長老異土
「さて……これはどういうことだろうな」
目覚めたのは、初の二刻。
色々と入用になるため、用意をするためにその時刻だったが……。
はて。目が覚めた時にはすでに誰もいなかった。
「当然、聞き間違えなどしていない」
眠る直前の重い頭だったとしても、そこまで耄碌はしない。
この場を発つ時刻は初の三刻、そのはずだ。
……ということは、置いて行かれたか。
「どういうつもりか。悪意は感じないが」
重要な任務の前だ。唯の悪意であれば、ミリィは制止する。
ハーサのやつを完全に止められるかどうかは別として、だが。
少なくともその痕跡は残る。それもないということは―――”長老たち”二人が、俺をそのまま連れて行く理由はない、と判断したということか?
「……一度眠ったら敵意害意悪意、或いは異常。それらを感じるまで起きない体質が裏目に出たか」
眠りが深いというのも考え物だな。
俺の場合、あまりに深すぎて、夢などほとんど見ないレベルだ。年に一度、見れればいい方……いや、この話はいまする必要はないな。
……ふむ。置いて行かれたが、追いかけない道理は無し。
さっさと荷を纏めて俺も任務に参加するとしよう。
そう思い立ち上がると―――。
「荷物がまとまっている?」
机の上に丁寧に置かれた荷物。
……旅人の持つ背負い袋。
暗殺者用に改造を施してあるそれの中を覗きこんでみると、これよりの戦いに必須となる武具道具、そのすべてが収まっていた。
この几帳面な入れ方は、ミリィだな。
もう片割れの師匠では、これほどまでに綺麗な荷造りはしない。
「む、メモがある」
分かりやすいところに置かれていた、小さく切られたパピルス。
そこには、丁寧な文字で言葉が記されていた。
”師よりの試練を与えます。我らの元へ辿り着きなさい。我らがすべてを殺し切る、その前に”
「……発展系の、移動試練といったところか?」
いや、実践系と言った方がいいか。
確かに、俺はこの時代、このセカイ。
あまり外に出歩いた経験を持っていないため、如何せんやり方というものの道理を知らない。
ハーサはそれを危惧したのだろう。そして、ミリィも納得した。
ああ、確かにあの二人は一流の暗殺者なれば、そう言った試練を当たり前のように与えてくるのも納得というものだ。
―――では、俺も出立しなければな。
「……その前に、だ」
荷物の検査、及び不足物の補給をしなくては―――。
***
―――ルーヴェルへと向かう、大街道。
そこを走る馬車の中にて。
耳を澄ませても聞こえないほど静かな声量で話す、二人組がいた。
「……本当に、ハシンを置いていってしまっていいのですか。サーベト様はハシンを必要だ、としてこの任務を構築しているはずですが」
「まるであいつが私らの仕事までに辿り着けないかのような口ぶりだな?なに、問題ないさね」
「ハシンはあの山近辺からほとんど出たことがないのですよ?しかも、一つ大きな錘もあるというのに……」
「その程度どうにかできなければ、私の弟子とは呼べない。簡単にやるだろうさ」
「……心配です」
傍から見れば、片方は眠り、片方は窓枠の外を見ているようにしか思えないが、確かに二人は会話していた。
……まあ、私たちならば、腕やしぐさを使うこともできるし、目だけでも会話できるのだが。
今はこの声に感づくような怪傑がいるでもなし。普通に声での会話をしても問題ないのだ。
「お客さん、そろそろパライアスの国境に入りますぜ」
「ああ、そうか」
薄布越しに、御者台に座る馬引き……御者がそう言った。
「それにしても旦那ぁ、こんな夜中に国境渡るとはなにかわけありですかい?」
「ハッハ、まさか。俺は医者さ。いや、医者見習いさ。こちらの爺さまが、俺の師匠に当たるかたさ。……寝てらっしゃるがね」
「ああなるほど、お医者様ですかい。そらまあ、国わたってまでお勤めする必要あるわけですなぁ」
特に……と、馬車の御者は話を進める。
「パライアスは信仰術なんてもんありますからなぁ……それに頼ってて、最近リマーハリシアの方で起ってる医療技術の恩恵なんてありませんもんなぁ」
「ま、俺らは理髪師を兼ねてる外道医ですがな」
「彼方さんのお国に取っちゃあ、そりゃ喉から手が出るってやつですわな」
「ちがいない」
この世において、ハシンが科学と呼ぶ学問に対しての理解はほとんど存在しない。
なにせ、魔術なども実在する世だ、そういった必要性は生まれたとしても、発展しづらい。
だが、その中でも医療という分野に関しては、発展を着々と続けてきていた。
私たちの本拠である、大山があるリマーハリシアという国も、病院という建物、医師という職業が出て久しい。
だが―――パライアスは、魔術とも違う、信仰術という……まあ、神様とやらに祈って使う魔術的なものがあるため……そして、それが医療などに扱われることが多かったために、病院の必要性。医師という職の重要性が生まれにくかったのだ。
「……故に、信仰術だけではどうしようもなくなってきた近年になり、ようやくパライアスは医師の獲得というものに動き出した」
横で寝たふりをしているミリィが、私にしか聞こえない声でつぶやく。
そうだ。
……しかし、幾分遅すぎた。
既に周辺国は医師を手放す余地はなく、旅をする医師は国に囚われることを嫌い……結果として、パライアスには医師が不足してしまっているのだ。
だが、外道医……正式な医師の免許状を持たない兼業医は別だ。
これは国や人に請われ、国境を渡り、医療行為を施すもの。
――つまり、医師の少ないパライアスへ潜入するには、持って来いなのさね。
当然、変装のハードルは高いが。
なにせ、外道医がもつ医療技術はすべて会得していないといけないのだから。
ま、私もミリィも、既にそんな程度の医療術は習得済み。問題ないのだがね。
「普通なら夜出るなんてとんでもねぇ、ってやつですが、パライアスの街道は整備が行き届いていていいですわな。山賊なんかもとんとでねぇ」
「各国でも有数の、整備街道もちですからなぁ」
パライアス王国の街道整備技術には、確かに目を見張る者がある。
これを築いたものは相当に頭が回るらしい。
実際、街道の整備が行き届いていない国など、たかが知れているのが実状というやつだ。
当然、街道を使われての敵国からの侵攻なども問題となるが―――兵站輸送の欠点に比べればどうということはない。
―――尤も、我ら暗殺者。常なる戦など欠片もする気はないのだが。
「あぁっと、すいやせん。医者様ならついたらすぐ仕事ですよな。お休みくだせぇ」
「なに、先に髪を切るのが常さ。気にするな」
手で会釈し、御者との話を終わらせる。
……さて、寝るか。
私たちの意識は常在戦場。なればこそ、何処でも寝れるし、どこでも休める。
―――そして、どこでも殺し合える。
さて。此度ではどんな猛者と殺し合えるのか。
”秘密の園”の王女様の依頼は、毎回面倒極まりない物ばかりだが……その代りに、心躍らせる一流の敵が居ることがほとんどだ。
そんなものと殺し合いができると思うと胸が高鳴るさね。
「……愉しみだ」
愉悦の笑みは心の奥底にしまって……演技を続けたまま意識を閉じる。
ふむ。ハシンは間に合うか?……私の弟子だ。間に合うだろうな。
さあ学べ。お前が歩むべき、暗殺者の道を、道理というものを、な――――。