諦念殺概
「―――、――――」
徐々に、扉の向こうからの気配が多くなってきている。
気付いた警備兵たちがこの部屋に向かってきているのだ。
さすがに分かれ道にいる警備兵までは排除できてはいないためである。
「意外に早いな。好都合だ」
勤勉に動いてくれているのなら、より早く罠にはめることができる。
暗殺者の闊歩術……足音を出さぬように、そして早く動くことができるようにと編み出された歩法を駆使しながら移動する。
奴隷服でやるのは骨が折れるが。
衛利を見る。
まだまだ戦えそうな雰囲気だが、残念ながらこの番兵はラスボスではない。
警備員が来るなど、想定外の現象が多発してしまった以上、これ以降はさらに戦闘回数が増えてしまうだろう。
なら、ここで無駄に体力を消費させるわけにはいかないな。
両太ももに何重にも巻き付けてある、糸蔓草という植物から取り出した糸を取り出す。
糸蔓草は崖の上にまたがり、橋のように生える特性を持った草だ。
そして、その身は西瓜ほどの大きさを持ち、もっとも崖から遠い中心に育つ。
それを支える糸蔓草の繊維はとても強靭であり、鎧を着た大の男がぶら下がっても全く切れない強靭さを持っているのだ。
本当に、このセカイの植物は便利なものが多い。
「しかし……あの怪力を正面からは無理だ」
仮に糸自体が耐えても、先ほども言った通り、糸を支えている俺の指が飛ぶ。
だから、ガラスの残骸を使う。
ガラスの残骸と、その周囲に糸を巻き付ける。
ある程度のゆとりを持たせることを忘れずにな。
「衛利、こっちに走れ!」
「おや、時間稼ぎは終わりですね!」
あれだけヘイトを稼げば、投薬兵は衛利を追いかけてくるだろう。
衛利の逃走に即座に反応し、爆発的な加速力で投薬兵が走り出した。
衛利も相当の健脚だが、あの速度では百メートルで追いつかれるだろうな。
まあ、そんなに長く走らないため、今は関係ないことだが。
――さて。
物の硬さを図る一種の物差しとして、モース硬度というものがある。
尤も硬い、金剛石……つまり、ダイヤモンドはモース硬度にして10に相当するものだ。
身近なもので、爪などは2から2.5あたり。
そして、ガラスはダイヤモンドの半分の5程度のモース硬度だ。
「お前が引っかかるなよ」
「流石に、見えてますよ」
すれ違いざまに言葉を交わす。
衛利は、無色透明で非常に見えづらい糸を躱し―――投薬兵は、中空を幾本も漂う糸に、接触した。
各腕ごとに五本、合計十本の糸が、投薬兵の腕を強くからめとる。
その糸がつながったガラスの―――否、半石英結晶の管が、小さく軋みをあげた。
ガラスの硬度は、5。しかし、そのガラスの天然の姿である石英のモース硬度は、7。
ガラスでは砕けるだろうが、靭性もある程度確保できている石英の管ならば――投薬兵の筋力も一時的になら抑えられる。
それにしても、このガラスの管を作ったやつは天才だな。
ガラスと石英の硬度の差異を理解して作っているということなのだから。
「ふむ」
投薬兵の眼前に立つ。
目は封じられていても、その耳で俺の存在を察知しているのだろう。
開いた口から覗く乱杭歯から多量の涎をたらしながら、吠え立て俺を威嚇していた。
その調子だ。
その調子で――後から来る警備兵を斃してくれ。
「――――ッふ!!」
流れに沿って、力を逃さずに……。
抜刀したナイフは、投薬兵の両耳を切り落とした。
「GYAGAYGWHAYWGAYAGWYAAAGA@@FJIWA!!!!!!!!????!??!??!」
投薬兵の絶叫が響き渡る。
最初に苦痛に耐えていことからも分かるが、無痛化はされていないのだ。
「あらま。やりますねぇ、ハシン」
「耳は柔らかいからな」
だが、やはり斬りづらい。
手元のナイフを見ると、刃が少し欠けていた。
残念ながら予備はない。
これを壊さないように立ち回らないとな。
「さて」
「とどめは刺さないのですか?」
「指さないというより、今の手持ちの武器では刺せない。まあ、あとは後続を処理してもらおう」
「んーまぁ。打撃も斬撃もほとんど効きませんからね。あは、本当にとんでもないです」
……とんでもないのはお前だがな。
衛利が腰にしまった小刀には、一切の刃こぼれがなかった。
後ろで拘束した投薬兵の肌には、うっすらと血の滲む、いくつかの切り傷があるが……あれほど切って刃こぼれなしとは、恐れ入った。
技は盗んだが、使うには俺のナイフの技術をもう少し上げなくてはないけないな。
投薬兵が守る扉をくぐる。
その瞬間、入り口の扉が開いた音がした。続いて、警備兵の声も。
……出際に、針を投擲する。
投げつけられた針は糸を数本切り裂き―――投薬兵の拘束を解除した。
そして、静かに扉を閉める。
「半刻弱の足止めにはなりますね」
その言葉にうなずく。
耳を喪い、索敵能力の低下した投薬兵は、俺達よりも音量の大きな後続の警備兵を襲う。
半刻……三十分近く、ここが関となるのだ。
―――後には、警備兵の断末魔だけが響いた。
***
コツン、と石が反響する音を聞き、内部を把握する。
「ここから先は曲がり角はない。分かれ道もないな」
「正面突破ですね。敵は?」
「それなりだ」
大雑把だが、蝙蝠では無い俺には反響の音からすべてを把握することはできない。
諦めてもらうしかないな。
「残りの暗器は針が数本に欠けたナイフ、手首に少しだけ巻いてある糸か」
投薬兵を相手にするだけで随分減ってしまったな。
特に糸は様々なことに使うため、痛い消費だ。
「………ん?」
「……おや?」
少し先で、いきなり走り出す人間の音が聞こえた。
この走り方……あの男か。
あれでも暗殺者である以上、侵入者に気が付き……そして、”暗殺教団”の手のものではないかと警戒して走り出したのだろう。
だが……思わずため息をつく。
その行動で、様々な情報が垂れ流しになってしまうことに気が付かないのか……?
「追いかける」
「ダッシュですね」
もうすでに見つかっているのだ。
なら、多少隠密からずれた戦闘でも問題はないだろう。
全力で走りつつ、目についた敵を切り裂いていく。
喉、頭蓋、眼球。急所を的確に狙う。
そして、約一分ほどで、男に追いついた。
地面をけり、天井ギリギリにまで飛び上がる。
天井を用いて三角飛びを行い、男の眼前へと飛び降りつつ、落下の威力をそのまま乗せた蹴りを放った。
足は男の腹に深くささる。ちょうどいいので、そのまま壁際へと叩きつけた。
「諦めろ。逃げられはしない」
「クッ……クソ……」
間違いない。俺たちを見ていたあの男である。
手には二つ、書簡を持っていた。
どうやら間に合ったようだな。
「ふ、ふふははははは!!!俺だって暗殺者だ……なめるなよ!!!!」
書簡を俺に投げつけ、立ち上がりつつ、懐から丸薬を取り出す。
また薬で自信を強化するつもりなのだろうが……。
「あは、遅すぎです♪」
一瞬で近づいた衛利に足を払われ、転倒する。
その時点で手に持っている丸薬は手を離れ、俺の足元へと転がってきた。
……書簡と丸薬をすべて回収して、男に再度近づく。
「暗殺者は向いていない。やめた方が身のためだ」
「……は。やめられているのならやめているさ」
男の顔には、どうしようもないという諦念が浮かんでいた。
なるほど、詳しくは知らないし、踏み込むつもりも毛頭ないが、この男にはいろいろあるのだろう。
「そうか」
ナイフを振るう。
それは男の左目を切り裂き、さらに顔の肌を数か所裂いた。
「あ……ぐわあああああああああああああああああ?!!??!??!!!」
「あらまあ」
「男ならそれくらい我慢しろ」
男から上着を奪い取り、男から飛び散った血を吸わせる。
そして、付近に捨て去った。
「さようなら、名も亡き暗殺者の男」
「ああ、そう言うことですか」
衛利は気が付いたようだ。
まあ、俺がやっているのはやる価値もないおせっかい。
拾った命をどうするか。また暗殺者になるのか、俺に復讐を行うのか、組織の一員として書簡を届ける続きを行うのか。
それはこいつ次第だ。
――尤も、この書簡を届ける気ならもう一度殺すだけだが。
「そして、はじめまして。スラム街のアッタカッラ」
「なん……何のつもりだ……!」
「特に。何のつもりでもないが」
男―――アッタカッラに背を向け、道の先を進む。
もう、用事は終えた。
暗殺者の男も、始末した。
「どう生きるかは、あなた次第ということですよ。諦めのおじさん」
余計なことを言うな、衛利。
苦虫を噛みつつ、衛利を呼ぶ。
「どう……生きるか……。はは……は……ユラン……父さんは……」
先ほども言ったとおり、男の事情など知らない。
踏み込むつもりも、ない。
ただ、もうアッタカッラは、組織に戻ることはないだろう。
それだけは、断言できた。
「さて、出口を探さないとな」
「戻るのは面倒ですしね」
アッタカッラがこちらに逃げたということは、必ずこの先のどこかに出口があるはずなのだ。
探すのは手間取るだろうが、装備の不安な状態で長い道を戻るよりはましだ。
考えていても始まらない。
足を進めようと一歩踏み出すと―――。
「……待て。私が、案内する……」
アッタカッラは、そう申し出た。
アッタカッラ―――アラビアで、あきらめる。