移動交渉
***
「荷物はこの程度でいいか」
武器とその他必要になるであろう物を背負い袋に詰めて、立ち上がる。
検査を怠るというなどという思考は持ち合わせてはいないが、しっかりとこの荷物の中身を確認しておいてよかったと思う。
……武器は劣化したものばかりで、まともな暗器は入っていなかった。
このまま目的地に向かっていたのならば不足した物資の中で暗殺を行わなければいけなくなっただろう。
それは面倒が過ぎるからな。
「とはいえ」
まあ、これもあいつが俺に提示した試練ならば、ある意味は当然か。
暗殺者としては理に適っているしな。
無茶や嫌みがないだけ、あれの試練としては良心的だろう。
―――さて。俺も行くとしよう。
速くしなければ仕事に間に合わないなどという事態に陥りかねない。
「武装は十分。体もほとんど治っている」
本当に、治癒能力の高い身体で助かった。
傷が残りやすかったり、治りが遅いとなると動きに支障をきたすからな。
まだ少し包帯は巻いているが、俺の身分を考えればこの方がいいこともある。
屋敷周辺の開けた場所を抜け、獣道へ入っていく。
暗殺者として生き始めてから、山をでるのは二度目か。
……やれ、経験が足りないな。
この先どのような旅路を行けばいいのか見当がつかない。
まずはそこから、か。
「まあ、悩んでいても仕方がない。……まずは街に行くとしよう」
何をするにも、人が多い場所を拠点にするのが最も楽だからな。
アプリスの街。そこへ向かうとしよう。
山に張り巡らされた即死トラップ。
それを踏み越えながらそう算段を付けた。
***
「さて。ようやくついたが」
山から出てしばらく走り――街が近くなり、歩きに切り替えたために、少々時間をかけてしまった。
奴隷が全力疾走というのは、異常ではないが違和感はもたらす。
それは極少々ではあるが、これから暗殺に向かうのだ。その極少々すら、まき散らしたくはない。
―――俺は、身分が割れれば速攻で破滅するのだからな。
全く持って、奴隷という身分は面倒なものだ。
だが、利用できないわけではない。使いようというやつだ。
「だが、先に情報からだな」
あるものならば何でも使う。
だが、それも本来の仕様用途……即ち知識がなければ使い道も浮かばない。
さあ、どうするか。……ハーサが同じ状況ならば。あるいはミリィが同じ状況ならば。
あの暗殺者たちならば、どう動く?
「――決まった」
奴隷服―――山から持ってきた、通常の奴隷が来ているもの―――のフードを目深にかぶり、大通りの脇道へ移動する。
まずは俯瞰だ。
リナに頼るという手も思いついたが、今の俺は暗殺面を被っていない、ただの奴隷。
朝の時間にはリナのパン屋にも、多くの人が入るだろう。そこで奴隷である俺と仲良くしている光景というのは、風評被害につながる恐れがある。
それに、俺自身も目立ってしまう。今回は頼れない。
――だが、他に手はある。
「露店がこれほど並んでいれば、確実にいるはずだ」
大通りには数多くの露店、あるいは屋台が立ち並び、朝から賑わいを見せている。
広い大通り。日本の中華街などで見るような、すし詰めとまではいかないが、それでも通りを歩く際に、通行しにくいと思う程度には道を人が覆っている。
この街に人が集まっている証拠だ。
……そして、人が集まっているということは、それを狙って数多の商人たちがこの街を訪れるということでもある。
商人にはいくつかの形態があるが、俺の視たこのセカイでの主流は、やはり行商だ。
行商人は街から街……あるいは、国から国を、人と金と商品の流れに沿って歩む渡り鳥。
俺が狙うのは、そこというわけだ。
目についた、商品を露店から買い付けている商人に狙いを絞る。
――さあ、演技を始めよう。自己すらだまし、他人をだます、仮面ならざる仮面を被るとしよう。
「……ごめん、なさい。話、いい、です、か」
―――このセカイの言葉や文字は、ミリィから叩き込まれた。
文字の方はまだ心許ないが、話し言葉に関してなら、ここから遠く離れた国の言葉ですら話すことが可能だ。
もちろん、その地方でのみ使われているスラングまでには完全に模倣することはできないが、この街でならば今の俺のスキルでも事足りる。
それを利用して、片言……この街の、この国の言語に慣れていない異国の少女として振る舞う。
異国、というのは……俺の身体の肌色は、この国ではあまり見ない。この地域出身というよりは信憑性があるだろうという打算からだ。
「お、なんだいお嬢さん……って、何だ、奴隷か」
「は、い」
このセカイの奴隷身分の扱いなど、こんなものだ。
基本的には下等身分。カースト下位の存在である。
だが、セカイを渡っている行商人は、奴隷との接点も多い。
他の人間に比べれば接しやすというもの、
そして―――商人というものは、皆一様に利益に目ざとい物が多いのだ。
つまり。餌をぶら提げれば、容易く食いつく。
……まあ、吊り方には注意しなければいけないがな。
「わた、し。ご主人、おいていかれ」
「ふむ。君の主に置いて行かれたわけか」
行商人の眼が細まる。
見極めているのだ。自らの利となるか、否かを。
これで見当違いと判断されたのならば、この行商人はさっさとこの場を立ち去り、二度と会うことはないだろう。
奴隷身分である俺は通常の公共機関を利用することは難しい。いやというほどに目立つ上に、とんでもないほどぼったくられる。
もしこれが失敗したのならば、俺に取れる手段は、その八割が消滅したといっても過言ではなくなるだろう。
「追い、つく。どうすれば、いい、です、か」
「主人はどこへ向かっているんだい?」
「パラ、イア、ス」
「パライアス王国か。……君は奴隷だしなぁ。金は?」
「あり……ません」
本当は持っているが、奴隷が金を持っているというものは不信感を抱かせる。
故に、身体の見つからない場所にそっと隠してある。
余談だが、背負い袋は、細工がして在り、普通に覗かれただけでは内部に暗器が入っているなんて思われない仕組みになっている。
「だよな。パライアス王国へは、俺も途中までは行くんだが……」
「ほんと、です、か!」
「ああ、本当だ。……時に君は、なんでこの機に逃げないんだ?」
当然の質問。
奴隷が主人に置いて行かれたならば、逃げだすという行動はおかしいことではない。
……まあ、そのあとにはさらなる破滅が待っているわけだが、それでも逃げようとする心理は普通の事だ。
ここが、正念場。相手を納得させるだけの理由を生み出さなければ俺の負けということだ。
まず―――目線を逸らす。
「ご主人、よい、人、です」
「へえ」
「私、武器、つかえる、ように、して。言葉も、教えて、くれま、した」
「武器?君は主人から戦いの訓練を受けているのかい?」
目を逸らした方向に、行商人が周りこんで、目を合わせてくる。
―――乗ってきたな。
演技に埋もれた心の底で、薄い笑みを浮かべる。
「はい。主人、商い、します。私、守る、仕事、でした」
「護衛用に奴隷を買ったのか……。別の地域の行商人はその手段をとることもあると聞くが……」
行商人の独り言を聞く。
小声のつもりなのだろうが、暗殺者の耳ならばなにを言っているのか捉えることが可能だ。
……尤も、読唇術もあるため、聞こえていなくでもわかるのだが。
さて、考えがまとまりきる前にもう一押しだ。
「これ、集めて、言われ、ま、した。そし、たら、ご主人、先に……」
背負い袋を少々もたつきながら開き、中から少し大きめの袋を取り出した。
その口をまた開き、中身である黒い粒の実を見せる。
「―――な。これ……胡椒か?!」
「は、い。それ、が?」
……我乍ら白々しいな。
表層ではなく、深層でそう呆れる。
一流の眼を持っているものは表層意識で浮かんだ感想すら、身体や表情の僅かな変化を辿って読み取ってくる。
だからこそ、暗殺者の中でも潜入に特化したものは、己すらを騙し、完全にその演技を作り上げるのだ。
”百面”のミリィから直々に叩き込まれた演技。いくら商人なれど、見破ることはできない。
「ああ、クソ……そうか、この街は都市部から離れてるもんなぁ……!こういった物も大量買い付けできたわけだ!やられた!」
「……?」
「いや、君には関係ないよ。……ところで、それ―――少し、譲ってもらえないかな」
「ゆず、る?」
「欲しいってことだ。もちろん、報酬は弾む!―――君を、途中まで送り届けよう!」
―――欲しい言葉を、ようやく引き出せた。
「はい、よろこ、んで!」
目的地に着くまでの第一関門。
上手く突破できた、という所だな。