暗殺準備
「ふむ……アルディのいうことは今のところ正しいようだな」
今は陽の刻一が、半分ほどたったころだろうか。
ハーサの元から走ること一刻ほど。
俺は今奴隷屋敷に戻るためのタイミング待ちだった。
屋敷から少々離れたところの周辺には、手入れのされていない、そうだと説明されなければわからないほど雑草であふれかえった庭がある。
作られた頃は四季折々の美しい花草が咲き誇る、戦うための砦であり、民衆を治める領主の威厳を象徴するための庭園だったのだろうが……一向に手入れされず、今では植えられた花もすべて枯れて雑草と虫の楽園となっている。
マキシムは怠惰で強欲なため、庭園を管理する金があったら俺のような奴隷を買い占めるだろうし、フロルはマキシムのせいで圧迫されているのであろう、経済状況の管理などのせいで庭園の管理などできたものではないのだろう。
「ありがたく利用させてもらうとしよう」
本来の使い方ではないが、使用されないよりはましだろう。
俺の褐色肌も土に紛れるには有利に働く。
ここならば、見つかる心配はない。
そのまましばらく待機していると、あくび交じりに開け放たれた門の前に立っていた二人組の警備の兵士が、両方とも雑談しながら去っていくのが見えた。
先ほどから半刻の時が経っている――飯の時間というわけだ。
「では、移動させてもらうとしようか」
その隙を縫って、俺は奴隷部屋に帰ってきたのだった。
***
「さて、これでいいか……」
やや微妙な気持ちで己の足を見下ろす。
そこには、再びつけられた、騒音を放つ足枷があった。
せっかく解除したものをもう一度つけるということはなかなか心に来るものだ。
もちろん、ここに戻らずにそのままどこかへ逃げるという選択肢もあるにはあった。
腕が使えないくらいならば、なんとかできる自信はあったしな。
だが、仮面越しとはいえ姿を見られた暗殺者が、俺を殺さない道理は何処にもない。
むしろ、なにかしらの放置しておく理由でもなければ率先して殺しにかかるはずだ。
高い確率での死か、脱出の可能性を持つ奴隷生活か……俺は後者を選ぶ。
暇つぶしにガシャガシャと鉄球付きの足枷を鳴らしていると、扉の開く音が聞こえた。
おそらくはフロルだろう。
「ふん、飯だ。さっさと喰え」
「ご丁寧にどうも」
「昨日の林檎の芯を出せ」
「ほら」
投げつけられた林檎をうまくキャッチして、齧り付く。
投げられたお返しにこちらも芯を投げてやったが、難なくキャッチされた。
……ふむ、服越しにでもわかる、よく鍛えられた体。
もともと高い背丈がさらに高く見える理由は、その姿勢がとてもいいからだろう。
姿勢がいいということは体幹が優れているということ。それすなわちよく鍛えられているということ。
俺ではたとえ枷も何もない万全な状態であっても、勝つのは難しいだろう。
「陰の刻三時、マキシム様がこちらにお越しになる。無礼を働くなよ、奴隷」
「分かっている。………なあ、ときに思うんだが――なんであんたは奴隷をそんなに嫌っているんだ?」
コクン、と首をかしげながらフロルに問う。
たとえ時代背景で奴隷が嫌われているのだとしても、フロルの嫌い方は尋常ではない。
なにか、理由があるのだろう。
俺がいままでこいつに接してきて抱いた評価は、自分にも他人にも妥協せず、職務に忠実。
目上の者には、敬意を払い、自己鍛錬を怠らない鉄人。
そんな感じだ。
そんな評価を抱かせるこいつが、自己の心理状況の管理ができないなんてことはあり得ないはずであり、実際に、フロルが”生”の感情を見せる相手は唯一奴隷にのみ。
何か、事情があるはずだ。
「貴様のような劣等人種が生きているだけで吐き気がする。―――奴隷は、害しか及ぼさない」
「そうか。俺はそうは思わないがな――ッぐ」
「黙れ、口答えするなよ……」
だからといって蹴ることはないと思うがな……。
一応は女の身だというのに、子宮の存在する腹を何のためらいもなく蹴るとは。
口だけで何とかなるレベルの好き嫌いではないようだ。
フロルは、ほかの奴隷にも飯を配ると、こちらには目をくれずに奴隷部屋を去っていった。
「……ん、そういえば」
ほかの奴隷に配られた飯――俺のものとは違うようである。
俺のは林檎だが、ほかの奴隷の飯はパンであるようだ。
そのパンはかなり黒い色をしており、奴隷たちはそれを唾液で解しつつもそもそと、なんとか食べている状況である。
あれは、おそらくライ麦を原料としてつくられる黒パン――しかも、ライ麦100%の、非常に硬いものだろう。
ライ麦は、劣悪な環境下でも育てることが可能な、安価な麦だ。
その代り、小麦で作ったパンに比べると膨らみにくく、非常に硬い。
俺が暮らしていた現代でならば、その栄養価の高さと調理法の見直しによって食卓に並ぶこともたまにならあった黒パンだが、それが隆盛を誇っていた中世、俺が今奴隷として生活しているような、このような時代環境では貧困者の食べる、安くてまずいパンとして有名だったという。
それに対し、林檎は食物繊維やビタミンなどが多量に含まれた食材であり、いまの時代で言えばかなり高価な食べ物の部類に入る。
「おそらくは、性行為を行い飽きるまでの調整食とったところか」
林檎は脂肪の蓄積を抑える効果がある。
健康体を食いたいという気があるのなら、なるほど食べさせるのに適した食材だろう。
………ふむ、奴隷を見るに、マキシムが買い集めた奴隷は基本痩せ型であり、乳房はおとなしめだ。
それは、自身の体型にコンプレックスを持っているが故なのだろう。
コンプレックスを抱くようならば、鍛えればいいものを……。
「そのふざけた首――絶対に毟り取ってやる」
***
「ハシンちゃぁぁん……むかえに来たよぉ」
「…どうも」
飯を食い終わった後、訓練の疲れをいやすために寝ていたのだが――いつの間にかずいぶん時間が立っていたようである。
目の前には太った腹。
すこし目線を上にあげれば、醜い顔。
マキシムだ。
その隣にはフロルもおり、奴隷が何か事を起こしてもすぐに反応できるように、銃に手をかけていた。
残念ながら、倒すのは不可能か。
ハーサから提示された条件には、いつまでにやらなくてはいけないという制限はなく、できるならばいつでもいいのだ。
しかし――やはり難しい。
マキシム自体は、俺でもいつでも倒せるだろう。
自分の安全を絶対と信じているものの足元をすくうのは容易だからだ。
だが、それにフロルがつくと話は別である。
常にマキシムの周囲にいて、自分が離れるときには警護を兵を絶対に配置する――攻略の鍵は、このフロルの目からどう逃れるか、だな。
「ふひ……きょ、今日はね――ハシンちゃんにお手本を見せようと思ってなんだ!」
「お手本……とは?」
「僕のものになるお手本だよ……ついてきて」
「速く歩け、奴隷」
先行するマキシムを、鉄球をガラガラと鳴らしながら追いかける。
俺の後ろにはフロルがいて、銃剣を構えていた。
相当信用されていないな、俺。
「さあ、お入り……ふひひひ」
「―――これは」
通されたのは、マキシムの自室………そして、そこにいたのは五人ほどの女性だ。
鎖を付けられているところから見るに、彼女らも奴隷――新しく買ったのか?
「市場では、き、君以外に僕のお眼鏡にかなうような娘はいなかったんだけどね、僕の知り合いが、送ってくれたんだよ……。送ってもらった以上、遊ばないと…ねぇ……」
「……彼女らをどうするつもりですか?」
……心の温度が下がっているのを自覚する。
作り笑いが剥げそうになるのを、なんとか自制する。
「え?も、もちろん犯すに決まってるじゃないか!い、いいかい……お手本だよ、しっかり見ておくんだ」
「――では閣下、私はこれで。何かあったらお呼びください」
「ふひ、ああ分かったよ」
「本当に、お呼びください」
「ああ分かったって……速く行ってよ」
「…………」
スッと一礼すると、フロルはマキシムの自室を去っていった。
「マキシム様――フロルさんは何処へ……。用事なのですか?」
「い、いいや?これから気持ちよくなる時に、男の目なんていらないからね、さ、去ってもらってるんだよ……」
「全員に……?」
「も、もちろんさ!」
……そうか。
なるほどな、豚野郎が完全にこの屋敷の中で一人になる瞬間は――。
「さ、さてと……」
びりびりに破れた、申し訳程度に胸などが隠れた奴隷たちに手を伸ばすマキシム。
ここでじっとしているのが、賢い選択。
そもそも、たとえ目の前に並んでいる奴隷が犯されたとしても、それは他人のことであり、俺自身には何の関係も無い。
ここで不用意に動けば、フロルを呼ばれて殺されてしまう可能性すらある――――しかし、それがわかっていても俺は動いた。
「お願いします、マキシム様!どうか、彼女たちを……」
「は…ハシンちゃん……?」
ガシャガシャ小うるさい音を出しつつ、マキシムの手の前、犯されそうになっている髪を二つに縛った奴隷の女の子との間に収まるように立つ。
「私が、満足させますから……!だから、彼女たちには手を出さないでください!」
「で、でも……できるかい?」
「必ず満足させて見せます……!」
決めの、泣き落とし――。
「ふひ……そっかそっかぁぁ……泣いてまでなんて、ハシンちゃんは優しいなぁぁ。そ…そこまで言うなら、この子たちはメイドにしようかなぁ」
「あ、ありがとうございます!」
「そ…それにしても、そこまでして僕の寵愛を受けたいなんてねぇ」
……何を言っているのだ?
俺は、目の前で犯される女性たちを見たくないというのと―――何よりも、俺自身のためにやめさせただけだ。
「ぼ…僕が、ほかの女の子に浮気するのを、見たくないんだろ……?」
――気持ち悪い。
だが……こいつの愚かな自惚れは――使える。
「はい。私は、マキシム様が私以外に愛を注ぐのを、見たくありません……」
「あ…あははは!かわいいなぁ、ハシンちゃん!……き…君たち、もういいよ。ここから消えて…?」
マキシムが、そのでかい図体を揺らしながら俺に抱き付きつつ、奴隷少女たちに命令を出す。
少女たちは、困惑しながらも部屋の扉を開けて出ていく――。
俺はまだ、マキシムに体を押し付けられたままだった。
「ふ……ふふ。あと約一か月度……楽しみだなぁ」
「―――えぇ、私もです。楽しみにしていてくださいね、マキシム様………」
マキシムの見えない角度で……自分でも驚くほどの冷たい笑みが零れた。
―――そうして、時は加速していく………。
***
「……あと、二週間か」
「なんだい?」
ハーサとの特訓……とは名ばかりの実践戦闘を終えて、ばたりと倒れこんだ俺が思わずこぼした言葉に、ハーサが反応した。
……体格の差などはあれど、何故これほどの組手をしたにもかかわらずハーサは汗一つかいていないのだろうか。
「あと二週間でお前の期待には応えられそうだよ」
「ほう、めどが立ったのかい。それは喜ばしいものだよ」
夜中にこっそりと抜け出し、ハーサとの特訓を積むこと十数日。
もちろん、毎日必ず抜け出すことはできない……もしできたとしても、やらない……ので、特訓の頻度自体はかなりスローペースだ。
だが、その代り一回の特訓の密度は非常に濃く、次の日のまともに動けずにフロルに殴られることも少なくはなかった。
その代りにいろいろな技法を習得できたとすれば安いものだが――それでも、まだまだハーサはおろかフロルにすら勝てないだろう。
「薬耐性に関節外し、暗器の使い方を少々覚えさせてきたが――正直予想外だったよ。ここまでやるとはねぇ、ハシン」
「俺が、俺らしく生き残るためだ。必死になってやるのも当たり前のことだろう」
「……自身の目的のためへの不断の努力。そのためにならばどんな敵だろうが、突発的な事態だろうが利用してやろうという気概と頭の回転………こりゃあ、育て方次第で本気でいい弟子に育つ可能性もあるか……」
「……何か言ったか?」
「いいや。さあ、次だ次。ほかの技術も教えるさね。ちょっとばかりいい出来だったからといっても、お前はまだまだ半人前なんだ、教えることはたっぷりあるよ」
「ああ」
わかっている。
俺は、このセカイにおいてあらゆる状況、環境で弱者だ。
肉体的、地位的に劣っている。
強者であると錯覚するよりは、弱者であるという意識を持っているほうがずっといいのは確かだ。
しかし、抗うための手段は確保していなければならない。
例えば、鍛え上げた肉体。
例えば、習熟した武器の扱い。
例えば、他人を騙し自己すら騙す演技の才。
例えば、弱き身一つで相手の油断を誘い、確実に刺す技法。
「さぁ、ハーサ。―――俺に、暗殺を教えてくれ」
暗殺者を師として、俺は自分のために暗殺を学ぶ。