隊商行軍
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元より砂漠気候帯に近いアプリスの街であったが、町を離れるとますます風景のうち、砂が占める割合が多くなってきた。
もちろん、完全な砂砂漠といった具合ではない。
かつて無数の隊商達が、何億もの積み荷と夢を載せた地獄の道―――それほどまでに過酷ではない。
どちらかと言えば、礫砂漠の方が正しいだろう。
「……」
多少の砂と赤茶けた無数の岩。
それが、今この視界の中に納まる光景であった。
日本にいたころはこのような景色、画面も向こう側でしか見たことがなかったが、さて。
実際に見てみるととても新鮮だ。
……ふむ。最近は向こうの頃のことをじっくりと思い返す暇もなかったな。
まあ、戻れるとも分からないこの現状。
あまり想い馳せても無意味に終わるであろうことは目に見えているので、不要ではあるが。
「サクル、さん。パライアス、までは、時間。どのくらい、かかります、か?」
「おう?そうだなァ……今回はこの人数だ。一日と半分は見積もった方がいい。……巧くいきゃあ、の話だが」
「ということ、は。一回、野宿です、ね」
「おう。このあたりに宿泊所はねえから、それしかないな」
どこかの街に寄れるのならば、そこで宿を取ることもできるだろうが……リマーハリシア辺境フルグヘムに属するアプリスの街から、パライアス王国領内の最短距離にある街の中間には、街らしい街は存在しない。
もちろん道の途中にあるオアシスには、寄ることもできるだろうし、維持を担当する人間もいるだろうが……隊商の人間が泊まるのは難しいだろう。
隊商の長というものは、それらもすべて考えて旅の予定を立てている。
時間の見積もりや野宿という言葉に対し即答で答えが返ってきたのはそういう理由だ。
「――ところ、で。朝、は見ていない、人、いますが、誰、ですか?」
日除けのテントの張られた、ラクダの荷車から少し身を乗り出し、隊商の最後尾近くにある荷車に乗っている人物を指す。
朝は見かけなかったものだが……はて、何者だろう。
「うーむ……。ありゃ旅の芸人だな」
「……芸、人……?」
「お?見るのは初めてか。そりゃちょうどよかったな」
―――隊商には様々な人が集うというのは、知識として知ってはいたが。
芸人などというものも参加するのか。
服装を見てみる。
頭頂部が尖った、肩まで覆う布のフード……シャプロンを付けており、服を締めるための腰にあるベルトには、太鼓を始めとしたいくつかの楽器が取り付けられている。
小太りの男だが、柔和そうな顔立ちをしている。
朝見かけた隊商の人間とも楽しげに話していることから、かなり打ち解けやすい性格をしているのだろう。
「つか、嬢ちゃん目がいいじゃねえか。儂には少しぼやけて見えるぜ」
「はい、目は、いいほう、です」
「へ、頼りになるな!」
「……では、あちら、の方、は?」
同じ荷車に乗っているもう一人の人間を指さす。
あれも朝は見ていないものだ。
見た感じは細い体つきをしている……どうやら女性のようだが。
「吟遊詩人だな。あの楽器は特徴的だから、見たことあるんじゃねえか?」
「――リュート」
「おう、それだ」
中世において吟遊詩人とは、詩を謳い、情報を伝える役目も担っていた。
その吟遊詩人の相棒ともいえる楽器が、リュートである。
ああ、もちろん堅琴も忘れてはいけないが。
―――だが、吟遊詩人は旅をする職。
女性、というものはあまり聞かないが。
俺のセカイの歴史上でも、女性の吟遊詩人は一人しか知られていないほどだ。
「指、輪……?ああ、夫婦、ですね」
左手の薬指に、金属製の指輪。男の方にも、同じデザインのものが同じ指に。
―――あの芸人の男と吟遊詩人の女は、共に世界を回っているということだろう。
まあ、男と一緒ならば旅をしていても身の安全はそれなりには保証されるか。
旅をする以上、腕っぷしなどは多少覚えがあるのだろうしな。
……だが、俺が一番疑問に思っていることはそこではない。
「知らない、人。勝手について、きて、います、が……大丈夫、ですか?」
「隊商っつうのはそういう物だからよ。予めああいう手合いが合流することも考えてある。……それにずっとこの面子で旅をするんだからよ、娯楽っていうのは大事だぜ?それに、暴れ出したり品物に手を付けようとしたら、この人数だ、間違いなく負けることはないしよ」
「サクル、さん。強い、ですしね」
「その儂を打ちのめしたお前さんもいることだしな」
皮肉気に言われた。
……まあ、仮にも本職だ。
もし俺が負けたのなら、この先の人生を考えて、その場で首を掻き切った方がいいだろうという結論を出すだろう。
本気を出し切れていないとしても、負けは負けなのだから。
「……日が昇って来たか。まあ、この気候帯ならまだ大丈夫だな。……パライアス超えると厳しいか」
忌々しげに太陽を睨みつけるサクル老人。
隊商の歩みは、気候に大きく左右される。
例えば、砂砂漠などでは真昼は全く進むことができない。
日が昇る前に歩み、中天近くになればテントを張り、日を避けて、日が沈むころになってまた進む。
伝承において、方角を星座で確かめていたのはそのためだ。基本的に夜に動くことが多かったのである。
このセカイでは、前に地図で見た国、フォーリーマとその周辺がその砂砂漠地帯に当たるらしい。
アプリスの周辺は、四季の変動こそあまり見られないが、気候はそれなりに過ごしやすいので、普通の行軍でも問題はないが、確かにパライアス王国を超えてさらに行くのならば、行軍を妨げる太陽は忌々しいことこの上ないだろうな。
「…………」
まあ、このセカイでは緯度や経度によって気候帯がしっかり定められている、というわけでもないようだから、元のセカイと同じ考えをするのは良くないのだが。
灯葛を始めとして、樹木や植物などがあれだけ特異なものがあるのだ。
見た目こそはほとんど変わらなく見えるが、実際はこのセカイと元のセカイは全くの別物なのだろう。
「嬢ちゃんはアトランティアやフォーリーマにはいったことあるのかい?」
「い、え。ない、です」
「そうかい、そりゃ残念だ。……今回はアトランティア近辺まで行くんだがな。嬢ちゃんはパライアスまでだもんな」
「―――はい」
そう。この旅も、この隊商とともに行けるのはパライアスまで。
そこからは仕事の時間だ。
「また、機会があったら一緒に来るといい。あのとんでもねぇ砂漠やらどでかい海を行き交う船の大群やら……生きているうちに一度は見といた方がいいぜ?」
「………ええ」
サクル老人の言葉に曖昧に頷く。
―――この出会い、この縁。
再び繋げることができるものなのか、分からないが故に。
……曖昧に頷くしか、無かったのだ。
だが、もしも。できることならば―――見てみたいものだ、な。
暗殺者としてでも、見ることができる景色ならば。
……そうして、隊商は進んで行った。
様々な人を乗せて。出会いを乗せて――――。