決戦開始 ”試練”
「―――」
声は出さず、息だけを深く吸う。
今回のハーサは自分から罠にはまりに来ている。
罠にかかりどのようなことになるかを楽しんでいる。
故に、あいつは必ず俺が痕跡を残した場所から来るはずだ。
背後から来た場合の対策など、もはやしない。
ハーサは正面から堂々と来る筈だという、奇妙な直感がある。
―――シンクロニシティ。
あいつと思考が同期してしまっているのだろう。
今は、それも都合がいい。
「来た」
ほら、正面からだ。
助走を予めつけて来ているのだろう、影としか認識できないような速度で飛び込んできたそれは、確かにハーサだった。
いや、助走だけではないな。特異な歩法によって、普通に走るよりもずっと高速な動きができているのだ。
忍者である衛利の走りに近いものがある。
向かって左側――つまりハーサの右腕に銀色のきらめき。
ナイフを抜き放ったのだ。
問題ない、この速度に俺の眼は付いて行けている。
「覚悟が決まったな、弟子!」
「安心しろ、全力で踊ってやる、師匠」
異常なほど軟体なハーサの腕から繰り出される斬撃。
罅の入った俺のナイフでは普通に受ければその時点で叩き折られて終わりだ。
故に―――ナイフでは受けない。
力など不要。ただのナイフを受け流すのに、体勢さえ整っているのであれば、そもそも武器すらいらない。
事実、ハーサは針もナイフも、腕で受け流すことができているのだから。
…………師匠ができるのだ、弟子の俺ができないはずがないだろう?
動きは最小に。
あまり予備動作が多くては見切られて軌道を変えられる。
やるなら一瞬のうちに、だ。
接触のタイミングで、右腕を勢いよくハーサのナイフのさらに外側から差し入れる。
ナイフの横刃をほんの少しだけ押し、俺を切る軌跡をずらす。
「ほう――覚えたか」
「……」
質問には答えず。いや、単純に答える暇がないだけだ。
ハーサの動きを観察し、いくつかものにできたとはいえ―――あまりに、難度が高すぎる。
集中力が必要だ……否、今この決戦で一度でも集中を欠けば、その時点で即詰みとなる。
一瞬たりとも気が抜けない。
「まあいいさね……ク、俄然楽しくなってきた!」
言って居ろ。
軌道をずらしたまま、身体を半回転。回転のエネルギーを無駄にしないよう、左腕での肘打ち。
わざわざナイフに干渉する腕を、近い左腕ではなく右腕にしたのは、次の一手を素早く、的確に打つためだ。
超近距離接近戦において、一瞬、一手の無駄や遅れは即、死につながるもの。
腕の一本すら、遊ばせるわけにはいかない。
「―――体術。随分と仕上がったさね」
「ああ。長時間考えたからな」
細い樹くらいなら叩き折れる肘打ちを難なく腕でキャッチされた。
そのまま力を籠めてくる――このままでは折られるな。
右手でナイフを抜き、範囲の大きい腹部めがけて一直線に突き入れる。
左肘を圧迫していた力が抜け、ハーサが下がった。
きっちりと体勢を立て直すと、また愉快そうに笑う。
「昨日までなら、今ので死んでいたさね」
「かもな」
そこは否定などしない。
昨日のハーサとの戦闘によって得た経験で、今のを乗り切ったのだ。
まだ経験を積んでいないかった昨日、もしも同じ状態になったのなら……一撃でナイフを折られ死んでいただろう。
だが……ハーサを下がらせられた。
これは大きな一歩だ。
「来るさね。――本気で相手してやる」
「言ってろ」
太陽はあと少しで中天に昇るという所。
雲はなく、もう三刻はこのまま晴天が続くだろう。
気温はやや上がり、身体を動かせば汗をかく程度となっている。
水分は十分にとっているし、身体を動かすに足る栄養も、誘いを作る時に確保している。
まさに十全だ。
これで一撃入れることができなかったのならば、俺はここで殺された方がいいだろう。
速度重視、ナイフを逆手に持つ。
「いざ」
「やり合おうじゃないか!」
互いに踏み込み、鍔迫り合い。
鏡合わせのような動きだ。
力で劣る俺は同じ状況になった時に分が悪い。
すぐさま鍔迫り合いを放棄し、周囲の草を刈り取って放り投げる。
こんなものでも目くらましの擬きにはなる。
まあ、手で跳ね除けられたが。
だがそれでいい。
ハーサの左側に回り込む。
単純な移動ではトラックの外周のように、回転の内側であるハーサの方が速く態勢を整えられるが、なにか一つアクションを挟めばどうにかできる。今回のように。
上手持ちに変えたナイフで足を狙う。
胴体はガードが固く、首などの急所は狙うのが難しい。
やはりセオリー通り四肢から狙っていくのが最もやりやすい。
「ッ」
「邪魔だ!」
バシンッ!
ダラッと下に垂らしたような腕の体勢で、とんでもない力だ。
足を狙う俺の腕は弾かれ、攻撃は失敗に終わる。
だが、舌を打つ暇すらない。
やはりナイフは全力で対応されてしまうな、寧ろやり辛い。
一旦ナイフを鞘にしまい、地面を掴む。
倒立し、回転蹴りをするが、軽く流される。
「……厄介な」
「私は戦闘屋の技術も奪っているからな」
ああ、戦闘に特化した暗殺者……”長老たち”の一人か。
前に聞いた話を思い出す。
そんな奴の技術も習得しているとなると、より対応が難しい……どうする。
一瞬考え込んでいると、ハーサが一歩足を出し、踏み込みの動作を見せる。――ナイフによる居合斬りか?
それはまずい。
こいつのことだ、数センチ先程度なら圧で斬りかねない。
まだ手が地面についているのが幸いした、地面を全力で押し出して後転しながら退く。
コキリ……そんな音がしたと同時に、俺の鼻先をナイフが通り過ぎていった。
明らかに腕の範囲からは脱出していたはずだが……なるほど、肩の関節を外して距離を稼いだのか。
自在に外せるというのは本当に厄介だ……俺はまだそこまでの自在さはない。
「逃げるのは終わりか。死ぬぜ?」
クソ、あの居合はフェイクか!
いつの間にやらもう片方の手に新たなナイフ。二刀流とは。
刀であれば余程それのみに注力していなければ力不足で刀ごと弾かれるのが落ちだが、軽量なナイフであれば話は別。
単純に切る方向と得物が二つになるのだ、ナイフ一本しかない相手ではやり方次第で圧殺できる。
例えば、卓越した速度をもって切るなど――だ。
「……ッ。速い……」
無傷で対応できたのは三撃だけ。
初撃を鞘から引き抜いたナイフで受け、もう片方のナイフを手刀を以て逸らす。
腕が開いた隙を狙った、流れるような膝蹴りを、自身の身体の柔らかさに物を言わせて、喉元に風を感じる程度に抑えるも、それで脱出口を喪った。
ハーサの膝蹴りをした右足がすぐさま戻ってくる――単純明快な踵落とし。
伸縮性の高い身体で放たれるそれは、予想以上の長さを持っている。
後ろに下がれば頭蓋を砕かれるだろう……かと言って横に行けばナイフに削ぎ取られる。
どんなに足掻いても腕一本は使い物にならなくなるだろう。
足よりは腕の方がましとはいえるが、この先のことを考えるとそれは悪手。
仕方ない、多少のダメージは覚悟して体で受けることにした。
ナイフを逸らした左腕を引き戻し、その勢いそのままに平手で足を撥ねようとするが……重い……!
鈍重な岩を受け止めてしまったかのような感触……ナイフよりも大きく、重いからか!
速度と重量が高ければ高いほど威力が増すというのは、単純な物理法則。
だが……まさか、逸らすことすら難しいとは。
それでも無理やり叩きつける。このまま攻撃を赦せば頭蓋が割れる。
「……ぐ」
「おう、鉄鉛の重さはどうさね?」
―――こいつ。
足に、薄い鉄の足鎧を分からないように巻いていたのか……!
それは衝撃が段違いに重くなるわけだ……否、それよりも恐ろしいのは確実に足枷になる鎧をまとったままこれほどの速度で戦い続けているということ。
二重の意味で驚愕を覚えた。
「クソ……が!」
「ほう、逸らしたか。上々だが……どうする?」
落とし切った右足を軸にして、さらに前へ来るハーサの腕には二振りのナイフ。
刀剣類において最も動きのロスがなく、速い突きの姿勢……。
俺は今なんとか足の軌道を逸らしたところ、体勢の崩れは最大だ。加えて、足を受けた左腕は疼痛を訴えている。
――どうする。どうする。どうする!
焦りを見せる思考とは別に。
身体は、今までの修練を覚えていたかのように、自然に……そして、勝手に動き出した。
ほんと戦闘シーンって難しい……苦手です。
上手くならないと。