杖柱隊長
しばらくじっとしていると、隊商の中心にいる壮年の老人から手招きを受けた。
日焼けした禿頭と、巨躯が印象深い。
老人と呼称できるほどに顔に皺が刻まれてはいるが、背は全く曲がっておらず、その立ち振る舞いは一切隙が無い。
……元戦士か?
いや、否か。
戦闘経験こそあれど、あの老人には殺し合いに慣れ親しんだ人間ゆえの狂気がない。異常さがない。普通の人間としての核と形を保っている。
自衛のために自然とあのレベルの強者になったという当たりだろうな。
「こっち来な。儂に顔を見せい」
「……はい」
確かに、戦士ではなはい。
―――だが、その代りに老年の鑑識眼が備わっている。長い時を生きた商人としての勘がある。
しかも、その勘は生死が身近に存在する行商人としての勘だ。
場合によっては、一級の戦士よりも相手取るのが面倒になるな。
……あの老人の目をごまかせるか?俺の演技はそこまでの境地に達しているか?
分からない。それを判断できるだけの経験を俺はまだ持っていない。
ならば、踏み込むしかないか。
意思を固めて老人の元へ向かう。
……口の中の飴はすでに溶けきってしまった。
「お前さんか」
老人は椅子から立ち上がると、まず俺のフードを剥ぎ取り、顔をしっかりと認識してきた。
当たり前のことではあるが、重要だ。顔色を窺うという言葉があるように、顔は口ほどにものをいう。
老人の言葉には、小さく頷いて答えることとした。
「……ふむ、名は?」
「――ハシン、です」
直感で、この老人に名を騙ることは悪手だと判断する。
故に、俺の名を素直に使用する。
老人の、日焼けした肌に比べるとあまりに透き通っていた蒼い眼光が、俺の正体を見透かそうとしているのがわかる。
さあ、ここからは正念場だ。命こそかかってはいないが、命の取り合いに等しい言葉のやり取りだ。
「主人に置いて行かれたそうだな」
「……はい」
「何故追いかける」
同じ質問。行商人の男から詳しい事情を聴いていないとすればその質問もおかしくはないが、さて。
話を付けるといった行商人の男を信じるならばここは――。
「ご主人……よい、人です……」
再度、目線を逸らして同じ言葉を繰り返した。
「それは嘘だな?」
「―――ッ」
間髪入れずに見破られた。
……だが、ここまでは想定通り。むしろ、ここを追及してきてくれなければ―――真なる信用は得られない。
この老人は見込みあり、だ。
尤も、問題は俺の手で転がし続けられる程度の人間であるか、だが。
「…………。は、い。嘘、です」
「何故嘘を吐く」
「そう……しろ、と」
「ふん、命令か」
老人が苦い顔をする。
これは決して命令だということに対して何か心情を持って浮かべた表情ではない。
半分は俺が仕組んだことではあるが……奴隷は一つだけ、状況によってはという制約は付くが、何でも解決できる言葉がある。
それが、”主人の命令”だ。
この言葉を持ち出されては、追及を完全に行うことはできない。それ故に老人は苦い顔を浮かべたのだ。
……やれ、頭が回るな、この男。理解した、この御仁は、俺の手には負えない。
これよりは俺よりも格上の存在であるということを頭に入れて対処するとしよう。
「……まあ、一応聞くか。ハシン、本当の理由は何だ」
煙草に火を付けながら老人が俺に問う。
答えが返って来ないという想定だろう。
だが、それは違う。……ここできちんと問いの答えを返す。
それが、俺がこの隊商に参加する最も大きな理由を産むのだから。
「……。……あ、の……」
だが、急に答えは言えない。より慎重に演技を重ねる。
格上の相手の場合、何が引き金となって見破られるかがわからないからだ。
「ほう、言うか?」
ニヤリ……老人が笑った。
―――悪手を取ったか?いや、今更足を引き戻すことはできない。
……奴隷服の、身体の横部ほとんどにあるスリットに手を入れる。
内側の小さなポケットから、小さな小瓶を取り出す。
その小瓶には、淡い緑の液体が収められていた。
「―――……あ、の。これ、は、くすり……です」
「薬だと?」
「……はい。……病、あり、ます。ずっと、のまない、と、いけ、ない…です」
「つまりは楔ということか。だから主人を追いかけると?」
―――頷く。
これは演技だとしても、俺の行動理念はただ一つ。
そのために、この演技をしているのであって……演技のために今の俺がいるのは無い。
故に、最後に一つ、言葉を付け加える。
人をだますための演技にあって、俺の意思全てを籠めた、唯一つのゆるぎない事実。
「わた、しは……死にたく、ない」
「――――そうかい」
老人の鋭い目がスッと緩んだ。
奴隷服のフードを俺にかぶせると、近くにいた行商人の男に檄を飛ばす。
「ハバル!出立の準備だ、ほら急げ急げ!!」
「了解です!」
行商人の男、名をハバルというのか。
……そういえば聞いていなかったな。
まあ奴隷という身分。そう簡単に名を訪ねることすら難しいのだが。
カースト制度、というのは面倒だ。人間社会の根柢でありながら、現代で廃れていくのにも納得がいく。
「おっと、名を言い忘れてたな、嬢ちゃん。俺の名前はサクルだ。このキャラバンを取り仕切ってる、隊商の長ってやつさ」
「サクル、さん、です、ね。よろしく、お願い、し、ます」
「んでもって、そこに走り回ってるのがハバル。お前さんを連れてきた奴さ」
「はい、ハバルさん、です、ね」
老人、サクル。
ああ、恐らくは眼前の老人が俺に対して、完全に言葉のすべてを信用したということはないだろう。
だが、少なくとも―――行動を共にすることを赦す程度には、信用してくれたのだ。
「ほら、お前らも見てねぇでさっさと動け!二人分人数が増えたんだ。予定を組み直すぞ!」
「イエッサ、親爺!」
「あの、わたし、も、手伝い、を」
物を運ぶくらいならできる。
なに、信用にはある程度の結果を返さなければならない。
そう思っただけだ。
「嬢ちゃんはこっちだ。戦えるっていうのはハバルから聞いてるけどな。どれほどか確かめてみねえといけないからよ」
「なる、ほど」
戦闘能力すら資産としてカウントする、ということか。
なるほど、確かに合理的だ。
サクル老人の前にある机、その上にある雑多な荷物に目を向ける。
いくつも書き直しがされた、隊商の予定表と、隊員や積み荷の詳細。荷物を運ぶラクダたちの餌代。
計算に使うのであろう、アバカス―――そろばんの一種―――や、いくつもの手紙類。
その中に、ベルベット製のバレットが見えた。サクル老人の持ち物だろう。
……バレットは商人なら普通に着けるものだが、ベルベット製となると話は違う。あれは、単純に高価なものなのだ。
相当稼いでいないとあれに手が届くことはない。
「おい誰か!武器持って来い!」
「あー、これでいいですかい?」
「馬鹿か、そりゃ売りもんだろうが!」
「ありゃ、すんません!!」
「ほい、親爺」
ハバルから手渡しでサクル老人が受け取った武器は、バルディッシュか。
武器としては戦斧に分類される、三日月型の刃を持つ長柄武器である。
かなりの大きさを持つが、巨躯を誇るサクル老人が持てば丁度いい長さに落ち着いた。
「嬢ちゃんはどれにする?この際だ、嬢ちゃんは売り物でも構わねぇ、好きな武器選びな」
「――いえ、自前、あるの、です」
腰の武器……クファンジャルを半分だけ鞘から引き抜く。
「そうかい。じゃあ、そこの小屋に行くぞ」
「はい」
サクル老人についていこうとすると、後ろから肩を叩かれる。
ハバルだ。
「あー、親爺はかなりのやり手だからな……。ま、負けても気を落とさないでいいからな」
「……?は、い」
「ま、親爺はもう嬢さんをキャラバンの一員だと認めてるからな。怪我だけはしないようにするんだぜ?」
「分かり、ました」
心配をしてくれているようだ。
だが、こういう場合は普通サクル老人を心配するものではないのだろうか。
自分の隊商の長だろうに。
……いや、否か。サクル老人のことを、それだけ信用しているのだ。
並みの兵士ではかなうような相手ではないと。
――では、俺も胸を借りるつもりで戦うとしよう。
「行って、きます」
サクル老人の入っていった小屋の扉を開けた。