掛罠集情
「―――来た」
気配……ハーサのものだ。
この山にはいくつかの種類の獣もいるが、そのどれよりもハーサの放つ殺気の方が鋭いため、すぐにわかる。
初めに潜んだ樹の洞の中。すぐに追われるような痕跡など残していなかったはずだが。
「心理的なものを汲み取られたか」
業腹ではあるが、俺とハーサの思考回路は似通っているらしい。となれば、俺が行く場所も必然とわかるということである。
ちなみに、似ている云々はミリィの談だ。俺はそんなつもりはないのだが。
と、まあそんなわけで、思考回路が筒抜けに近い状況……かくれんぼもいずれできなくなるだろう。
そもそも、この森は山全部を覆っているとはいえ、少し進めば山の出口兼入り口である大崖に面してしまう。
そんなに範囲は広大とは呼べないのだ。
そんなわけで、この範囲内では、逆に俺が隠れようとする場所にあらかじめ罠を張っている可能性すらある。
故に、攻めの姿勢をとらなければいけないのだが……最初は逃亡を繰り返すしかない。
「情報が足りない。攻めるにしても今は返りうちに合うだけだ」
負ければ俺は死ぬ。
ならば慎重にならなければな。
現実には残機など存在しないのだから。
「さて」
持っている道具は、帰ってきたときとほとんど差異はなし。
ナイフが使える物に変わったのはうれしい誤算だが、それでも道具不足なことは事実だ。
なるべく温存していかなければいけない。
周りを見渡す。
……ふむ。いくつか使えそうなものもあるな。
周囲の環境を自在に使うのも、一人前の条件……か。
「罠がいる。なるべく凶悪なものだ」
そして、手短に。
殺気は恐ろしい速度で近づいてきている。
この調子だと、五分以内に作らなければならないか。
戦闘訓練と言ってはいるものの、力量差から単純な戦闘では必ず負けることは分かりきっている。
ならば、戦闘以外のものでどうにか勝負できるところに持っていくしかないだろう。
まずは、機動力を奪う。
丈の長い、笹に近い草をいくつか間引く。
なるべく自然になるように、だ。
いくつかに裂き、寄り合わせて紐にする。
それをさらに先端が輪っかになる結び、罠結びにする。
草の特定方向への頑丈さは、かなり役に立つものだ。
いくつか合わせるだけでそう簡単には切れない縄になる。
尤も、このセカイには初めから縄の形をしている草木も大量にあるようだが。
「……ッチ。時間がないな」
残念ながら、そこまで凶悪なトラップは作れそうにない。
草縄としなる枝を結び付け、草縄の先端を、草の中に埋もれさせた木の台へもっていく。
小さい枝を持ってきてそれに草縄を結び、台を跨いで配置する。
台から離れた場所に刺した止め木に、長めの枝を置き、つっかえ棒にする。
棒の先端は台を跨いで設置した小さい枝にくっつけられており、枝がしなることで巻き戻る動作を押さえているのだ。
このつっかえ棒が外れれば、樹のしなる動作によって草縄が巻き戻るというわけだが…………今回は、草縄をかなり長めにしている。
その先に、石を括り付けるためだ。
草が結べるような、瓢箪のように一部がくぼんだ石に草縄を括る。
―――本格的に時間がないか。
残念だ、この程度では、素人に引っかかればマシ程度の出来の罠でしかない。
だが、無いよりはましか。
完成した罠……括り罠を眺めつつ、そう判断する。
「では、逃げるか」
少し強めに草を踏みつつ、逃走を開始した。
***
「ほう、罠か」
樹から樹へと飛び移りながら移動を繰り返し、ハシンのもとへ。
当然姿はもうないが、周囲を見渡すと罠が設置してあることがわかる。
……掛け方がまだ甘いさね。
普通の人間には分かりづらいものだろうが、暗殺者の目には、罠が隠されているという事実が露骨に表示されている。
「ふむ、まあ威力だけ確かめてみるさね」
適当に歩く。
足の先端が何かの枝を跳ねた感覚がした。次いで樹の枝がなる小さな音と、葉が揺れる音。
そして、何かが勢いよく動き出した風切り音―――なるほど。
やや斜め上に飛び出したものは、それなりの大きさの石。
この勢いでまともに当れば、まあ怪我をするだろう。
それをつかみ取りながら、この罠に点数を付ける。
「ま、15点といったところか」
赤点だ。
暗殺者の仕掛ける罠とは、人の意表を突くための物。
動物などを相手にするものとは大きく違うのだ。
致死率の高い罠よりも、陳腐なブービートラップの方が効果が高いことなどざらである。
「む……足跡だと?」
下を見れば、草が踏まれた跡。
罠に夢中で足元が疎かになったか……?
いや、あいつは半人前だが、そんなミスはしないだろう。
意図してもの。……だとしたら、何故だ?
私ならばどう考えるだろう。
「―――なるほど」
いや、考えるまでもない。単純明快な事実だった。
ようは、追って来い……そういうことだろう。
師を相手に追って来いとは、面白い口を利くものだな。
愉快になってきたぞ。
ではその誘い、乗るとしようか。
―――足跡を、辿る。
***
「乗ってきたか。まあそうだろうな」
そして速度は一切変わらず……いや、むしろ速くなっているか。
やはり罠は機能しなかったらしい。
まあ、あの程度の罠で倒れるような人間ではないということは知っている。
「もう少しで追いつかれる」
体力温存の意味も込めて、少しばかり走る速度を落としているためである。
……それ以外の理由もあるが。
もう十本目になる、撥ね枝を作る。
先ほどの括り罠の応用、ただ枝の戻る衝撃で打撃を与えるだけの罠だ。
捕えることはできず、確実に機能するとも言えないものだが、今はこれが必要だ。
「……ここがいいか」
さらに一本、作成する。
さて、あまり逃げ回り続けていても必要な情報は手に入らない。一度ここで迎え撃つとするか。
若干ではあるが、森の中では貴重な開けた空間。
どこもかしこも丈の長い草で邪魔この上ないが、仕方あるまい。
それが有利に働くこともあるわけだしな。
目を閉じ、集中する。
殺気の方向からハーサが攻めてくるとは限らない。目に頼ることは無意味である。
「よう、あきらめたか?」
背後からの声……だがこれは樹を利用した反響音。
答えは頭上斜め前方!
「―――ッ!」
目を見開き現状把握。
映ったものは、重力を利用した下降。そして、既にナイフを投擲する体勢のハーサだ。
あらかじめ持っておいた石を全力投球する。
手で跳ね除けられたが、動作はつぶせた。
だが、ここからだ。
腕を伸縮させ、威力を相殺しての手での着地。
その場所は俺の目と鼻の先である。
よく石を撥ねておきながら正確に着地できるものだな……!
着地したハーサは体をひねり、開脚からの大旋回による蹴りを行ってきた。
ギリギリ、鼻先を掠める程度で躱し、ナイフの刺突による反撃。
「刺突をするにはまだ早いさね」
柔軟に体を戻し、正眼の姿勢に戻るハーサ。
……体勢を治すのが速すぎるッ!
ナイフの腹を拳で殴られ、軌道を逸らされた。
かなりの衝撃……なんとかナイフは放さないでいられたが、胴ががら空きになってしまった。
このままでは獲られるが―――。
「ハーサ、そうでもないぞ?」
「ほうッ!」
ハーサの足が、何かに引っかかった。
何かとは、俺があらかじめ作っておいた、草による括り罠――スネアトラップだ。
陳腐極まりないブービートラップ。
だが、使い方を考えればここぞという時に役に立つ。
尤も、俺もタイミング外したもの事実だ。
本当は刺突を決めるつもりだったのだが、体勢修復速度が予想以上に速かったため、刺突が入る前に対処されてしまった。
残念ながら後転し、距離を取りながらの蹴りくらいしかくれてやることはできない。
「今度の罠は五十点さね!」
「そうか、意外と高評価で何よりだ」
スネアトラップはあといくつか設置してあり、その場所は俺にしかわからない。
攻めるには格好のチャンスだ。
この気に乗じて―――攻める。