暗忍分道
暗器の類を全てしまい、目標の場所まで移動する。
傷を負わせたのは必要なことだったとはいえ……せめて、その分の対価くらいは払うことにする。
案内分の駄賃を含めれば、これよりの命をしばらくの間保証するくらいの価値にはなるだろう。
「お医者さんですか?スラムの医者ならおそらく、あちらの方が近いのでは?」
衛利が指し示したのは、俺が今向かっている方向と真逆の方向にある場所だった。
当然、俺も暗殺者。一度はこの街を走り回った時に、建物や内装の造形からある程度の職業や施設を読み取っている。
その知識をもとに答えれば、衛利が指しているのはこのスラム街で最も大きく、裕福な医者のいるところだ。
裕福では、ダメなのだ。
「衛利。いま、お前は瀕死の人間を助けられるくらいの金を持っているか?」
「……いやぁ、今は手持ちないですね」
「だろう。俺だってない」
俺はもともと奴隷としてここにきているからというのもあるが。
奴隷身分の者が大金など持ってはいない。
「おおよそ、裕福なものは現金での取引しか応じないものだ。物々交換は、二の次の手段になる」
だが、俺たちは二の次の手段に移り変わるまで待っていられない。
足止めし、脱出したとはいえ、今もまだ追われる身であることに変わりはないのだからな。
朝早いとはいえ、人の目に晒されていないという保証もない。
「だからあちらのお医者さんなんですね」
「ああ」
――医者はだいたい分かりやすいものになっているものである。
緊急時に病院の場所がわからない、など困るからな。
スラム街では、医者に当たるものの建物には正方形十字が刻まれている。
ここは俺の元のセカイの価値観と同じようだ。
やはり、均一な十字には人の命を助けるという役目が宿るらしい。
「顔料か。ずいぶん儲かっているようだ」
中世においての顔料は、金にも匹敵するといわれるほど高価なものだ。
例え正規ルートで手に入れたものではなかったとしても、そうそう手が出せるようなものではない。
……スラムでも医者というものは儲かるのは当然だが―――あそこまで儲かるものか……?
そこは不思議だが、ああいった行為自体は、自身の腕に自信ありと誇示するためのものだ。
自らの店があれほど経費の掛かることをできるということは、それだけ皆に利用されている――すなわち、自分は信頼に値する、と証明しているわけである。
「まあ、それだけ取引は金に限定されているということでもある」
金と同格の扱いされる顔料、それを物々交換で手に入れることは、実際の金額の二倍を払うことよりも難しいだろう。
故に、取引は金銭となっているはずだ。
それでは困る。
だから、あちらに比べて、地味な方向の医者へと向かう。模様は壁に直刻みだ。
スラムは様々な人が集まる、人の吹き溜め。
近くに医者が複数いてもおかしくはないということが、役に立ったな。
「だとしても、何で物々交換するつもりなんですか?」
「これだ」
奴隷服の内側から取り出したのは、坑道で一番最初に拾った発光石だ。
「このスラムは、ずいぶんと明かりが少ない。明かりになる発光石なら、こいつに応急処置をする金の代わりくらいにはなるはずだ」
「あは、あの時くすねていたやつですね」
「永遠に拝借しただけだ」
意味合いは同じである。
まあいい。
しばらく歩くと、医者の家が見えてきた。
日を見れば、もう人が起きだす頃だ。
早起きするものなら、だが。
「珍しく扉があるのか」
砂埃などを防止するためだろう。
医療器具が砂まみれなど普通はあり得ない。
「さて」
抱えていたアッタカッラを扉の前にそっと置く。
これで家のものが気付くだろう。
発光石を右手に握らせ、盗難防止……まあ、流れ出た血液によってこれほど人相悪く、訳あり感を漂わせるこいつから物をあさる猛者もそうはいないだろうが……に、衛利から予備の短刀を借りて、地面に転がしておく。
血まみれの人と、短刀。
これで、だいたいの人はアッタカッラから物を盗もうなどとは思わないだろう。
なぜか――その答えは単純、こいつが持っているものを奪ったら、後々どうなるかがわからないから……そう皆が考えるためである。
人の心理を利用したチープトリックだ。
正直いらない気もするが、ここで駄賃が足りなくなってくたばってもらっては、貸しを返したことにならなくなるからな。
「重いものがなくなった。さて、俺は帰る」
「あは、私もです」
もう背に抱えているアッタカッラはいない。
軽く走りながら医者の家を離れる。
後ろをそっと振り返れば、家から出てきた小さな娘が、血塗れの男を見つけ、驚いていたところだった。
しかし、すぐに気を取り直しておそらく医者であろう、親を呼びに行った辺り……なかなか豪胆に育ちそうだな。
――あれならば、もうあの男は大丈夫だろう。
「ふむ、ここまでだな」
しばらく移動した後、大きな分かれ道で立ち止まる。
衛利ともそろそろ別れる時だ。
「ええ、このあたりが妥当ですねー」
余計な詮索は無し、ということだ。
「では、失礼しますね、ハシン」
先に歩き出したのは衛利。
ぺこりと丁寧にお辞儀をして、背を向けた。
このさばさばした対応には好感を覚える。
……ああ、俺はこいつを気に入っているのだ。
間違いなく、な。
「暗殺によって繋がる絆もある……か」
少しばかりだが――この道も面白く思えてきた。
背を見せる衛利を呼び、一言声をかける。
「衛利!――――またな」
仮面を外し、俺は衛利に笑いかけた。
少しばかり目を見開き、驚いた様子の衛利はしかし、
「ええ、また!」
確かに、手を振ってそう返したのだった。
***
ハシンは、分かれ道へと入っていったようだ。
まさか、最後に素顔を見せるとは思わなかった。
「すっごいサプライズですよ、ふふ」
あの微笑んだ顔のなんと可愛らしいことか!
そして、最後の言葉――。
「またね、ですか」
私のような、宿命を持ったものはあまり人とかかわらない方がいい。
そう、お婆ちゃんは言っていたけれど。
でも、なぜか―――ハシンとは、長い付き合いになるような気がした。
またね、という言葉を何度も噛みしめる。
「ええ、また会いましょう、ハシン」
暗殺者と忍者。
ともに暗殺に携わるが、交わらないことが普通のものたち。
それを超えたこの友情は――ある意味、恋に似ているのかもしれない。
……いけない、私の魔女っぽさが暴走している。
「あは、こんなでも、四分の一は魔女ですしねぇ……」
本当に、困ってしまう。
まったく、本当に……普通の人であったのなら、当たり前に恋をして、当たり前に死ねたのかもしれないのに。
魔女ですら珍しい体質を、よりにもよって遺伝してしまうなんて。
「ついてないですねー、あは」
口ではそう言っているが、今はもう、そこまで体質を憎んでいない。
どうせなら、楽しむ――そう、決めている。
さてさて、次の依頼はなんですかね―――。