怪物戦闘 ”序”
嘆息を一つ落とし、ナイフを構える。
投薬兵腿が膨らみ、力を蓄えたことが見て取れる。俺が戦闘態勢に入ったということを直感的に理解したのだろう。
こいつらはその思考こそ動物以下のものへと成り下がっているが、感覚器や戦闘本能と呼ばれるものはむしろ人間―――否、野生動物よりもさらに特化されているようだ。
虫の知らせ、第六感と呼ばれる野生の直感。それを持った怪物を相手にするというのは………さて、殺し甲斐があると嬉しむべきか。
蹴りぬいた坑道の地面が爆ぜ、追跡のためのそれとはまったく異なる速度で投薬兵の巨体が躍動する。それも一つではなく複数体からなる投薬兵ときた。
今、この場で見えているのは二名だが、奥からまだ足跡は聞こえる……こちらには来ていないようだが何をしているのか。まあいい、脅威になり得ない可能性にまで注力していられるほどの余裕は俺にはないからな。
「―――――OOOOOOOOOOO!!!!!!」
「ふ……ッ!!!!」
ああ、確かに爆発的な加速だ。肉体構成、それも力を生み出すための筋肉が大きく変容した投薬兵の脚力は強靱の一言であり、鎧でもある筋肉はその自爆にも似た突進による攻撃行動を、ただ相手を圧死させるだけの凶悪な物へと変じさせる。
だが、所詮はただの直線行動だ。速さもまた、ハーサの刃の切っ先の方が余程高速であり……つまり何が言いたいかといえば、これは俺にとっては適応範囲内でしかないというわけである。
加速の中、肉体に刻まれた記憶なのか投薬兵が殴打の準備姿勢を取り始める。右拳を引き絞り、左を前に。
俺は一歩だけ前に進むと、高速で接近するその投薬兵の左手をそっと弾き飛ばした。
力は不要、合気道の要領で力の方向だけを変じさせ突進の慣性の力を大きく減じさせる。
力の少ない俺の身体では、力同士の押し合い圧し合いでは分が悪い。ただの人間相手……まあ、ハーサをただの人間と括るのはおかしい気もするが……であれば技術でそれをごまかせるだろうが、馬鹿力を身体で体現しているかのような投薬兵相手ではそれも限度がある。
故に使用するのは、相手の力を利用する合気の術―――なに、達人の如く完璧とは言い難いがこれくらいならばなんとかはなるものだ。
本当に極めた者ならばこの動作だけで肉体を回転させ、腕をねじ切ることもできるというのだから驚きだがな。
「―――?!?!?!?!?!」
急激に速度の失われた感覚に付いていけていない投薬兵の、声にならない驚愕が感じ取れた。
速度を得るために地面を蹴り、身体を持ち上げたため、結果宙に浮いているその身では一切の回避動作をとることは出来ない。
構えたナイフを一閃し、首を裂く―――が、切り裂いたは切り裂いたものの入りが浅く、切り傷が刻まれただけとなった。
「ッチ……やはり首は堅いな。」
知っていたこととはいえ、流石に舌打ちも出ようというものだ。よもやここまで強靱な鎧となっているとはな。
肉体の根幹器官を支えるものは多くが堅牢なのは周知の事実だ。それは時に心臓を守る肋骨であったり、脳を守る頭蓋骨であったりとするわけだが、人間は昆虫のように外部から骨の鎧で覆うことは出来ないためどうしても内臓ではない、骨の外へと露出した血管等は傷つく。
それを保護し、肉体を形作る第二の鎧こそが皮膚であり、体毛などはそれが変化したものだ。
……本来ならば首は椎骨によって大きな可動性を持ち、そして脳と身体を繋ぐ器官であるがゆえに脆弱性があるのだが戦争用に改造された兵士が同じ弱点を持つわけはない。
投薬兵の首回りは異常なほどに拡張され、増大している。あれでは首を絞めることも首を切り落とすことも難しいだろう―――少なくとも今の俺では、不可能とまではいわないがリスクが高い。
即座に、首を落とすことでの瞬間的な決着を諦めると、首を裂いた時に溢れた微量の投薬兵の血液を手で掬い、そのまま今だなお宙を漂う間抜けな鼻面へと投げつける。
荒い鼻息は血液を素直に吸い込み、少しだけ悶えたような息苦しさが聞こえたが投薬兵自身はそんな事故の身体の変動にすら気が付いていないのだろう。
兎に角地面に着地し、次なる攻撃を仕掛けようと身構えていた。
……背後を覗くと、同じように振動が生み出されるほどの力で地面を蹴り抜いているもう一人の投薬兵が見えた。
一対多の鉄則はどれだけ一対一の状況に近づけられるかだと言われている。暗殺者である俺たちも、そのセオリーに従うことは多い。
此度の場合は特にそれが役立つだろうな……左の軸足を深く地面に突き刺すと、威力を増すために身体を回転させつつ右足で宙に浮かぶ投薬兵を蹴り飛ばす。やれ、合気というのはこうも便利なものか。
体中に分散してしまう力の方向性を少し調整してやるだけで、瞬間的であれど怪力に等しいモノを生み出せる―――ふむ、少し勉強してみてもいいかもしれないな。
聞きかじりでは未熟が過ぎる。第一、そんな半端な技術ではそれを極めた達人と呼ばれる人間にも失礼であるし、恥晒しであるからな。
「…………ッッKKOOOO!!ッ!!!WOOOO!!!!」
「骨のない水下は流石に通るようだな」
防弾チョッキを着ていても弾丸は強力な鈍器となり得るように、骨のない箇所への攻撃はそのまま直接内臓を圧迫するため、人間の形をとっている限りはダメージとなるわけか。
成程、つまり首が特別頑丈になっているだけなのだな。……尤も、それもこの投薬兵は、という話なのだろうが。
様々な種類があるというのはそれだけで嫌になる話だ。
悲鳴を上げつつ吹き飛んだ投薬兵は、背後の投薬兵……面倒だ、記号を付けよう。投薬兵Bへと飛んで行く。
「……――――――!!!!!!」
「咆哮、か……!!」
耳を劈く絶叫。小さい坑道内では音が反響し余計に耳へと届くため、結果として脳をすら揺さぶる振動になるわけだ……!!
けたたましい咆哮を上げたその投薬兵Bは、自身の方向へと吹き飛んでくる投薬兵Aを腕で力任せに側方へ投げ飛ばすと、突進を継続させた。
個体によってある程度戦略的な行動をする者もいるのか!
空中で巨体を弾いて行動を継続させるとは……ッな!!
これは流石に捌ききれない、破片の飛び散り始めた地面に手をつき、堪らず回避する。
アクロバティックな回避をした俺の顔面ギリギリを、指を鉤爪のように折り曲げた投薬兵Bの腕が通り抜ける。
仮面の向こう一ミリ程度先の空気を裂いて行った指によって生み出された気圧の差が全身を叩いた。
直後巻き上がるのは土煙。轟音もまた響いているのだがそれに気を裂いている余裕はない―――というよりも先の咆哮で少し耳をやられた。
時間が経てば復活するだろうが、今は聴覚があまり利いていないのだ。
土煙の向こうで何かが揺らぐ。……煙が向こうの方へと渦巻いている?
「…………投擲か!!」
その推測は正しかった。
土煙を吹き飛ばすほどの威力で、砕けた坑道だった岩石が飛来する。それも複数個だ、俺のいる方に向かって手あたり次第に放り投げていたらしく、距離を取っての回避行動は意味をなさない……ならば。
前方へと進むのみだ。意識を別の方へと向ければ、投薬兵Aも復活していた。同時に戦うのはなるべく避けたい、常にどちらかには吹き飛んでいてもらわねば困るのだ。
「邪魔臭いッ!!」
障害物競走のようなものだ、飛来する岩石は速度が高いがゆえに放物線を描くことなく壁へと突き刺さるため、直線での移動を可能とする。どうしても避けられないものだけを選んで切り落とし、窪んだ坑道の壁の中央に佇む投薬兵Bへと瞬時に接近した。
ヒット&アウェイなど取っている場合ではない。一刀一刀の攻撃でこいつらを殺す気でなければ、俺が死ぬ。
逆手に持ったナイフを下段から振り抜く。この投薬兵は筋力こそ馬鹿げているが、完全な加速には溜めの動作が必要だ。本当の意味での一瞬での加速というものは出来ないため―――このように、切っ先は肌を削ることができる。
しかし、それと同時に投薬兵の皮膚は再生する。少々切り裂いたくらいではすぐに塞がるのが関の山であり、その程度の手傷では投薬兵は動きを止めない。
俺のいた場所を両腕が押し潰す。
岩石が粉々に粉砕される、パイルバンカーのような音が響いた。
……投薬兵の鼻が動き、顔がすぐ横の窪んだ坑道の壁を向く。
「打撃による脳の振動はどうだ?」
壁に張り付いていた俺はそのままこちらを向いた投薬兵Bの頭蓋骨へと手をやり、押し込むように掌底を見舞う。
あくまでも人間と構造が変わらないというのであれば、脳は致命的な弱点であるはずだ。問題としては、頭蓋骨も強靱な鎧に変化していたとすると、俺の掌底の威力では脳を少しも揺らすことができない可能性があるということだが……。
「……K……OOO????!」
どうやら杞憂だったようだ、多少は―――俺の推測していたほどではないが、脳を……否、肉体の内部を直接揺らす攻撃は通用する。
本当ならばこのまま再起不能になるほどに頭を狙いたいが、そうもいかない。
顔を上げれば異臭を放つ涎が。投薬兵Aがすぐそこまで迫っていたのだ。
脳を揺らし動きを止めたBを押しのけ、腕が薙がれる。
まあ、要はラリアットと呼ばれるものな訳だが、投薬兵の巨体と威力でやられると回避の難しい即死技へと変わるのだ。
是非とも避けたいが、そうもいかないか……ッ!
何せここは窪みの中、回避するにもどうしても投薬兵Aの腕の射程圏内に捕らえられる。
そうなれば受け身も取れずに俺の身体は粉微塵へと変わるだろう。なにせ威力は自動車の追突事故よりも激しいものだ、生身の肉体はグチャグチャになるのは猿でもわかる。
……まあ。ならば受け身を取ればいいというだけの話なのだが。
ナイフを後方に放り投げ、フリーになった両手を前にし、タイミングを合わせて投薬兵Aの腕に手を置く。
そして腕の移動する速度と同等に腕を曲げつつ、身体を浮かせ……そう、腕で投薬兵Aの腕に立っているという奇妙な状況を作り上げると、そのまま曲げた腕を、ラリアットが完全に振り切られた瞬間にもとに戻す。
すると、なんということだろう―――俺の身体は、完全に腕を振り切った状態の投薬兵Aの目の前に立っていた。
先ほど放り投げたナイフを掴むと、振り切った腕の方を狙いその手首を切り裂く。
「AAAAAAAA!!!!!」
痛みというよりは不快感を感じているのだろう、絞り出すような声を上げるとそのまま、崩れた姿勢のまま蹴りへと行動を転じさせる。
……たわけ、いくら基礎的な膂力の差があろうと―――これほど乱れた力ならば幾らでも対応のしようはある。
うねる足に腕を付き込み、上へと跳ね上げる。如何に軸足があろうと上方向に力の向きが流れれば蹴りの威力などほとんどないようなものだ。
腕を引き絞り、掌底を軸足へと叩き込む。狙うのは膝だ。
……直撃したとき、ミシリと嫌な音が響いた。
即座にナイフも突き刺し、そしてすぐさま引き抜いて、壁の方へと飛び上がる。さらに壁を三角飛びし、坑道の天蓋へと。
巨大な腕が虚空を掴んでいた。
復帰が速いな、もう少しくらい脳を揺らしていてくれてもよかったんだが。
体温が上がっているのを自覚しつつ、地面へと降りる。
膝をついた投薬兵Aと、ゆらゆらと身体を揺らす投薬兵B……さて、どこまで知能が残っているのか。全くもって戦いにくいな。
だが。勉強にはなる。俺が相手にしているのは確か人間の皮膚に骨を持つモノだが、改造を施されたその肉体は全身甲冑を着こんだ騎士のそれに近い……先駆けて騎士との戦い方を学べているようなものであり、知識としてしか知らなかった騎士の鎧の構造なども感覚として理解できたいい機会となった。
感謝するぞ、屍の兵士よ。お前たちのおかげで、俺はより多くの殺し方を識れたのだから。
「―――だが、もう十分だ」
それ故に、お前たちをここで終わらせよう。極自然に、脱力にすら近い形……己の肉体の一部のようにすら感じるナイフを揺らす。
そこから滴るのは、新鮮な血液だ。刃は妖しく煌めき、ただの鋼の塊であるというのに意思を持つかのように思えるのは不思議でならない。
……いや。俺の身体のように感じるこの刃、それ故そこには当然俺の意思が介在する余地はあるのだから、意思持つように感じるのも当たり前か。この刃は、俺自身だ。
ナイフを逆手に持ち、顔の前に。刺突、斬撃、防御全てをナイフ一本で事足らせるための暗殺者の構えを取る。
「理解しろ、怪物ども。ここは俺の領域だ」
お前たちも憐れな犠牲者。故に、慈悲を以って終わらせよう。
さようならだ、古くは人間だったモノよ。
「「……UUUUUUGAGGGGGGGGGGG!!!!!!!!!」」
一人と二匹の戦いが、その熱力を増した――――。