隊商出立
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「おう、この小屋はうちの隊商の所有物だからよ、存分に暴れていいぜ」
「いえ、もの、壊す。よくありませ、ん」
「いずれ物は壊れるモンだろ?だからこその商人なんだからよ」
……快楽的破壊主義は、俺の好みとするものではない、が―――ふむ。
確かに、いずれ物は壊れていくという言葉には納得できる。
そして、何れ壊れるものだからこそ、商人という職が成り立っているということもまた、サクル老人の言う通りだろう。
人はただ生きるだけでは生きられない。
生存するためにだけ物を食べ、水を飲み、汗を流して眠りにつく……神が定めたとされるその正しい道理は、生き物である人間が行おうとすれば必ずどこかで破綻が訪れるモノなのだ。
清貧には、他者を咎める劣悪な意識が。厳しい戒律には離反者が。
必ずはみ出し者が現れてしまう……故に、どこかでバランスを取る必要がある。
それを解消するための、必要不可欠な無駄……それこそが娯楽と呼ばれるものの本質なのだ。
「武器……玩具……いつか壊れる。はい、納得、できます」
「ま、長持ちできりゃそれに越したことはないのも事実だけどな」
「サクル、さん。いってる、こと、矛盾、してます」
「ハッハ!商人なんて信用と口八丁併せ持ってこその人生だからよ!」
「商人、むずかしい、です」
「慣れりゃあ楽しいもんだぜ?―――さて、そろそろ確かめるかい」
巨大な樹木をいくつも使用した木張りの床に、バルディッシュの柄尻を一度叩きつけ、両腕で槍のように構えるサクル老人。
……老人とは思えないほどに動きに活がある。
構えた戦斧の先もブレがなく、安定を保っている。動きに相当する筋力量も十全に備わっているということだ。
ああ、確かにやり手というハバルの話は確かなようだな。
これは、手を抜いていては俺もやられかねない、か。
「本気で来いよ……そうじゃねえと、確かめらんねぇからよ」
「……はい」
背中の背負い袋を壁際に放り、クファンジャルを引き抜いて斜めに構える。
そして、それと同時に背中に冷や汗が伝った。
……サクル老人の眼を見る。再び、蒼い眼光が俺を射ぬく。
敵としてでも、不審な人間としてでもない……隊商を守るに値する戦士として、真に有用かどうか……それをこの老人は見定めているのだ。
俺の身分、本来の職。
それらを隠して戦えば、見破られる……か。
当然、全てを晒すわけにはいかないが、もし視抜かれても構わない―――その思考でこの試験を潜り抜ける覚悟を決める。
手抜きは一切なしだ。
「――――行きます」
「…………」
返事はない。もとより返ってくる想定もしていない。
両足で床を蹴り、ハーサと戦った時と同じく、低姿勢を維持してサクル老人の下に潜り込む。
並の戦士ならばそれだけで姿を見失うであろう動作を、バルディッシュを構えなおし、下段に大薙ぎすることで確実に対応してきた。
……いい判断と言えるだろう。否、堅実な判断か。
確実に命を繋ぐことを目的とした戦い方。いくら巨躯の偉丈夫と言っても、サクル老人は見た目から年齢を感じさせる程度には歳を重ねている。
人間の動体視力は二十代後半を境にして劣化していくものだ。
常に危険な野盗たちと競り合い、俺の生きていたセカイよりは、常日頃から身体能力が鍛えられているこのセカイの商人達でも、サクル老人程に年齢を経れば、どうしたって素早い動きをするものを捉えることは難しくなる。
故に大薙ぐことで俺の動きすべてに対応をしようとしたのだ。
「しかし、舞う、には、甘い……です」
「おお……!?」
クファンジャルを戦斧に一瞬だけ接触させる。
刃と刃が重なり合い、体積に劣る俺の得物の方が跳ね上がる。
ああ、予定通りだ。そのまま、その跳ね上がりの方向だけを調整する。
腕を……正確にはナイフを軸にして身体を起こし、サクル老人の力を利用して戦斧の上に身体を乗せ―――そのままバルディッシュを蹴り、飛び上がる。
「いや!嬢ちゃんじゃあ軽すぎるな!」
「……なん、と」
飛び上がりつつ首を狙ったが、その前に下から掬い上げられ、真上に放り投げられた。
―――俺の体重は身長相当でしかないが、それでも三十キロは超えている。
それに加えて武器の重さもあるというのにこの膂力だ。本当に年齢を感じさせないな。
「ったく、危ねぇなあ。……今の、掬わなかったら首取られてたか?」
上空で体勢を立て直し、地面に着地。
ナイフを再度構えつつ、顎に手を当てつつ考えるサクル老人の言葉には、小さく笑みを浮かべて返答した。
……今の攻防は、サクル老人がもし俺の隙をついてバルディッシュの刃で切りかかって来たのならば―――その時点で俺の勝ちだった。
即死の罠の張り巡らされた、俺たちの拠点。
そこを踏破できるだけの実力があるのならば、緩やかともいえる上への薙ぎのタイミングに合わせ、足の指で刃を掴み、さらなる足蹴とすることも可能だからである。
当然空中での足場……行動権を与えれば、次に待っているのは死のみだ。
「次は、とります」
「いやぁ、こりゃあ上々じゃねえか。ハバルのやつもいい拾い物をした……儂も、本気でやってもよさそうだな」
……先ほどまでは小手調べであったか。
此方もまた、同じく小手調べであったのは事実だが、その手応えは予想以上――その一言に尽きた。
なんとも厄介な御仁だな。
戦闘に身をのすべてをささげたわけでもあるまいに、ここまで戦えるとは。
正直を言えば、暗器の使用まで解禁したいところだ。
「―――お前さんの事情はよく知らんが、儂らと競り合うようなもんじゃあ無いんだろ?」
「……、……」
やはり、見破られていたか。
いっそ打ち明けるべきかと思案するが、それは却下とした。
……打ち明ける必要までは無い。それは信頼でも信用でもなく、ただの過度な馴れ合いだ。
そんなものは不要。今ここで刃を交え、サクル老人との間に確固たる信頼を築けるのならば、それ以上は無用だろう。
「はい。そし、て……隊商は、しっかり、守る。これ、果たし、ます」
「ならいい。さあ、まだ俺の試験は終わってないぜ?」
また一つ、縁がつながった。
……ああ、本当に暗殺者という職は不思議なものだな。
誰かの命を絶つという仕事で、誰かと縁を結んでいく。
奇妙な奇妙な、まるで御伽噺のようなものだ。
では―――その縁をまた一つ胸に秘めて、信頼を勝ち取るとしよう。
互いに笑みを浮かべ……また、剣戟の音が鳴り響いた。
***
「がぁー痛ぇ痛ぇ……嬢ちゃん、老人相手に遠慮せず打ち込みやがったなぁ」
「サクルさんも、です。服、ぼろぼろ、です」
「元からほとんどボロかっただろうが。そもそも、嬢ちゃん服しか破けてねえじゃねえか」
「……最初、ぼろぼろ、違い、ます。それに、サクルさん、老人、ちがうです。勇士、です」
「あー?儂は商人だぜ」
少しばかり本気を出し切れていないとはいえ、訓練を積んだ暗殺者の動きについてくるあたり。
……老人という言葉が似合わないという言葉も当然思ってしまうだろう。
「親爺、遅かったすね。そんなに嬢さんやるんですかい?」
「やる、なんてモンじゃねぇ。強い強い……久々に腕っぷしで負けちまったわ!」
「うぇ、親爺を?!」
ハバルの驚いた声に連れられて、他の隊商のメンバーの視線もこちらを向いた。
相当な驚きなのだろう。まあ、当然だ。
本当にこのサクル老人は強かった。それを知っているメンバーだからこそ、この御仁に信頼を置いているのだろうし、隊長という役職を任せているのだ。
隊商の長というものは、命を預かる役職……生半可な人間では務まらない。人望と才能を持ち、努力と実績を積み重ねて、いくつもの経験を経てようやく手が届くのだ。
……尤も、サクル老人の場合腕っぷしだけではなく、商才も兼ね備えているのだから驚きだが。
俺は戦いでサクル老人をどうにかできたが、それだけだ。商才に人望……それらは持ち合わせていないのだから、負かした……という事実は全く当てはまらない。
「なぁに、とんでもない戦力が手に入っただけのことだろ。さーそろそろ出立間際だぞ!準備終わってんだろうなぁ!」
「全部完了済みです、親爺!」
「よーし!日が中天昇る前に出るぞ!」
「イエッサァ!」
隊商の男たちが、水桶に水を流し込み、ラクダ達に水分を与える。
そして、背中に鞍を張り、さらにいくつもの荷馬車を繋いでいく。
軽い物や移動の際のテントなどの必需品は、ラクダや馬の背中に括り付けられている荷鞍と呼ばれる籠や袋などの形状をした移動用鞄の中に収納していく。
サクル老人が声をかけて数分程度で、出立する準備が完全に終わった。
最後に、自分のバレットを頭に乗せたサクル老人が先頭の、荷車に乗り込む。
……俺は何処に乗り込むべきか、と考えていると、サクル老人から手招きを受けた。
ふむ。まあ、一番先頭にいた方が色々とやり易いか。
そう考え、一緒の荷車に乗り込んだ。
「よし、嬢ちゃんも用意はいいな?」
「はい、問題ない、です」
念押しの確認を済ませると、サクル老人が他の隊商メンバーに合図を出した。
「よーし、手前ら!行くぞ!」
「「おおおーーーー!!!!」」
紐が引かれ、隊商が緩やかに動き出した。
――――ああ、そういえばこれは。
俺にとっては、このセカイで初の旅になるのか。
仕事に行くためではあるが……少しくらいはこの旅を楽しんでも罰は当たらないだろうか。
アプリスの大門を出て、徐々に離れていく街を眺めつつ、そんなことを考えていると、後ろから頭に手を載せられた。
「何考えてるかは知らんけどな。……ま、楽しめ。結局、心のままに生きるのが一番いいんだよ」
「―――はい」
サクル老人の大きな手だった。そして、言葉だった。
……そうだな。感傷的になるのは俺らしくは無いことであるし――折角なら、楽しまなければいけないだろう。
なにせ、勿体ないからな。
少しだけ笑みを浮かべて、再び外を眺める風景を目に入れた。
今度は、目に焼き付けるように―――。