隊商商人
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―――さあ、こっちについてきてくれ。
行商人の男はそういい、俺についてくるように仕草でも促した。
この地方の言葉に対しては不自由という演技であるため、言葉と行動両方を用いて意思疎通をやりやすくしているのだろう。
客商売を行う商人らしい気配りの良さだ。
尤も、物を調達しながら世界を渡り歩き、現地で商売を行う行商人にとっては、愛想のよさすらも売り物の一つのようなもの。
ごく自然に仕草として身についていてもおかしくはないことだ。
「……。……」
一瞬の間の後、小さく頷いて、行商人についていく。
ちなみにであるが、胡椒の入った袋は最初に手渡してある。
正確には、行商人の男が最初に手を出して、わたすように促してきた。
抜け目がないな、と心の底で感心したが……それと同時に思惑に嵌ってくれて助かったとも思った。
――胡椒の袋を渡してしまえば、俺と取引が完了したということだからな。
そう簡単に、やはり無し……ということにはならない。
商人という生き物はそう言った取引には厳しいものだ。……例え、その取引相手が奴隷だったとしても。
まあ、仮に逃げようとしたならば、わざと分かりやすく腰に提げてある、少女の身体にはちょうどいい大きさの小刀の威力を、身をもって体感させてやるだけの話になるが。
その意味も込めての、戦闘訓練を受けているという言葉の布石なのだ。
「ああ、少し歩くけど、大丈夫?」
「はい。慣れて、ます」
「そりゃよかった。まあ、街を横断、とまではいかないから安心してくれ」
ハーサ並み、とはいかないが、体力は常人よりはあると自負している。
見習いとはいえ暗殺者。身体能力の強化はできうる限りは行っている。
……蜜の罠のせいで、大きく肉体を変化させるほどまでは鍛えられない、というのは不便だがな。
全く……あの豚のせいで俺には蜜の罠に対して強固な嫌悪意識が発生してしまっている。
もともと男、というのもあるがな。……何故男などに対して身体を使って殺しをしなければいけないのか。
この身体が脆弱なことは分かってはいるが、それにしたって腹が立つことこの上ない。
そんなことを考え、ハーサに対しての怒りを蓄積させていると、行商人の男がおもむろに指を刺した。
「あそこだ。あそこに俺の荷と馬がある」
「あそこ……たくさん、あります、ね」
「そりゃそうだ。……あー。そうか、君の主は君みたいな戦えるものを個人で雇っているのだったかね」
「はい」
正確にはあいつ自身が戦えるが。
……そもそも商人ではない。真似事ならば、人並み以上、一流にやって見せるだろうが、あいつはその気質故に商人という仕事には向かない。
暗殺者のついでとしてできる、という程度だ。
「普通の商人……我ら世界を渡り歩く行商人は、隊商を組んで国を渡るんだ」
「きいたこと、あり、ます」
―――俺の目的地がキャラバンサライである。
演技をしている中表層の俺にはそんな思考は浮かばないが、代わりに深層で突っ込んでおく。
……ミリィからは演技した人格に飲み込まれるな、と教わっているのでな。
”百面”の名を持つミリィは、それこそ俺程度では判別不可能なほどに人格と顔を使い分ける。
ハーサとの修行の間の、僅かな時間でしかミリィから技を教わってはいないが、それだけでも”百面”の名が全く持って誇張ではないことを理解させられた。
そのミリィが言ったのだ。
”「無数の顔を人格を使い分けることは、有用ですが危険なことだと覚えておいてください。演技で人を飲み込むことはいいでしょう。しかし、自らの演技で自分という人格を見失ってしまえば、あとに残るのは―――以前、その人間であった演技人格……それだけです」”
今俺が思考を重ねているこの深層意識。
この階層まで演技を浸透させてしまったとすれば―――俺という意識、人格……そして意思。
それらすべてが、演技によって塗りつぶされる。
塗りつぶされてしまえば、もう二度と俺という人格が現れることはない。
最後に残るのは、元の自分すら忘我した演技者だけだ。……そんなものは、暗殺者どころか、正常な人間ですらない。
だから、俺は深層ではきちんと俺のままでいるように、思考を続けている。
表の人格に突込みを入れているのも、そのためだ。
……全く、俺も速く一流と呼ばれるほどの腕になりたいものだ。我乍ら未熟が過ぎる。
ミリィならば、ハーサならば。
確固たる自分を保ったまま、演技をするのだろう。
「今回は俺は隊商には参加しないつもりだったんだが、君のおかげで気が変わった。ああ、話はきちんとつけるからそこは安心してくれ」
「わかり、ました」
「……ただ、ちょっとお願いがある」
「はい?袋、中身なら、どうぞ、です」
……行商人の”お願い”が、其れではないことは分かっているがな。
「いや、そっちじゃないんだ。……ああ、もちろん袋の中身も少し貰うけどね。さて、君は、戦えるのだったな?」
「はい、訓練、うけて、ます」
腰の小刀……正確には、ハーサの屋敷から勝手に拝借してきた、クファンジャルという武器を、鞘ごと見せる。
……演技のための小道具ではあるが、別にこれを使ってでも人並みには戦える。
使えなくなったり、不要になれば捨てられるしな。小さい袋でも持ち運びが可能な用に、そしてこの身体でも使いやすいように大きさは先ほども言ったように小さいが、もともと俺の得物はナイフだ。
そのあたりの、武器のリーチなどは、近しいものがあるため問題ない。
「うんうん、いいぞ……で、だ。その戦いの技能を、俺のために役立ててくれやしないかい?」
「役立てる、です、か」
「要は隊商の用心棒になってくれればいいってことだ。ほら、それなら隊商と行動を共にできるだろう?」
「敵、倒す。守る。です、か?」
「そうだ!」
「はい、です。いい、です」
本来ならば、守っているという時点で隊商から銀貨の一つでもせびれるだろうが、今は互いに利用し合っている身。
何も欲する必要はないだろう。
「いつもの、こと、です、から」
「―――そうか。ま、よろしく頼むぜ。なに、用心棒としての仕事は、敵がもし出てきたらの話だ。あんまり、気負う必要はないよ」
「はい」
「じゃ、ちょっとここで待っててくれ。親爺と話付けてくるから」
「はい」
わしわしと―――俺の頭を乱雑に撫でた行商人は、腰提げ袋から飴玉を取り出すと、俺に渡して隊商の中心へと走っていった。
―――頭を、こうやって撫でられたのは、久々かもしれない、な。
……しまった。一瞬呆然とした顔が浮かんでしまったかもしれない。
予想外の出来事で心理状態が崩れてしまった。気を付けなければな。
「あ、め……」
古くからある砂糖菓子。
しかし、貴重な糖分であることに変わりはない筈。
半透明のそれを、じっと見つめ、口に放り込む。
……ああ、甘いな。砂糖なのだから当然ではあるが。
「人、との……つながり」
こういった出会いも、或いはあるのだろう。例えば、衛利のように。
……奇妙な縁だ。だが、嫌いじゃない。
さて。用心棒として雇われたのならば、その仕事くらいは果たすとしよう。
尤も、まずは隊商の中心人物らしい、親爺さんとやらに許可を貰ってからの話だが。
意識的に武器に手を伸ばし、演技の仮面も再度、しっかりとついていることを確認しておくとしよう。