決戦終戦 ”試練”
あとどれだけ動ける?
自分の身体に問う。
自分の精神に問う。
精神は何処までも、と答える。
身体はもう限界だ、と答える。
……持って数撃か。
あと何度かの打ち合いだけしか俺は動けないだろう。
小さな切り傷でも積み重なれば確かな致命傷になりうるものだ。
額など、出血の多い場所を切りつけられてしまっている現状では、体力も集中力も、今までの目算よりずっと速く減っている。
「睨んでいるだけか?」
「そう思うか。練っているのさ、お前を殺す手段を。効率を」
目を細めるハーサ。
「嘘だな。お前に私を殺す力など、もう残っちゃいないさね」
「さて」
どうかな。手元にある二振りのナイフに目を向ける。
起点は、手に入った。
そして、数撃打ち合えるだけの体力を残せた。
……空は中天に時にあり、まだ時間もある。
なによりも、この俺の領域で、俺はまだ息をしている。
ならば。
「ならば―――きっと、ここで」
終わらせられる筈だ。
さあ、最後の一撃を。詰めの一手を始めよう。
空気を吐く。そして吸い込む。
目を一瞬だけ閉じて、開き―――殺す対象であるハーサを見据える。
「――――殺す……!!」
俺が打ち合えるのは、何度も言う通り数撃が限度。
だから、この数撃にすべてを籠める。
今までの修行の成果を。
生きていくと決めたその意思を。
……暗殺者になるという、その決意を!!
まず、一撃。
両手にあるナイフを存分に使った、外からの大薙ぎの一撃。
「加速。ナイフの損失。自傷を恐れない一撃」
要因は三つ。これらを積み重ねたならば、ハーサでも無傷で受けるのは不可能。
自爆前提の攻撃ほど対処することは難しい。
故に、ハーサは間違いなく回避する。
―――思考を研ぎ澄ませ。
相手の行動を制御しろ。思考を奪え。常に相手の先を意識しろ。
俺は。俺の身体は常に無力。
この身体はあまりにも脆弱で、弱々しく、戦うには不向きだ。
だが、それでも。俺はこのセカイで。この身体で生きていくと決意した。
ならば突き通せ。意思を、心を、精神を。
俺の決意は決して折れぬと、自らに言い聞かせろ。
負けられない。負けられるものか。だって俺は死にたくない。
……死にたくないと、ただ願い、実行する醜い人間に相違ないのだ。
「だが、醜くて何が悪い」
「……!こいつ―――」
人間は醜い生き物だ。
生き汚く、死に様までも愚かしく、救いようのない生物。
それが、俺だ。だが……それの何がおかしい。
例え愚かでも、生きていこうとする意志を嗤うことなど誰にも許さない。
「もはや……現在を見ていない!」
――――未来を、見据えろ。
未知を殺す、その手段を。
不理解を糺す、その決意を。
相手がどれだけの脅威でも、諦めないその精神を。
……俺の魂を、命を賭けて、燃やし尽くせ!
「……く」
ハーサが、一歩下がった。
その足を見て、自分自身が信じられないといった表情を浮かべた後に……愉快そうに笑った。
「やってみろ!」
一歩下がった足をそのままに、完全な回避体勢に移る。
当然逃がさない。
俺の加速は、ほとんど前傾姿勢に振り切った形――つまりは、回避など一切合切を考えない背水の動き。
最後の力。……どちらにせよ、俺にはもう戦闘を継続させるような力はないのだ。
そも――回避に回せるような力も残ってはいないのだから。
目線は、思考はハーサの動きを予測できている。
回避した方向へと、一瞬の動きで刃を重ねる。
完全な極限状態。それが故に引き起こされるのは、相手の行動を読み取る、薄氷を履むが如し集中状態。
もはや集中力など完全に絞り切ってしまっていたと思っていたが……なんだ。
存外に、死ぬ限界まで振り絞ればあるんじゃないか。
「ムゥ?!」
ガキンッ!刃が強く当たる音が響く。
刃が少し、ハーサのナイフに食い込んだ。
左へ薙ぎ、さらに踏み込んだナイフは、ハーサの首元へ的確に。
ああ、この上ないくらいの切込みだった。
自分でも満足な出来栄えだ。
「残り……三撃」
限度まで、たった三度。
自分の未熟さに吐き気がする。
……あと、三度しか打ち込めないのか。
ハーサが舌打ちをする。
その舌打ちも、愉快そうなのが気になった。
本当に、楽しそうで何よりだ。
―――無意識に俺も笑みを浮かべていた。
「殺す……!」
「来い、弟子!」
腕を捩じり、ハーサからナイフを弾き飛ばす。
空いている右腕で浮いた腕の隙間から通す。
残り、二撃!
……この刃が当たれば、俺は勝てる。
だが、当たるわけもなし……というより、”誘い”か。
いいだろう、乗ってやる。
勢いを消さず、誘いを貫く。
全力で地面を踏み抜き、体ごとハーサの首元へと飛び上がる。
本来唯の跳躍など獲物になりにきたようなものだが、ここまでの零距離ならば話は別。
誘いには乗るが、それだけじゃない。
左腕を引き戻して、関節を外す。
しなやかな鞭のような、首を狙った一撃だ。その同時の二撃を以て打ち倒す。
見知りと肩が痛みを発する。当然だ、俺はまだハーサのように簡単に身体を外したり付けたりはできないのだから。
無理の代償、苦痛で息が詰まりそうになる。
だが、無理矢理呼吸することで痛みを押し流し、ありったけの力を籠める。
残る、一撃。
…………それは、最後にとっておこう。
「―――じゃあな」
”誘い”の穴は、俺が思っていたよりもずっと深かったらしい。
ナイフを弾いたときに肩より上にあがっていたハーサの腕が、高速で身体まで引き戻される。
そして、肩から肘までだけで、刺し入れた俺のナイフを挟み――砕いた。
見た目は中国拳法に似ているだろうか。
こいつは中華系の武術まで習得しているのだな。
思わず、呆れた。
「―――――!!!」
右腕はだめだった。
では、左腕は?
首を狙った一撃は―――当たり前のように弾かれた。
そうして、ナイフごと全力で弾かれた腕は、俺の身体へと返ってくる。
それはそうか。まあ、あまりに狙いが見えすぎていた。
いくら超高速、超威力の攻撃でも、確実にその場所に行くとわかっているのであれば対処はできてしまうのだ。
完全に姿勢の崩れ切った俺の足を、ハーサが払う。
今の俺では何ができるでもない。
―――過度な前傾姿勢のまま、身体が浮き上がった。
側面に移動したハーサが、俺の背骨を叩き折るために肘打ちの姿勢に入ったのを横目で確認する。
あれは必殺の一撃だ。
受けたらさぞかし痛いだろう。
だが、ここでようやく。
最後の舞台は整った……!!
振り下ろされる肘打ちは鉄槌の如く。
俺を殺すには十分すぎる威力。
だが、その前に俺は終着の一撃を報う。
この開けた場所を選んだのも。中天の空を選んだのも。
何故、最後の攻撃に態勢の崩れ過ぎるこんな無理な前傾姿勢を選んだのかも。
全ては、ここに繋がるためだ。
身体、その背面近くに弾かれていた左腕で……背中に気付かれないように忍ばせておいた、糸の残骸を引く。
武装としては使えなくとも、小道具としてはまだ生きていたのだ。
引かれた糸の先には、灯葛。
それが、もはや体限界まで差し迫っている、ハーサの肘打ちにちょうど当たる場所へと移動させる。
とっておきの、最後の一撃……受けてみろ。
「あァ??!これ……は!」
肘打ちが炸裂する。
灯葛はハーサの攻撃を受けとめ、そして……破裂した!
中から飛び散った液体は、よく見知った香りのもの。
アルコールの一種。エタノールが含有される飲料……つまり酒のことだ。
酒は俺とハーサの中間で破裂し、双方を濡らした。
さあ―――詰めだ!
髪に手を突っ込んで、一緒に引き抜けた幾本かの頭髪とともに、目的のそれを放り投げる。
それとは、短めに裁断された、灯葛の電熱線!
高効率で熱を発生させる電熱線は、中天にある太陽により一瞬で加熱して――――灯葛自体によって温められていた酒に、引火した。
「は…」
薄目で、作戦が成功したことを確認した。
火はハーサの右腕を大きく包み、火傷を発生させた。
……まあ、俺の身体も発火しているんだがな。
肘打ちの直撃は間に物を挟んだために免れたとはいえ、それでも大きな衝撃を受けていた。
地面に叩きつけられるが、そのまま地面を転がり、火を鎮火させる。
すこしハーサから離れたところでふらふらと立ち上がり、汗を拭う。
「ふむ」
右腕の服を破り捨て、地面の土を掴んで腕に振りかけるハーサ。
火を消す手法としては一般的だ。
火の周囲の発火要因……今回の場合は空気だな。それを排除すれば火は消える。
尤も、アルコールとはいえ数秒でも燃えれば、確かな火傷となる。
ハーサは、手を何度か動かし、皮膚が引き攣っているのを確認していた。
「どうも酒が見当たらないと思っていたが、お前盗んでいたのか」
「悪いか」
「いや?愉快だったぞ」
む……立っているのも難しい。
膝が震える。
相当疲労が蓄積されているようだ。
諦めて地面に座る。
ハーサも近づいてきて、俺の前に胡坐をかいて座った。
「さて合格さね」
「そりゃどうも」
仮面も外す。
ようやく、息をついた。
ああ―――今回も、首一枚、繋がった。
……生き残れた、か。