渓谷上街
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武器などの準備を終え、街道をひた走る。とはいえ、あまりに急ぎ過ぎるわけにはいかない。
馬というものはどうあがいても目立つからな。
高価なもの、さらに人目につきやすいという点においては馬ほどのものはこのセカイではそうはあるまい。
馬は目立つ。どうやっても。即ち、隠すことは不可能という事だ。
ならば考え方を変える必要がある。つまるは、隠すのではなく、馴染ませるのだ。
俺自身と現実を、違和感の無いように、当たり前にあるようなものとして変換させる。
そうすれば結果的に目立つという事はなくなるのである。
「やれ、布というものは万能の道具だな。実に様々なことに使える」
馬に乗りながら小声でそのようなことをぼやく。
暗器とともに一緒に持ってきていた布。白い無染色のものであるが、このセカイの時分、余程高位の身分、職についているもの以外はほとんどが数枚の布によってつくられた衣服を纏っている。
つまり、布と糸と、ある程度の服飾の知識、スキルがあればおおよその服装は数枚の布だけで再現ができるのだ。
もちろん完全に、というわけにはいかないが。粗はあるものであるし、場所によってはどうしても作れないものもある。
そういった所は隠してしまったりすれば問題もないのだが。
今回の場合は、一旦踊り子の服装の上から、布で軽く作った修道士の服装を着込んでいる。
踊り子服が白をもとにしたものであったのは非常に助かった。基本質素な服装をする修道士は、黒か白の服が多いためだ。後は踊り子服を下着のようにしつつ、上から、フードであるドミノや、ケープを着込むだけで済む。
ケープに関しては布が足りなかったため、体全体を覆うマントとしての側面を高めたが。
「質素という心を持つ修道士にも、な」
そして、その修道士に対しての民衆の信頼感なども。
色々利用できることは多い。何よりパライアス王国というものは、話に聞く限り元のセカイで言う、キリスト教に近い宗教であるようだ。ならば、修道士のという職は巡礼者として訪れることも多い。丁度ルーヴェルには大きな教会もあることだしな。
……巡礼によって長い旅をする修道士は、馬を持つことも多いのだ。
これらによって風景に馴染むことができた。サクル老人には感謝してもしきれない。
「後は慌てず騒がず、馬にとって普通の速度で歩み続けるだけだ」
ただそれだけ。過度に馬を走らせる意味はない。急いては事を仕損じる、というのだからな。
巡礼者としての振る舞いを続ける。それだけだ。
蹄の音を鳴らしつつ、馬とともにルーヴェルの街へと近づく。
***
特に問題もなく、ルーヴェルの街へと辿り着く。
まあ当然だが。一切の問題へと繋がる要因を排除したのだからな。
いざ暗殺、ともなればこういったわけにはいかないが、隊商とも違う、個人単位のただの単純移動でしかないのだから、要員排除も容易い。
問題はこの後なのだからな。そもそもこのようなところで躓いているわけにはいかないのだ。
「緑が多いな。……気温も少々下がって来たか」
ルーヴェルの街の門が近づくたびに、吹き付ける風が冷たさを増してきているのが感じ取れる。
この街は事前情報通り、崖の上という天然要塞として成り立っている。
街自体の標高も、アプリスの街などに比べて高いようだ。気温は高度に大きく左右される。風の冷たさはこれが原因か。
その温度とは違い、緑が多いの単純に気候帯の違いだろう。
巨大な川や滝を道中にいくつも見た。荒地が大凡を占めているリマーハリシア辺境とは違い、このパライアス王国の領内は雨が豊富なようだ。
ルーヴェルの街を見れば、市内を流れていると思しき川から渓谷へと膨大な水が放流されているのが分かる。水の恩恵がある砦、というものは要衝と成りやすい。
確かに、戦争用の軍備を取り揃えるには適した土地か。
「目的地のキャラバンサライ……いや、合流が先決か」
実地を見たが、やはり前に立てた第二目標の達成が先となるな。
仕事先の情報を得るのも大事だが、先ずは師匠たちと合わなければ話にならないのだ。そのついでにハーサを一発殴りたいところだが。
殴るにしてもどう殴りかかるかが重要か。なかなか隙を見せないからな、あいつは。
殴る方法を考えつつ街の門へと辿り着く。ドミノの下からそっと門の前を覗き見ると、重要警戒なのだろう、武装した兵士が数人見張り役として立っていた。
表情を見ればかなりの緊張が見て取れる。普通、如何に要衝を警備する兵士とて、旅人の群れを相手にひどい緊張などそうは持たない。……やはり戦争を仕掛けるつもり、というのは間違いないようだ。
「……」
頭を下げつつ、門を通る。
「待て」
「……はい?」
止められたか。まあ、そうだろう。
それが兵士の役割だからな。職務に忠実で何よりだ。
「見たところ修道士のようだが」
「ええ。巡礼に」
「馬を持っているな。随分と金があるように見えるが」
「いえ、街を出るときに知り合いの商人様から頂いたものです。私は自身には金などとても」
「……若いな。幾つだ」
「教会の孤児でしたので、詳しいことは……」
「―――孤児、か」
流行り病で命を落とすことも多いこの世の中だ。孤児院に引き取られる子供たちは多い。
そして、孤児院というものは教会として機能している……正確には、教会の責務の一つとして孤児院として活動しているところも多いのだ。
そして、そうやって育った孤児の多くは、教会の信者となり、巡礼の旅をする。
……まあ、確かに俺の見た目ほどの若さで巡礼をするものは少ないかもしれないがな。
「なるほど、事情は分かった、入っていいぞ。……だが、馬は預からせてもらう」
「預かる……ですか?」
「この街にいる間だけだ。そこに厩が見えるな?あそこに預けておく。出る時には好きに持っていけ」
「宿屋に預けようと思ったのですが……」
「駄目だ。無理に行こうとするのであればこの街にはいることを禁止する」
「―――なにか、あったのですか?」
「修道士が知ることでは無い。……で、どうなんだ?馬を預けるのか、それとも巡礼を諦めるか」
「いえ、預けます。よろしくお願いします」
なにがあったか。そんなことは知っているのだがな。
だが、質問をしておく方が自然だ。当たり前の行動、というものである。
「結構だ。ようこそ、ルーヴェルへ」
礼をして、門を潜り抜ける。
馬を中に入れさせなかったのは、馬自体が武器となるからだろう。
調教された馬は乗り手の意思にきちんと従う。人を撥ねようと思えばできるし、そうでなくとも市街地で暴れさせれば陽動など様々なことに使えるのである。
故に、この門から先には入れさせなかったという事だ。……まさに厳戒態勢というべきだな。
それ自身は問題ないが、問題は旅人に気を張るべき事象が起こっていると感じさせてしまっていることだ。
馬を入れない、など露骨すぎるだろうに。まあ、だからと言って他の手段もそうは浮かぶものではないがな。
「さて。まずは教会に向かいますか」
人の流れにまかれつつ、街から見える教会へとそれとなく進む。
もちろん、本当に教会に行くつもりなど毛頭ないのだが。
空を見れば夕暮れ時。……ふむ。そろそろ夜になる、か。
ならばその時間に合った存在として振る舞うとしよう。
ふわり……人の意識の間隙を縫い、路地裏へと消える。修道士として振る舞うのはここまでだ。
次はハーサたちと落ち合うために、情報を集める所から始めなければいけないからな。
―――では、そうだな。次の変装は、あの格好にするとしようか。