盗群糸斬
***
「おい、ネズミはまだ戻らねぇのか?」
「へい……まだ来てないみてぇですわ」
「チィ、何やってやがんだぁおい」
ネズミ……そう呼ばれている男は、このあたりで簒奪をするときに獲物を混乱させるために放つ斥候だ。
手前の殺気を消すこと、集団の中に潜り込む事に関してはかなりの手練れで、なんだったか……元は暗殺者としての訓練を受けていたようである。
殺しに関しての才能は俺から見てもほとんど見当たらなかったため、精々工作兵としてしか使っていないが、それだけに関してならばあいつに引けを取るものは俺の盗賊団の中でもいない。
いくら旅慣れしてる隊商でも、見破れるわきゃないんだがな。
「隊商の見張りは?」
「身包み剥いで転がしてありますわ」
「殺してねぇな?」
「そりゃもちろん。野郎じゃ嬲ることもできやせんしねぇ」
退屈そうに言う部下を放っておき、最低限の下着だけつけ、縄を巻かれて転がされた隊商の見張りの人員の元へ行く。
人員は三人だったが、奇襲かけたからな。ノーリスクで襲うことができた。
その際に少し抵抗してきやがったから、結果として二人は頭から血を流して倒れているが、一人は意識が残っている。
一人いれば十分だ。
「おい、死にたくなけりゃあ協力しな?」
「…………!!!」
「は、嫌っつう目をしてやがるな。ならいいぜ。そこで寝てな」
俺様を睨みつける男の腹に蹴りを入れて再度転がす。
情報を引き出そうと思ったがこりゃ口割らないだろうなァ。
割ったとしても時間がかかりすぎる。ネズミがもしへまして殺されてたとしたら、俺たちには見えない兵が居たっつうことになるか。
あいつはただ失敗して死ぬようなタマじゃねぇ。そこだけは信用していた。
――私兵が紛れ込んでいたか?
いや、ただの兵士じゃあいつの変装は見破れねぇはずだ。相当経験詰んだ猛者か、暗殺の道を学んだことのある者か。
「何にせよ、面倒くせぇなあ」
だが、数と速度じゃこっちの方が勝っている。
このまま攻め込めば制圧はできるはずだ。
こっちにも損害は出るだろうが、物資奪えりゃチャラになる。
「野郎ども、乗り込むぞォ!!!」
「おうよ!!」
もう獲物の巣はすぐそこだ。
存分に奪うとするか。
***
「そこ、ですか」
集団の気配が間近に感じられるようになり、走る速度を少し緩める。
ハバルから借りた黒い布を被り、地面に伏せつつ、思案する。
「工作兵、送った。……相手は、優勢と、勘違いして、ますか」
距離の利と情報の利。
工作兵は戦局においてその作戦を成功させた場合巨大な利を産むが、失敗してしまえばそれは自身の首を差し出すに等しいほどの損害ともなるのだ。
即ち、毒のようなもの。実際に今回は盗賊たちにとって損害として働いている。
自身が有利であるという錯覚程厄介なものはない。現実認識の阻害は敵を崩す際の基本であり、絶対理念だ。
「…………」
さて、その錯覚に塗れた盗賊たちは、隊商が何の準備もできていない……或いは、準備が間に合っていないと判断して順調に進軍中であった。
その中に、リーダーと思われる男を見つける。
白髪交じりの大男だ。見た目では突出しているわけではないが、隊列で判別ができる。
中央先頭に大男がいるわけではない。だが、少し奥に入り、身を守りつつ中心から指示を飛ばせるような場所にいるということは、確実にあれが司令塔となっている。
他に指示を出せそうな者……将が見当たらないということは、盗賊共はあれだけなのだろうな。
最悪、カルミネ・クロッコが率いたという、千単位の盗賊団という可能性もあったが杞憂に終わり何よりだ。
「本来、なら、このまま、誘導、ですが」
一見なにも準備していないと見せかけ内部に誘導。そこで滅多打ちと。
陣地全体を罠として使用するのは一般的な戦術だが、今回は陣地にいるのは俺の護衛対象である。
その戦法は使えない。コストパフォーマンスは最高だが、戦えない人間もいるために寧ろ効率は悪化し、危険ばかりが高まるだろう。
つまり、ここで分断する必要がありそうだ。
ある程度ならばハバルはサクル老人が自分で対処するだろう。あの男たちならば有象無象程度、無傷で振り払う。
問題は、盗賊がこの軍勢のまま野営地に向かうことだ。それは避けなければいけない。
「慣れて、ます。ノウハウ、教わった」
感謝する、ミリィ。
潜入を得意とするあの暗殺者は、直接的戦闘能力ではハーサに劣る。
だが、その代りに群れを個々に解体する術は非常に高い。
……まあ、ハーサもできるのだろうが、やらないのだからできないのと同じだ。
「まずは、糸を……斬り、ます」
さあ、暗殺者としての仕事の始まりだ。
布で体を覆ったまま、体勢低く、足音を殺して進軍する盗賊たちに近づく。
その際に、リーダーの行動……特に、会話と思しき動作を見逃さないようにして置く。
……なるほど、判別はできた。
「あ?なん――――」
接敵。最前部にいる敵の首を通り際に得物で切り落とす。
「ヒッ?!なんだ、なんだ?!」
一人の首を落とし、あとは放置。
進軍形態を見ればわかるのだが、この盗賊団は一応敵の集団と戦うことを意識して陣形を組み立てている。
その際に最も外側に配置されるものの役割は基本的に壁だ。
特にこの時代、人間同士の小競り合い程度の合戦では弓などが主体になってくる以上、死んでも差し支えのない物が外側に置かれる。
つまり、新兵同様のものだ。首が落ちた仲間を間近で見たものは動揺し、混乱につながる。
そうすれば進軍は停滞するからな。より時間を稼げるわけだ。
まあ、これがギリシアなどの、高度な鎧を使用した密集陣形ならば話は別だが、この地域ではそれは見られない。
また、現代戦術やこの時代においてでも大規模戦闘になればこんな陣にはならないが、所詮は寄り集めである盗賊である。これが最適解なもの事実であった。
「敵だ!慌てんじゃねぇ!おい、さっさと命令を出せ、何してやがる!?」
即座にリーダーの男から叱責が飛び、体勢を立て直そうとする。
ああ、いいぞ。想定通りに動いてくれて助かる。
「……次」
今度のターゲットは、予め目星をつけておいた人間。
即ち、リーダーの男が頻繁に話しかけていた人間だ。
将ではなくとも有事の際に頼りにするものは必ずいる。そこを断てば、命令は非常に通りにくくなる。
群れを群れとする情報系統の断裂。即ち、これが糸を斬るということだ。
「あ、ああ……頭ァ……」
「首、首がトンで……なんだよ、これ」
「―――ッあァん?!命令分かる奴はどうした!」
「皆、や、やられて……」
「クソ、がァ……!!!」
―――百を超すかどうかといった人数の盗賊団。その中でも比較的屈強な男たちの首が次々と飛んでいく。
手にした得物はすぐさま血塗れになった。まあ、元から血は付いていたのだが。
「―――ッざけんじゃねえぞテメェア?!!?!」
「おっと」
リーダーの男が俺を視認。
手にした長剣を横薙ぎに振り回し、怒り任せに広範囲を切り裂いた。
地面を蹴り後方に宙返りしつつ回避する。
ついでに周囲を確認。ふむ、目的は達したか?
「おい、顔見せろや……闇討ちとはずいぶん卑怯な真似してくれるじゃあねえか?」
お前たちが言うなといいたい。
先に寝込みを襲おうとしていたのはお前たちだ。まあ、非難する気もないが。
盗賊というのはそう言うものなのだしな。
さて、一息ついてから黒い布を脱ぎ捨てる。
流石に視認されてからではただ邪魔なだけだからな。
「一人か?随分舐めてくれたなァ」
リーダーの男も含め、周りの男たちの視線が色を孕んだものへと変化するのがわかった。
……この身体に欲情するとは、相当な年下好きなようだが。
否、歴史では古くは女性は若いころから結婚していたのだったか。つまり、世界の男たちにとって幼女趣味という思考は当たり前だということか……全く、世も末だな。
「―――あ?」
「…………ふ」
リーダーの男が少しだけ違和感を感じたようだ。
恐らく俺の雰囲気が認識しにくいからなのだろう。
ハーサほどではないが、俺も気配を乱す手法をようやく理解できた。
長く見続けられればすぐに剥がれる程度だが、戦闘の中においてでは俺の顔を完全に覚えることはできない。
盗賊相手とはいえ、俺は破滅とともにある奴隷の身分。なるべく姿を認識され難くするのは当然だ。
暗殺者の装いも完全に姿を誤魔化せるとはいえないのだから。
「……手前らァ!!!先に行け!俺もすぐに行く」
「りょ、了解す!」
「あ、ら」
少し頭が冷えたのか、盗賊団を野営地へと向かわせる。
じりじりとリーダーの男も野営地の方角へと進もうとしていた。
……これは、認識阻害が悪い作用となったか。
だが、問題はない。
十分時間は稼げた。野営地のハバル達も、もう準備は終えているだろう。
今更向かったところで返りうちにあうだけだ。
「やり、ます、か?」
「ハ。馬鹿言え、やる必要なんてねぇなあ。お前が跪くだけなんだよ」
長剣を構え牽制したまま動くリーダーの男は、盗賊たちが置いて行った白い麻袋まで行くとそれを引き裂いた。
……中にいたのは、見覚えのある男。隊商の一員だ。
恐らくは、見回り担当の者。唸り声をあげ、リーダーの男を睨みつけていた。
「人質だ。ハハ、ほら早くここに這いつくばれよ、女!」