てみることにした。
小袖か。下駄はあるが足袋はないため、裸足で履いているが、まあそれはむしろ都合がいい。
袖口は狭いが、一応袖奥に収納出来るだけの隙間はある。
丁度いいので暗殺道具はそこや、帯の内側へと忍ばせておくことにした。
色々と隠し持つことはできるが、小袖の下に何も履いていない、着ていない以上奴隷印が露出する可能性が高いか。そこだけは注意した方がいいだろうな。
流石に顔までならばともかく、奴隷印を見られたのであればどちらかが死ぬまで争う以外に決着の手段はない。
まだ衛利や、そして―――何事か知っている様子のあの老魔女ならばいいが、まだ他の隊商メンバーを信頼しているわけではない。これくらいの警戒具合でちょうどいい。
………実際真に困るのは、この服のままで何かと戦うことになるということの方が問題なのだがな。
なにせ、激しく動けば色々と解け、見えてしまう。なるべく戦闘は避けた方が無難だろう。
「いや………戦うことはないか」
あくまでも、情報を選別し、把握し秘薬の王の本拠地を突き止めるまでの間だけしかこの姿ではいないのだから。
それに、である。
「はい?どうかしましたか、ハシン」
「ふむ。いや。何でもない」
最悪、衛利に任せればそれでいい。単純な戦闘能力ならば今の俺よりも高いのだからな。
―――と、そんなわけで。
今世の俺の人生において二度目の隊商の旅が始まったのだった。
短い間ではあるが、この懐かしい服より感じる気配を少しだけ、楽しみながら往くとしよう。
荷車から出た衛利。
それに対し、俺は演技という仮面を被りながら追従する。
「ではでは、ですよ。………ようこそ、私たちの隊商へ!歓迎しますよ、ハシン!」
「………うん。がんばる、ね。お姉ちゃん」
人格設定に従って。
俺は淡く、そう衛利の言葉に笑って答えたのだった。