酒席零言
「さて……話も終わったことだし、飯にするさね」
「そうだな。リナの焼いたパンに興味がある。……ミリィ、お茶の場所は何処だ、手伝おう」
「あ、こちらです……って、あの……なんといいますか。―――はぁ」
俺とハーサを交互に見て、仕舞いにはため息をつき始めるミリィ。
どうしたのだろうか。
ハーサならばともかくとして、俺にまでため息をつく事体というのは珍しい。
「師弟というものは……本当に似ているものですね」
「……?」
まあ、いいか。
今はミリィの家事の手伝いをすることの方が重要だ。
教えられた茶葉のある場所まで行き、隣の、靭を利用したコンロのようなもので湯を沸かす。
リナの家にもあったが、この世界はこういう特異な進化を遂げた植物のおかげで、かなり文明レベルの高い暮らしができている。
当然、俺がもともといた現代に比べれば劣りはするものの、中世あたりというイメージからは想像もできないほどに。
「しかし、そのために危険な敵もたくさんいるということか」
投薬兵などが最たるものであろう。
現代における戦車のようなものか、あれは。
実際白兵戦の時代にあんなものが登場してこられては溜まったものではない。
維持費も含め、コストが非常にかかるということがまだ救いか。
もしもあれで安価であれば、この世から兵士という職業は消え失せていることだろうな。
―――尤も、どちらが幸福なのかは、わからないが。
「沸いたか」
沸騰したお湯の入った鍋を取り出し、茶葉を抱え、お湯を掬うための柄杓を持ち出す。
ふと”長老たち”をみれば、ハーサが鳥の足首に文を括り付けているところであった。
「伝書鳩……か」
鳩にしては体が黒いが。
「残念だな、鴉だ」
「やっていることは変わらないだろう。……それにしても、まるで魔女の使い魔だな」
「ッケ、やめろやめろ」
思いっきり顔をしかめ、煙を追い払うかのように顔前で手を振るうハーサ。
そこまで魔女を嫌うか。
……本当に、なぜそこまで嫌いなのか。商売敵だからというわけでもあるまいに。
「ほら、行け」
合図によって止り木から飛び立つ伝書鴉。
―――メールや電話などは存在しない以上、空を自由に征くことのできる鳥類が最高の連絡手段。
手なずけることは難しいだろうが、その見返りは大きい。
「……だが、鳥などどこから持ってくるんだ」
卵を奪うことから始めるのか?
その場合は、割と忙しい暗殺者達には雛から育てるのは難しい気もするが。
「調教師の長老がいるのですよ」
「調教師……?」
「はい。伝書を行う鳥類や戦闘用の獣たちなどを飼育し、調教する暗殺者です」
「それは暗殺と呼べるのか、もはや疑問だな」
まあ、山道で獣に食い殺された、などということを計画的に行えるのならば、確かに暗殺か。
「そうですね、彼女たちは自身が率先して暗殺を行うことはあまりありません。獣たちは軍用に様々な国に卸されていて、それで収入を得ている形ですね」
「他国の情勢を操っているということか?」
「ええ、間接的にですけれどね」
「…………まるで、天秤だな」
存外―――暗殺者こそが、世界のバランスを保つ、天秤の支柱なのかもしれない。
狭間にあるがために、狭間を維持しようとしているのだから。
とはいえ……所詮は人を殺す職に就くものであるという事実は変わらないが。
「ところで、彼女たちとはどいういうことだ?複数人なのか?」
「調教師の長老―――”獣奏”の長老は、双子の姉妹なんですよ」
「見た目はお前に似てるさね。む……なかなかうまいな、このパン」
「そうなのか、ミリィ?」
「ああ、確かに!彼女たちは褐色肌に薄い金の髪を持っているのです。ここより南に下った異国から来た異邦人であったとかなんとか」
「八割魔女さね、あいつら。私は好きじゃない」
「その割にはかわいがられてますよね」
「……」
「珍しく黙ったな、ハーサ。そして勝手にパンを食いだすな」
カップの中に濾し網を差し、茶葉を投入して湯を淹れる。
話を聞くに、”獣奏”の姉妹長老というのは、かなりの年上らしいな。
八割魔女か。……使い魔を操るという魔女ならば、獣の操舵に慣れていてもおかしくはない。
さて、時間も経ったので、色の抜けた茶葉の入った濾し網を取り出し、カップの中に残った、替わりに色の出た茶をミリィと、ついでにハーサに廻す。
「南。……ふむ、このフォーリーマ出身ということか?」
机の上に出たままの地図を読み取り、南の方角にある国の名をあげる。
かなり大きな国のようで、フォーリーマによって南の大部分は占められていた。
残っているのは、それよりもさらに南にある小さな島や、街レベルの大きさしかない国くらいか。
「違うさね。もう喪われた国出身らしいが……当人たちも覚えてないんでな」
「……いくつなんだ」
「私が餓鬼の頃から餓鬼さね」
「魔女は長命の特性を持つものが多いんですよ。彼女たちはその体のほとんどが魔女なので……」
「そう言うことか」
それほど生きているということは、かなりの聡明さを持つ博識な女性なのだろう。
出会えたら話を聞いてみたいものだ。
そんなことを考えながら、パンを食べる。
「……ふむ、確かにこれは――」
一等良い素材を使っているわけでは決してない。
しかし、丁寧に捏ねられ、じっくりと焼かれているこのパンは、確かにおいしい。
しっかりと膨らみ、中はしっとりしているのが証拠である。
ぱさぱさ感など、微塵も感じない。
「あら、ほんとですね、おいしい……」
「流石人気店になるだけの腕があるということさね」
「人気店なのか?」
「あまり市勢に詳しくない私でも名前を聞き及んでいますよ。まだお店を出してから間もないのに、よくやりますね」
感心した風にミリィが言っていた。
……そうか、そうなのか。
美味に連れられて、思わず笑みが零れる。
「あら。……ふふ」
「ミリィ。人の顔見て嗤うのはよくないぜ」
「……ハーサ、あなたの笑いと一緒にしないでくれます?」
「……む、どうした?」
「いえいえ、ハシンは関係ないですよ。―――さぁて、ハーサ。お説教のお時間ですよ……?」
「おっと用事を思い出したさね」
パンの最期の欠片を口に放り込み、長くなりそうな”長老たち”のその様子を見て……まあ、これが終わるまで睡眠でもとっておこうかと思い、布を引っ張り出して眠りについた。
やかましくも、腹立たしいことに少しだけ落ち着く声を聴きながら。
***
「……ハシンが本格的に眠りについたので、ここまでにしてあげます……」
「お、おう……」
三十本目のナイフをキャッチしたところで、今回のお説教は片が付いた。
本当に、ミリィはハシンに甘すぎる。
少し散らばった部屋を手早く片付けると、酒とグラスを二つ取り出し、注いだ。
一口飲んでから、横で寝ているハシンに目をやる。
「こうして寝てれば憎まれ口をたたくこともない、普通の餓鬼なんだがな」
「それをあなたが言いますか」
「なんのことかわからんさね」
ミリィもテーブルに再度座り、グラスを両手で持つ。
「……それにしても、あなたが弟子を見つけたといったときは何事かと思いましたよ。三か月も行方をくらませて、いきなりですから」
「見つけたなんぞ言ってないさね。拾った、だ」
「変わりません」
個人的には重要なんだがねぇ。
「世界渡り……でしたっけ。血呪の魔女に盗まれたのは」
「ああ。だが、最後にはあいつの手元からも消え――気がつけばハシンの手の中だ。あの時は少しだけ驚いたさね」
「あなたは何も話さないので、何故世界渡りがそんなに大事なのかは分かりません。でも、あなたが世界渡りを巡って、最後にハシンと出会ったのは、なにか――運命的なものも感じます」
「そうかもな」
「……ハーサが否定しないなんて、珍しいですね」
あの短剣が手元に来た時に、天啓はあった。
いつかは弟子が来るだろう、ってな。
「ハシンは……大丈夫でしょうか……。暗殺者という職は、身体よりも心に掛かる負荷の方が大きい……耐えられるでしょうか……」
「いや、母親か……。ハシンは、大丈夫さね」
酒のせいか、私も普段よりも少しだけ舌が回るようだ。
「前に、こいつと一つ下らん話をしたことがあったがな」
会話の内容は、よく覚えている。
暗殺者というものを、どう考えているのか探るための質問でもあったからだ。
「暗殺者というもの、それに対して、どう思っているのか聞いてみたさね」
「答えは?」
「”ただの人殺しに相違ない”だそうだ」
「……確かに的確ですね」
「ああ、的確だ。しかし、一面でしかない。だから、もう一つ質問を重ねた」
思わず笑みが浮かぶ。
この答えが返ってきたとき――ハシンは本物だと、私は確信したのだ。
「だが、暗殺者は世のため人のためなんだぜ?ってな。すると、ハシンはこう返してきやがったよ」
「―――そんなの、当たり前のことだろう?」
「誰かに依頼されて誰かを殺す。ならば、殺す依頼をした者にとっては確かに得となる。また、それが圧政を敷くものであれば、何千もの人が救われる」
一面しか見えていない――つまり、殺されたものを被害者として断じた結果側の視点でしか見えていなければ、こういう答えは帰ってこない。
「……きちんと、両側を見ているのですね」
「ああ。だから―――大丈夫だよ」
こいつはきっと―――真の一人前になれるだろうさ。