地下参謀
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「なんだ、ここは……?」
サイル・ナージャスは迷っていた。
いや、迷い込んだのは自分の意思でだ。我らが将軍―――ロード・ラクル。
かの人物が一切の重しなく戦うため、私はこうやって不審な場所の調査をしているというわけである。
まあ、その代わり私は対暗殺者戦に参加できなくなるという欠点はあるのだが、我らが軍の人間たちはみな強壮だ。生半なことではやられまい。
……そもそも私はあまり戦闘が得意ではない。考えることが専門分野だ。
ゆえに本来は参謀役なのである。普通の戦争において参謀が前線に出て行くのは、よほど追い詰められている時で、そして参謀の役目を放棄したに等しいその行動が必要になったのであれば、その軍はもう終わっている。
それはさておき、普通の戦争ではないようであるこの戦いでは、参謀である私の役目は存在しないに等しい。
故に、少しでも補助をできるようにと、サヴァール将軍も苦々しく見ていたこのキャラバン・サライの不透明箇所を改めていたわけである。
「明らかな人工洞窟……最近できたものではなさそうだが。それにこの壁、土のはずなのにずいぶんと滑らかになっている」
触ると、まるで丁寧に削られた石壁のような感触を返してくる不思議な洞窟壁。
土の圧縮されたものであるはずのこれらは、普通ざらざらしており、触ると剥がれてしまうのが一般のはずだが、これは触れても特に何も変わらない。
普通の製造方法で作られたものではなさそうだ。
「―――変な場所に迷い込んでしまった。これは相当、厄介ごとが待っていそうだぞ」
親指の爪を噛んで、逆に余計な手を出してしまったかもしれないと後悔する。
しかし、これを放置するわけにもいかない。暗殺者どもがこれを作ったのか、それとも全く別の人間がこの洞窟に潜んでいるのかまでは分からないにしろ、偵察して情報を持ち帰るのは必須と見た。
ともかく、歩き出さねば……そう思った矢先、後方で大きな音が響いた。
「落下音……?!何か、来るか!」
剣を引き抜き、いつでも戦闘ができるだけの態勢を整える。
落下音こそ背後から聞こえたが、前方からも来る可能性はある、気は抜けない。
挟み撃ちされたら単独では、どうしようもない!
「足音……前か!」
やはり。前から複数人のものと思しき足音が聞こえてくる。
反響しているため正確な人数の把握は難しいが、最低でも三人はいるか?
洞窟の壁に埋め込まれた小さな発光石が照らす、薄暗闇。
その奥からフードを被った長身の、おそらく男性と思われる影が幾つも現れた。
数は―――八人!?
最初に思った三人でも手に余るというのに、これほどの人数ではまず勝ち目はない。
争いとは数がすべてだ。質が良ければそれこそ一騎当千となりえるが、私にそのような実力はない。
剣を前に向けて牽制しつつ、じりじりと後ろへ下がる。
敵の走る速度は、変わらないか!
「く、意味がないな!ここは……」
逃げるしかあるまい!最低限、命を奪われることだけは避けなければ!
地面を蹴りつけて、わき目も降らず、来た道を引き返す。
背後でも大きな音がしていたが、前方を突破するという選択肢よりはマシだ。
「逃がさん」
「回り込め。目撃者だ、薬を服用してもかまわん、殺せ」
「了解」
口に何かの薬品が放り込まれたのが見えた。
その直後、男たちの走る速度が段違いに上昇する。
戦闘は苦手とはいえ、日々の訓練は欠かしていない私の足を圧倒するほどの速さ。
全力で息を切らしながら走っているというのに、向こうは余裕で私に迫ってきた。
走ってきた一人の男の袖が翻り、鈍い銀色の光が奔る。抜いたか!
「ぐう!!」
甲高い音が鳴り響き、剣と剣が拮抗する。
「流石王国の軍用品。硬いな……」
「こ、の―――馬鹿にするな!!」
剣を押し返すと、そのまま薙ぐ。
それを見た男は地面を数度跳躍し、後退した。
……数度だけで数メートルは移動している。運動能力が人間の域を超えている。
いや、同じような動きをする人間は知っている。
我らが盾将軍、サヴァール・ラクル。あるいは、そのサヴァール様と双璧をなす剣将軍、カウフ・ロード・ビーシュツァーク。
あの人たちならば同じような運動能力を持つだろうが……あのような方々は一騎当千の猛者だ。
普通の人間にできるようなものではない。
「背後をとれ。ああ、そこでいい。……さて、お前は―――はは、上で呑気に戦っているサヴァールの右腕だな?」
「ああ、まあ……な」
にらみ合っているうちに、数人によって逃げ道を塞がれた。
どちらにしてもこれほどの運動能力を持つ複数人の人間を相手にし、逃げられるとは思っていないが。
……万事休す、か。
「これから死ぬとも知らないで、愉快なものだな、お前たちの将軍は」
「パライアスの将軍はみんな馬鹿さ。言ってやるなよ」
優位からくる優越感が、嘲りの感情を助長させたのだろうか。
男たちは、我がパライアス王国の将軍たちに対し―――そう、嗤った。
腹の奥でふつふつと怒りが溜まるが、意識をして堪える。
落ち着け、こいつらが服用した薬によって高い運動能力を引き出しているのだとすれば、時間を稼げば逃げることができる可能性は残っている。
一度打ち合ってわかったが、技量はそこまで高くない。
剣将軍カウフ様ならば、あの一刀で剣ごと私の体を両断していただろうからな。
運動能力がこれだけ違っていても、剣が欠ける程度でしかない腕前。私とさして変わらないのだから、普通にやるのであればまだ、勝機はある―――と思っていたのだが。
「随分と、我が王国の将軍たちに恨みがあるようだな」
「ああ。たっぷりとな。まあ恨みがあるのは俺たちじゃなくてボスだが……まあいい」
「おい、時間の無駄だ。早く殺せ」
「……わかっている」
時間制限という弱点をみすみす晒すまで待つわけもないか。
会話で持たせようとしたが、他の男に促され、目の前の男の剣が首元へと……ええい、こうなれば前進だ!
逃げ道を塞ぐために、男たちは私の後ろのほうに人数を大きく割いている。
前方のほうがまだ薄い!
唐突に走り出し、男の太ももを切り裂くと、あがる怒号を無視してそのまま直進する。
……転がった剣を拝借し、走りながら後方へ投げつけた。
「ぐあっ!?」
「当たった、よし……!」
珍しく投擲武器が当たったぞ。まぐれだが運がいい。
「早く再生薬を塗り込め」
「ああ、わかってる!煩い!」
意外と深く切り裂かれた太ももに、ジェル状の何かをつけているのが見えたが、それが何なのかを理解している暇はなく、足を止めずに前へと向かう。
敵の足を狙う攻撃や急所への攻撃のみ対処を行い、全身に傷を負いながらも走る、走る。
「扉!?」
「ッチ、早く殺せ……」
「別にいいだろ、あっちに行っても逃げ場はないぜ?」
「それでも壊されたら面倒なものが多い!」
糞、この先は袋小路か!?
扉を蹴破り、転がりながら周囲を見渡す。
ここは牢屋……?いや、死体安置部屋かッ!
鼻をつく異臭。その正体は牢屋の中で屍となっている大きな家畜や、人間たちだった。
牢屋は左右に広がっているのみだ。中央部分はほとんどが広めの通路であり、そしてまだ進むことはできそうだったが―――。
「無理だ、追いつかれる!!」
「これ以上逃がさねえぜ?」
「……注意しろ。斬られて抜けられないようにな」
「ッチ。うるせえな、お前が言うな」
悪態をつきつつも、私を取り囲み始める男たち。
この通路はそれなりに広いとはいっても、左右は牢屋によってスペースを取られている。
先ほどまでの通路よりは狭いため、囲まれては逃げ場は存在しない。
その前に背後へ走り抜けようと思ったが、別の男が投げナイフを出していたために断念した。
無防備な背中にナイフを刺されたらそれこそ終わりだ。
牢屋を背にし……決死の覚悟というものを決めた。
剣を両手で握る。汗で滑りそうだ。だが、ただでは死ぬものか。
せめて二人は相打ちにまで持ち込んでやる―――。
「行くぞ!!」
「……その覚悟は別の機会に取っておくことだ。死ぬための覚悟など、するものではない」
剣を構えた直後―――小さく、そして素早い影が音もなく通り抜けた。
銀色の軌跡。今度は一切の鈍さを感じさせない。
……技量が段違いだ。滑らかで、美しく、流れる水のような軌道。
二つのその光は、瞬時に六つの首を刈り取った。
「な……に?!」
「後続か、対処をッっぐ!!??」
そしてもう二つの首もまた、同様の隙をついた攻撃によって地面へと落下する。
美しい水のような流れのまま、二本のナイフを仕舞ったその影の上から、血のシャワーが降り注いだ。
それは私にも降りかかり、気持ち悪い生暖かさを感じさせたが……それよりも、あまりにも意外すぎる影の正体に意識が向いており、それについてを思うことはなかった。
「襲われていたようだからな。一応助けたが。……ああ、敵対するつもりならばすぐに殺すが」
幼い少女の声だった。
刃物のような鋭さと仮面の向こうから感じることのできる冷え切った視線が、その幼さのすべてをかき消してしまっているが。
「いや……とんでも、ない。助かった」
「そうか。では礼ついでにここの案内を頼めるか」
「わたし、もよくは……。よくは知らないんだ。地図にあったこの謎の場所を調べに来ただけでな」
「なるほど。―――ん」
仮面の少女の視線が、牢屋の一室に向く。
腐臭漂う死体……小さな死体が鎮座する、その一室に。
「―――あれについても知らないと。それでいいな?」
「あ、ああ。……あれは、少女の死体、か?」
「…………。気に入らないな」
そう吐き捨てると、牢屋の一室に近づき……ナイフで簡素な錠前を切り落とす仮面の少女。
錠前の断面を見ると、恐ろしいほど綺麗に切断されていた。
驚愕しつつ、錆び付いた扉を開けて、牢屋の中の死体に触れる仮面の少女の側に、一緒にしゃがみ込む。
「この背中や臀部の傷は叩かれたものだろう。頬にも傷がある。……そして」
死体をひっくり返すと、硬直したその少女の終わりが。……死体の様相すべてが見て取れた。
「腐った臭気の中に、吐き気がするような烏賊臭さがある。……匂いの段階的に、長期に渡りここで嬲られたのだろう。―――死んだ後も、な」
「まさか……死か―――」
「この娘の名誉のためだ。それ以上は口を噤め」
「ああ、ああ。そうだな、すまない」
「…………」
十字を切り、少女の安寧を祈る。
それを黙ってみていた仮面の少女は、哀れな死者の、露わになっている小さな双丘の真ん中にあるペンダントを取ると、そっと胸元へと運んだ。
「帰るなら来た道を辿れ。邪魔さえしなければ殺しはしない」
「……一緒に行かせてくれ。目的は同じはずだ」
「俺の目的はお前たちにとって妨害工作として作用するはずだが」
「いや、罠の可能性がある。……あれらの物資の破壊は、私も望んでいる」
「ならばいい。だが、俺の指示に従え。そして足手まといになるようならば置いていく。いいな」
「もちろん。それでいい」
……そうして、私は。
この名前の知らない、仮面の少女とともにほんの少しだけの共闘関係を結んだのだった。