坑道番兵
すっかり警備の人間すらもいなくなった坑道深くを、注意深く歩む。
それにしても、ネズミ一匹すらいない……と思ったが、洞窟に近くとも、ここは天然のものではなく人工的なものだ。
入り口も基本的には封鎖されている密室とすれば、蝙蝠等の野生動物がいないというのは当たり前のことか。
そもそも野生動物がいないことは好都合であるのだが。
蝙蝠等の動きで結果的に警備の注意が全方向に向いてしまうことを考えれば、何もいない方がずっと殺りやすい。
「人の気配がないですね……。これはかなり異常じゃないですか?」
「ああ。おかしいな」
いや。
正確には、衛利が言っていることは、生者の気配がしないということである。
気配……一般的には息遣い等が最も人間の想像のしやすいものであるが、暗殺家業に携わる者共にとっては、そのほかには人が生活していた跡であったり、排泄物等の処理により発生する臭気など――生きているものならば当然のように発生してしまうものなども、同類として扱われる。
しかし、今ここに満ちているのはそういった生活の痕跡の一切を廃された、人とは呼べない気配だけである。
「数は一人だけ……か」
「ですが、これ……この距離から視られてません?」
強烈な敵意を発している、何者か……それは、この坑道を一キロ以上進んだ場所にいるようだ。
気配がしっかりしているがために、こちらからも把握しやすいが……俺たちは殺意も攻撃の意志も出していない。
寧ろ、仕舞っているのだ。
にもかかわらず、俺たちを捕捉している…………?
まるで獣だな。
しかし獣ならばそういった気配がするもの。
本当に――何がいる……?
「情報がないまま進みたくはないが……」
「撤退しても、情報は得られなさそうですよね」
「厄介だな。穴熊決め込まれるとやりずらい」
「あれ、良く知っていますね、将棋なんて。このあたりだとチェスのほうが有名だと思うんですが」
「どちらも知っている。ああいうゲームは好きだ」
……穴熊とは、将棋の戦法の一つ。
角に王を置き、徹底的といえるほど、防御に徹する布陣である。
情報の漏れは組織の足元をひっくり返す。
部下はともかく、頭はそれを知っているようだな。
無能ではないということか。
「衛利。頼るかもしれない」
「ええ、お任せください」
……全く、俺も衛利のことを笑えない。
「さて。鬼が出るか蛇が出るか」
「神様仏様が出ないことだけは祈りましょうか」
ああ、確かに――神などを敵に回しては、後々やりづらくなるな。
小さく笑いを浮かべながら、敵の元へと歩いた。
***
「ここか」
近づくほどに強烈で、そして歪な気配であると確信する。
喩えるなら、機械のような無機質な気配だろうか。
しかし、獣の苛烈さも持ち合わせている――なんとアンバランスなことか。
手に持った、人であったものの骨を投げ捨てながら、そう思う。
「ここに警備がいても、食い散らかされてしまうんですね」
「相棒など、もはやただの餌でしかないのだろうな」
奥に行けば行くほど、異臭が強くなっていったが、その原因は坑道の道中に捨てられていた大量の死体であった。
服装から、この坑道の警備兵であることに間違いはない。
その死体は、無残に食い千切られ、中には白骨化すらしているものすらあった。
さて。
後方の死体など眺めていても進展はない。
そろそろ―――この気配の主と邂逅するとしようか。
扉をゆっくりと開ける。歪んでいるのか、重く小さく音を発する扉を開けきれば、そこには―――。
「…………ほう」
「………………まあ」
人の身でここまで巨大化できるか、と思わせるほどの巨体。
そして、その身ですら不釣り合いなほど巨大に膨れ上がった、身体の筋肉。
目は何か、金属のような物で覆われ、首には首輪が嵌められていた。
足や腕は巨大な鉄球が鎖によって繋がれているが……あれはもはや拘束の意味はなしていないだろう。
髪のない頭の後頭部には、近くにあるガラスから巨大な針を通して液体が注がれていた。
確かに、見た目は人である。
しかし、苦痛に耐えるかのように蹲っているその巨体は。そしてその扱いは。
まるで、巨大な獣のようであった。
「……おばあちゃんから聞いたことがあります。とある国で使われている、投薬兵……。いくつもの薬品で、理性と寿命を引き換えにして戦闘能力を与えられた、怪物です!」
怪物――そう言われたことに怒ったのか、後頭部に繋がれたガラス製の針を砕き、大きく吠えながら立ち上がった。
その身長……おおよそ五メートル。
まるで、巨人だ。
「投薬兵の後頭部から注がれている液体は、活動阻害剤です!えとえと、おばあちゃん曰く……あれがあれば、普通は動かない……ですが、敵が来て、その行動欲求が活動阻害剤を上回ると」
「阻害剤を自分で外して行動し始めるか!拠点においておけば自立防御してくれるとは、人道に目をつぶれば最適だな……!」
硬質化されているはずの地面を、足を踏みしめるだけで削りながら、投薬兵は自らを守るように、腕を体の前で交差した。
こいつ、突進するつもりか!
「こんなものが暴れだしたら、どう抑えるつもりだ……!」
衛利と俺は別々に散りながら、投薬兵のタックルを避ける。
筋肉量が高いため、巨体に見合わず恐ろしい速さだ。
そして、手や足の鉄球が当たれば即死級の武器となっている。
「投薬兵が一度に動ける時間は、半刻程度……それを超えれば倒れて動けなくなります!」
「なるほど、脳が動きに耐え切れずにショートしているのか……しかし、半刻………」
半刻とは、俺のセカイにおける三十分。
逃げに徹すれば持つだろうが……こいつの攻撃は、目立ちすぎる。
タックルは外れ、壁に当たり――硬質化されているはずの壁を大きく振動させた。
堅いものほど振動はよく伝わるものだ。
周囲の生き残っている警備兵には、ここに異常があったと感づかれただろう。
「……半一刻以内に片付ける」
「片付けるって……あはぁ……これをですか……」
半一刻とは、半刻の中での一刻……つまり、五分のことである。
この怪物を、俺は五分で無力化する。
衛利は何を言っているんだ、という顔をしているが……表情の奥にどうやるのか、という興味の心もはっきりと映し出されている。
俺もだが、こいつも大概図太いな。
「衛利、手伝え」
「了解です!」
周囲を見渡す。
ふむ……投薬兵が自ら引き抜いた、巨大なガラスの針の残骸を見つけた。
あれは使えそうだ。
「手段は何でもいい。あの針の残骸にこいつを誘導できるか」
「その程度なら」
小刀を構えると、投薬兵に正面から向かう衛利。
俺も準備を済ませるとしよう。
何せ五分以内だ。
五分もすれば、敵兵がやってくるだろう。
その程度に、片付けなければな。
「とはいえ……手持ちの暗器が少ないな」
針、ナイフ、糸……この程度か。
投薬兵の皮膚に針など刺さらないだろうし、唯一刺さりそうな目も封じられている。
ナイフも同様だ。
本気で切り裂けば別だが。
糸も、人間にやるように普通に巻いたのでは、逆に俺の指や腕を敵に捧げるような物だろう。
まあ。それもあの巨大な残骸にまで到達できれば……なんとかなる。
衛利を見る。
流石に、すぐさま針の残骸へ誘導というのは難しそうだ。
全く刃の通らない硬質の皮膚。自身の損傷を気にせぬイカレた理性と、当たれば即死するであろう、巨体からうみだされる怪力。
それをうまくいなしつつ、そして全く怖気づくことなく……いや、寧ろ攻めに行くその姿勢は、天晴としかいいようがない。
「ふむ。さすがはNINJA、か……」
……言っている場合ではないな。さっさと細工してしまおう。
極力、足音を消しながら、俺は巨大な、そして投薬兵が力を籠めなければ壊れぬほど頑丈な、ガラスの針の残骸へと向かっていった。