豚人撃滅
ガシャガシャと鎖を鳴らしながら奴隷部屋を歩き回る。
奴隷部屋の中でも、完全に動きを止めさせるための設置型拘束器具を付けられていないのは俺と、奴隷の少女リナだけである。
とはいえ、リナはもうすでに随分と衰弱しており、栄養価も少ない食物しか与えられていないために重い枷を引き摺りながら歩くことはできない。
結果、まともに動けるのは俺だけだ。
あとの二人の奴隷は……マキシムが用なしと判断したためなのか、常に拘束器具に体を拘束されており、リナよりもさらに与えられる食料が少ない。
奴隷への扱いの悪さから、このセカイの奴隷の地位の低さが透けて見える。
古代ローマでは、奴隷といってもちゃんと出生の自由もあったし、あまりにも劣悪な環境に置かれることは少なかったという。
ようは、働き口を自分で決めることができないだけの人が奴隷だったのだ。
間違っても、性処理の道具として扱われ、捨てられるような存在ではなかった。
「壁の材質は、石か」
コンコン、と壁をたたいて確認する。
返ってくる質感は重厚であり、かなり分厚いようだ。
それはこの部屋の扉も同じ。
たとえ大砲を打ち込まれても、数回は耐えるだろう。
よくもまぁ、こんな頑丈に作ったものだ。
「脱出手段は、なし……正攻法しかないな」
つまりは、マキシムを捕え、フロルをどうにかして排除して正々堂々この屋敷を出る。
俺はこの場所から一人だけで出るつもりはない。
助けられる命があれば、枷になりすぎないようにではあるが、なるべく助けるつもりだ。
そして、その助ける相手の中には、まだ生存の可能性を持つ少女、リナも入るということだ。
「なあ、リナ。………起きてるか?」
「……う…ん。起きてるよ…」
「そうか。お前は……ここから出られたら何がしたい?」
「……出られたら?」
「そうだ。夢は大きく持つものだぞ」
それが、奴隷という身分の上にある無理難題でも。
人は希望を抱くことで前へと進む力を得る。
時に砕かれることがあっても、最初から何もない空っぽの状態よりはましだ。
「……ゆめ。夢かぁ………ハシンちゃん、あのね…?」
「ああ」
「わたし、自分のお店持つのが夢だったんだ……小さなパン屋さんを」
「リナは、パン作りが得意なのか?」
「うん………まだ、ここに来る前に……近くのお姉さんに教えてもらってたの。すごく……すごくおいしかったんだよ……?お姉さんのパン」
「リナにそこまで言わせるパン……食べてみたいな」
「うん………もしも、ここから一緒に出られたら……いこうね…」
「ああ。約束だ………その夢、絶対に叶えてやるからな」
バンッと、石製の重厚な扉が大きな音を立てて開け放たれる。
視線を向けると、左腰にかかった銃剣に手を携えた男……フロルだ。
「彼女が寝たところなんだ。静かにしてくれ。奴隷とはいえ、睡眠の権利くらいは誰にだってあるだろう?」
「偉そうな口をたたくな……ッチ」
フロルの瞳が捉えたのは、俺の右胸の上あたりにある、大きな奴隷印。
……そういえば、リナには奴隷印がないな。
ちらりと、ボロを着たリナの胸あたりに目線を向ける。
もしかして、正規の方法で連れてこられたわけではないのか?
正規の方法とはつまり、奴隷市場でマキシムに買われて連れてこられたということだ。
フロルは、俺の言葉に動いたわけではないだろうが、リナを持ち上げると、そのまま比較的暖かい奴隷部屋の真ん中あたりにゆっくりと置いた。
俺とリナの違いは、正確も多分にあるだろうが……奴隷印の有無もある。
あの目線といい、フロルが真に嫌っているのは奴隷そのものではなく、奴隷印を付けた人間なのか……?
「リナには随分と優しいんだな。その優しさを俺にも少し分けてくれよ」
「黙れ……貴様が今宵閣下に献上するのではなかったら、殴っているところだったぞ」
「それは怖いな」
―――そうだ。
暗殺を学び始めて、ずいぶんが立つ。
そして、今日が……その成果を見せつけ、自由を手に入れる時だ。
「身体検査だ。服を脱げ」
「服…ね」
俺が纏っているのは、買い物のときに渡されたスリングショットのような服。
あれに脱ぐも何もあるものか。
せいぜい股間くらいしか隠れていない布切れだぞ。
………とはいえ別段逆らうことでもない。
付けられたままの足枷、手枷のせいで四苦八苦すること数秒、やっとのことで服を脱ぎ終わる。
「ふん。手を横に。足を開け」
「……こうか」
全裸のまま男に全身を見られるというのも、気持ちいものではないな。
俺が男のままでも嫌だっただろうし、今など視姦されているような気分に陥る。
実際にも、視姦で間違ってはいないだろう。
全身をくまなく見て回り、武器などがないかを逐一確認する姿を傍から見ればまさに、といったところだ。
フロル本人にはその気はないだろうがな。
「口を開けろ」
「……んぁ」
……歯を撫でられる感覚がむず痒い。
非常に鳥肌が立つ。
そのあとも触診をして、やっとのことで武器がないかを確認し終えたようだ。
腰から鍵の束を取りだし、俺の枷をすべて外す。
「ついてこい、奴隷」
「わかったよ」
俺はカツカツと規則的な足音を立てるフロルについて行った。
マキシムの自室はここからかなり近くにあるとはいえ、一つ質問するくらいの時間はあるだろう。
常々気になっていた質問をフロルにぶつけてみようか。
「なあ。あんたは、なんでマキシム様に付き従っているんだ?正直、あの人よりもあんたの方が随分と戦争に向いている気がするが」
「交わす言葉はない」
「それは、奴隷印を刻まれた俺だからか?」
ピタリ、足が止まる。
フロルの方が足が長いため、歩幅的にやや遅れていた俺は危なげなく停止する。
くるりと振り向いたフロルと見つめ合う形で、だ。
「ああ、そうだ。私の妹は、奴隷印を付けた貴様らのような奴隷に殺された。たった一人の肉親を奪い去ったお前たちを、私は永劫許さん」
「……マキシムに従っているのは、奴隷への復讐へのためか」
「今のこの国は、奴隷への束縛が緩すぎる。奴隷など存在をなくすか……せめて強固に縛り付けなければ……安心して民衆が暮らすことなどできはしない」
「そうか」
なるほどな、そういった理由だったか。
確かに一本筋の通った主張だ。
力のある貴族のもとで働いていれば、いずれ戦果を挙げるなりして昇進し、発言権を高めることができるだろう。
そうすれば、今の国の在り方に一石を投じることができる可能性もある。
だが。
このセカイは、筋が通っているからといって必ず主張が認められることはあり得ないのだ、フロル。
「俺が言えたためしではないが、主は乗り換えた方がいい。マキシムは、奴隷をなくそうとするお前に賛同することなどあり得ないよ」
「………奴隷風情が、何を語る」
「奴隷という立場だからこそ分かる真理もある。………あまり、奴隷を甘く見るなよ」
立ち止まったままのフロルを追い越し、マキシムの部屋の扉に手をかける。
「……せいぜいヒィヒィ鳴いて居ろ、玩具が……!」
その言葉が、俺には負け惜しみにしか聞こえなかった。
……さあ、ここからが俺の戦いだ。
扉にかけた腕に力が入る。
……喉の手を当て、少しさする……よし、問題ない。
さて、行こうか――――。
***
「や…やあ!遅かったねぇ、ハシンちゃん……!」
「……フロル様と長話をしてしまいまして」
「フロル君と……?か…彼優秀なんだけどねぇ……奴隷をなくそうっていうのは賛同できないなぁ」
ほら見ろ……思わず口に出しそうになる。
フロル、お前の努力はここでは報われることはないぞ。
まあ、こいつは俺が何とかする。
お前はお前で何とかするがいいさ。
ここにはいない、片眼鏡の男に胸中で語り掛ける。
俺自身は決してお前のことは嫌いではなかった。
扱いはひどかったが、眼前の豚のように権力に溺れているということもせず、自らを鍛え目標へと一直線に向かっていっていたのだから。
俺は、敵だろうが味方だろうが、悪だろうが善だろうが、自らの目標を決め、そこへとひた走る人間を心から尊敬する。
……もちろん、それ以外にも尊敬できる人間はいるが――このマキシムという存在は無理だ。
「そ…それはどうでもいい話か……ハシンちゃん……ベッドへ」
「……かしこまりました」
マキシムの言葉に従って、ベッドの上へと昇る。
そこで披露するのは、ハーサから教えてもらった男の劣情を催させるための仕草。
視線の向き、手や足の配置、息のリズム―――俺の身体が持てるモノすべてを使って、対象の情欲を刺激する。
ハーサ曰く、これ古典的な誘惑殺……俺たちの世界において有名なその名を――密の罠。
か弱く、見目麗しい女の暗殺者だけができる、弱さの中に隠され恐ろしく研ぎ澄まされた……甘い甘い毒牙だ。
マキシム。
数々の奴隷を食い物にしてきた貴様にふさわしい暗殺だろう?
「ハシンちゃん……………はあはあ、じゃあ、行くよ…?」
「は、はい……」
服をすべて脱ぎ、全裸になったマキシムがベッドへと上がる。
天蓋付きの贅をつくしたベッドが、体重でギシッと軋む音がする。
独特の甘いにおいが鼻を突く。
この匂いは、乾燥させた酪絡草を燃やして出る匂いだ。
酪絡草の発する匂いは、女性に対し強い媚薬効果と意識が混濁するほどの強い酩酊効果をもたらす。
マキシムが女を”落とす”時に使う植物だそうだ。
例え耐性があっても、体が汗ばみ、ほしくなってしまうのは仕方がないこと……重要なのは、それに身を任せるか任せないか、だ。
身を任せずに、利用できればそれは相手に逆襲するための手段となり得る。
「ハシンちゃん!」
今の俺から比べればずっと大きな手が迫りくる。
それに対して、俺はこういった。
「………そこまでにしておけよ、このクソ豚め」
「え…え?」
ポカン。
いままで従順だった、自分の意のままになるいい玩具から発せられた、拒絶の声。
それが怒りに代わる前に、その間抜けずらに制裁を叩き込むことにする。
口の中で舌を縦に丸くすぼめる。そして、喉を強く押し、気道に隠し持った針を口の中に戻し―――。
針を舌の中に通し、強く、強く息を吹く。
「――――ッふ!」
暗殺者の訓練の中で、武器を隠し持つ場所もいろいろ教わった。
例えば、髪の中。
そして、針のように細長ければ、気道にすら隠し持つことができる。
フロルのチェックも、口こそ及びはするが、気道中までには至らない。
サクッと、針はマキシムの眉間の中央、脳近くを寸分違わずに縫いとめた。
「”暗殺者は、どこにでも武器を隠し持つものだ。人の考えが及びすらしないところにな”……か。最初気道に針を入れると聞いたときなんで、自殺する気かと思ったが」
気道…正確にはその中の気管。
この部位は直系1.5㎝ほどの隙間があり、長さは十㎝ほど。
そこに針を流し込み、気管を絞める訓練を積めば、隠し持つことが可能なのである。
いやはや、暗殺者はほとほと命知らずだな。
「これで、ミッション完了だな……」
――――――こうして、こんな状況へと到達することとなったのであった。
まったくもって、不思議なことに……このときより俺は暗殺者の道を歩み始めるのだった。
これは、様々な人と”暗殺”で繋がる―――俺が歩む暗殺奇譚。