奴隷生活
豚――この男の名前は、マキシム・ベストゥージェフ=リューミンというらしい。
国の名前と思しき地名や、場所などが出てきたもののそもそも現在の状況が一向に理解できていないままの俺はそれがどこなのかはわからない。
しかし、それでもわかることは少しある。
まず、このあたりなのか国なのか地方なのかは知らないが、とにかくここら辺一帯がフルグヘムと呼ばれていること、そしてこの豚がリューミン辺境伯という爵位を持った貴族であることはわかった。
そのほかにも周りの風景を見ていたかったのだが、残念ながらそこまで俺の視界は布で覆い隠され外の景色を視認することはできなかった。
音から察するに、馬車か何かに乗せられたらしい。
「ここまで自力で戻ってきても困るからなぁ、薬でも嗅がせておけよぉ」
「は、閣下」
豚ともう一人、男の声がして、そのあと湿った布を口に当てられて――見えざる視界の中、ゆっくりと意識が剥離していくのを認識した。
***
「―――ほら、起きろ」
「………あ…?」
背中に走った激痛で目が覚めた。
しかし、それでも頭は重いままだ……おそらく、いや間違いなく薬のせいであろう。
とはいえ、このままダラダラしていたら何をされるか分かったものではない。
くらくらする頭と体を無理やり起こして、馬車の中を出た。
もうすでに目の覆いは取られている。
目的地に着いたってことだろう。
(まずは、確認作業だな)
心の中でそう思う。
奴隷の末路などたいてい、ろくでもないはずだ。
文献や本などでは、男であれば過酷な労働か戦争へと駆り出されるか、剣闘士となるのがほとんど。
女であればだいたいが富裕層の慰めものとして扱われ、興味がなくなったり病気にかかったりすれば捨てられる。
そんな末路は俺はご免である。
ここから逃げ出してやる。
そのためにも、入念な下準備と情報収集は欠かせない。
「屋敷で閣下がお待ちだ。わかっているとは思うが逃げ出そうなどとは思わないことだな。この屋敷は辺境伯の城塞でもあるのだ、四方を高い壁に取り囲まれた蛮族へ対するための砦。逃げようとすればすぐに殺す」
「……わかっている、逃げようなんて思っていないさ」
少なくとも今は。
確実な勝算がある場合でなくては、俺は動く気などない。
逃げるな、という警告をしてきた男を見ながら、従順なふりの演技でそう答えた。
男は黒髪をオールバックに撫でつけた、眼鏡をかけた神経質そうな男であった。
身長は女になる前の俺から言っても高いといえるほどで、立ち振る舞いには無駄がない。
――まるで軍人だな。
腰には、現代人の俺から見れば古式といえるほどの古さの、およそ一メートルの銃剣が掛けられている。
ここで逃げだしても確実に殺される。なら、確実に逃げられるまでは従ってやろう。
一か八かの賭けに出るのはどうしようもない時だけだ。
「屋敷の場所はわかるか」
「いや」
「四棟ある屋敷の中で最も大きいものが閣下の屋敷だ」
「奥のやつ?」
「そうだ」
この砦の建物。
入り口である、馬車が止まっているこの玄関から近い順に、the豆腐ハウスとでも言うような装飾っ気のない屋敷。
そして次に、手入れはされているが、窓などは一切開いておらず、生活感のない、おそらく使用されていない屋敷。
そのあとに一番大きな、閣下とかいう豚が住んでるであろう装飾過多の屋敷。
さらに奥にちらっと見える無骨な石造りの建物には、鎧を着た人影がみえる。
騎士でも詰めているのだろうか。
この配置は、一番偉い人間である豚の住んでいる屋敷を中心に置き、その周囲に騎士などを待機させておく、戦闘を前提にしたものか。
しかし、周りの壁などの風景を見るに、建てられて以降戦闘に使用されたことはないようである。
「じゃあ、いってくるよ……」
「………ふん、汚らしい奴隷が………」
男に別れを告げ、俺は屋敷へと歩きだした。
歩き出した俺の背に吐きつけた言葉を無視して。
「お、おお、よく来たねぇ」
「…………」
扉の前には、豚がいた。
まさかとは思うが、見張りを付けていないのか……?
扉の前にはマキシム以外誰もおらず、足元にたまった砂の様子からも直前まで誰かがいたという形跡もない。
辺境伯……ようは、せめこんでくる敵への威圧と実力行使のための貴族であるが、この体たらく……大丈夫なのか……?
「おやぁ、照れているのかい…?だ、大丈夫だよぉ、まだ何もしないからねぇ」
――気持ち悪い。
目の奥にはドロドロとした欲望が詰まっている。
こいつが俺を見る目は、ゆがんだ興味と性欲だけだ。
改めて思う。早く逃げなければ、と。
「今はまだ何もしないよぉ。も、もっと僕好みに仕上げてからたっぷりと堪能するんだ……」
ねっとりとした視線を受けとめ、顔を伏せる。
マキシムはその行動を怯えと勘違いしたのか、脂ぎった顔を近づけて無理やり俺の頭を撫でると、手足についた枷を外した。
まさか自由にするのか?と思ったが、やはり違うようだ。
持ってきたのはおもりの付いた新しい枷。
足に当たる部分に重い球体がついているため、とてもじゃないか速く動くことなどできはしないだろう。
それを俺の足に着けると、今度は手に、前方面にならそれなりに自由に動かせるほどの長さの鎖がついた手錠を付けた。
手足の自由自体は先ほどよりも利くが、移動能力は封じられたも同然である。
「さ、さあ、地下室に行こうか……。君のお友達がお待ちかねだよぉ…?」
「さっきから移動ばかりだ」
「んん~、なにか、い、いったのかい?」
「……何でも」
ふかふかの絨毯の上を進みながら――とはいえ、鉄球を引きづりながらではあるが――聞こえるか聞こえないかくらいの愚痴を言う。
鉄球は、正確な重さはわからないが、歩きずらいことこの上ない。
抵抗の少ない絨毯の上であるにもかかわらず、引き摺るだけで足首がひりひりと痛む。
しかし、先ほどふかふかの絨毯といったが、それはあくまで一つの事実を言っただけに過ぎない。
実際、確かに毛並みはふかふかであるものの、その色合いは黄色とどぎつい赤をセンスも何もなく塗りたくったような、成金趣味丸出しの絨毯だったからだ。
それ以外にも、自分の権力を象徴したいのか、高価そうに見える壺や人のような豚…マキシム自身が描かれた絵画などがこれ見よがしに飾られている。
とても、戦争のエキスパートである貴族とは思えない。
そんな絵などを、微妙な表情で(とはいえ、表面には出さない)見ていると、マキシムが嬉しそうに話しかけてきた。
「すごいだろう、僕のコレクション!この壺はねぇ、50000ルールもしてるんだよ!僕を描いたこの絵画はねぇ?ゆ、有名な、エフライム氏に400000ルールで描いてもらったものなんだ!素晴らしいだろう!」
「―――ええ、とても」
実際には心にも思っていないが。
趣味が悪すぎる……この絵を描かされた人も大変だっただろう。
「さ、さあ!ここが今日から君の住む奴隷部屋だよ!」
絨毯や装飾が途切れ、雰囲気がいきなり変わった。
その奥には、重厚というか、頑丈というか――まあ、そんな感じの石扉が佇んでいる。
マキシムは、鍵もかかっていないそれを開けると、中に入るように言ってきた。
「そ、その部屋の中なら自由に動いてもいいよぉ…?」
「…………」
――最悪な環境だ。
現代風にいうなれば、コンクリートでできた棺桶。
地面には何も敷いておらず、喰いかけの食べ物や、最初に俺がみた部屋のように糞尿がそのまま。匂いも視覚情報も”最悪”の一言である。
さらには、俺と同じくらいの少女たちが、拘束器具を付けられている。
「じゃ、じゃあね。逃げようなんて思わないでね…?僕の屋敷にはフロル君とか、優秀な人材がそろってるんだ!それに、その足枷はすごく音が鳴るからね、この部屋から勝手に出ればすぐにわかるんだから……」
「逃げませんとも。……私はすでにあなたのモノです」
「ふ、ふひひ、いい買い物したなぁ。処女で健康で、従順なんてさぁ!もっと僕好みにしてあげるからね、ハシンちゃぁぁん!」
心にもないことを言って、この場を収める。
終始ニタニタと気持ち悪く笑いながら、マキシムは奴隷部屋から去って行った。
――さて。
「おいあんた、大丈夫か?」
「……ん、う……?」
この部屋の中にいるのは、俺を含めて四人。
そのなかで、無事そうなのは……一人だけだ。
あとは、今の俺とそう変わらない歳だというのに、腹が膨らんでいるものもいれば、手足がないものもいた。
そういったものたちは何もされていないのだろう、傷跡は爛れて腐り、性器から血を流して倒れこんでいる。
残念だが……彼女らはもう長くないだろう。
「………あなた…は?」
「ハシンという。君は?」
「……リナ」
少し失礼して、体に触らせてもらう。
保健の授業が役にたつときが来たな。
まずは触診……異常なし。
だが、熱はあるようだ。
ただ、骨は折れていないが、打撲は数か所みられる。
ふむ、豚の拷問のせいか……まったくもって気に入らない。
リナという少女は、なんとか体が隠れるくらいの襤褸に身を包んだ少女だった。
髪は黒く、腰まである。顔は整っている部類であろう。ただ、このように悪い環境にいるせいか、全体的にやつれ、やせ細っている。
「……起きられるか?」
首を横に振るリナ。
肉体的な損耗より、精神的な損耗の方が激しいようだな。
悪環境による精神摩耗は、状況によっては肉体の損傷よりも厄介であると聞いたことがある。
「あなたも……奴隷なの?」
「あぁ」
「……そっか」
そこまで聞くと、リナは大きくせき込み、眠った。
まるで、死んだような眠り方。寝息も小さく、慢性的な疲れがたまっているのが理解できる。
……奴隷生活はそこまでのものなのか。
これは、覚悟を決めなければならないな。
―――奴隷生活一日目は、こうして過ぎていった。
***
「起きろ、奴隷四号」
「……わかっている」
この声は、神経質そうな男の声か…。
俺は壁に預けていた背中をお越し、立ち上がった。
ぽきぽきいう体を、枷が許す範囲で伸ばす。
さすがに、この石室で眠るのは体中が痛くなるな。
「閣下がお呼びだ。早く来い」
「今日はエスコートしてくれるのか?」
「……黙れ」
男は腰の銃剣の柄で俺を殴りつけた。
木製とはいえ、金属で補強もしてあるし、何より大の男の力だ。
とても痛い。
「……わかったよ。すぐに行く」
「最初から口答えをするな、奴隷が」
まったく、よっぽど奴隷が嫌いなのか、この男は。
石室を出る前に、なかのほかの奴隷仲間を確認する。
彼女たちは、うつろな瞳で虚空を見ていた。
……この部屋には、希望がない。強打された場所を摩りながら部屋を出て。
そんなことを思っていた。
「や、やあ、ハシンちゃん」
「――こんにちは」
マキシムの部屋。
俺はこいつの前で、”演技”という名の仮面をかぶりながら従順の振りをする。
マキシムは、無駄に豪華さを演出した机の上で、その短い腕を組んでいた。
実に偉そうである。
「きょ、今日はね、いってもらいたいところがあるんだ」
「それは、いったいどこで…?」
「このぼ、僕の街さ」
――マキシムが言うには、この屋敷(砦)から東南へ少し行った先に、それなりの規模の街があるらしい。
俺は、そこに行って買い物をするのだそうだ。
「何故私が?」
「ふ、ふふひ。それはね、僕の新しい奴隷をお披露目するためだよ!」
「…………」
思わず、顔をしかめた。
本当に自分のことしか考えていない野郎だ…。
自己顕示欲をそんなに満たしたいのか、こいつは?
「い、いってくれるよねぇ?」
「……えぇ、もちろん」
心の底から嫌ではある。
だが、これは俺にとっても得になることだ。
外の地形を知り、関係を知り、逃げるための足掛かりになる。
――今の時点で、一つ理解していることもある。
まず、ここからは俺一人で正攻法で抜け出すことはできない。
何か、一手が必要になる。
その勝負を決める一手を、探さなければ――。
「では閣下、これを連れていきます」
「頼んだよ、フロル君。く、くれぐれも取扱いには気を配ってくれよぉ?僕の大切なコレクションなんだからね」
***
「……フロルっていうんだな、あんた」
「………」
無言か。
扉の前にきっちり立っていた男――フロルにつれられ、俺は屋敷を抜け、砦の入り口に向かっていた。
初めて俺はこの男の名前を知ったわけだ。…それがどうしたといわれればその通りであるが。
「――ん?」
砦の入り口から一番近い、the豆腐ハウスから、数人が顔を出していた。
あれは――使用人か?
どっかの豚の趣味なのか、メイドカフェで出てきそうな派手なメイド服を着た、様々な年齢層の女の人が俺の方を見て何か言っていた。
「……かわいそうに、また新しい奴隷ですって」
「マキシム様の好事にも困ったものですね……」
「いくら奴隷とはいえ、飽きたらすぐに捨てるか、孕ませて放置ですものねぇ……そしてあとは自身の好きな時に遊ぶだけでしょう?」
「今回のあの子も数週間であきられて、あとは玩具になっちゃうのかしらねぇ…」
「ほんと、かわいそう………」
その使用人たちは、フロルのにらみをうけて退散してしまった。
……ふむ、有用な情報が手に入ったな。
この屋敷、マキシムに従っている者たちばかりではないということ。
そして、奴隷に味方とはいかないまでも、憐憫の情を向けてくれるもの入るということ。
――――あとあと、利用できるかもしれない。
頭の片隅に置いておくことにした。
さて、ここから俺の奴隷生活が――本格的に始まる。
眠・気・M・A・X!
テンションがおかしいので文章がおかしいかもです。
やっぱり間をあまり明けない方がいいなぁ。