酒場到着
***
小さな鈴の音を鳴らし、酒場の扉が開く。
入ってきたのは二人。
旅人風の服装をした、男性客だ。
「いらっしゃい」
手をあげ、歓迎の様子を見せる店主。そしてその店主に近づく二人。
二人は酒場の店主の元で注文をすると、さらに一言付け加える。
「おう。邪魔するぜ。……黒い目の部屋、空いてるか?」
「ああ、もちろん。場所は分かるか?」
「小鹿の首に従うさ」
酒場は乱雑に置かれた机や椅子変わりの樽が乱立しているが、奥の間では静かに呑みたい者や、商談などを行うための小さな部屋が幾つかある。
周りの人間からは、その言葉は馴染みの客が静かな場所で飲みたいから、多めの金と引き換えに部屋をくれ、と言っているようにしか聞こえない。
……当然、実態は全く持って異なるのだが。
「そうしてくれ」
店主は店員に指示し、酒を用意させるとそれを二人に渡し、再度カウンターの机の上で本を読む作業へと戻った。
二人は酒場の、踊りや詩、曲を披露するためにあるイベントスペースを横目に酒場の奥へと消えていった。
そこにいた人間全員に一切の印象と不審感を抱かせないままに。
***
「鹿の間の構造を使うのは久しぶりさね」
「ええ。私たちも、長老となってからは久しくこういった場所は使用していませんでしたから」
この部屋は、世界各地に散らばる暗殺教団の暗殺者たちが秘密裏に作る、隠れ家だ。
とはいえ、この酒場の店主はきちんとこのパライアス王国の国籍を持ち、酒場の経営権も持ち、税金も納めている。
暗殺者と一概に言っても、皆が皆暗殺を行うわけではないのだ。
ああいった、普段イメージする暗殺稼業に従事する者とは別の、それをサポートする後方支援目的の暗殺者というのもたくさんいるのである。
何らかの理由で暗殺者としての腕を振るえなくなった者や、その才能が元から無い者。あるいは、引退した者などはその暗殺者としての仮面を棄てた後でも、こういった場所で暗殺者の補助活動に従事するのである。
……ここまで暗殺者として尽くしてきたものは、裏切ることはない。
裏切ったらどうなるか以前に、裏切る利が無いからだ。
長く存続する暗殺者の組織が強固になるのにはこういった理由があるのである。
普通の暗殺者はこのようなセーフハウスを利用するのだが、”長老たち”に関してはその実力や能力が抜きんでているため、わざわざ利用する必要がなく、ハーサもミリィも滅多には使うことはないのだ。
まあ、正確にいうと”長老たち”の技術と、それに付いて行けるような武器、道具は彼ら自身にしか作りだせないため、セーフハウスを利用する利点がない、という事も言えるのだが。
”長老たち”は基本的に極限一技。彼ら自身によって編み出された極技は、当人たちとその直系の弟子にしか受け継がれることはない。
そんな”長老たち”の二人が今回このセーフハウスを訪れた理由は、単純なものだ。
「数が多いとなるとなぁ。ちと集まるまでが面倒だ」
「ええ。ですが情報によればこの王国の三将軍が一人、盾将軍が目標地点を守っていると言われていますからね」
「―――楽しみだ」
はぁ、とため息を吐いたミリィの心の中は、自分にとっても弟子のような存在であるハシンが無事にここまでたどり着けるかの心配と、この隣の戦闘狂をどう宥めようかという心労の二つであった。
まあ隣のハーサはいつも通りとして、問題はハシンだ。
……なにせ、この酒場につくまでの痕跡を私たちは何も残していない。どうやって辿り着くのか全く持って謎なのだ。
「安心しろよ。あいつは絶対にここまでくるぜ?」
「何ですかその信頼……。無痕跡から標的を見つける大変さ、分かるでしょうに」
「完全に痕跡がないわけでもない。暗殺者っつう痕跡はある。ハシンならそれを追ってくるさ」
「師匠のあなたがそういうのなら、私も信じますが」
というかここまで来てしまった以上、今更迎えに行くこともできない。
当のハシンがどこにいるのかが不明なためだ。
一応探すことはできるだろう。ハーサは言わずもがな、ミリィも単純戦闘では他の”長老たち”に劣るとはいえ、本職の暗殺者、その最強の一角である。
だが、時間がかかるのだ。そして、今はその時間がないのである。
もうハシンに自力でここまで来てもらうのを待つしか、手段はない。
「ま、酒でも飲んで待ってるに限るな」
「ハーサ、あなたはまったく……」
本当に変わらない。
***
さて。
ルーヴェル市街に入ってから数十分程度が経過した。
すっかり夜の帳は落ち、仕事を終えた人や飲み歩く人が段々と増えていく大通り。
その中でフードを被りつつ、軽い笑みという名の仮面を付けて、楽しげに歩く影。
……まあ、俺だ。
「―――どこかな」
探しているものは師匠たちの痕跡だ。
いや、実際はそんなものは無いのだが。より正確に言うなれば、痕跡の代わりになるものを探している、という方が正しい。
「見つけた」
目的のものは意外とすんなり見つかった。
人の群れに馴染みながら歩いていると、酒場が見える。
……目を向けるべきは、その酒場そのものではなく、その酒場の大通りに面している窓だ。
窓の向こうに移る人影。それを俺は注視していた。
一見ただの客に見えるその人影。
酒瓶を机の上に置き、ボードゲームやカードゲームに興じる男達。
楽しそうにやっているが、時節―――その視線が鋭く周囲を見渡しているのを見逃さなかった。
あれは監視役だ。あの酒場にとって不利益をもたらすものが侵入しないように、或いは入ってくるという事を知らせるための。
……完璧な演技、全くの無駄がなく、非の打ち所がない素の仕草であるが、日常的に変装、潜入において最高の暗殺者であるミリィと居る機会が多かったために、見破ることができた。ミリィに感謝だな。
「お邪魔します♪」
頭の中に思い浮かべたイメージは、あの押しの強すぎる女性、イーリア。
あの性格を真似て、酒場の中に押し入る。
扉を潜った瞬間に目線が集まるが、そのタイミングで着ているフード……正確にはフードに似せた布だが……を脱ぎ、今の俺のイメージを定着させる。
白色の踊り子服……こんな場所ですぐさま使うことになるとは思わなかったが。
何とも微妙な気持ちになるな。イーリアには見られたくないものだ。
「私、踊り子をしているものなのですが……一曲、踊らせていただいても?」
メキシコにはマリアッチというものがある。
小型のアンサンブル。メキシコの料理屋などに行くと、こういったものたちが居て、食事中の演奏と引き換えにチップを貰うことで商売をしているのだ。
あれは数人で音楽を作り出すのだが、俺の場合は踊り子として酒場で舞を披露し、そのついでにチップを頂く。
―――商売のために来た踊り子の女だと、酒場の人間に理解してもらえればそれでいい。
「構わんよ、お好きに。そこの広場なら勝手に使えばいい。……ああ、ポールは無いがな」
「あら、私がストリップダンサーに見えますか?」
「何だ、違うのか。男たちは喜ぶと思うがな」
「私の貧相な身体じゃ、盛り上がりに欠けますよ」
軽い雑談を交わしながら、酒場の中央へと躍り出る。
さて、では舞を始めよう。
次の目的を達するために。痕跡を引き摺りだす、そのために。
知識はある。この服と同じように、イーリア達に授けられた。で、あるならばできる。
まあ、曲が付かないのが少しばかり残念だが、酒場に集う男たちの暑苦しい声をリズムに見立て、存分に踊り狂うとする。
―――一歩足を動かして、激しく官能的な舞を、見せつける。