各々帰路
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「閣下!ご無事でしたか……!」
盾を引っ提げ、無数の傷や汚れに塗れたパライアス王国の将軍、サヴァールが奥から現れる。
そのことに気が付き、声をかけるのは顔を大部分を包帯で覆ったサイルであった。
「おお、サイル。お前の方が無事か?」
「すぐに手当てはしましたので―――見た目だけは酷いですが」
「うむ。まあ傷は戦士の勲章よ。できる場所にはよるがな……さて。既に分かっているな?このキャラバンサライへと侵入したものとは別の者どもの手によって街に無数の怪物どもが放たれている。我々は王国に所属する騎士として、それらを駆逐せねばならん」
「……それは暗殺者共と戦いながら、ですか」
別の兵士より、その疑問が零れるが、サヴァールは「否」と答え、
「奴らは既に事を達したようだ。引き上げていった―――やれやれ、我が軍をいとも容易く削ってくれたものだ」
……既にキャラバンサライの入り口を塞いでいた毒煙はない。
暗殺に使われる毒とはその殆どが無味無臭なものであるため、判別自体が難しいものではあるのだが、空を飛んでいる鳥がこのキャラバンサライの門の前へと落ち、息絶えている様子を見るに相当強力な毒が使われていたことは間違いないだろう。
風向き、毒の性質、そして本人の毒素への耐性―――暗殺者とはやはり、厄介者ぞろいだ。
また弔ってやらねばならぬ兵たちが増えてしまったな……と、内心では苦虫を噛み潰しつつ、多くの仲間を失った兵たちに発破をかける。
「せめてこの街を救うことを、友への手向けとしよう。……詳しくは分からぬが、もう一人か。余程の達人が襲撃者として居たようだからな」
「……多くの仲間が死にました。俺が死ななかったのは、皆とは遅れていたから。皆、皆同士討ちで殺し合ったんだ!あんな光景……糞、どうしてあんなことをッ」
悔恨に沈む兵士に近寄り、腰を下げると肩に手を置き、そっと数度叩く。
落ち着かせると、頭を撫ででから再度立ち上がる。
「結束が強かったからこそ、だろうな。……完璧な変装術に、さらには同士討ちさせることを得意とする暗殺者。聞いたことがある。”百面”か」
「話を聞くに仮面を被ってはいなかったようです。十中八九、かの暗殺者でしょう」
「参ったなあ、サイル。これでは―――我が軍の復旧にも時間がかかろう。とはいえ、まずは塵掃除からだがな」
「……お供します」
盾を、そして剣を抜き、死者の山となってしまったキャラバンサライから外へと。
実際に身体にも傷を受け、興味はないが経歴にも傷はついた。
後者は他の貴族共が文句を言う箇所が増える……つまりは面倒が増えるだけではあるのだが、兵を多く失ったのは痛い。戦争用の備蓄物資が失われたことも。
―――だが、まだ我らは生きている。
仲間を悲惨に失った兵たちも、此度の特殊な戦いによって成長し、より力のある将として育つだろう。
悪いことだけではないのだ。より遠くの未来へ轍を刻むために、こういった犠牲も時たまならば、良い経験にはなる。
「そして何より。次は負けんぞ、暗殺者」
総合的に見て、この戦いがパライアス王国として”暗殺教団”に敗北したという事実は覆らんだろう。
戦争に常勝無敗など有り得ん。故にこの負けもまた、受け止めねばならんものだ。
しかし……同じ理由で、いつの日にか我らが”暗殺教団”を打ち破る日も来るのだ。
かの伝説に名高き”闇の長老”の元に集いし達人たち。今となっては”長老たち”そのものが”暗殺教団”の顔となり、伝説となってこの世に君臨しているが……我が王国もまた、強き国に強き兵士たちだ。
やがてはその伝説も、いつの日か消え去る。……待っているがいいさ、強き暗殺者よ。
大柄な身体が土を踏みしめる。
此度の戦いは決着した……しかし。
脅威―――好敵手は未だ、彼の国にあり……。
***
「ご……しゅじ……さま……。お、ち、ゃ……です」
「ああ、ご苦労」
パライアス王国とリマーハリシアを繋ぐ道。
中天の太陽に照らされたその道を、車輪をカタコトとならす二頭馬車が走る。
御者は若い男だ。
しかし、若いなりにも経験は積んでいるようで、確かに熟練した老御者ほどの手際はないが、その若々しさで十分に帳消しにできる程の技量であった。
「揺れるな。持っていろ」
「は……ぃ……」
そんな馬車の中にて、静かに読書に耽っているのは片眼鏡をかけた長身の男性。
そしてその隣で細々と言葉を発する、紅茶のカップやポットを手に持ったまま立っているのは首に金属の輪を付け、みずぼらしい格好をした奴隷であった。
……まあ、当然俺である。
流石に帰路は別々とはならなかったようだが、その結果本来の身分である奴隷として扱われ、いいように使われるというのはいい気分にはならんな。
それにしても。
「………どうかしたかい」
「ぃ……え……」
持ち運ぶため保温機能の高い外部が革に覆われたポットが倒れないように気を使いつつも、外で馬車を操縦する御者へと意識が向かうのを我慢することができない。
背丈、声に仕草。どこからどう見ても、今のあの姿からミリィの姿を想像することなどできはしないだろう。
完璧な変装というのはああいうものを指すと、思い知らされるばかりである。
……まあ、目の前で男に扮するハーサもまた、声音や印象が大きく違っており判別は難しいのだが。
こいつはこいつで、いざとなれば自分の印象を完全に消す方法を持っているのだから尚更たちが悪い。
チラリと布に覆われた車窓の隙間を覗けば、もう既にルーヴェルに向かう途中、隊商と共に歩んだあの路へとさしかかっていた。
「……」
パライアス王国の街は、どちらかというと荒れ地の多いリマーハリシアとは違い、緑が多かった。
建物のつくりや街道にも差があり、文化、環境の違いというものを感じさせるには十分だ。
観光など柄ではないが、それでも街の特色を完全に知ることができなかったというのは、それはそれで少しばかり……残念ではある。
旅。ああ、本当にそういうのもいいものなのだろうと、真に感じる。
―――この身が奴隷という身分ではなかったのであれば、もしかすると旅人として生きている世界もまた、あったのだろうと考えるほどには、そう思う。
所詮はこの奴隷印が刻まれている限り、俺に縁のある話ではないがな。
或いは、俺が俺らしくあることをやめ、奴隷として、ただの少女として生きることを許容したのであればそういう結末もあるのかもしれないが、可能性としては砂漠で宝石を見つけ出すことよりもなお低い確率だろう。
……本当に俺は、どこまで行ってもこの奴隷という身分と、そして暗殺者であるという事実からは逃げられないのだと痛感する。
そのような雑事についての考えはそのあたりにして、これからやらなければならないことについて思考リソースをさかなければ為らない。
……そうして、演技をしつつも別のことについて頭を回し始めた俺を、気づかぬように横目で眺めるハーサの視線には気が付かなかった。
それぞれの帰路を辿る。それぞれの願いを乗せて。
未熟者が何を思い、何を殺すのか。
師は何も語らず、面白そうに、しかし遠くにあるものを眺めるように。口の端を僅かに吊り上げるのみで―――。