百面戦争
***
―――駆ける、駆ける、駆ける。
屋内を直走るのはのっぺりした仮面を付ける、一人の女。
「居たぞ、侵入者だ!!!」
「殺せ、殺せッ……があっ!!?」
「邪魔さね」
相手が武器を構えるよりも早くその首を全て斬り落としていく。
屋内という戦場に於いて私に勝とうとは千年早い。
特に室内で戦うという事になれている者ならばともかく、普段は平地での戦争を主としている者ではあまりにも役不足という物だ。
武器を構える速度、その武器の狙い、命中精度。
戦い方に足使い、全てが遠すぎる。
「ま、数が増えると流石に面倒だがね」
そのあたりはミリィが何とかするだろう。
……我等”長老たち”の中でもあの暗殺者ほどに対集団戦闘に長けた人物はそうはいない。
本人は戦争も戦闘も苦手だと言っているが、戦場に於いてミリィと出会ってしまった軍というものはあまりにも悲惨な現実に直面することになる。
その有様を見て他の暗殺者たちは皆一様にこう言うのだ。
”百面”と戦争をしなくてよかった、と。
「個対個ならば確かに劣るさ。しかし、集団ともなれば……」
その力は群を抜く。
―――ほら、やはりミリィがやってくれたようだ。
私を歩みを止める兵士の数が極端に少なくなってきているのが確認できる。
会うやつらも偶々私の進路に入ってしまっただけで、目的は私ではないことが理解できる。
まあ彼らには運がなかったとして諦めてもらうしかないだろう。
剣閃が奔り、首が幾つも落下する。こうなってはもうこのキャラバンサライは本来の役割をこなすことはできないだろうなと思いながら。
「血だらけの生臭い倉庫なんざ、使いたくもないわなぁ……おっと」
通路を抜け、広間に出る。
このキャラバンサライは戦争の要衝たるルーヴェルに存在するために、構造は平面な城と呼べるものだ。
元々の仕様として城壁があるのはもちろんだが、それに加えてあれほど巨大な門があったのはここがルーヴェルだからこそ。
そして。そのような理念によってつくられているからこそ、この広間は存在する。
入り口から二本伸びた通路。それらは行ったり来たりが出来るため、実質はただの仕切り程度でしかないにしても、軍を阻むという役割では実に理に適っている。
そしてその奥にある広間の役割とはすなわち、城に詰める兵士たちの待機場所に他ならない。
―――しかし、その広間に佇むのはキャラバンサライに詰める無数の兵士たちなどではなく。
「ほほう、来たか。その顔の無い仮面……暗殺者、”無芸”と推測するが如何か?」
巨大な盾を構えた、大男であった。
「正解さね。お前はパライアス王国に名を轟かす三将軍が一人―――サヴァール・ラクルだな?」
「その通り。……さて、暗殺者よ、貴様らの目的は戦争兵站の廃棄だな?」
はん?音に聞いた武勲から、余程の脳筋思考の将軍かと思いきや随分と頭の回転の速い男じゃないか。
気に入った。これはとても楽しくなりそうさね。
英雄たる者には勇気と知性双方が備わっていなくてはならない。それでこそ殺す甲斐のある相手という物だ。
その観点から言えば、この男は大当たりさね。
「最終目標としてはそうなるな。だが、私の目的としてはお前みたいな強者と戦えればそれでいい!」
「暗殺者の癖に戦闘狂とはな……暗殺者向いてないんじゃないか、貴様?」
「さあな、知った事じゃないさねッ!」
―――さあ、殺し合いを始めようじゃないか!!
***
「……おや、戦闘を始めたようですね」
ハーサの殺気、闘気というものがここまで伝わってくる。余程楽しめそうな相手を見つけたのでしょう。
通路の奥、兵の詰め所となればそこにいるのは屈強な兵士であることは疑いようもない。
しかしハーサがここまで嬉々として戦いを始めるともなれば、相手はこのキャラバンサライの最大戦力である盾将軍しか居ないだろう。
私としては好都合だ。というか最善の結果というべきか。
戦闘が苦手なこの身としては、単体で強力な相手と事を構えるのはなるべく避けたいもの。それに加えて兵を指揮することに長けた将ともなれば、大凡相性は最悪と言ってもいいのだから。
「追い詰めたぞ、暗殺者!」
「ええ、追い詰められました」
槍や剣を構えた兵士たちが私の周囲を取り囲む。
今の場所は、通路の中心あたりとなりキャラバンサライの中でハーサが今戦っている詰め所の広間と、その外周を通ってから奥へと通じる、荷物やラクダ搬入をする貨物通路双方の切り替え場所となっている場所であった。
この道をこのまま真っ直ぐ進めばハーサの広間へと通じ、横にシンメトリーに伸びている通路を進めばこの長方形のキャラバンサライの本体たる、荷物を置いておき、隊商の宿ともなる宿舎へと通じる。
戦争にも転用可能なこのキャラバンサライ、中央の広間からしばらく軍備関係の設備や荷物置き場、詰め所となっていて、その設備を超えた先に在るのが隊商宿本来の役割という事になっているのだろう。
普通のキャラバンサライの建築様式とは大きく異なっているのは戦争のためという理由だけなのか、そこばかりは分かりませんが。
「仮面を付けないとはな!ッハ、投降しに来たのか!」
「おや、投降すれば見逃してくれるので?」
「誠意次第ってやつだなァ!」
「そうですか」
それはそれは。
男の視線は私の胸のあたりを向いていた。
わざと大きくはだけた胸元からは、もうほとんど零れ落ちそうなほどにさらけ出た乳房が。
誠意がどういったものを指すのか、これほど分かりやすいのもそうは無いだろう。
……わざとやっているというのに気づかないとは、いっそのこと憐れと言えるだろうが。
やはり男など、こんなものなのでしょうね。
「では―――これで、見逃してくれますね?」
衣服をさらに乱す。娼婦のように淫靡に、艶めかしく。
男の顔が笑みを浮かべ、そして直後困惑に変わる。
一歩。私が歩いたのは一歩だけだ。それだけで、無数の兵士達は私の姿を見失っていた。
「なっ?!どこだ、どこへ行った!!!?」
「ここです」
耳元で、笑みを浮かべていた男にだけ聞こえるように囁き……そして鮮血が迸った。
男の身体が倒れ、その後ろには―――顔面を蒼白にした若い兵士の姿が。
「お、お前!!?何をして」
「違う、違う俺じゃない!俺じゃないです!!」
「まさか、お前……裏切り者なんじゃ」
「ちが……―――ッがうぅああ!!??」
「死ね、死ね裏切り者ォォォ!!」
今度は若い兵士が他の兵士数人掛かりで撲殺される。
裏切り者の疑いをかけられて。
「死ね、はぁ……はぁ……死ん、だ?」
「はは、やったぞ!」
「ああ、やっ」
ブツリ。
鈍い音がして撲殺に加わっていた兵士の首が落ちる。
歓喜の声を上げた瞬間に、勝鬨の瞬間にそれは起こったのだ。
「あ、え?」
首を落とした兵士は自分が何をしたのかわかっていない、そんな表情を浮かべていた。
「また、裏切り者だ!」
―――そんな言葉が、どこからか響いた。
またもや撲殺が始まる……かと思いきや、それに対して今度はこんな言葉が兵たちの中に響いた。
「いや、裏切り者はあっちだ!あいつらは、暗殺者の変装だ!」
「あああああ!!??」
言葉で兵たちの動きが止まり数瞬後。
一人の兵士が暴走したように仲間の兵士へと斬りかかった。
突然のことに対応できなかったその兵士は、腹を大きく引き裂かれて臓物や糞尿を撒き散らしながら倒れる。
それを一瞥した兵士。……今度は呆けることもなく、次の仲間へと斬りかかる―――。
そうして、地獄が始まった。
「死ね裏切り者!!」
「くたばれ、暗殺者があああ!!!??」
「痛い、痛い?!なんでだ仲間だろう?!」
「お前が先に攻撃したんだろうが!!」
―――仲間同士での殺し合い。
狂乱に陥り、味方が信用できなくなり、そして皆が皆、自分だけは間違いなく正しい兵士であると信じているが故の、無意味な同胞殺し。
即ち、大虐殺。
「な、なんだこれは……おい、お前等おちつッ?!」
兵士たちの上官に当たる男が、後ろから槍に串坐されて息絶える。それに気が付いたものは誰もいない。
歯止めを失い、歯車の狂ったこの狂乱者の群れはそして……最後の一人になるまで、無意味な仲間割れを繰り返してしまっていたのであった。
「は、はは!殺した、殺した!??俺は正しい、俺は裏切り者を殺しただけだ、ははは!!!」
血の涙を流し、背や足に味方の剣や槍を受けて。
瀕死のまま、最後の一人になった憐れな兵士は笑う。
笑って笑って、そして嗤って………兵士は、一人の人間の姿を捉えた。
「おや。勝手に殺し合いを始めて如何したのですか?」
「あ、はは……へ?」
返り血すら浴びておらず、最初と同じ姿のまま立っている私を見た最後の兵士は―――絶叫した後、自信の心臓を自分の剣で貫き、その人生を終えた。
「さて、次の群れを解体するとしましょう。ついでにこのキャラバンサライの構造と、資材の場所を把握しなければいけませんね」
―――対集団戦闘のプロフェッショナル。
変装の達人以外に、”百面”のミリィは多くの軍人や同業者からこう呼ばれる。
変装技術とそれに付随する演技能力、そして演技をするうえで必須となる思考を読み取る力。
それらに長けているこの暗殺者は、一人だけで軍という一つの組織を崩し、壊し、集団能力の利点を全て奪い取り、ただの狂乱に陥った暴徒の群れにまで弱体化させてしまう。
ごく自然に兵の中へと紛れ込み、様々な手腕を以って内側から崩壊させる恐るべき力。
それが故に、量を以って戦うしかない軍はこの暗殺者を恐れるのだ。
瞬時に姿を変えた百の顔を持つ暗殺者が、次の獲物を求めて歩き出す……。