師弟再会
「扉は二段構え。……まあ、当然か」
壁と同化する絡繰り扉を潜ればすぐに隠し部屋……などと言うことはあり得ない。
どんな達人でも、生きていれば、生きる環境を構築していれば、必ず生活音というものは発生してしまうものだ。
それは小さな音かもしれないが、おおよそ万人にとって聞き慣れている音であるが故にどうしようもなく目立ってしまう。
それを抑えるには、音の発生源を離すしかない。
それが故の、二枚扉というわけだ。
「さて」
二枚目の扉からは微かに人の声が聞こえてくる。中に詰めているのは暗殺者達。
当然仕事前であるために、馬鹿騒ぎをするような間抜けはいないが、それでも会話はある以上、同じ暗殺者の耳であれば聞き取ることもできてしまう。
流石に、細かく何を話しているか、までは別だが。
あくまでも何事かを話している、その程度の判別だ。ハーサやミリィならば別だろうが。……いや、ミリィならば盗み聞きするまでもなく、ごく自然に相手の中に融けてしまっているか。
まあそれはともかく……手早く服を脱ぎ払い、いったん全裸になった後に暗殺衣を即座に着込む。
踊り子の服など着ていては、無茶な挙動はやり難いのでな。
気配を消して、扉のすぐそこまで歩む。
「―――…。…………―――」
扉の向こう側から聞こえる音を頼りにして、内部の人数と配置を把握。
まだ不完全ではあるが……”長老たち”二人は存外、分かりやすい。
何せ、他の暗殺者たちが距離を置いているからな。噂を聞くには、暗殺者の中でもハーサやミリィは隔絶した腕前を持っているらしい。俺は他の暗殺者には、先ほどの見張り役しかあったことがないので、どれほどのものなのかは分からないのだが―――兎も角、そういうことだそうだ。
いつの世も、人とは違う、或いはあまりにも上の実力を持つ人間は畏怖と敬意双方を持たれ、孤立するのが常という物。
ああ、衛利は除外だ。あいつは暗殺者じゃなくて忍者だからな。前にも言った通り、同じ暗殺稼業に従事するものではあるが、大きくその役割や在り方が違う。
それはどうでもいいか。
ここで大事なのは、先手をとれたという事だ。先攻を奪う……それはただそれだけで大きなアドバンテージとなり運も絡むが逆転不可能なものにすら成りうるのだから。
では、行くか。ハーサがどこにいるのか。その判別は付いた。
なので、ここまでの諸々の面倒事、その怒りを存分にぶつけるとしよう。ふむ、確かに役は立った。いい経験にもなった。だからと言って、俺がハーサを恨まない理由にはなり得ない。当然だろう?
そっと扉を押し、またもやよく油が差されているために音の静かな扉を開く。
扉が開き切る瞬間……即座に床を這うようにして飛び出た。
「……敵襲……ッ!」
ああいや、そういうわけではないが―――まあ、良い反応だ、とだけ記憶しておこう。
流石に重要任務に抜擢されただけのことはある、というべきか。
俺程度の速度では、きちんと視認できているらしい。
まあ、そこまでは予測通りだ。一応重要な戦いの前。ハーサ以外には怪我をさせるつもりはない。出来ることなら、という制約は付くが。
では、邪魔な他の暗殺者たちには別の物に意識を向けてもらうとしよう。
十数人はいようかという部屋の中、家具や人間を利用して身を移動させつつ、手に持った荷物を放り投げる。
一瞬だけ、他の暗殺者の視線が荷物に向いた。
「―――で、何かいう事はあるか、ハーサ」
その隙を見逃さず、部屋の奥で仮面を横に置いて寛いでいるハーサに問いかけつつ、脚に力を入れ加速。
一歩、二歩と重ねる……三歩目でハーサに接触するがこのままでは組み伏せられて終わりだ。
なので、その前に―――踊り子服を大きく広げる。
「ほお?」
「……全く、この師弟は……」
ミリィのため息が聞こえたが、意図的に無視する。迷惑を掛けているのは承知だが、根本的に俺とハーサは反りが合わないのでな。
こういうことも日常茶飯事、というわけだ。
ハーサの腕が薙がれ、踊り子服が攫われる。
目隠し用に撒いたものだが、その効力は即座に消失した。……まあ、もう用事は終えているが。
「あン?上かッ!」
「ああ」
踊り子服の加護がなくなる前に、俺は既に天井へと跳躍済みだった。
新体操でも、見かけではハードな筋肉を付けていないような肉体でも、驚くべき跳躍力を魅せてくれる。
つまりは非力な身体でも、身体の使い方次第で天井程度であれば飛べるという事だ。まあ、こういった非力ならではの力の使い方、小細工は何度も使用してきているので今更かもしれないが。
……そもそも新体操の場合の筋肉は、見せる筋肉ではなく使用する筋肉。在り方が違うのだが―――まあ、そこは今はどうでもいいか。
なにはともあれ、イーリアの踊り子服によって、常よりも一瞬だけ、ハーサの上方向への反応速度を鈍らせることができたという事だ。
ああ、実に気分がいい。今ならばイーリアにあの服を着て踊っている姿を見せてもいい。……いや、それは少し嫌だな。まあ、頼まれればというくらい。
「―――くたばれ」
静かに言葉を紡ぎつつ、ハーサへとナイフを振り下ろす。
パシリと無手で弾かれたが、その瞬間に手の中に隠し持っていた針を射出。
これもまた、口で掴まれた。
相変わらず頭のおかしい奴だ。重力落下込のナイフの重さなど、両手で持つ武器で受け止めても重みを感じるというのに。
だがまあ、これもまた推測通りだ。もとより一撃をきっちりと与えられるなどとは思っていない。
この程度の攻防で一撃を与えられるのであれば、あの山での試験であそこまで苦労していない。
今回俺がハーサにするべきことはただ一つ、とても簡潔なことだけだ。
「―――フッ!」
「…………ハシン、お前な」
ナイフを弾き、針を咥えたハーサの顔面に向かって、唾を吐きかけた。
的確に額へと命中し、それを理解したのか、眉を歪めたハーサの顔が見えた。
……ふう、気分がスッとした。
満足したのでハーサから距離をとり武器を床に落とした後に両手を上に挙げる。
直後、他の暗殺者たちの抜身の武器が、俺の身体すれすれにあてがわれた。
「お前たちと敵対する気はない。俺の目的は済んだ」
「おいこら、汚ねぇぞ」
「お前自体が汚いのだ、特に気にすることはないだろう?」
「……はい、二人ともそこまでです。もう再会の挨拶は済んだでしょう?」
ミリィに諭されたので、周囲の刃を押しのけて、適当な座席に腰かける。
荷物と、吐きかけた涎を拭く布にされかけていた踊り子服を回収した後に、だが。
「で、ミリィ。一応聞くが、俺は間に合ったのだな?」
「ええ。よくもまあ、あの状態から追いかけてきたものですね……」
「山賊退治に貢献したり、踊り子の真似事をしたりと散々だったがな」
「はあ……?」
ミリィには怪訝そうな顔をされた。
ハーサの方は、唾を拭き取った後ににやにやと笑っているので、おおよその想像は付いているのだろう。
ふん、もう数回ほど連続で吐きかけてやればよかったか。
「……えーと、”長老たち”様方、この小娘は一体?」
ずっと置いてけぼりを喰らっていた暗殺者たちが、おずおずと口を開いた。
「弟子です。ハーサの」
「事実上ミリィの弟子でもあるがな」
「「――――?!」」
部屋全体に緊張が走った。
……俺に対して敵対するようなものでないので、どうでもいいが。
とはいえ、品定めするような、また異端の物を見るような視線は鬱陶しいがな。
「で、いつから仕事をするんだ、ハーサ」
「もうすぐに、さね。精々身体を休めることだな、ハシン?」
「ふん」
言われなくても、だ。
体調管理も仕事の内。命がかかっているとなればその言葉も事実となりうる。
「時間になったら起こせ。次置いて行ったら如何な手を使ってでもお前を仕留めるぞ」
「大丈夫ですよ、ハシン。次は私がしっかり起こしますから」
「なら安心だな。頼んだ」
「おい、なんだその対応の差は」
信頼の差だが。
……まあ、いい。兎も角、まだ作戦開始とはいかないという事だけわかればいいのだ。
では俺は椅子に凭れたまま、少しだけ仮眠をすることにしよう。
出来る限り体力は増やしておきたいのでな。