怪物戦闘 ”終”
……相手は武器を持っていない。
戦いながら、その点が大きなアドバンテージになるということを痛感した。
磨かれた剣でなくとも、例えば棍棒一つ持っていただけでこの投薬兵との戦いは大きく難度を増していただろう。構え、守り、攻めるための起点になる武器は持っているだけでも価値があるのだから、それを持てぬ投薬兵たちとの戦いはやはりそこまで難しいものではないわけだ。
当然それも、武器を使いこなすことが前提になるわけだが。理性が吹き飛んでいるこの憐れな兵士には例え武具が与えられたとしても投げるくらいしか手段はないだろう。
「AAAAAAAAA!!!!」
怒りは体温を上昇させる。より効率的に敵対者を害するために存在している、生物の基礎的な能力だ。
機械にも暖機運転があるように、人間も身体を動かすことでより身体能力の真価を発揮するのだが、物理的に筋肉量の多い投薬兵はその作用が強いらしいな。
温まる筋肉が多い分、全力の上限値が非常に高い。……尤も、活動限界時間が設定されている投薬兵は折角温まってもすぐに活動停止してしまう個体も存在しているという点は勿体無いの一言に尽きるのだが。
これが永続的に活動可能だったのであれば話は別だろうが、そんなものが生まれればそれこそ戦争の概念が変わるだろう。
薙がれた腕をギリギリで躱し、次いで襲う投薬兵Bの蹴りもまた寸前で回避。
「――――――――!!!!!!」
最早言葉にすら表せぬ音で吼えると、何度も攻撃をかわされていた投薬兵Aが、五指を開いて俺を掴みに来た。
殴打では捕らえられぬと、溶けた脳でも思いついたらしい。まあ、捕まってやる義理はないがな。
俺の身体は脆い。何せどれ程技術で誤魔化そうが、奴隷身分の少女という身体能力は変わらない。
直接的な打撃というのは存外苦手なのだ。
……ふむ。指を開いてくれたのはありがたい。
「……??!!?」
こちらから広げた手に飛び込むと、ナイフを煌めかせてすべての指を落とす。
拳のままでは流石に斬りにくかったからな、広げてくれたのであれば好都合だったのだ。
投薬兵の皮膚にも慣れてきた、流石にこの回数斬りつけていれば斬り方も分かるというもの。
遠慮なく落とさせてもらったぞ。
「OOOAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
「相変わらず煩いな。―――さて、本格的に終わらせようか」
指がなくとも打突は出来る。それは事実だが、人間の指というものは非常に性能がいい武器なのだ。
握ることのできなくなった腕では筋肉に弛緩が生まれ、非常に脆くなる。
力むことができないのだから当然だ……そして力を溜められない腕では、俺を捉えることも有効打を与えることも不可能である。
いや?寧ろ利用すら可能なるという有様だな。
投薬兵Aの腕の側面を掴む。いや、添えるといった方が正しいか。
そして俺の後ろに腕を滑らせ―――挟撃しようとしていた投薬兵Bの顔面へと誘導する。
くぐもった呻き声とともに、分厚い肉が破裂する音が聞こえた。壊れたのは腕の方か顔面か、もしくは両方だったのは分からないが……俺の攻撃はそれで終わっているわけではない。
巨大な質量の腕を後部へと押しやったために俺の身体に生じた反動、それを利用して、投薬兵の数少ない急所、水下へと肘鉄を入れる。
流石に肉が多いため、ナイフでは内臓まで到達できない。打撃の方が有効だ。
「ooooOOOOO……?!!」
「……まだあるぞ?」
上体を丸めようとする投薬兵の顎に、流れるように蹴りを当てる。
きちんと片足を地面に軸足として残している、威力は見た目以上に高い。まあ、それでも首回りに太い筋肉を持つ投薬兵にはそこまでのダメージとはなっていないのだが、問題はない。
何せこれもまた、次の攻撃のための予備動作でしかないのだからな。
連続して攻撃を受けた投薬兵Aは流石に膝を付こうとしていた。脳が揺れては立っていられないのは生物ならば当然のことだ、仕方あるまい。
そもそもが頭に打撃を受けないように立ち回るべきだが、理性がない獣のようなものにはそれも期待は出来ないからな。
さて、膝をつくということは頭が地面へと落ちてくるという事だ。質量物である以上、落ちれば加速し、それによって力が発生する。
―――分厚い肉も、その重力加速を利用すれば容易に断てる。
ではな、投薬兵。
「A―――――」
「む」
……我ながら未熟だな、完全に首を落とせなかったか。八割程度は切り裂いたのだが、皮と肉の繊維が残り胴体から首がぶら下がるという格好になってしまった。
残念だ、行けると思ったのだがな。
「OOOOOOOOOO!!!!」
「鼻が折れているのか。血が口に入って咆哮が尚の事、不快な音になっているぞ」
「…………AAァ……AAA!!!」
「……?一瞬だが言葉を発したようだが。仲間の死で微弱なれど意思を取り戻したか?」
「AAAAアアアAAAAAA!!!!」
「まあ、不完全なことに変わりはないな。仮に意思を取り戻しても、その肉体が変わるわけでもない―――殺すことに変りもない……ッ!」
両手を組むと、そのまま振り下ろす残りの投薬兵。
瓦礫となった坑道の地面が飛び散り、破片が顔を叩く。威力が増しているな、それに両手を使うとは。
少々の理性が戻ったことで戦い方に変化が出てきているのか。
……あまり理性が戻れば、確定された死の恐怖によって体が竦む。だが今回の場合は、厄介なことに最もちょうどいい塩梅という場所に理性が固定化されているようだ。
微弱なれど、戦闘の仕方というものを思い出したか。本能だけではないというのは面倒だぞ。
「OOOO!!!AAAAAA!!!GYAAGYAGG!!!」
「何を……ふむ。成程」
―――屍となった投薬兵の頭を掴み、皮膚を捥ぎ取って完全に身体から切り離すと、指を失った手に噛み付いて肩辺りから千切り始めた。
武器を作っているのだ。
武蔵坊弁慶の逸話である、弁慶の立ち往生という言葉を知っているだろうか。
あれは無数の矢を受けても立ったままであった弁慶の強さと、忠臣ぶりを顕すものだが……実は死の直前、非常に運動量の高い行為をしていると死後硬直が非常に早く始まり、結果として立ったまま死ぬことがあるという話を聞いたことがある。
確か、アデノシン三リン酸……だったか。それを運動によって消費したことが理由のはずだ。
直前まで酷使といってもいい程の運動、戦闘をしていたことによって死後硬直が加速していたその腕は、確かにいい武器になるだろう。
「やれ、泣き所など蹴らなくてもそれでは弁慶が泣くぞ」
義経のために、死してすぐさま死後硬直が始まるほど戦った弁慶が憐れというものだ。
……さて、投薬兵。
多少の理性を手にし、武器を持ったところで―――お前にそれは使いこなせない。
結果は変わらないぞ、残念だがな。
「―――アアアアアアアアアアアア!!!」
明確に言葉として聞こえるそれを流し、投げつけられた頭部を弾く。
「ギギギギギギギギギギギギギギ!!!!」
「言葉にはなっても意味にはならないか」
投擲と同時に接近していた投薬兵が叩きつけた腕を横へ飛んで躱す。
―――武器の繊維が弾ける音と、坑道にクレーターができる音が響いた。
それだけではない、坑道自体も振動している……対した威力だ。
「オオオオオオオオ……!!!」
骨を晒し、ひしゃげてしまった腕だったものが、俺が回避した方へと力づくで薙がれる。
腕でそれを上へと逃がすと、武器の下を潜り投薬兵の股座を抜けて内腿を切り裂く。
蟻を潰すように、或いは地団駄を踏むように自らの地面を蹴り抜いた投薬兵は周囲を見渡し、ようやく俺を見つけると再び武器による殴打を開始した。
―――投薬兵の身体能力は馬鹿には出来ない。
それなりに距離を保っていたのだが、一瞬で近づかれた。
武器のリーチがより回避距離を縮ませるのだ、……力任せとはいえ、当たれば即死である点は変わらない。
「チッ……」
今度は正面だ、腕でいなすのは難しい。恐らく威力に持っていかれて捻じ切られるだろう。
ナイフの側面で攻撃を流す。
……ズシリと重い感触が襲うが、投薬兵の武器は俺を潰すには足らず、横を流れ地面へと落ちた。
それを踏みつけ、跳躍。
叩き落とそうとするもう一つの腕が俺へとたどり着く前に頭蓋を打撃し、脳を揺らした。
「――――ォォォォォ?!?!?!」
「……止まらないか!」
地面へと叩きつけられている武器を両手で掴むと、振り上げる投薬兵。
俺は空中だ、流石に空気を蹴れるほどの筋肉も特殊能力も俺は持っていない……思わず舌打ちが出た。
―――二度の叩きつけによってほとんど骨のみとなった、腕だったモノ。
それが俺を直撃し、吹き飛ぶ。
……この攻撃は想定外だが、威力は想定内だ。転がりながら威力を消し、立ち上がる。
「アアアアアアアアアア!!!!」
「―――!」
死体蹴りとはマナーが悪いな、投薬兵!
いや、鼻が折れてもなお機能している、鋭い嗅覚によって俺が死んでいないことに気が付いていただけか。
骨が当たる直前、左腕で威力を殺していたからな―――代償として左手を痛めたが、死んではいない。
さて、それよりも対応するべきは真上から強襲を仕掛けているこの筋肉の塊をどうするかだな。
……腕一本動かないのは面倒だ。だが、対応は出来る。いや、正確にはしなくては死ぬのだが。
距離はすぐそばだ、横に逃げても正面に避けても投薬兵の攻撃挙動の修正範囲内である。
故に、坑道の壁がある後方へと対比する。
「キィィィィィイイイイイイイイイアアアアアアアア!!!!!」
嘲笑に近い声を上げて、投薬兵が頭上から迫る。
壁際に逃げることを愚かと嗤うか、投薬兵。ならばお前はやはりただの獣だ。
……一度、見せただろうに。学習しないな、愚か者。
簡単な三角飛び。それだけで俺の目線は投薬兵と同じ場所にあった。
ただし、違うのは投薬兵は地面だけしかない真下を向いているが、俺はお前を捉えているという事実。
動物的な本能で空中で態勢を整えようとするが、技術を失っているお前には無理だ。
大人しく首を垂れるがいい。
交錯し―――鮮血が舞い散る。
「OOオオオオオオオOOOO!?!?」
「背骨は堅いな。だが、神経は傷つけさせてもらった」
地面へと墜落した投薬兵が立ち上がろうともがくが……背骨は全身の神経の通り道、それを傷つけられれば五体満足とはいかない。
見れば、片足の動きが鈍っていた。大当たりだな。
本当は下半身全ての機能が停止してくれればよかったのだが、そこまでは狙いすぎか。
……強靱な肉体があれど、構造は人間と同じ。神経が傷つけば動きが鈍る。成程、いい経験になった。
「む。まだ立つか」
「ギャ―――……ガ、ゴゴ……GIギギ!!!!」
「壊れたラジオのような声だな」
最後の力を振り絞り、というやつか。
―――侮れないな。全ての生命の最後の最後の悪あがきというものは。
火事場の馬鹿力という言葉があるように、リミッターや後顧の憂いなど複雑な事情が全て取り払われた状況では、環境すら超越しようという意思によって状況を覆す一手を打つことがある。
元より理性のない投薬兵、それもまたより凶悪な性質となっているかもしれない。
動く右手だけでナイフを構え、しっかりと投薬兵の最後の動きを見据える。
……、……。…………来た……ッ!!
「―――――ッッッオオオオ!!!!」
骨を杖代わりにし、動かぬ足の代わりとした投薬兵は最後の力を以って最も高速の突進を行った。
その瞬間、直感に従い俺は真上へと飛び上がっていた。
……最速にして後も先も考えない攻撃は、投薬兵自身の最後の足を破裂させていたが―――俺の眼にもギリギリでしか見えない速度だった。
そして、俺の後方の壁が四散する。上がる土煙の中、何かを削るような音が響き、そして。
「……!!!??」
土煙を裂くように、一筋の軌跡が奔る。
それの対処もまた、直感に等しかった。
右腕を側面から叩きつけ、向きを逸らす―――間一髪とはまさに。髪の毛一本分の隙間だけを残し、軌跡の正体である武器にされていた骨が坑道の天井へと投げつけられていたのだ。
―――直後に轟音……坑道の天井が、その骨によって破壊された。
「ググググガガガガガガアアアアアアアアアア!!!!!」
足を失った投薬兵が吼える。
その方向の先にいるのは―――巨大な盾を持った大柄な兵士……否、恐らくは将軍と、そして。
「……ハーサ」
―――のっぺりとした仮面が、つまらなさそうに、或いは興を削がれたように投薬兵を見つめていた。
地面に叩きつけられた二本の腕だけで、投薬兵が飛び上がる。
直前まで攻撃を加えていた俺ではなく、あの盾を持った将軍を狙うだと?―――そうか、嗅覚によって最も重要な敵を判別するように刷り込まれているのか!
あくまでも、あの王とやらの目的は盾将軍を殺すことが目的だと、そういうことか。
……ふん、気に入らないな。暗躍するのは暗殺者だけで十分だ。
「冷めた。……止めさね」
ハーサの刃が進行方向を変えた。
そして滑らかに、飛び上がり今にも体勢が完全に崩れていた盾将軍を殺そうとしていた投薬兵が細切れになる。
―――俺の頭上から肉片交じりの血の雨が降り注いだ。
それに打たれながら、空中でナイフに紐を結び付け、ハーサの方に投げる。
ハーサはそれを掴むと、適当に引っ張り俺を坑道から引き上げた。
「は、仕事は失敗か、”空”?」
「馬鹿を言うな、終わらせてはいる。……横やりが入った以上、完全ではないのは事実だがな」
そうだ。まだやり残しがある。
……今は無理だが、な。
「お、とと、ふう。まさか俺を殺そうとしていた暗殺者に助けられるとはな」
「助けなんていらなかっただろ、お前。あんな雑魚の攻撃を喰らったところでお前が揺らぐとは思えんさね」
「……相当巨大な瓦礫に潰されていたはずだが、何故無傷なんだあの男は」
状況を見るにハーサと渡り合っていたようだ、まあ……あれもまた、達人の一人ということか。
やれやれ、俺がようやく倒した相手を瞬時にコマ切りにする師匠といい、上があまりにも多すぎるな。
「そちらの少女は?」
「弟子さね」
「ほう。お初にお目にかかる、私はパライアス王国の盾将軍……サヴァール・ラクルだ」
……将軍が暗殺者に自己紹介とは。まあいい、された以上は返すとしよう、特に害でもないからな。
「そうか。俺は―――ふむ、”空”と、今は呼ばれている」
「空か、覚えておこう。して、暗殺者の師弟よ。―――俺を殺すか?」
「用事は済んだ。俺は帰る」
「は、私も興が醒めたさね、帰る」
「………変わった暗殺者だな。似た者同士、というか」
「待て、こいつと似ている扱いはやめろ」
「ふ。似た者同士ならば、俺と渡りあった暗殺者と同等の力を持つことにもなろう―――楽しみだな」
こいつ、もしや戦闘狂か?
……国の重鎮が戦闘狂とは、大丈夫かパライアス王国。
まあ、知ったことではないがな。
ああ、その前に一応教えておいてやるか。
「おい、盾将軍。……貴様らの国に潜んだ逆賊によって投薬兵が作られているぞ、注意することだ。……いや」
「何匹か街に放たれているさね。一般人も見境なしとは、相当の阿呆だなぁおい」
「―――心得た、では貴様らとの戦いは終わりという事でいいのだな」
「次に依頼があるまではな。んじゃ、また次の戦いを楽しみにしているさね―――次こそはしっかりと殺し合いたいものだ。邪魔者の闖入無しで、な」
無警戒にも見える仕草で去り様にそのように言葉を残したハーサ。
「やれやれ、飛んだ戦闘狂に目を付けられてしまったな」
お前が言えたことか、阿呆。
どうしてこうも、化け物連中は頭がおかしいのか。溜息しか出ないな。
……さて、ハーサに習って俺も帰るとしよう。戻ってやることもあるからな。
左腕の調子を確認しつつ、その場を去ろうとしたとき、坑道の下から声が聞こえた。
「待て、若き暗殺者よ」
「なんだ」
足を止める。
俺と盾将軍には対して接点はない筈だが、俺に対して言葉を投げるとは何がしたいのか。
「―――生きるためだけに人を殺すのであれば、今すぐにでも辞めた方がいい。そのままではいつか、必ず限界が来るだろう。それが嫌であれば……お前が暗殺者でいる、その理由を探すことだ」
「……何を言っている?」
「はっはっは、何……年寄りの親切というものだ。敵となるものであれ、若く脆い少女を放っておくことはできんからな」
「脆い?」
「ああ、脆いとも。鋭いがゆえに、お前は……脆いのだ。見失うなよ、お前の師匠を」
「……ふん」
見失うも何も、目の上のたん瘤の如くあいつは常に俺の前にいるだろうが。
本当に何を言っているのやら。
そうして、戦火が残り、多くの血に塗れた俺の初めての大規模暗殺任務は幕を閉じた。
……いや、正確には違うな。まだ、完全に幕は閉じきっていない。
最後に一つ、やらなければならない事が残っているのだから。
「本当に若いな、少女よ」
その背に向けられた、盾将軍の言葉には気が付かず。




