三長顔会
***
街の奥の方に在るキャラバンサライ。
一段下がった平地に立てられているために、谷のなだらかな斜面に沿って作られた居住区にて上がっている炎に襲われることこそなかったが、その騒ぎは確実に届いていた。
「サイル、武具の用意をせよ。戦争になるぞ」
「……リマーハリシアがもう既に仕掛けてきた、という事でしょうか。ですがあまりに早いような。そもそも、宣戦布告を出していないのでは?」
「リマーハリシアではない。この騒ぎ、このやり口は国家という物に囚われないもののやり方だ」
「暗殺者ども―――ですか」
「その通り!いいか、全兵士に通達せよ!門を閉じ、全ての入り口に該当する箇所に見張りを複数人から立てた上で、完全武装で待機せよとな!」
「分かりました!!」
重厚な音を立てて床を叩いた白き盾の音に鼓舞され、サイルは簡易的な要塞となったキャラバンサライの中を駆ける。
一心不乱に走るその姿を見て、うむ若いな……などと言う感想を浮かべつつ、このキャラバンサライを守る将、盾将軍サヴァールは自室から出た。
さて、サイルにはあのように命令を出したわけだが、確実にキャラバンサライに侵入されるだろうという事は容易に推測がつく。
ありとあらゆる兵士たちの盲点を突き、将軍や参謀ですら思いつかないような技術、技法を以って敵を打ち倒すのが暗殺者なれば、この破城槌でも持ち込まなければ破られないキャラバンサライを突破するための何かしらの策はあるとみていいだろう。
「それを考えると、まだ自陣の事を深く知らないというのは難点だな……」
自身の勘に従って、強敵が現れそうな箇所に移動しつつ、このキャラバンサライの持つ問題点についてを考える。
顎に手を当てて、無精髭を撫でるのは考え事をするときの癖だ。
特に戦争に関わることであると長く考え込んでしまう。
……今回の問題点としては、このキャラバンサライの務め人共がどうもこの館の構造についてを吐かない、というのがあげられる。
兵たちを差し向けても、特定の箇所には行かせてくれないのだ。
武力で押し通すこともできるが、事実しばらくの間は籠城に近い状態になる以上、あまり内部の人間との軋轢を作るわけにもいかない。
商人の類いは軍とは共生関係であるが、情報を出したがらないというのは周知の事実であるが、ここまでというのは異常な気もするな。
「さてさて。何を隠しているのか」
建物の構造を完全に把握していないというのは、戦争において大きな不利となる。
更にその場所に何があるのかすらわからないというのは、致命的だ。
この身は盾将軍。如何な敵でも斃れることはないにしても、戦いにくいのは事実だ。
いや。そうか。
「逆、か。我等の敵は……」
―――その時、キャラバンサライ全体に大きな音が響いた。
巨大な物が擦れる音。そして、外部の風が内部へと吹き込む、気流の流れの感覚……ッ!!
何が起こったのかを理解したとき、サヴァールは即座に声を張り上げていた。
「総ォォォ員!!!戦闘準備ィィィィィィィィィ!!!!」
その声はキャラバンサライ全体に響き渡り、錯覚とはいえ一瞬、建物全体を揺らしたかのように見えた。
兵士たちはそれを聞いて、武器を取る。建物と同じように、自身の心を奮わせて。
***
「はて、確かどこぞにハカという、戦闘前の雄叫びをすることで戦力を高める儀式がありましたか」
即ちウォークライ。
ただの声であれど、あの将軍の言葉はその域に達しているという事でしょうね。
やれやれです。私が相手を務められる敵ではなさそうだ。
そもそも私は普通の暗殺者であり、極端に戦闘能力の高い敵を倒すのは苦手なのです。
そういうものはハーサやバルドー……”神拳”にでも任せておけばいいのです。
「お、おいお前、何をしている!??」
「扉を開けるなど、何という事を―――」
「おっと」
物思いにふけっている時間はありませんでしたね。
仕事中なのでした。最近考え事をする時間が増えてきたというのは、歳をとった証拠でしょうか。
「答えろ!何故、何故お前は―――長年共に居た仲間を裏切った!?」
私……ミリィに槍を向ける兵士の瞳に映っているのは、暗殺者である女性の姿などではなく、長い間寝食を共にした仲間の姿。
同じ戦場をも駆けた、心を許せる友というものだ。
それ故に、このキャラバンサライの重厚な、正規な手段では内側からしか閉めることも開けることも叶わない扉を開けたことに対して、驚愕と怒りが渦巻いているのだろう。
それは随分と見当違いなことなのですけれどね。
だって、その御方は既に屍になっていますから。
冷笑を浮かべると、一歩―――槍を向けている兵士へと近づき……その兵士を通り過ぎて、十数人の隊の中へと入りこんだ。
「ック!!その裏切り者を殺せェェ………ッッ?!!」
反転し、槍を構えた兵の一団は、直後に困惑の表情を浮かべた。
先ほど扉を開けた裏切り者が何処にもいないのだ。
槍を突き刺す相手を見失い、互いに互いを見つめる兵士たち。
その中心にころん、と。小さな球体が転がり落ちた。
「……?」
とても静かに佇むそれに気が付いたのは、ごく数人だけ。
しかし、今更気がついてもあまりにも遅かった。
小さく何かが噴き出るような音が出た瞬間、兵士たちは首元を掻き毟り苦しみ始める。
「あ……?!」
「苦し―――ッ、がッ!」
「ど……毒ッ!?」
「正解だ。だが何の毒かを応えられねば無意味」
苦しみもがく兵士たちに掛けられたのは、深く皺枯れた老人の声。
その声の主は、蛇の頭を模した仮面を被っていた。
それ以外は黒いローブに覆われ、どのような体つきをしているのかを判別することはできない。
……この男、”毒蛇”の長老。
暗殺者として、特に表舞台に姿を表わし、名を知られたモノとしては最も古き歴史を持つ暗殺者である。
「音もなく、見えもせず。相変わらずの力量ですね、”毒蛇”」
「唯放っただけに過ぎぬ。これは如何程の力量にも該当はせぬ。……貴様も相変わらずの臆病さよな、”百面”」
斃れた兵士たちの中で、ただ一人だけ立ったままの者がいた。
それは最初に槍を向け、変装した私に槍を向けていた男であった。
尤も、その本人は床で永眠しているのですが。
臆病さとは、必ず誰かの姿を借り、暗殺をする私に対しての小言なのでしょう。
けれど、それには笑って応える。―――声だけを自分の物に戻して、
「それこそが取柄でありますので」
「………この方が、あの”百面”様。仮面を持たない暗殺者」
”毒蛇”の傍らには、金髪に半分のみ蛇を象られた仮面を付けた、少年がいた。
両手に黒い包帯を巻いているのが特徴と言えるだろうか。
まだまだ緊張感が抜けていない様子。実戦は初と見える。
ああ、行けない。思わず癖で相手の特徴や心理状況などを推測してしまいました。
付き添っているこの少年。
微かに毒の香りがするので、”毒蛇”の弟子に違いはないだろう。
身体を多くの毒に浸し、生き延びる技法を持つものはそうは多くない。
私の知る限りはこの目の前の長老と、ハーサだけだ。
「お初にお目にかかります、”毒蛇”の弟子です。……よろしく」
「ええ。まあ早死にしないようにだけ、願っておきますね」
「……あ、ああ」
暗殺者の弟子程死にやすい者もいない。
一人前になっても死ぬことが多いのだ、それよりも腕の劣る半人前ではそのような対応しかできない。
「……へえ、お前が”毒蛇”の弟子か」
「――――!?」
「”無芸”、いきなり現れないでください。私たちはともかく、その子は驚きますよ」
「は、この程度で驚くなんて肝が据わってないさね」
「何の用だ、”無芸”」
「仕事だよ、仕事」
「ならば直に行け。我が弟子を振り回すな」
「分かってるさね」
何処からかいきなり現れたハーサに、弟子は驚きの感情を浮かべていた。
当然だ、仮にも暗殺者であるというのに……即座に殺される距離にまで接近されていた筈なのに、気付けなかったのだから。
まあ、あれはしょうがない。ハーサが異常なだけですから。
”毒蛇”の苦言に対して軽く答えると、そのままハーサはキャラバンサライの奥へと進んで行く。
―――”毒蛇”の弟子には興味がなくなったかのように、一切振り返ることもなく。
「なるほど。……さて、私もあまり雑談に精を出すわけにはいきませんね。それでは」
自身の秘技によって、一瞬のうちに見た目を変えると、”毒蛇”とその弟子に軽く会釈をして再びキャラバンサライへと潜入する。
ハーサが強敵を相手取り、”毒蛇”が通行と援軍を遮断する役目を負うのであれば、私のやるべきことは中にいる兵士の殲滅だ。
戦闘は得意ではないにしても、それくらいはしなければいけないでしょうね。
去り際にそういえば、と思い浮かんだ言葉を、”毒蛇”に投げかける。
「”無芸”の弟子が外の陽動が終わり次第駆けつけます。敵と間違えないようにしてくださいね。―――怪我をしては大変ですから」
「……ほう。それはどちらか」
「さあ」
泡沫の如き言葉を放り投げ、今度こそ建物へと潜り込む。
騒ぎはすべて、この建物から認識していた。あの娘ならば確実にここにも来るだろう。
やれやれです。……本当にあの娘は、ハーサの弟子ですね。
弱き奴隷であり、そして強き暗殺者になるであろう我等が弟子に、半分呆れつつ。
その到来を楽しみにしようと思った。