上階制圧
加速は爆発的に。
なるほど、俺たち暗殺者とはそもそもの走り方からして違う。
音を、気配を殺して這いよるのが暗殺者だとすれば、忍者は音こそ消しているものの、速度や距離を詰める、あるいは稼ぐといった戦闘に特化した走り方だ。
しかし――そのために、バルクールは暗殺者ほどではない、ということか。
ハーサの言っているとおり、確かに俺たち暗殺者と忍者は、獲物に関しての住み分けができている。
壁を伝ったり、手すりなど、様々なものを移動手段とする曲芸的なバルクールは、市街や、砦内において本領を発揮する。
一方、速度に特化している忍者の走りは、広い戦場において輝くものだろう。
得意としている技術の使用場所が違う以上は、獲物が被るわけがないのだから。
………とはいえ、決してバルクールができないわけではないのは要注意だな。
気を払わねば、足をすくわれるだろう。
「……さて」
どうするか。
まもなく警備の二人組みはこちらの通路へ躍り出るだろう。
戦闘特化の暗殺職、忍者ならばこの場合――どう戦うのか。
五秒ジャスト、警備の男二人組が現れ、慢心しているのだろう、クリアリングを行わずに当たり前のように角を曲がった。
―――その時点で、一人が死んだ。
「―――ッコ……?」
手刀一閃。
衛利の細身の腕からは想像のできない速度と威力で放たれた手刀は、窓側にいた男の首をへし折ったのだ。
そして、そのまま倒れ込んだ男の方へと、もう一人の男の目線が向く。
「……そう言う戦い方か」
暗殺者ならば、即座に身を翻すか、姿を見られる前に殺す状況で、衛利は当然のように目線を受け止めていた。
なるほど、わざと姿をさらしているのか。
目の前に敵がいれば――それが異常に近ければ、自然とる行動は限定される。
目線操作の応用、行動操作。
そして、人間の視界の特徴を突いた攻撃。
それに加え、やり切れるという自身の身体能力への、過信無き信頼。これらが集まって、忍者はできているのか。
……敵にしたら厄介だろうな。立ち振る舞いは気をつけた方がいいだろう。
難にせよ――忍者というものの脅威を判断することができてよかった。
「おま……!!??」
「うーん、遅いですね……」
声をあげようとした生き残りの男は、いきなり目の前から消えた衛利に戸惑っていた。
外から見ているからわかるが、目の前で衛利と相対していたのなら、本当に視界から衛利がいきなり消えたかのように映っているだろう。
……なんのことはない、衛利はただ斜め下に、高速でかがみながら移動しただけだ
しかし――人間の脳は、斜め方向への急激なものの移動に、ついていくことができない。
結果として、その移動を仕掛けられた人間は、目の前から人がいきなり消えているという錯覚を覚えることになる。
――人間の視野はおおよそ200度。さらに、五感の内、視覚が占める割合は非常に高い。
脳が最も信頼している”目”が、普通ではありえない挙動を脳に見せると、人間というものは容易く狼狽えるのだ。
一瞬だけ言葉をなくし、立ち止まった男。
その顎に的確に突き刺さった掌底により、男は倒れた。
「えげつないことする。二連続とは」
「見えてたんですか?すごい目ですね」
衛利の掌底は、一度だけではない。
あの一瞬の間に、二度撃っていたのだ。
脳震盪とは、脳、正確には脳幹が捻じれることによっておこる気絶現象。
……まあこの場合は脳挫傷の方が正しいらしいが、医師でも医学生でもない俺には詳しいことは分からん。
ともかく、脳が捻じれるなり潰れるなりする現象だ。
それを短時間の間に二度やられれば、ただでさえ強い衝撃が揺り戻しの作用も加わってさらに威力が上がる。
人体を理解できているからこその一撃だな。見事の一言に尽きる。
「でも、ハシンだって必要ならするでしょう?」
「当たり前だ」
でなければ俺が死ぬのだから。
人の生き死にに、善悪の観念など無用。
やるか、やられるか。
暗殺業とはそんなものだろう。
さて――これで三人。
「残りも片づけるぞ」
「はーい」
通路の移動ルートは分かっている。
同じようにやれば問題はない。
――手早く、残りの三人を始末した。
***
「あは、なかなかうまくいきましたね?」
「この程度で失敗してたまるか。……ふむ、調べてみたが、こいつら特殊なものは何も持っていないようだな」
このフロア内のトイレ。
集団用になっている大型のトイレに、六人分の死体を放り込み、外から鍵をかける。
鍵は簡単な錠前形式だ、ピッキングの要領で鍵をかけるのも容易い。
しばらくの間は…………あるいは永遠に見つかることはないだろう。
「腐臭すごくないですか?」
「肥溜めが内蔵されているトイレに向かっていまさら何を言う」
肉が腐る匂いも、糞尿がまき散らされた匂いもたいして変わりはしない。
少なくとも、一般人にとってはな。
誰かがこの中に入り込み、鍵を開けて惨状を見た時のみ、この殺しは露呈する。
「やはりただの警備兵か」
「傭兵や軍人崩れといったものでしょうね。生粋の戦士というわけではないはずですし、暗殺業に携わっている感じもありません」
金で雇われて警備しているだけ、しかもほとんど安全なことが確定されている場所の警備ということか。
なるほど、それは慢心するわけだ。
「やはり……地下か」
「まあ上は制圧できましたし、退路の確保は十分にできてますよ」
人間の習性なのか、大事なものほど何かの中や下に隠したがる。
男子学生のお宝がベッドの下に埋まっていることが多いようにな。
それは組織的なものになっても変わらないようだ。
尤も、地下ならば巨大な空間があっても気づかれにくいという利点もある。ただの習性というだけではあるまい。
アリの巣のように、地下が馬鹿みたいに広くなっている可能性もあるのだ。
「用心していくぞ」
「了解しました」
「―――ん……?」
階段を降りようとした際に、窓の桟に気になるものを見つけた。
…………足跡か。
掃除などあまりされていないのだろう、少々埃の溜まった窓の桟。そこに、うっすらと足跡があった。
目の良い暗殺者でなければ気が付かない程度だが……重心移動がまだ手慣れていないのだろうな。
だから、足跡が残った。
ハーサやミリィなら、塵一つ上げず、足跡すら残さずに跳べる。
足跡が残るということは、達人……”長老たち”ではない。俺と同じ、未熟者か?
まあ、少なくとも、窓から脱出するものが一般人である訳はない。
足の大きさは、大人というには小さいが……それでも27はあるだろう。青年といった足跡だ。
「どうしました?」
「――いや、何でもない」
俺達以外の侵入者がいた、その事実だけ覚えておこう。
敵かもしれない以上、警戒は忘れずに……だ。
「教壇下の入り口。さっさと確かめに行こう」
「はーい」
しかし、警戒に気を取られては本末転倒。
本来の目的は、薬品の正体と、情報露呈の阻止、あるいは適正要因の排除。
さて、仕留めに行こう。